
三島由紀夫の「美しい星」が映画になるのだという。
UFO冬の時代にどういう風の吹きまわしかとは思うが、まあちょっと楽しみではある。たまにのぞく本屋で文庫本が平積みになってたりするのも、なんとなく、嬉しい。
ちなみに、この作品に関して、三島が新聞に書いている文章をみつけたので、以下、最初のほうだけ引用してみる(ちなみに1964年である)。
この小説を書く前、数年間、私は「空飛ぶ円盤」に熱中していた。北村小松氏と二人で、自宅の屋上で、夏の夜中、円盤観測を試みたことも一再にとどまらない。しかし、どんなに努力しても、円盤は現われない。少なくとも私の目には現われない。そこで私は、翻然悟るところがあり「空飛ぶ円盤」とは、一個の芸術上の観念にちがいないと信じるようになったのである。そう信じたときは、この主題は小説化されるべきものとして、私の目前にあった。小説の中で円盤を出現させるほかはなく、しかもそれは小説の末尾の末尾に、人間の絶望の果ての果てにあらわれなければならなかった。だから、これは、宇宙人と自分を信じた人間の物語りであって、人間の形をした宇宙人の物語りではないのである。
ふむ。言い回しはまどろっこしいけれども、つまり三島は、円盤というのはボルト&ナットの宇宙船なんかじゃあない、人間の何かのっぴきならない願いとか希求とかいうものと深く関連して現れるものである、と言うておるのだな。それゆえにこの小説は「人間の物語り」であって「宇宙人の物語り」ではありえない、のである。
よろしい。まさにそういうことだとオレも思っている。さすが三島、慧眼である。
がしかし、よく考えたら、オレはこの小説の内容をあらかた忘れているのだった。たしか宇宙人を自称するニイチャンに若い娘が騙され、その家族もまた騙され、なんか悲劇的な、哀しい目に遭う話だったような記憶だけがおぼろげにあるばかりだ。
ま、映画の前にもう一度読めということなのだろう。わかりましたとも。読んでおきましょう。
コメント