内野恒隆著『にっぽん宇宙人白書』(1978年、ユニバース出版社)というUFO本を手に入れた。これは、その方面ではかつて一世を風靡した「UFOと宇宙」という雑誌の編集者が、いわゆるエイリアンとの遭遇譚を日本各地に取材したというテイの本で、おそらくは「UFOと宇宙」に載った記事をリライトしてまとめたものなのだろう。

で、「自分のクビを取り替えてくれ」という宇宙人に会った話など――といってもほとんどの人には意味不明であると思うが――ともかく奇妙な話が満載されていて、UFOファンの間ではなかなかに評判の良い本なのだった。

なのでオレも前から探していたのだが、これまでなかなか見つからなかった(これはたぶん、UFO好きで名高い大槻ケンヂがこの本を各所で激賞しているので品薄になっているせいではないかとオレは睨んでいる)。そんなワケで、福島市の「UFOふれあい館」に行った時、UFO本ライブラリーにコレがあるのをみつけてすかさず借り、二階の大広間に寝っ転がってザッと目を通してきたのも良い思い出である。

さて、そんな本を今回ようやく入手したのであるが、改めてペラペラめくってみると実にまぁ怪しい話ばっかりで、「これぞUFO本の醍醐味だっ!」と叫びたくなるほどであった。ちょっと感動したので今回は最初のほうをチラッと読んでの感想文を書いてみたい。

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ボロボロだったので「ニチバン製本用カバーフィルム」で包んで解体を阻止した『にっぽん宇宙人白書』



しょっぱなに出てくる話は関東大震災の時にエンバンに先導されて逃げたら助かったという老女の体験談である。ケネス・アーノルド事件の四半世紀前であるから、なんか時代感覚がムチャクチャなスチームパンクSFみたいな味わいがあってよろしい。

で、二番目に出てくるのも素晴らしい。これはオレが超常同人誌「UFO手帖」の関係で知り合った在野のUFO研究家、ものぐさ太郎αさんが「note」に「 大原で何が起こったか」と題してコラムを書いているぐらいで、つまり関係方面ではとても名高い事案である。

なので今回の感想文はこの案件について語ろうと思うのだが、ひと言でいうとコレ、京都・大原で旅館「紫雲」を経営していた河上むつさんの体験談である。で、この人、何やらヘンな体験を山ほどしている。だいたい1974~76年頃の話が中心なのだが、最初に書いてあるのは、夜中に「白い光のかたまり」のように見える身長30-40センチほどの小人が現れて、そいつに光を浴びせられた――という話である。ちなみにたぶんこの怪光線のせいなのだろう、河上さん、ずっと苦しんでいた交通事故の後遺症がこのあと急に直ってしまったのだという。

で、また別の話であるが、彼女がある日の夜、調理したカボチャを冷やそうと鍋ごと外にもって出ていったら、そこで泡状の飛行物体(これはちょっと意味不明である)に遭遇し、そのあと気がついたら鍋の中のカボチャが灰になっていた――という出来事も報告されている。ちなみにこの件については、その後、アメリカの「博士」をなのる男がやってきて「これは貴重なものなので」とかいって鍋を持ち去ってしまったという後日談がある。この博士は日本語をしゃべれたのか、あるいは英語をしゃべったのだが河上さんは難なくこれを聞き取ったのか少し興味があるけれども、そんなことはともかく、これなんかは「カボチャを煮た鍋」というリアリズムと奇現象との取り合わせが意表をついており、かつ Men in Black テイストをまぶしているという点でオリジナリティの感じられる素晴らしいストーリーである。

こうした「怪しい人物」にまつわる話はまだあって、ある日、性別不詳ながら身長165センチぐらいの眉目秀麗な人物が彼女の旅館の玄関先に現れたことがあるのだという(ちなみにぴっちりした服装で、アダムスキの妄想に出てくるオルソンに似ていたようである。ただし外国人風だったとかそういう事は一切書いていない)。

この人物とは特に言葉をかわしたりすることはなかったようだが、こういう事が都合三度あって、3回目には河上さん、また例の白い光線を浴びせられて卒倒してしまった。その後、玄関先にはそのエセ・オルソンのそれと思しき謎の足跡も見つかった。

