なぜか皇室関係に圧倒的な強みをみせているNHKがまたまたスクープ、なのだそうだ。戦後の初代宮内庁長官・田島道治が昭和天皇といろいろやりとりした記録を遺していた――という特ダネである。

その一部には「拝謁記」などと称したタイトルがついていたそうで、ポイントはいろいろあるようだが、一つには、昭和天皇は敗戦後に「反省」の意を表したいなどと言っていたらしい。それは吉田茂に阻止されたようであるが、今日もなお「エライ人たち」の責任がうやむやにされてナアナアで済まされてしまうこの国の文化風土を顧みるに、昭和天皇は仮に退位に追い込まれてもよいから「反省」の言葉を語るべきであったような気がする。

もっとも、のちに天皇は記者会見で戦争責任についてどう思うか問われて、「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないのでよく分かりません」などと、そらっとぼけていた。「反省」とはいっても、たぶんそれは「国民に塗炭の苦しみを与えたから」ではなくて「いくさに負けて皇祖皇宗に申し訳が立たぬから」だったのだろう。ここで「昭和天皇みなおしたわ」などと考えたらちょっとオメデタイような気がする。

あと、ちょっとあきれたのは天皇が「再軍備必要だよねー」的なことを語っていたという話である。NHKによればこんなやりとりがあったらしい(ソース)。

天皇「侵略者のない世の中ニなれば武備ハ入らぬが侵略者が人間社会ニある以上軍隊ハ不得已必要だといふ事ハ残念ながら道理がある」

田島宮内庁長官「その通りでありまするが憲法の手前そんな事ハいへませぬし最近の戦争で日本が侵略者といはれた計りの事ではあり、それは禁句であります」


これはまさに田島長官の言う通りである。田島さんも流石に「あんたが言うか!」と思ったのではないか。

言うまでも無い。「日本は侵略戦争を仕掛けて世界平和をムチャクチャにしよってからに」ゆうて世界からフルボッコされとった時代に「世界にはどうしたって侵略者がおるから軍隊必要だよねー」とかノンキなことを言っておるのだ(しかもこれは1952年3月の問答であるというから、サンフランシスコ講和条約が発効する一月前、つまりなお占領下の日本での話なのである)。

もちろんソ連が火事場泥棒的に北方領土をかすめ取ったりした記憶も新しいから、そういいたくなる気持ちは分からんではないが、そもそも日本が戦争をおっぱじめたからそういう火事場泥棒に遭うようなハメになったのではあるまいか。

だいたい昭和天皇というのは、先の戦争責任の話もそうであるけれども、「原爆被害者には申し訳ないが戦争というのはそういうものなので我慢してくれ」「沖縄に米軍基地を置くのは仕方ないので地元の人たちも我慢してくれ」(いすれも意訳)みたいなことを常々語っていた。そういう意味では今回の新資料、あぁなるほどそういう人だったよねーという感想を改めて抱かせる。アレッ?と思うようなところはあまりない。「そういう人」だったのだ。