まずはこれをお読み頂きたい。読売新聞の7月6日朝刊である。

60歳の女性が会社からカネをガメて男に貢いだという、ま、ありがちなニュースなのだが、読んでてオレ、なんか激しく動揺してしまった。特に以下の箇所――。
これを読んで思い出したのだが、オレが大学生の頃に(もう30年以上前になってしまったが)「女子大生ブーム」というものがあった。フジテレビが伝説の深夜番組「オールナイト・フジ」などというのを放送していた時期で、つまりそれはちょっと尻の軽そうな(だがそこそこ可愛い)女子大生が大挙出演し、司会のとんねるずなどとちょっときわどい会話などしてテレビの前のもてない男(つまりオレであるw)の妄想をかきたてる、といった具合の素人参加型バラエティ番組であった(どうでもいいことだが、オレは明治大学農学部、松山香織さんがお気に入りであった。その後、民放のアナウンサーをされていたようだが、いまもお元気ですか松山さんw)
ま、そういう次第で当時の「女子大生」というのは、なんか、とても輝かしい響きを帯びた言葉であった。
そのような予備知識をもってこの記事を読んでみる。この被告は60歳だということで、オレなんかからすると少し上の世代なのだが、ま、とりあえず若い頃にこの「女子大生ブーム」を見聞きしていたことは疑いない。
そこでオレの妄想は広がるのである。
たぶんこの被告は、そうやってチヤホヤされる「華やかな女子大生」というものに憧れ、しかし、実際にそのような女子大生にはついぞなれなかった女性なのではないか。自分には決して訪れなかった輝かしいキャンパスライフ。「なんでなの? 私もあんな風にチヤホヤされたいのに。何で私の青春って、こんなつまンないわけ?」。そんな日々を、若き日の彼女は送っていたのではあるまいか?
時移ってSNS時代。
リアルな自分とは違う、「ネット上の人格」というものを装い、それらしくふるまうことのできる世界を知った時、彼女はふと、あの若き日の見果てぬ夢を思い出してしまったのではないか。そして自分に言い聞かせたのではないか。わたしは美しい女子大生。モデルもしてる。お金もたくさんもっている。それがわたし。本当のわたし。ネットの世界の中では、わたしはそういう存在になれるのよ――。
ここでオレなどはふと思い出してしまうのだが、当時、田中康夫の書いた『なんとなく、クリスタル』という小説があって、その主人公が、まさにこの「モデルもしている美しい女子大生」というヤツであった。実に象徴的なのだが、当時はそういう時代であった。
記事の最後にあるように、彼女は「心の居場所がどこにもなく、話を聞いてもらえるだけで癒やされた」。たぶんそれは、60歳女性がこれまで果たせなかった人生の夢や希望を、「その場」ではあたかもリアルなもののようにして実感できたということを意味しているのだろう。
全然美しくも格好良くもない、ブザマな青春を送ってきたオレなどからすると、「わかる」といいたいところが多分にある。「身勝手で自己中心的」と裁判官は言っており、それはその通りである。だが、オレから言わせれば、実にこれは哀しい、人間が人間であるが故の哀しい犯罪であった。

60歳の女性が会社からカネをガメて男に貢いだという、ま、ありがちなニュースなのだが、読んでてオレ、なんか激しく動揺してしまった。特に以下の箇所――。
被告は東京でモデルをしながら有名大学に通う女子大生の「宮崎華奈」と偽り、09年頃にソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)で知り合った当時大学生の20歳代男性とメールのやりとりなどをしていた。
これを読んで思い出したのだが、オレが大学生の頃に(もう30年以上前になってしまったが)「女子大生ブーム」というものがあった。フジテレビが伝説の深夜番組「オールナイト・フジ」などというのを放送していた時期で、つまりそれはちょっと尻の軽そうな(だがそこそこ可愛い)女子大生が大挙出演し、司会のとんねるずなどとちょっときわどい会話などしてテレビの前のもてない男(つまりオレであるw)の妄想をかきたてる、といった具合の素人参加型バラエティ番組であった(どうでもいいことだが、オレは明治大学農学部、松山香織さんがお気に入りであった。その後、民放のアナウンサーをされていたようだが、いまもお元気ですか松山さんw)
ま、そういう次第で当時の「女子大生」というのは、なんか、とても輝かしい響きを帯びた言葉であった。
そのような予備知識をもってこの記事を読んでみる。この被告は60歳だということで、オレなんかからすると少し上の世代なのだが、ま、とりあえず若い頃にこの「女子大生ブーム」を見聞きしていたことは疑いない。
そこでオレの妄想は広がるのである。
たぶんこの被告は、そうやってチヤホヤされる「華やかな女子大生」というものに憧れ、しかし、実際にそのような女子大生にはついぞなれなかった女性なのではないか。自分には決して訪れなかった輝かしいキャンパスライフ。「なんでなの? 私もあんな風にチヤホヤされたいのに。何で私の青春って、こんなつまンないわけ?」。そんな日々を、若き日の彼女は送っていたのではあるまいか?
時移ってSNS時代。
リアルな自分とは違う、「ネット上の人格」というものを装い、それらしくふるまうことのできる世界を知った時、彼女はふと、あの若き日の見果てぬ夢を思い出してしまったのではないか。そして自分に言い聞かせたのではないか。わたしは美しい女子大生。モデルもしてる。お金もたくさんもっている。それがわたし。本当のわたし。ネットの世界の中では、わたしはそういう存在になれるのよ――。
ここでオレなどはふと思い出してしまうのだが、当時、田中康夫の書いた『なんとなく、クリスタル』という小説があって、その主人公が、まさにこの「モデルもしている美しい女子大生」というヤツであった。実に象徴的なのだが、当時はそういう時代であった。
記事の最後にあるように、彼女は「心の居場所がどこにもなく、話を聞いてもらえるだけで癒やされた」。たぶんそれは、60歳女性がこれまで果たせなかった人生の夢や希望を、「その場」ではあたかもリアルなもののようにして実感できたということを意味しているのだろう。
全然美しくも格好良くもない、ブザマな青春を送ってきたオレなどからすると、「わかる」といいたいところが多分にある。「身勝手で自己中心的」と裁判官は言っており、それはその通りである。だが、オレから言わせれば、実にこれは哀しい、人間が人間であるが故の哀しい犯罪であった。
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