そのほか、家の前の道路を通りがかったクルマの前輪が何故か空中に1メートルほど浮き上がってしまい、その場で立ち往生してしまったという話、近くの高圧線上に飛行物体が出現し、その際には一帯でクルマのエンジンやライトが止まってしまった話など、ともかく旅館「紫雲」の周囲ではスゲー怪現象が目白押しなのだった。

さて、この河上さんにまつわる一連の事件報告の素晴らしいところは、「京都・大原にある旅館紫雲」という固有名が示されていること、つまり一連の事件の現場が特定されてる点である。となると、こんな旅館ホントに実在するのかイロイロと調べたくなってくる。そういうことで実際に先に触れたものぐさ太郎αさんも、この旅館に泊まろうと一度は試みたらしい。もっとも前述の「大原で何が起こったか」には「電話が繋がらず、実現できていない」と書いておられるので、最終的にはコンタクトはうまくいかなかったのだろう。返す返すも残念である。

しょうがないので、ネットで情報収集する。

ちなみにこの旅館、本の中には京都大原の阿弥陀寺から国道367号線を隔てた向かい側にあるとか書いてあるので、Googleマップのストリートビューで辺りをうろついてみる。するとどうやら国道367号線は新道に切り替わったようで、本の中で言っている367号線というのはおそらく旧道なのだろう。確かにその旧367号線とおぼしき道路からは阿弥陀寺に上がっていく道がついており、近くには『にっぽん宇宙人白書』で言うところの紫雲のそれとおぼしき黒塀のある家屋が認められる。だが、少なくともこの家屋が旅館をやっているような形跡はなく、いつの間にか廃業してしまったようである。遅かりし、である。

もっとも、Google先生のおかげでなかなかに興味深い情報も見つかった。

無断でリンクを貼らせてもらうが、行き着いたのは

「B級グルメを愛してる! 味な人生、味な生活。~米川伸生のB級グルメ食べ歩記」

というブログで、ここに「ありえないくらいの大量の松茸と湯ばーばの怪 ~京都「紫雲」の至福と驚異と~」というエントリーがある。

どうやら、これはその幻の旅館「紫雲」にメシを食いに行った人のレポートであるらしい。それは「大原三千院の近くにある『紫雲』」についての話で、「店は旅館のような佇まいをしている」などとあるから、どうも旅館「紫雲」は後に食べ物屋に業態を変えたということであるらしい。そして、この記事の日付は2005年10月8日とあるから、少なくともその時点で(ないしは直前まで)紫雲は営業していたという事がわかる。

さらに、このブログの主の米川さんは「アンビリバブーな松茸を食わせる店」「1年のうち、この時期だけオープンする松茸を食わせるだけにためにある店」などと書いている。要するに、この時点での紫雲は、とにかく食い切れないほどの松茸を出してくれる季節営業の店として知る人ぞ知る名店(?)であったようなのだ。

だが、このエントリーでオレが一番注目したのはそういうことではなく、この店の女将(一貫して「おばば」と表記されておるw)が相当な変人として描かれていることだった。筆者はこのおばばに対して、「金をごまかす」「ありえない丼勘定をする」などと、なかなかに辛辣なことを言っている。

その辺はリンク先のブログを見て頂くと一番早いのだが、万一リンクが切れてしまったりした時に備えて簡単に説明しておくと、どうやらおばばは料金を全部時価扱いにしているらしく、その流れで客にずいぶんと無茶な要求をふっかけてくるようなのだった。具体的にいうと――

おばばは二級の日本酒を出しているにもかかわらず「お銚子は一本一万円」と主張してきたが、抗議されると「じゃ一本千円で」とかいってあっさり折れた

おばばは「お釣り」という概念を否定しているらしく、たとえば1万4千円で万札2枚を出したりすると「お釣りがない」と言われ6千円余計に徴収されてしまう(なので事情を知った人は1000円札を大量に用意していくらしい)

おばばはバイトの青年たちをダシに「若い者たちに心付けをあげてくれないかのぉ」などとチップを要求した


というわけで、もちろん「食い切れないほど松茸を出す」のだから、結果的にそんなにボッてるワケではない可能性もあるンだが、だったらなんでこういう怪しい言動を取るんでしょうかという疑問が兆さないでもない。おばばはどうも「ちょっと変わった人」であったようなのだ。

となると、仮にこの「松茸をだす紫雲のおばば」が、くだんの河上むつさんであったとしたらどうなるか。河上さんが「変人」であった可能性が俄にクローズアップされてくるのであった。

