4章「OEMIIのはたらき」で俎上に載せられるのは、いわゆる「ウンモ事件」である(なお、章のタイトルになっているOEMIIというのは、ウンモの言語でいうところの「人」という意味らしい)。
これはオレの勝手な印象なのだが、この章からも、通奏低音のようにして本書を貫いている一つのテーマを読み取ることができるような気がする。オレとしてはこんな風に言ってみたい――確かに不可解な「何か」が起きている。ただし、そこには同時に何とも疑わしく、詐術めいた要素もあまたある。それこそがUFO現象なのだ、と。
・・・少し先走ってしまったようだが、さて、このウンモ事件もUFOマニアの間ではよく知られている。1965年頃から、「ウンモ星人のユミット」と名乗る者がスペインに住む人々を中心に次々と何千通にも及ぶ手紙を送りつけてきて(あるいは電話ということもあったようだが)、彼らの文明や進歩したテクノロジーなどに関する様々な「事実」を伝えてきた――という事件なのだが、ここで一つ注目しなければならないポイントがある。「署名」という意味なのか、その手紙には「Ж」とか「王」だとかいった文字に似たマークがもれなく記されていたのだが、一方ではそのマークのついたUFOが実際に目撃されるという出来事も実際に起きていたのである。
本章ではまず、そのような目撃事件のひとつが紹介される。1967年6月1日、マドリードで「例のマーク」のついたUFOが着陸したとされる事件である。ここではその詳細は省かせて頂くが、ヴァレは、この事件に関連した興味深いエピソードを伝えている。この事件後、中が空洞になった金属製の円柱が複数落ちているのが一帯で発見された。これを入手した研究者がこじあけてみると、中には「例のマーク」が刻まれたプラスチック片が入っていた。分析調査の結果は、何とも謎めいたものだった。そのプラスチックを当時製造していたのは唯一米国のデュポン社だけ。しかもそれは一般には出回るはずのない「軍事用途」の製品だったというのだ。
一方、事件から数日後、現場周辺の商店主たちのもとに謎の手紙が送られてきたという話もある。「この円柱をもっている人がいたら科学研究のため一個1万8000ペセタで買い取りたいので、周囲に触れ回ってくれ」という趣旨の手紙だった。ただし、調べても送り主に該当する人物の実在は確認できなかった――。
何ともミステリアスなこんな導入部に続き、ヴァレは、ウンモ事件のキーマンの一人であるフェルナンド・セスマ・マンザーノにスポットを当てる。
彼はマドリード在住で、1954年にUFO研究団体「宇宙の友協会」を設立して活動を続けてきた人物であった。1965年1月、そうやって宇宙人とのコンタクトを夢見てきた彼の身辺に一大事が起こる。外国語なまりのスペイン語で話す男から電話がきて、「地球外からの指令に従って近々ある品物をそちらに送るつもりだ」と言ってきたのである。以来、タイプライターで打たれた大量の文書がセスマをはじめとする研究者たちのもとに届くようになる。彼らは自らを地球上で空飛ぶ円盤を飛ばしている惑星ウンモの住人である、と称していた。
さらにヴァレは、ウンモ星人の手になるものとされる手紙を幾つか引用している。少なくともその手紙を読む限り、ということになるのだが、ここで少々気になった点がある。興味深いことに、彼らは「自分たちの主張は容易に受け入れられないだろう」といった醒めた認識をもっているようなのだ。いささか長くなるけれども、手紙の一部を以下に引いてみよう。
以下は、これとはまた別の手紙。
しかし、こうした引用を読む限り、「ではなぜこのようなコンタクトを試みているのか」がよくわからない。ヴァレ自身も、例のプラスチック片が「軍事用」だったことに触れ、いったんは情報機関の「演習」のために軍当局がこの事件を仕組んだ可能性に論及している。ただヴァレは、そのような「陰謀論」めいた説を退けるようにして、こんなことを言う。
或る種の宗教性を帯びたシンボリズムが登場していること自体、ここには何かよくわからない深遠な意味があるのではないか、ということかもしれない。かくてヴァレは、こうした事件が「人間の信仰を操作する」意図で何ものかによって引き起こされている可能性を示唆して本章を締めくくる。
