第7章「奇蹟の形態学」で、ヴァレはいよいよUFOと宗教的な奇蹟との連関について論じ始める。まずは「ファティマ」である。
周知のように、「ファティマの奇蹟」というのは、1917年、ポルトガルの寒村に聖母マリアが再三顕現した出来事をさす。厳密にいえば聖母の姿を目にすることができたのは小さな子ども3人だけだったのだが、聖母が最後に現れた10月13日には、太陽が太陽が回転しながら乱舞し、光をまき散らすという現象が起き、これを7万人に及ぶ人々が目撃したとも伝えられている。ヴァレはこの出来事の顛末を詳細に記したのち、こんな風に述べている。
カトリックの信者にしてみればずいぶんと涜神的な言葉のような気もするが、「深い感動をもたらす光体の出現」といった現象面を怜悧に見据えたとき、ヴァレとしてはやはりUFO現象とこうした奇蹟のパラレルな性格を見逃すことはできなかったのだろう。ヴァレは、同様な文脈で1858年にフランス・ルルドで起きた聖母マリアの出現譚にも触れている。
そのルルドの奇蹟に関していえば、マリア出現に先立って現れた「洞窟の方から流れてきた金色の雲」といったものへの論及もあるけれど、ヴァレの議論の中で我々にとってとりわけ印象的なのは、彼が聖母と少女ベルナデッタとの会話にUFO現象につきものの「馬鹿馬鹿しさ」を見てとっている点である。
そして、これまたUFOと関わりのある「病気やケガの治癒」という現象である。ルルドへの巡礼が信じられない治癒効果をもたらすという話は人口に膾炙しているところだが、本章では、開放骨折のため8年間ずっと歩けなかったピエール・デ・ルダーという人物が、1875年、ベルギーのオースタッケルにあるルルド聖堂に赴いた途端、突然立って歩き始めたという事例が紹介されている(この事例では、その「前後」のちゃんとした医療記録が残されており、医学的には説明のつかない現象であることが確認されているという)。
ルルドやファティマと並び称されている、メキシコ・グアダルーペでの聖母出現譚にも抜かりなく触れたのち、ヴァレはモルモン教の創唱者であるところのジョセフ・スミスの体験について論じている。そもそもの始まりは、やはり光とともに天使が現れる体験だったという。以下は、1823年9月21日夜のスミスの体験である。
だが、如何に崇高な体験に裏づけられていようとも、合理的に考えればモルモン教の教説には奇妙な点があることをヴァレは指摘する。これもやはり「UFOと同様に」ということなのであろう。
ともあれ、こうした宗教の系譜の延長線上にUFO信仰を考えることは十分可能だ、というのがヴァレの立場である。
(続く)
周知のように、「ファティマの奇蹟」というのは、1917年、ポルトガルの寒村に聖母マリアが再三顕現した出来事をさす。厳密にいえば聖母の姿を目にすることができたのは小さな子ども3人だけだったのだが、聖母が最後に現れた10月13日には、太陽が太陽が回転しながら乱舞し、光をまき散らすという現象が起き、これを7万人に及ぶ人々が目撃したとも伝えられている。ヴァレはこの出来事の顛末を詳細に記したのち、こんな風に述べている。
UFO現象の多くは物理的なデータで示すことのできる詳細な報告のかたちで示されている。従って、当然この現象のベースにはテクノロジー的なものがある。しかし、我々としては、それが目撃者の中に生み出す情動が本質的に宗教的なもので、ファティマのような純正の「奇蹟」にかんしてまとめられた事実が多くのUFO事件で観察されたパターンに非常によくマッチしているという事実を無視することはできないのだ。
聖母マリアは、実際に黄金のローブに身を包んで現れ、輝くばかりの笑顔を子どもたちに向けたのかもしれないが、「彼女」が用いたテクノロジーは、それとは違う言葉・いでたちとともに他の神々や女神たちが用いたテクノロジーと区別することはできないし、UFO現象を取り巻くテクノロジーとも区別できないのである。
カトリックの信者にしてみればずいぶんと涜神的な言葉のような気もするが、「深い感動をもたらす光体の出現」といった現象面を怜悧に見据えたとき、ヴァレとしてはやはりUFO現象とこうした奇蹟のパラレルな性格を見逃すことはできなかったのだろう。ヴァレは、同様な文脈で1858年にフランス・ルルドで起きた聖母マリアの出現譚にも触れている。
そのルルドの奇蹟に関していえば、マリア出現に先立って現れた「洞窟の方から流れてきた金色の雲」といったものへの論及もあるけれど、ヴァレの議論の中で我々にとってとりわけ印象的なのは、彼が聖母と少女ベルナデッタとの会話にUFO現象につきものの「馬鹿馬鹿しさ」を見てとっている点である。
