UFO問題に関心のある方であればご承知かとは思うが、2009年に亡くなったアメリカのUFO研究者、ジョン・キールというのは、「UFOというのはエイリアンが飛ばしている宇宙船なんかじゃない。あれはこの地球上に人類とともに存在してきた何らかの超常的存在が顕現したものなのだ」という、いわゆる「超地球人説 the Ultraterrestrial Hypothesis」で有名な人物である。
こういう考え方はオレの好きなジャック・ヴァレの議論ともかなりの程度重なっていることもあり、彼にはかねてから好感をもっていた。幸い彼の本はそこそこ日本語にも訳されているので、その多くはこれまで買い求めていたのだが、ただ一冊、古本でもけっこう値が高くなってしまってこれまで入手できなかったのがあった。
それが「Operation Trojan Horse」(1970)の邦訳書「UFO超地球人説」(1976、早川書房)であったワケだが、これを先日ネット経由でようやく入手することができた。
あぁ良かった良かったというところであるが、と同時に考えた。オレも最近だんだん頭がボケてきたのか、読んだ本の中身を片っ端から忘れてしまう。せっかく何年越しかで探してきてようやく入手できたこの本なのであるから、忘れる前にその内容をブログにメモしておけばよいのではないか。
もひとついうと、先に書いたようにこの本はなかなか出回っていない。入手していないUFOファンの方に、ここではだいたいどんなことが書いてあるのかお伝えしておくのも意味があることだろう。
というワケで、これからヒマな時に各章の内容などをここに記していこうと思うのだった。今回はその第一回め。
■第一章 秘密の戦争
1966年3月、キールはUFOの調査研究を始めたのだが、第一章ではその当時のことを書いている。まずは新聞などのニュース・クリッピングサービスでUFO情報を収集したのだが、こうやって年間に集めた情報は1万件。そんなデータからおぼろげに見えてきたものがあったのだという。
UFOは水曜日に出現することが多い。かつ目撃が特定の「州内」に限定される傾向がある。ということはUFOというのは人間が作った「曜日」だとか「行政管区」といったものを理解しているのか? いかにもキールらしい問題提起がさりげなくなされている。
さらに1967年3月8日の前後、カンザス、イリノイ両州を中心に起きたフラップから22事例を一気に紹介し、読者を驚かせたところで次章へと怒濤の展開。
■第二章 答えなんかどうでもいい! 問題は何か?
UFOとは「疑似物質的 paraphysical」なものではないのか――それが本章におけるキールの主張のキモである。キール自身も「疑似物質仮説とは正確には何か?それが本書の中心テーマである」とこの章で言っている。
では「疑似物質」とは何ですかという話になるわけですが、キールによれば、それは「すなわち固形物で構成されたのではないもの not composed of solid matter」である。
と言われてもイマイチよくわからんと思うのだが、要するに一番平たくいってしまえば「UFOというのは宇宙人が飛ばしている宇宙船なんかじゃない」ということである。つまりアレは何らかのマシン、乗り物、機械のたぐいじゃないと言っているのである。そうじゃなくて、一見モノのように見えてもそうじゃない、実はなんかよくわからん超常的存在、時によっては霊的なものとして考えたほうが良かろうとキールは言うのである。
まぁその辺の話はおいおい出てくるのだと思うが、とりあえずこの章では、彼の言う「疑似物質仮説」に近い立場の人々(大きな括りでいえば「あれはボルト&ナット製の宇宙船なんかじゃない」と考えている人々)を紹介している。こんな面々だ。
――ジェラルド・ハート、アーサー・C・クラーク、英国のダウディング卿 ハロルド・T・ウィルキンス、ウィルバート・B・スミス、ブライアント・リーヴ、アイヴァン・T・サンダーソン、ジャック・ヴァリー(注:ヴァレのことである)・・・
彼によれば1955年には「疑似物質情報の爆発」があったそうで、つまりこのころ、客観的にみれば宇宙船説に都合が悪い情報やたら出てたじゃん、ということを言いたいのであろう。にも関わらず、ET仮説や政府の検閲(いわゆる陰謀論だろう)みたいな話ばっかはやっていたので、キールは何だかご立腹である。
本章の最後には、英国空軍で元帥をしてたヴィクター・ゴダード卿という人物を引いており、いまいち意味はよくわかんなかったけれども、ゴダード卿はここでUFO現象は霊的・オカルト類似現象だと言っているらしい。それって何よ、という話は以下で詳しく論じられていくのだろう。たぶん。
◆蛇足1
本書では「接触者」という言葉が再三登場しているが、確認してみると、これはやはり「contactee」の訳語であるようだ。いまなら「コンタクティー=宇宙人と友好的に会見したと称する人々」ということでそのままで通じると思うが、当時はそうでもなかったのかもしれない
◆蛇足3
原著(のPDF)と照らし合わせると、翻訳ではところどころ割愛してる箇所がみつかる。訳書をお持ちの方のために気づいた範囲でやや具体的に言っておくと、例えば36頁「パーマーは・・・生涯をその問題に捧げることになる。」の段落のあとだが、原著にはこうある。「Captain Ruppelt even accused him of “inventing” flying saucers. He almost certainly did. ルッペルト大尉は、彼は空飛ぶ円盤を「でっち上げている」と言って非難までした。実際、彼はほとんどそれに類したことをしていた」。なんで略したのだろう?