先に見たウンモ文書は「人間の宗教に介入するつもりはない」と明言していたけれども、それを額面通り受け取ることはできない、ということか。信仰の操作。これは、やがてヴァレの議論の一つのキーワードともなっていく。(続く)
これはオレの勝手な印象なのだが、この章からも、通奏低音のようにして本書を貫いている一つのテーマを読み取ることができるような気がする。オレとしてはこんな風に言ってみたい――確かに不可解な「何か」が起きている。ただし、そこには同時に何とも疑わしく、詐術めいた要素もあまたある。それこそがUFO現象なのだ、と。
・・・少し先走ってしまったようだが、さて、このウンモ事件もUFOマニアの間ではよく知られている。1965年頃から、「ウンモ星人のユミット」と名乗る者がスペインに住む人々を中心に次々と何千通にも及ぶ手紙を送りつけてきて(あるいは電話ということもあったようだが)、彼らの文明や進歩したテクノロジーなどに関する様々な「事実」を伝えてきた――という事件なのだが、ここで一つ注目しなければならないポイントがある。「署名」という意味なのか、その手紙には「Ж」とか「王」だとかいった文字に似たマークがもれなく記されていたのだが、一方ではそのマークのついたUFOが実際に目撃されるという出来事も実際に起きていたのである。
本章ではまず、そのような目撃事件のひとつが紹介される。1967年6月1日、マドリードで「例のマーク」のついたUFOが着陸したとされる事件である。ここではその詳細は省かせて頂くが、ヴァレは、この事件に関連した興味深いエピソードを伝えている。この事件後、中が空洞になった金属製の円柱が複数落ちているのが一帯で発見された。これを入手した研究者がこじあけてみると、中には「例のマーク」が刻まれたプラスチック片が入っていた。分析調査の結果は、何とも謎めいたものだった。そのプラスチックを当時製造していたのは唯一米国のデュポン社だけ。しかもそれは一般には出回るはずのない「軍事用途」の製品だったというのだ。
一方、事件から数日後、現場周辺の商店主たちのもとに謎の手紙が送られてきたという話もある。「この円柱をもっている人がいたら科学研究のため一個1万8000ペセタで買い取りたいので、周囲に触れ回ってくれ」という趣旨の手紙だった。ただし、調べても送り主に該当する人物の実在は確認できなかった――。
何ともミステリアスなこんな導入部に続き、ヴァレは、ウンモ事件のキーマンの一人であるフェルナンド・セスマ・マンザーノにスポットを当てる。
彼はマドリード在住で、1954年にUFO研究団体「宇宙の友協会」を設立して活動を続けてきた人物であった。1965年1月、そうやって宇宙人とのコンタクトを夢見てきた彼の身辺に一大事が起こる。外国語なまりのスペイン語で話す男から電話がきて、「地球外からの指令に従って近々ある品物をそちらに送るつもりだ」と言ってきたのである。以来、タイプライターで打たれた大量の文書がセスマをはじめとする研究者たちのもとに届くようになる。彼らは自らを地球上で空飛ぶ円盤を飛ばしている惑星ウンモの住人である、と称していた。
さらにヴァレは、ウンモ星人の手になるものとされる手紙を幾つか引用している。少なくともその手紙を読む限り、ということになるのだが、ここで少々気になった点がある。興味深いことに、彼らは「自分たちの主張は容易に受け入れられないだろう」といった醒めた認識をもっているようなのだ。いささか長くなるけれども、手紙の一部を以下に引いてみよう。
このメッセージが、浮世離れした形而上学的なものと受け取られることは我々にもわかっている。そうした性格をもつ文書が、通常どのような者によって書かれるかといえば、およそ次のような者たちである――イカサマ師。常軌を逸した観念にとらわれた狂人。あるいは、以下は「可能性がある」というレベルでの話だが、ジャーナリストや広告マン、政治的な目的をもったエージェント、そして自らのグループの利益になる情報を流布させようという異教・宗教にかかわる団体、といったものである。
我々がこの文書を――それは我らを助けてくれている者たちの一人によってタイプされたものであるが――あなた方に送っているのは、もっともっと多種多様な証拠を示すこともなく、こうしたパラグラフを幾つか読んだだけでともかく我々の言うことを信じてもらおう、などと目論んでいるからではない。
