UFOにまつわる謎のひとつに「物理的証拠」というものがある。「すべては脳内現象=幻覚だ」で済めば話は早いのだが、いわゆる「着陸痕」だとか「レーダーによる捕捉」といったものがあるから始末が悪い。で、このあたりについて私のご贔屓のジャック・ヴァレがどんな事を言っているかというと、ひとつ、参考になるテキストがある。ネットに上がっているジェローム・クラークによるインタビューである=ジェローム・クラーク「ジャック・ヴァレ、UFOのコントロール・システムを語る」(雑誌「フェイト」1978年)
実はこのインタビュー記事、いったん全訳してみたんだが、全文載せるのはマズイということなので、以下では議論に関係するところだけ引用しながら話を進めるけれども、ここでクラークは、「物理的な痕跡が残るというのは、つまり、UFOは3次元の有形の物質として存在するってことだよネ?」と言って迫るのだが、ヴァレは「いやいや、そうとは限りませんぞ」といって粘り腰をみせるのだった。こんな具合である。
ちなみにここで語られている事件というのは、ヴァレの『ディメンションズ』6章末尾で紹介されているパウロ・ガエターノ事件 Paulo Gaetano のことのようだ。ここも議論に関係する当該箇所だけ以下に引用してみるけれども、おおむねこんな事件である。
私の英語力不足もあいまって、いまひとつ状況が掴みきれない感もあるけれども、つまり、この同乗者のエルビオなる人物も半分意識朦朧みたいな状態になってしまって、彼のほうはUFOなんて見なかったんだが、意識朦朧の状態の中でパウロと一緒に後続のバスに乗り込んだ――という話のように読める(しかし、後続のバスに乗っていた人間とか運転手だっていた筈で、そいつらは一部始終を見てたんではないのか、その地方のバス会社に当たれば証言が得られる筈だが何故その話がないのか、いやそもそもこの「バス」自体も幻想なのか等々、いろいろ考えてしまうのだが、いろいろ調べて回るのも面倒臭いというトコロもこれ有りなので、そこは南米流のマジック・リアリズムということでハナシを済ませてしまうことにし、ここではあまり詮索しないで先に進むことにする)
つまり、ヴァレは、ここには目撃者に「オレはこんな体験をした」と思わせるような「仕掛け」がまずあって、加えてその傍証となるような「物理的痕跡」を別途「捏造」する、というようなカラクリもあったんじゃねーか、と示唆しているようなのだった。実際に彼はこの『ディメンションズ』の引用部の直後で、「マイクロ波などを用いれば人間の感覚器に働きかけてその心に何事かを投影するようなことも技術的には可能だ」みたいなことも言っている。
素直に読めば、ここには体験者を騙そうという何者かの「仕掛け」と「意図」が見てとれる。で、ヴァレは実際にそのような「仕掛け」を「コントロール・システム」と呼んでいるようなのだが、しかし、そこに「何者かの意図」というものがあるかどうかについては、ついぞハッキリしたことを言わない。あるいはこのインタビュー自体40年ほど前のものなので今では考えが変わってきているのかもしれないが、寡聞にしてその辺は知らん。実に隔靴掻痒である。いったいこの「コントロール・システム」というのは何を言っているのか。結局謎は深まるばかりである。
が、「円盤はわかったと思った時が一番あぶない」というようなことを、確かかの『何かが空を飛んでいる』の稲生平太郎先生もおっしゃっていた。ここは、こういう煮え切らない宙ぶらりんの状況に耐えるのが正しい円盤者の態度なのかもしれない、と思うのだった。
追記
念のため記しておくが、このエントリーは少し前に書いたのを換骨奪胎した内容で、ほとんどダブっているから、そこんとこはヨロシク。
実はこのインタビュー記事、いったん全訳してみたんだが、全文載せるのはマズイということなので、以下では議論に関係するところだけ引用しながら話を進めるけれども、ここでクラークは、「物理的な痕跡が残るというのは、つまり、UFOは3次元の有形の物質として存在するってことだよネ?」と言って迫るのだが、ヴァレは「いやいや、そうとは限りませんぞ」といって粘り腰をみせるのだった。こんな具合である。
ヴァレ いや、必ずしもそうではないでしょう。その現象は現実感覚の歪曲を生み出したり、現実にとってかわる作りものの感覚を代替物として作り出す力をもっている、そんなことを示す証拠があります。もっと奇怪な遭遇事例をみていけばお分かりかと思うのですが――例えばこれは南アメリカであった事件で、ある男性は「自分はUFOにアブダクションをされた」と信じ込んでいる。ところがそのとき一緒にいた人は、「うしろの方にいきなりバスが現れた。で、彼はそのバスに乗りこんだ。そんな風に思っていた」などと言うわけです。想像するに、一方には「人の目にみえる現象」があり、他方には「物理的な痕跡を作り出す現象」があるわけです。つまり私が言っているのは、ここには或る種の奇妙な「だまし」があるのかもしれない、ということなのです。
ちなみにここで語られている事件というのは、ヴァレの『ディメンションズ』6章末尾で紹介されているパウロ・ガエターノ事件 Paulo Gaetano のことのようだ。ここも議論に関係する当該箇所だけ以下に引用してみるけれども、おおむねこんな事件である。
