第3章「文書館のメモ」のテーマは、簡単にいうと、人間と、宇宙にいる「至高の存在」とのあいだの「チャネリング」をめぐる問題である。
冒頭部では、まずユリ・ゲラーが登場する。米国の超心理学者で、一時期ゲラーの能力についての研究に取り組んでいたアンドリア・プハリッチの著書『ユリ』(邦訳:アンドリヤ・H・プハ-リック『超能力者ユリ・ゲラー』1974年、二見書房。井上篤夫訳)の記述などを引用しつつ、ヴァレは彼と「UFO」との関係を論じていく。
これは1971年、プハリッチがゲラーに催眠術をかけた時のことなのだが、ゲラーは3歳の時にUFOと遭遇した体験を語り出す。加えて同じセッションの中で、とつぜん空中から「声」が聞こえてくるという怪現象も起こる。その声は「宇宙的知性」からのもので(ちなみにその存在は「スペクトラ」と名乗ったようであるが、これは彼らの宇宙船の名前でもあるらしい)、自分は3歳のユリを見出して彼に「プログラム」を施した者である、などと語ったのだという。要するに、ゲラーの「超能力」は彼らによって授けられたものだ、ということなのであろう。
この後もプハリッチとゲラーのもとには、机に置いておいたテープレコーダーに自動的にスペクトラの声が録音される、といったかたちでメッセージが再三寄せられてきた(ちなみにそうしたテープはいつの間にか「消滅」してしまうのが常で、従ってその音声は現存していないのだという!)。一言でいってしまうと、このスペクトラは、自分たちの有する叡智を人間に伝えるべく、何百万光年もの彼方からはるばる地球までやってきている、というのである。
続いて語られるのは、1959年に起きた「AFFA事件」である。これは当ブログでも以前紹介したストーリーなので詳細は省くけれども、要するに、海軍の軍人が自らチャネリングを試みていた最中、その宇宙人に「姿を見せてくれ」といったら本当に円盤が現れ、複数の軍人がそれを目撃した――という触れ込みの事件である(ちなみに、この「AFFA」というのは、チャネリングの相手方の天王星人の名前である)。
高次の超知性体のようなものが地球外にいて、そこから何やらとても有り難い啓示がもたらされる――といった話は確かにある。その際、何やら理解を超えた超常的な現象が起きることもあるのかもしれない。過去の歴史の中にも同種のものはあったということなのだろう、ヴァレはここで、1581年、英国のオカルティスト、ジョン・ディーのもとに光り輝く存在が現れ(それは「天使ウリエル」を名乗ったという)、「ありとあらゆる未来の秘密を明かしてくれる」水晶を渡してくれた、などという話も紹介している。しかしながら、そこで語られる「啓示」が本当に「有り難い」ものであったためしはないし、彼らが「人間より高位の存在」だという証拠などない、そうヴァレは言うのである。
UFOと関連して語られる「超知性体」も、真実や叡智を語っているわけではないようだ。我々を訪れるものたちの存在をとりあえず認めるとしても、彼らの言葉は全く信用するに値しない。本章でヴァレが説いているのはそのようなことなのだろう。かくて論点は、再びUFO現象の不条理とバカバカしさというものに帰着していくのである。(続く)
冒頭部では、まずユリ・ゲラーが登場する。米国の超心理学者で、一時期ゲラーの能力についての研究に取り組んでいたアンドリア・プハリッチの著書『ユリ』(邦訳:アンドリヤ・H・プハ-リック『超能力者ユリ・ゲラー』1974年、二見書房。井上篤夫訳)の記述などを引用しつつ、ヴァレは彼と「UFO」との関係を論じていく。
これは1971年、プハリッチがゲラーに催眠術をかけた時のことなのだが、ゲラーは3歳の時にUFOと遭遇した体験を語り出す。加えて同じセッションの中で、とつぜん空中から「声」が聞こえてくるという怪現象も起こる。その声は「宇宙的知性」からのもので(ちなみにその存在は「スペクトラ」と名乗ったようであるが、これは彼らの宇宙船の名前でもあるらしい)、自分は3歳のユリを見出して彼に「プログラム」を施した者である、などと語ったのだという。要するに、ゲラーの「超能力」は彼らによって授けられたものだ、ということなのであろう。
この後もプハリッチとゲラーのもとには、机に置いておいたテープレコーダーに自動的にスペクトラの声が録音される、といったかたちでメッセージが再三寄せられてきた(ちなみにそうしたテープはいつの間にか「消滅」してしまうのが常で、従ってその音声は現存していないのだという!)。一言でいってしまうと、このスペクトラは、自分たちの有する叡智を人間に伝えるべく、何百万光年もの彼方からはるばる地球までやってきている、というのである。
続いて語られるのは、1959年に起きた「AFFA事件」である。これは当ブログでも以前紹介したストーリーなので詳細は省くけれども、要するに、海軍の軍人が自らチャネリングを試みていた最中、その宇宙人に「姿を見せてくれ」といったら本当に円盤が現れ、複数の軍人がそれを目撃した――という触れ込みの事件である(ちなみに、この「AFFA」というのは、チャネリングの相手方の天王星人の名前である)。
高次の超知性体のようなものが地球外にいて、そこから何やらとても有り難い啓示がもたらされる――といった話は確かにある。その際、何やら理解を超えた超常的な現象が起きることもあるのかもしれない。過去の歴史の中にも同種のものはあったということなのだろう、ヴァレはここで、1581年、英国のオカルティスト、ジョン・ディーのもとに光り輝く存在が現れ(それは「天使ウリエル」を名乗ったという)、「ありとあらゆる未来の秘密を明かしてくれる」水晶を渡してくれた、などという話も紹介している。しかしながら、そこで語られる「啓示」が本当に「有り難い」ものであったためしはないし、彼らが「人間より高位の存在」だという証拠などない、そうヴァレは言うのである。
私の考えによれば、ゲラーやその他の「物言わぬコンタクティーたち」が、我々が通常用いている言葉によっては十分に説明のつかないような現象を引き起こしている可能性がある、というのは真実だと思う。
また、科学者であれ科学者以外であれ、情報やパワーの源泉たる「高次の存在」に触れ得た人々を納得させるような方法がみつからないうちは、こうした現象を解明したということにはならない、というのも否定できぬところである。
しかし、ここには危険が潜んでいる。というのは、歴史的にみれば、その種のメッセージが、その時点でまだ知られていなかったもの、あるいは人間がその知性により把握していなかったものを開示した、などということは一度として無かったからである。
UFOと関連して語られる「超知性体」も、真実や叡智を語っているわけではないようだ。我々を訪れるものたちの存在をとりあえず認めるとしても、彼らの言葉は全く信用するに値しない。本章でヴァレが説いているのはそのようなことなのだろう。かくて論点は、再びUFO現象の不条理とバカバカしさというものに帰着していくのである。(続く)
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