もちろん、ブログの中には残念ながらおばばの実名とかは出てこないので、この人こそが30年後の河上むつさんであったと断定することはできない。だが、ここには「最近腰痛がひどくてね」「もう体にガタがきているから来年はどうなることやら…」といったセリフが引用されているので、このおばばが相当の年配だったことは間違いない。

一方、『にっぽん宇宙人白書』のほうを見ると、当時の河上さんが何歳だったのかは書いてないけれど、「パンタロンをはいた大柄な河上さん」とある。1970年代というとパンタロンは若者の間で流行っていたような気もするが、旅館を経営しているというぐらいだから20歳代というのはまずないだろう。となると若くて30代、フツーに考えれば40代ぐらいか。

で、仮にその想定が正しいとすると、ブログの話はそれから約30年後なので、このとき河上さんは60代から70代。おばばも丁度それぐらいと思われるので、両者が同一人物だとしても何となく平仄はあう(ちなみに、ググってたら1974年の時点で河上さんの年齢を「49歳」と書いてるサイトがあった。いろんなメディアで報道されたらしいンで、どっかに年齢が書いてあったのかもしれない)

とまれ、「河上さん=松茸おばば」である可能性は高い。すると、不思議な話を語った河上さんの証言を文字通りに受け取ってよいのかという気がしてくる。「いや、変人の証言だから体験談も怪しいっていうのかい? そりゃフェアじゃないよ」という声もあるかもしらんが、まぁ基本的に変人の言うことはその分、ちゃんと検証していかないと危ないというのがオレのスタンスである(というかオトナの世界はそういう理屈で動いているのである)。

そういう目で改めて『にっぽん宇宙人白書』をみてみると、ちょっと気になるところもある。

そもそも著者は「テープレコーダーで証言を録らせてほしい」と頼むのだが、「気違い扱いされるので」とかいって河上さんは最初渋ったらしく、ここには何かちょっと引っかかるものを感じる。彼女は「言った/言わない」の証拠になるような証言記録が残るのがイヤだったのではないか。

あと、河上さんの証言の信憑性を判断するためには第三者の証言が欲しいところだが、この本の中ではそうした人々に積極的に取材をかけた形跡が(あんまり)ない。具体的にいえば、自宅近くの田んぼに赤いハート型の光体が現れた時、これを「隣り町のAさん」と一緒に目撃したという記述があるのだが、Aさんがどう言ってるかはよくわからない。クルマの前輪が浮き上がって走れなくなってしまった事案については、あるテレビ局が「ここらでは不思議なことが起こる」というトラック運転手の証言を取ったとされる。だが、そんな証言はホントにあったのか。京都新聞が取材に来たことがあるらしいが、どんな記事が出たのか。「話をききつけてやってきた立命館大の学生と一緒にUFOを目撃した」という話はホントに確認されているのか。

唯一、オルソン似の宇宙人が残した足跡なるものを見たと報じられた日本UFO研究会の平田留三代表に対しては取材をして、平田さんから「オレ確かにその足跡みせてもらったよ」という証言を得たようなンだが、そもそもその足跡というのはコンクリート上にあったものを半紙に写したものらしく、そんなものどうやったら紙に写せるのかよく分からんし、河上さんはその「足跡の現物」をこの本の著者には絶対に見せようとしなかったというから、これとて初手からいかにもスジ悪の話なのである。

さらに身も蓋もないことを言ってしまえば、大体これが「UFOと宇宙」という円盤ファン向けの雑誌用に取材した話だったとしたら、ちゃんと検証した結果、「HOAXっぽい」みたいな情報が出てきてしまうとかえってマズいのである。「少なくともこう言ってる人がいる」という事実を押さえ、そこから先に行かない・寸止めするというのは、商売としては合理的な判断である。

だから、決してそういうことが事実としてあったと思う必要は全くない。ただ、そのようなことを「確かなこととしてあった」と語る人間が面白い。オレはそのような視点でこの本を読んでいる。そして、この本はそういう読み方にも十分に応えてくれる深度を備えているように思えるのだ。(以下つづく・・・かはどうかは知らんw)


【おまけ】
どっかで拾ってきた映像から切り出した河上ムツさん(たぶん矢追純一UFOスペシャルで取材を受けた時のものだと思われる)
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