1971年11月17日の午後9時30分、パウロ・ガエターノという名のブラジル人が、ナティビダッド・デ・カランゴラでの商用を終えて車で帰る途中のことだった。車内にはエルビオ・Bという男性がひとり同乗していた。バナネイラスの町を通過したあたりで、パウロは車の走りが普通と違うように感じ、そのことを連れに告げたのだが、彼はただ「疲れてるから眠りたいんだ」と言うばかりだった。結局エンジンが止まってしまったので、パウロは道路脇に車を停車せざるを得なかった。
そこで彼は、12フィート(約3.5メートル)向こうにいる物体を見たのだった。赤いビーム光が車に投げかけられ、そのせいなのだろうか、車のドアは開いてしまった。そこに何人かの小さな者たちが現れ、彼らの乗り物の中に連れ込まれたパウロは、小さなテーブルの上で横になるよう強いられたのだった。彼の腕をしっかり固定すると、その連中はX線装置に似た機械を天井のほうから下に下ろしてきた。肘のあたりを切開されたような感じがしたが、その連中はそこで採血をしたのだった(ブラジルの研究グループ、SBEVDの調査員たちはその3日後、この傷を確認して写真にも撮っている)。
それから彼は二枚のパネルを見せられた。ひとつはイタペルーナの市街図であり、もうひとつは原爆の爆発を写した写真だった。パウロは陰鬱な気持ちであったという。彼にはエルビオに助け出してもらったという記憶があるのだが、しかし一体どうやってそこから家に帰ってきたのかは、全く思い出すことができなかった。ここで興味深いのは、この目撃者が一人ではなかったということである。では、エルビオのほうも空飛ぶ円盤を目撃したのだろうか? いや、彼はただ「バスを見ただけだ」というのである。エルビオによると、バナネイラスの近くにきたところでパウロは何やら神経質そうな素振りをみせた。彼は「俺たちの後ろを空飛ぶ円盤が追ってきている」と言ったが、実際に彼らの車のうしろにいたのは、適当な車間距離をあけた状態で追走してくるバスだけだった。
これに付け加えて、エルビオはこう言った。「自分たちの車は、スピードを落として停まっちまった。で、パウロは、運転席の側のドアを開けたまま車の後ろ側に回ったかと思うとそこで地面に倒れちまったから、俺は助けに行ったんだ」。エルビオは何とかパウロを立たせて、そのバスでイタペルーナまで行き、その町の救急センターでパウロを診てもらった。一方、警察のパトロール隊は現場に向かい、ハイウェイ上にパウロの車があるのを確認した。エルビオはパウロの身に何が起きたのか、なぜドアが開いているのか、うまく説明することができなかった。というのも、いつパウロが車の外に出たのかをよく覚えておらず、なぜ2人でバスに乗ったのかも説明することができなかった。警察はパウロの車も調べたが、彼の腕の傷がどうしてできたのかを説明できるようなものは一切見つけることができなかった。
私の英語力不足もあいまって、いまひとつ状況が掴みきれない感もあるけれども、つまり、この同乗者のエルビオなる人物も半分意識朦朧みたいな状態になってしまって、彼のほうはUFOなんて見なかったんだが、意識朦朧の状態の中でパウロと一緒に後続のバスに乗り込んだ――という話のように読める(しかし、後続のバスに乗っていた人間とか運転手だっていた筈で、そいつらは一部始終を見てたんではないのか、その地方のバス会社に当たれば証言が得られる筈だが何故その話がないのか、いやそもそもこの「バス」自体も幻想なのか等々、いろいろ考えてしまうのだが、いろいろ調べて回るのも面倒臭いというトコロもこれ有りなので、そこは南米流のマジック・リアリズムということでハナシを済ませてしまうことにし、ここではあまり詮索しないで先に進むことにする)
つまり、ヴァレは、ここには目撃者に「オレはこんな体験をした」と思わせるような「仕掛け」がまずあって、加えてその傍証となるような「物理的痕跡」を別途「捏造」する、というようなカラクリもあったんじゃねーか、と示唆しているようなのだった。実際に彼はこの『ディメンションズ』の引用部の直後で、「マイクロ波などを用いれば人間の感覚器に働きかけてその心に何事かを投影するようなことも技術的には可能だ」みたいなことも言っている。
素直に読めば、ここには体験者を騙そうという何者かの「仕掛け」と「意図」が見てとれる。で、ヴァレは実際にそのような「仕掛け」を「コントロール・システム」と呼んでいるようなのだが、しかし、そこに「何者かの意図」というものがあるかどうかについては、ついぞハッキリしたことを言わない。あるいはこのインタビュー自体40年ほど前のものなので今では考えが変わってきているのかもしれないが、寡聞にしてその辺は知らん。実に隔靴掻痒である。いったいこの「コントロール・システム」というのは何を言っているのか。結局謎は深まるばかりである。
が、「円盤はわかったと思った時が一番あぶない」というようなことを、確かかの『何かが空を飛んでいる』の稲生平太郎先生もおっしゃっていた。ここは、こういう煮え切らない宙ぶらりんの状況に耐えるのが正しい円盤者の態度なのかもしれない、と思うのだった。
追記
念のため記しておくが、このエントリーは少し前に書いたのを換骨奪胎した内容で、ほとんどダブっているから、そこんとこはヨロシク。
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