最近「ノーラン・チャート」というものを知った。以下にネットで拾ってきたイメージ図を貼っておくけれども、これって「政治」を考える上でなかなか使えるツールなのだった。


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これは何かというと、要するに様々な政治思想を分類するチャートである。簡単にいうと

1、「経済については国家とかが介入せずに自由放任にするのが良い→YES/NO」
2、「個人の行動はできる限り自由であるのが望ましい→YES/NO」

という二つの軸で政治思想を切り分けていこうというアイデアで、もともと米国のリバタリアン党を創設したデヴィッド・ノーランという人が考案したものだそうだ。

これのどこが良いのかというと、よく「右翼VS左翼」みたいな言い方があるけれども、実際にはそういう切り口からだとこぼれ落ちてしまうものがあって、このチャートはそういう部分を拾い上げることを可能にしてくれるのである。

例えば、フツー左翼というのは「社会保障とかを充実させて貧乏人を救え」という主張をする。つまりは経済における国の役割を期待する「大きな政府論」である(ちなみに、そういう時に必要になるカネは「大企業や金持ちから税金でたんまり取り上げろ」というのが定番である)。で、加えて左翼は「個人の自由」というのは最大限認めなさいと言う(ことが多い。たぶん)。いろんなところで国家が「アレ駄目コレ駄目」言ってくるのは許さんという立場である。以上を総合すると、フツーの左翼はこの図では左端の「Liberal 自由主義」ということになるのだろう。


一方、これとは真逆の立場で、「個人が自分勝手するのは許さない」「大企業とかからカネを取り上げるのは如何なものか。経済は自由放任でいいんじゃないか。政府は小さい方が良い」というスタンスも当然ありうる。これは図でいうと右端の「Conservative 保守主義」ということになる。

ただ、現実の社会をみていると、こういう割り切りでは収まらない考え方を持つ人も多いのである。

例えばITベンチャーのヒトなんかだと、「個人の自由は認めてほしいよネ。で、国家が民間の経済活動についてアレコレ口出すのも止めてほしいよネ」みたいに考えている人が多いのではないか。それはこの図でいうと「リバタリアン」ということになる。

一方、フツー左翼的と思われている人たちの間でも、最近はいわゆるポリティカル・コレクトネスを掲げて「差別は許さん!」とかいって世の中の様々な表現活動を叩いて回るような人々も現れている。ま、そこには「体制側に都合がよい抑圧構造を解体しているのだ」みたいな理屈もあるのだろうが、少なくともこの図でいうならば、こういう各種表現へのバッシングは「個人の自由軽視」とみなさざるを得ない面もあり、図でいうと「Authoritarian 権威・全体主義」の方にズズズッと寄っている。

自民党というのも、よく考えるとわからん。フツー自民党は「保守」とかいわれているけれども、この図でいうと必ずしも「保守主義」に収まるものではない。というのも、最近でこそ「経済は自由放任でよろしい」みたいな流れになってきてはいるが、伝統的にみると護送船団方式とかいって民間企業の行動をコントロールしてきたのが政府自民党であった。となると、自民党は本来は保守というより「Authoritarian 権威・全体主義」で、それが今はズリズリ「保守主義」に移りつつある、みたいな感じなのかもしんない。

あと、日本維新の会っていうのを考えると、これは「行政の無駄をテッテ的に省く」みたいな事を言ってるので「小さな政府」論で、かつ「別にバクチやってもいいじゃん」とかいってカジノを推進しようとしているので、これは個人の自由を相当に認める立場であって、たぶん「リバタリアン」に近いスタンスなのではないか。

「自分の政治的スタンスはどこにあるのか」ということを考えた時、右と左ではどうにも割り切れんところがある。そういうときにこういうスケールを参考にすれば、迷走する日本に生きるワレワレももう少し自覚的にこの国の行き先を選択できるようになるのではないか……と政治の何たるかなどということはよくわかっていない素人のクセにわかったような口をきいてしまうのはいささか恥ずかしいけれども。