あと、38頁の「一九五五年から一九六六年までは、UFO問題の実際的研究はほとんどおこなわれなかった。」のあと、一段落が割愛されている。ルッペルトの本の影響で1956年6月、ワシントンDCでCIAやロケット技術者たちが参加したシンポジウムが開かれ、それがきっかけで、タウンゼント・ブラウンを代表とする民間調査期間NICAPが結成された――ということが書いてある。
◆蛇足4
「UFOってオカルト的な現象じゃネ?」的なことを言っている(らしい)ヴィクター・ゴダード卿、ググってみると超常現象にとても関心をもっていたようだ(→Wikipedia)。で、このWikipediaの記事にも書いてあるが、戦後まもなく上海から東京に飛行機で飛ぶことになった時、知り合いから「あんた飛行機事故で死ぬ夢みたよ」とか言われた。で、気にしながらも実際にフライトしたんだが、その飛行機は佐渡に緊急着陸したのだった(死ななかったけど)。なんか「そっち系の人」だったようである。(ちなみにこの話はイギリスで映画「The Night My Number Came Up」になったそうな。日本でも佐渡の人々の側からこの不時着事故を描いた映画「飛べ! ダコタ」というのがあるという。全然知らんかった)
こういう考え方はオレの好きなジャック・ヴァレの議論ともかなりの程度重なっていることもあり、彼にはかねてから好感をもっていた。幸い彼の本はそこそこ日本語にも訳されているので、その多くはこれまで買い求めていたのだが、ただ一冊、古本でもけっこう値が高くなってしまってこれまで入手できなかったのがあった。
それが「Operation Trojan Horse」(1970)の邦訳書「UFO超地球人説」(1976、早川書房)であったワケだが、これを先日ネット経由でようやく入手することができた。
あぁ良かった良かったというところであるが、と同時に考えた。オレも最近だんだん頭がボケてきたのか、読んだ本の中身を片っ端から忘れてしまう。せっかく何年越しかで探してきてようやく入手できたこの本なのであるから、忘れる前にその内容をブログにメモしておけばよいのではないか。
もひとついうと、先に書いたようにこの本はなかなか出回っていない。入手していないUFOファンの方に、ここではだいたいどんなことが書いてあるのかお伝えしておくのも意味があることだろう。
というワケで、これからヒマな時に各章の内容などをここに記していこうと思うのだった。今回はその第一回め。
■第一章 秘密の戦争
1966年3月、キールはUFOの調査研究を始めたのだが、第一章ではその当時のことを書いている。まずは新聞などのニュース・クリッピングサービスでUFO情報を収集したのだが、こうやって年間に集めた情報は1万件。そんなデータからおぼろげに見えてきたものがあったのだという。
UFOは水曜日に出現することが多い。かつ目撃が特定の「州内」に限定される傾向がある。ということはUFOというのは人間が作った「曜日」だとか「行政管区」といったものを理解しているのか? いかにもキールらしい問題提起がさりげなくなされている。
さらに1967年3月8日の前後、カンザス、イリノイ両州を中心に起きたフラップから22事例を一気に紹介し、読者を驚かせたところで次章へと怒濤の展開。
■第二章 答えなんかどうでもいい! 問題は何か?
