第2章「三重の隠蔽」では、これまでとはやや違った角度からの議論が展開されている。そもそもUFOをめぐる研究調査が遅々として進まないのは何故か。それは、この問題に対して或る種の「隠蔽」がなされているからではないか。そんな視点から、ヴァレはここで3つのレベルの「隠蔽」を指摘する。
第1の隠蔽とは何か。それは「権威ある立場にいる人々がUFO事件の報告が上がってくるのを妨げ」「目撃者たちに目撃談を語るのをはばからせているような圧力」のことである。要するに、当局は「我々にはすべてわかっている、UFOというのは誤認の産物だ」と主張することで人々の口を封じ、問題を隠そうとしているというのである。
そのような文脈で、ヴァレは1966年にミシガン州で起きた「沼地ガス事件」を取り上げている。要するにミシガン州でUFOの目撃が相次いだ事件なのだが、「プロジェクト・ブルーブック」から現地に派遣された科学顧問のアレン・ハイネックが、コメントをしつこく求めるメディアに対してとりあえず「目撃者の中には沼地のガスを見誤った者もいるかもしれない」といったステートメントを発したところ、大衆・メディアが「事実を隠蔽するのか!」といって騒ぎ出した、というストーリーである。のちに「正体不明のUFO現象というのは確かに存在する」というスタンスを取ったハイネックが矢面に立ったという意味では非常に皮肉な事件だったのだが、そもそも最初から「プロジェクト・ブルーブック」はやる気がなかった、ということをここでヴァレは書いている。
一方、この事件なんかも後押しするかたちとなって、1966年、大衆の突き上げを食った米空軍は「コンドン委員会」なる科学調査組織を立ち上げる。ところが委員長のエドワード・コンドンからして、やはり全然やる気がない。最終的に出された「コンドン報告」は「過去21年間のUFO研究から科学的知識は全く得られなかった。これ以上UFOの研究を続けても、おそらく科学の進歩に貢献することはないだろう」という煮え切らない結論を出して解散したのであるが、ヴァレは、結局のところ、こうした事態も「第1の隠蔽」が生み出したものだったというような事を言っている。
では「第2の隠蔽」は何かというと、ヴァレは「目撃者が証言を語り出した時点における〈説明〉の捏造」だという。ここではその実例として、1973年12月2日にフランス・カルトゥレの海岸で起きたUFOの目撃事件を挙げている。詳細は省くけれども、目撃者がせっかく名乗り出たのにも関わらず、警察はその証言を無視して、トンチンカンな説明をした揚げ句に「謎は解明された」といって事件を終結させてしまう、そのようなケースである。
そして「第3の隠蔽」である。これは「この現象自体に組み込まれている〈人々に沈黙を強いる〉メカニズム」であるという。ちょっとわかりにくいのだが、UFO現象にはあまりにも馬鹿馬鹿しく不条理な側面があって、結果的に目撃者をしてその体験を語ることを躊躇させてしまうような部分が最初からビルト・インされている、ということを言いたいらしい。
ちなみにこの文脈で紹介されているのは、1967年12月3日、ネブラスカ州アシュランドでハーブ・シルマーという警官がアブダクトされた事件であるとか、1954年に「ガーディアン」と名乗る宇宙人からのチャネリングで「大災害近し!」という荒唐無稽な予言を受け取ったものの、もちろん予言は成就せず、ハシゴを外されたセクトの話――「キーチ夫人」という仮名で登場する女性が率いたこの団体の消長は、社会心理学の名著『予言がはずれるとき』に詳細に記録されている――である。
さて、これはヴァレ自身がハッキリ言っていることではないが、第1、第2の隠蔽を意図しているのがいわゆる「政府当局」であるのに対して、第3の隠蔽を仕組んでいる「主体」が仮に存在するのだとすれば、それは「UFO現象を引き起こしているもの」ということになるのではないか。このあたりの議論は、本書で彼が何度も繰り返すUFO現象の「不条理性 absurdity」という問題とも深く関連してくる。なぜUFOは、わざわざ目撃者を混乱させ、陥れるが如きことをするのか。これもまた本書における一つの大きなテーマなのである――あらかじめ言っておくと、ちゃんとした答えは得られぬまま終わるのだけれど。(続く)
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