我々がいまあなた方に対して行っているような、節度を守ったコンタクトの試みが大きな変化を引き起こすことはないだろう。それ故に、我々としては、そうしたの試みが懐疑的なまなざしでみられるのはごく自然なことだろう、と予期しているところである。
以下は、これとはまた別の手紙。
これは厳しく忠告したいことであるわけだが、あなた方が自らの宗教や科学、そして政治経済について抱いている観念を我々のそれへと切り替えるようなことは、我々としてはこれっぽっちも望んでいない。そのような忠告をする理由は、あなた方自身も理解できるだろうと思う。
まず第一に、我々があなた方に与えた情報というのは、純然たる「記述」でしかない。我々は、「なぜそうなのか」という根拠であるとか、理論的なバックグラウンド、それらを支える証拠といったものを欠いたまま、そうした情報をあなた方に贈った。
が、もしあなた方が我々の思想・概念・語ったことを額面通りに受け取り、しかも地球における「先生方」がその知識を頭の中で作り上げた「星座」の如きものに仕立ててみたところで、そのようなものを取り入れようという試みはうまくいくはずがない。もしあなた方がそのようなやり方で行動を起こしたとしたら、それまでの社会に具わっていた日常的なリズムや、あるいは地球の未来を担うであろう文化といったものは完膚なきまでに変貌させられてしまうことだろう。
それは、これまで当然のものとしてあったテクノロジーの働きを改変してしまい、今ある地球社会のバランスを毀損してしまうことにもなる。あなた方の社会構造に「革命」を起こそうというのなら、それは然るべき社会的ネットワークが指し示す合図に従って整然となされねばならぬだろう。我々の分有している宇宙倫理は、どんな結果を呼ぶか予測のつかない特別な環境に於いて、他に介入するようなことは禁止しているのだ。
しかし、こうした引用を読む限り、「ではなぜこのようなコンタクトを試みているのか」がよくわからない。ヴァレ自身も、例のプラスチック片が「軍事用」だったことに触れ、いったんは情報機関の「演習」のために軍当局がこの事件を仕組んだ可能性に論及している。ただヴァレは、そのような「陰謀論」めいた説を退けるようにして、こんなことを言う。
私は、やはり未解決でマークのついたUFOの出てくる、もう一つの有名な事件のことを考えていた。1964年、ニューメキシコ州のソコロで、警官のロニー・ザモラは、砂漠の中に卵形の物体を発見した。その近くにはかなり背の低い2人の人物もいた。この乗り物の一方の側に、彼は奇妙な赤いサインがあるのを見た。それは垂直の矢印と、その下に平行に走る横線とから成っていた。このサインについては、いまだかつて十分な説明がなされたことがなかった。
ある日の午後、スタンフォードの友人を訪ねて会話をしている時に、民俗学と神話学の話を持ち出してみたことがあった。ソコロのシンボルについて私が説明をしてみせたところ、彼はいたく興味を引かれたようだった。彼は、そういえば何か似たものをみた覚えがある、と言った。膨大な書籍をさんざん探しまくったあげく、彼は中世のアラビア語の文献のコピーをみせてくれたのだが、そこには主な惑星のシンボルの一覧表が載っていた――見間違えるまでもなく、そこにはザモラの見たマークがあった。それはアラブにおける金星のサインだったのだ!
或る種の宗教性を帯びたシンボリズムが登場していること自体、ここには何かよくわからない深遠な意味があるのではないか、ということかもしれない。かくてヴァレは、こうした事件が「人間の信仰を操作する」意図で何ものかによって引き起こされている可能性を示唆して本章を締めくくる。
事実として言えるのは、人間の信仰というのは、物理的な手段・象徴的な手段のいずれによっても操作されうる、ということだ。そして、それが悪戯めいたお遊びなのか、心理・社会的なテストなのか、悪意のある陰謀なのかは定かでないとしても、この信仰の操作というのは明らかにウンモの目標の一つでもある。
先に見たウンモ文書は「人間の宗教に介入するつもりはない」と明言していたけれども、それを額面通り受け取ることはできない、ということか。信仰の操作。これは、やがてヴァレの議論の一つのキーワードともなっていく。(続く)
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