ヴァレの『コンフロンテーションズ』といえば、この本にはUFO関連の奇っ怪な事件が幾つも出てくるのだが、今回はその中でも「鉄の三角形事件」というのを紹介してみたい。

これは朝鮮戦争当時、米陸軍の部隊がUFOの光線で攻撃されたとされる事件で、起きた日時はいまひとつよく分からんが、1951年の春であったと言われている。場所は鉄原郡(チョルウォン郡)で、南北朝鮮でちょうど分断された地域であるようだ。さぞや激戦地であったのだろう。

で、ひとつ言っておかねばならんのだが、「鉄の三角形事件」というのは、オレが勝手にそう命名しただけであり、よそでそんな呼び方をすると恥をかくので注意されたい(笑)。ちなみにこれは「鉄の三角型のUFOが飛んでいた」というのではなく、単に戦争中に『鉄の三角形地帯  the Iron Triangle』と呼ばれていた場所で起きたというだけの話で、なんかカッコイイから「鉄の三角形事件」と言ってみただけの話である。


閑話休題。この事件の一義的なソースとされるのは、朝鮮戦争当時、米陸軍の上等兵だったフランシス・P・ウォール氏が米国のUFO研究団体CUFOS(ハイネックUFO研究センター)所属のジョン・ティンマーマン氏に語った証言であるらしい。なので、以下にその内容をご紹介するとしよう。形としては、ウォール氏がティンマーマン氏に向けて話す、という体裁になっている(インタビュー自体は1987年1月に行われた)。

ちなみに、そのオリジナルの記事は「Korean War Battlefield UFO Encounter」というタイトルで、米国にかつて存在した研究団体NICAPの資料をまとめたとおぼしきサイトの中で公開されている。何でCUFOSの研究がそんなところに載っているのは知らん。あと、これがHOAXである可能性なんかも、全然調べていないのでわかりません。




これからあなたに話すことはすべて真実であると、神に誓います。それは1951年の早春に韓国で起きたのです。私たちは第25師団第27連隊第2大隊の「イージー」中隊所属でありました。われわれはチョルウォン近くの、軍事マップで『鉄の三角形地帯』と呼び習わされていたところにいたのでした。

夜のことでした。われわれは山の斜面にいて、眼下には韓国人の村がありました。われわれは事前にこの村に人を派遣し、ここを砲撃する予定であると村人に通告しておりました。そしてこの砲撃を予定していたのが、その晩であったのです。われわれはその時を待っておりました。

そこで突然、われわれの右手の方に、ジャック・オ・ランタン(注:ハロウィンに用いるカボチャちょうちん )のようにみえるものが、山を越えてフワフワとやってくるのが見えたのです。最初、われわれは呆気にとられておりました。それでわれわれは、ただ、この物体が村の方に降下していくのを見ていたわけですが、ちょうどそのとき、砲撃による爆発が始まったのでした。最初、その物体はオレンジ色をしていました。われわれはなおも物体を目で追っていたのですが、それは実に素早く、砲弾が空中で爆発するそのド真ん中のあたりまで移動しました。でもダメージを受けた様子は全然ないんです。

時間的にはどれぐらいだったかというと、そうですね、えーと、都合45分から1時間といったところだったでしょうか。

ところがやがて、この物体はわれわれのほうに近づいてきたのです。ライトの色も青緑色に変わりました。大きさがどれぐらいだったかは、ちょっとわかりません。周りにに比較できるものがなかったものですから。その光は脈を打っているように見えました。この物体は、そうやって近づいてきた。

私は、中隊の指揮官をしていたエヴァンス中佐に許可をもらって、この物体に向けて発砲したのです。M1ライフルで、撃ったのは徹甲銃弾です。当たりました。物体は金属製だったはずです。なぜかといえば、飛んでいった弾がぶち当たる音がしましたから。

さて、砲弾の爆発でも何ともなかったこの乗り物に、銃弾だと効果があったというのは何故なのか? それがよくわからないのです。連中は周囲の張り巡らしていた防弾バリアを下ろしていなかったとか、そういうことだったのかもしれませんが。しかし、これでその物体はいきり立った。ライトがついたり消えたりするようになりました。一瞬、ライトが完全に消えたのも見ています。予測しがたい動きをみせながらあちこちに飛び回って、地面に衝突するかと思いました。そして、音がした――それまでは何の音も立てていなかったのです。その音はディーゼル機関車がエンジンの回転を上げていく時の音のようでありました。この物体が立てる音は、そんな感じであったわけです。

そのとき、われわれは攻撃を受けたのです。パルス状に発射された光線みたいなものが、われわれの上をサーッと撫でていった。直接光が当たったときにだけ見える光なのですが、それが波状攻撃のようにしてやってきた。言ってみれば、サーチライトで辺りが照らされて行くみたいな感じで……自分のところにくると見えるわけです。それで、焼かれるようなチクチク痛むような感覚が体じゅうに広がるのです。何かが体を貫いてるみたいにして。

そこで中隊の司令官のエヴァンス中佐は、われわれを壕の中に引っ張り込んだ。何が起こるのか、見当もつきませんでした。われわれは恐怖にかられていました。地中の塹壕には、敵を撃つための覗き穴のようなものがついている。それで、私はもう一人の男と塹壕にいたわけですが、そこから例の物体をのぞきみていたのです。それはしばらくわれわれの頭上に滞空していて、ライトであたりを照らしていました。それからその物体が45度の急角度で飛び上がっていくのを見ました。素早くて、そこにいたと思ったら、もういない、みたいな感じで。あれは素早かった。で、これですべてが終わったのかと思ったのです。

ところが、3日後になって、中隊の全員が救急車で運ばれる羽目になりました。道路に沿って進むこともならず、体を引きずるようにして歩かねばならなかった。みな歩けないほど衰弱していました。赤痢を患っていたのです。それから引き続き医師は診察をしたわけですが、みんな白血球の数が以上に多くなっていて、医師もどういうことなのか説明ができませんでした。

軍隊というところでは、まぁとりわけ陸軍ではそうなのですが、兵士は毎日、中隊に報告書を提出することになっております。われわれはそこにお気楽な調子でいろいろ書いたものです。さて、ではこの話は報告書に書くべきかどうか? 誰しも「ノー」と答えるでしょうね。だってそんなことをしたら連中はわれわれを一人残さず捕まえて、全員気違い扱いするでしょうからね。当時はUFOとかそういうものについては聞いたこともなかったし、それが何かなんてこともわれわれは知らなかったのです。

あれが何だったか、今もわかりません。でも確かに言えることがあって、というのは、あれ以来、私は方向感覚がおかしくなったり、記憶がなくなってしまう時があるのです。それに、国に帰ってから、180パウンドあった体重が138パウンドに減ってしまいました。あれから体重が減らないように保つのにずいぶん苦労してきました。実際のところ私は仕事も辞めてしまって、今では身体障害者の身なのです。