まれにみるトンデモ映画「ノストラダムスの大予言」(1974)を観ての感想は先にこのブログでも記したところであるが、この珍作の最後に山村聡演ずる首相が国会で演説――というか正確には「答弁」なんだろうが――するシーンがある。
未曾有の危機に陥った日本を立て直すため文明論的な再出発を遂げねばならンという大仰な演説で、映画を終わらせるために強引にまとめに入った感は否めず、「抽象的な美辞麗句を並べ立てただけじゃねーか」とかいって観る人から嘲笑されてきた過去もあったやに聞く。
だがしかし、改めてこのシークエンスを観てみると、確かに映画上で日本が抱えている「公害」みたいな問題と今の我々が抱えた問題はかなりベクトルが異なっているのではあるが、首相が「日本をこんなにしちまったのはオレらの責任ですスイマセン、これからは皆さんのお力も借りて何とか立て直したいと思いますスイマセン」みたいなことを言ってるのをみると、「いやでもこんな政治家ホントにいたら素晴らしいンじゃネ?」としみじみ思ったりする。
いうまでもない。現実の首相をみていると何だか自画自賛ばっかりしてて、かなりマズいところに来ているこの国の行く末をマジメに考えているようには全く思えないからなのだった。
政府統計をいじくりまわして「景気はいまとても良いです」とムリヤリ言い張ったり、某案件にかんして「私と妻がこの件に関与していたら議員やめます」とか言った挙げ句、ホントに奥さんが関わってたらしい資料が出てきたらそれも改竄してしまう(むろん当人は「オレが命令したワケではない」とでも言うのだろうが)――そんな姿を我々はここ数年、散々見せつけられてきた。
そんなことやっとる間にこの国はボロボロに腐り果てて、それこそ滅亡前夜の様相を呈しておるンではないか? まずはアンタが反省して国民に頭下げないとどうもならんのではないか?
というわけで、その山村聡の首相演説のくだりを以下に引いておく。
いま私は日本の皆さん、日本を見守っている世界の人々に向かって冷厳な事実を告げなければなりません。日本はいま、まっしぐらに破局への道をたどっております。それは同時に全人類の終末にもつながるものでありましょう。この、燃えさかる文明の業火の中で、日本は、そして世界は本当に滅び去っていかなければならないのか。かつて地球上に覇を唱えながら滅亡していった動物たちと同じ運命をたどらなければならないのか。断じてそうあってはなりません。この、人間自らの手によって作り上げたもののために人間自らの命を絶つなどという愚かなことは、あってはならないのです。
我々政治家は長い間、皆さんにこう言い続けてきました。「我々を信頼し支持してくれ。必ずより良い、より豊かな生活をお約束します」と。そして、1億以上の人間がひしめくこの狭隘な日本列島に、驚くべき高度成長社会を築き上げて参りましたが、その上で得たものはいったい何であったか。恐るべき社会生活の破綻と、救いようのない精神の荒廃であります。しかも、我々は今日の欲望のために膨大な地球資源を乱費し、自然を破壊し続けて参りました。しかし、自然を破壊する前に、まず人間が破壊されるという、このあまりにも明白な事実を今日ようやくにして我々は学び取ることができました。その畏れを忘れていた我々政治家の傲慢さと愚かさを、ここに深くお詫びいたします。
しかし、今からでも決して遅くはないと思います。私は、たとい世界の終末が明日訪れようとも、なおかつ一本の苗木をこの大地に植え付けたい。我々に必要なのは勇気であります。今こそ全人類は物質文明の欲望に終止符を打たなければならない。さもなければ欲望が人間生存に終止符を打つであろう。この事実を正しく認識し、全世界の人々と一緒になって同じ窮乏生活に耐えてみせる。その勇気であります。見通しはあまりにも暗く、ほとんど絶望的ですらあります。しかし、この現実の中でこそ、本当に人間を愛し、人間を信じ、本当の意味の人間賛歌の歌声をあげることができるのではないでしょうか。のちの世代の人々をして「彼らは真に勇気ある人間であった」と語り継がれるため、我々は真の勇気をもって、今までの価値観を根底から覆し、人間生存の新しき戦いに出発しようではありませんか。政治だけではない、一人一人の人間の心の問題として、この最も苦難な戦いを全世界の人々とひとつになって戦い抜こうではありませんか。
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