15日間にわたって彼女(注:聖母)はベルナデッタの前に現れ続けたが、2人がどんな話をしたかといえば、その淑女はもっぱら「礼拝所を建てなさい」「そこまで行列を作って歩いてきなさい」といったようなことばかりだった。時にその会話は、我々が見てきたような「UFOの搭乗者」との間のやりとりにも似たバカバカしさに満ちたものとなった。ある時など、その淑女はベルナデッタに「泉にいって体を洗ってきなさい」と言ったのだが、そんな泉はどこにもなかった。別の時には、彼女はぶっきらぼうな調子でこんなことを言ったという。「向こうに生えている草のところまでいって、草を食べなさい!」
そして、これまたUFOと関わりのある「病気やケガの治癒」という現象である。ルルドへの巡礼が信じられない治癒効果をもたらすという話は人口に膾炙しているところだが、本章では、開放骨折のため8年間ずっと歩けなかったピエール・デ・ルダーという人物が、1875年、ベルギーのオースタッケルにあるルルド聖堂に赴いた途端、突然立って歩き始めたという事例が紹介されている(この事例では、その「前後」のちゃんとした医療記録が残されており、医学的には説明のつかない現象であることが確認されているという)。
ルルドやファティマと並び称されている、メキシコ・グアダルーペでの聖母出現譚にも抜かりなく触れたのち、ヴァレはモルモン教の創唱者であるところのジョセフ・スミスの体験について論じている。そもそもの始まりは、やはり光とともに天使が現れる体験だったという。以下は、1823年9月21日夜のスミスの体験である。
わたしは室内に光が現れたのに気づいた。その光は次第に明るさを増し、ついにその部屋は真昼の時よりも明るくなった。すると、すぐに一人の方がわたしの寝台の傍らに現われ、空中に立たれた。というのは、その足が床から離れていたからである。
その方はわたしの名を呼び、自分は神の前から遣わされた使者であること、その名はモロナイであること、神がわたしのなすべき業を準備しておられること、またわたしの名が良くも悪くもすべての国民、部族、国語の民の中で覚えられること、すなわち、良くも悪くもすべての民の中で語られることをわたしに告げられた。
この指示を受けた後、わたしが見ると、室内の光はたちまち、わたしに語っておられたその方の周りに集まり始はじめた。そして、光は集まり続け、その方のすぐ周りを除いてついにその部屋は再び暗くなった。その途端に、わたしが見ると、あたかも一筋の道が天に向ってまっすぐに開いたかのようで、その方は昇って行かれ、ついにその姿がまったく見えなくなった。
だが、如何に崇高な体験に裏づけられていようとも、合理的に考えればモルモン教の教説には奇妙な点があることをヴァレは指摘する。これもやはり「UFOと同様に」ということなのであろう。
ここで注意したいのは、モルモン書が「古代アメリカの聖なる歴史」を説いていることである。それは「インディアンというのは、元前600年にアメリカに移住してきた古代イスラエルの部族の末裔である」と述べているのだが、これは現代の人類学の知見に照らしてみると、マジメに取り上げるのがはばかられるような主張なのである。
かくて我々は、ここでも「確からしさ」と「馬鹿馬鹿しさ」、「事実」と「ファンタジー」がごちゃ混ぜになったものと相対せあるを得ない。ここには「第3の隠蔽」を見てとることができる、というわけだ。そうした主張は、「ビリーバー」を周囲の社会から孤立させようという巧妙な狙いを秘めたもの、ということなのだろうか?
ともあれ、こうした宗教の系譜の延長線上にUFO信仰を考えることは十分可能だ、というのがヴァレの立場である。
現代の科学が相対しているあらゆる現象の中にあって、UFO現象には他から突出している部分がある。つまりこの現象は人々の恐怖を誘い、人間がいかにちっぽけであるかをみせつけ、さらにわれわれはこの宇宙にあって他者とのコンタクトを間近にしているのではないか、という思いをそそる。
われわれがここまで瞥見してきた宗教的現象は、或る一人の人間の奇蹟体験によって始まったわけであるけれども、今日にあっては、「他の世界の者とコンタクトをした」という信仰を個人的に確信しているような人が何千人もいる――そのような信仰は、つまるところ「UFOやその搭乗員と遭遇をした」という個人的体験から導き出されたものであるわけだが。
というわけで、こうした現象とそれが周囲に及ぼす効果といったものは、かつてファティマやルルドといった場所に出現したように今も変わらず存在しているのだ――そう、人間をコントロールする心霊的(スピリチュアル)なシステムとして。
(続く)
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