京都の老人ホームで医師をしている中村仁一さんという方が書いた『大往生したけりゃ医療とかかわるな』 (幻冬舎新書) という本があって、で、確かこの本の中に書いてあったのだが、「ガンで死ぬ」というのは、どうも一般的には「おぞましいもの」として敬遠されているけれども、実は年寄りの死に方としてはそんなに悪くないんじゃないか、という議論がある。

よく末期ガンは痛いし苦しいなどと言われる。確かに無理やり抗癌剤を投与したり放射線療法とかやってガンと「闘う」ということになると、これは生きてる正常な細胞をハカイしたりする副作用もあるので結構修羅場になったりするようなのだが、もうあんまり「闘病」しないでなすがままに任せとくと、意外とこれはラクで、死ぬ時も意外にスーッと死んでいける、というのである。

で、ガンというのは、ある程度、先が読める。あと××年したらたぶん死ぬんじゃないか、という見通しが立つというのである。これは宣告を受ける身になってみるとかなりキツイような気がしないでもないのだが、よくよく考えると、ここにはある程度「死ぬ準備」をしてから逝けるという利点がある。それと、最近よく聞く「ボケて暴れるので無理やり沈静剤うたれた上にベッドに縛られて一日過ごすジジイ」みたいな老後を考えると、むしろ意識が清明なウチに「あぁ桜が綺麗だなぁ、来年は見られないかもしれないなぁ」とか詠嘆しながら死んでいけるガンのほうが、まだマシじゃねーかなあと思ったりする。

いや、だが、しかし。たとえば80歳とかになってボケが進行してしまった段階でオレがどう思うかというのは、これはまた別問題なのだな。たぶん、とゆーか十中八九、オレは「いや、しかしまだもうちょっと生きたいので、何でもいいから生かしてくれ」というのだろう。この辺が人間の難しいところである。ま、ともかく、日頃から死に方のシミュレーションをしておくに如くは無し。