UFOとは「疑似物質的 paraphysical」なものではないのか――それが本章におけるキールの主張のキモである。キール自身も「疑似物質仮説とは正確には何か?それが本書の中心テーマである」とこの章で言っている。
では「疑似物質」とは何ですかという話になるわけですが、キールによれば、それは「すなわち固形物で構成されたのではないもの not composed of solid matter」である。
と言われてもイマイチよくわからんと思うのだが、要するに一番平たくいってしまえば「UFOというのは宇宙人が飛ばしている宇宙船なんかじゃない」ということである。つまりアレは何らかのマシン、乗り物、機械のたぐいじゃないと言っているのである。そうじゃなくて、一見モノのように見えてもそうじゃない、実はなんかよくわからん超常的存在、時によっては霊的なものとして考えたほうが良かろうとキールは言うのである。
まぁその辺の話はおいおい出てくるのだと思うが、とりあえずこの章では、彼の言う「疑似物質仮説」に近い立場の人々(大きな括りでいえば「あれはボルト&ナット製の宇宙船なんかじゃない」と考えている人々)を紹介している。こんな面々だ。
――ジェラルド・ハート、アーサー・C・クラーク、英国のダウディング卿 ハロルド・T・ウィルキンス、ウィルバート・B・スミス、ブライアント・リーヴ、アイヴァン・T・サンダーソン、ジャック・ヴァリー(注:ヴァレのことである)・・・
彼によれば1955年には「疑似物質情報の爆発」があったそうで、つまりこのころ、客観的にみれば宇宙船説に都合が悪い情報やたら出てたじゃん、ということを言いたいのであろう。にも関わらず、ET仮説や政府の検閲(いわゆる陰謀論だろう)みたいな話ばっかはやっていたので、キールは何だかご立腹である。
本章の最後には、英国空軍で元帥をしてたヴィクター・ゴダード卿という人物を引いており、いまいち意味はよくわかんなかったけれども、ゴダード卿はここでUFO現象は霊的・オカルト類似現象だと言っているらしい。それって何よ、という話は以下で詳しく論じられていくのだろう。たぶん。
◆蛇足1
本書では「接触者」という言葉が再三登場しているが、確認してみると、これはやはり「contactee」の訳語であるようだ。いまなら「コンタクティー=宇宙人と友好的に会見したと称する人々」ということでそのままで通じると思うが、当時はそうでもなかったのかもしれない
◆蛇足2
自ら「スゲー資料調べした」とか言ってるだけあって、なかなか渋い情報も散見される。邦訳書30頁にはUFO関連で「円盤 saucer」なる表現が初めて用いられた例というのが出てきている。それは1878年1月24日(木)、米テキサス州の農夫ジョン・マーティンが頭上を通過する円形の物体を目撃した事例で、その際に「デイリー・ニューズ」が「ソーサー」と報じた、とある。我々はつい「ソーサーと言われたのはアーノルド事件が最初」とか言ってしまうが、そこに一石を投じています(どうでもいいけどw)
◆蛇足3
原著(のPDF)と照らし合わせると、翻訳ではところどころ割愛してる箇所がみつかる。訳書をお持ちの方のために気づいた範囲でやや具体的に言っておくと、例えば36頁「パーマーは・・・生涯をその問題に捧げることになる。」の段落のあとだが、原著にはこうある。「Captain Ruppelt even accused him of “inventing” flying saucers. He almost certainly did. ルッペルト大尉は、彼は空飛ぶ円盤を「でっち上げている」と言って非難までした。実際、彼はほとんどそれに類したことをしていた」。なんで略したのだろう?
あと、38頁の「一九五五年から一九六六年までは、UFO問題の実際的研究はほとんどおこなわれなかった。」のあと、一段落が割愛されている。ルッペルトの本の影響で1956年6月、ワシントンDCでCIAやロケット技術者たちが参加したシンポジウムが開かれ、それがきっかけで、タウンゼント・ブラウンを代表とする民間調査期間NICAPが結成された――ということが書いてある。
◆蛇足4
「UFOってオカルト的な現象じゃネ?」的なことを言っている(らしい)ヴィクター・ゴダード卿、ググってみると超常現象にとても関心をもっていたようだ(→Wikipedia)。で、このWikipediaの記事にも書いてあるが、戦後まもなく上海から東京に飛行機で飛ぶことになった時、知り合いから「あんた飛行機事故で死ぬ夢みたよ」とか言われた。で、気にしながらも実際にフライトしたんだが、その飛行機は佐渡に緊急着陸したのだった(死ななかったけど)。なんか「そっち系の人」だったようである。(ちなみにこの話はイギリスで映画「The Night My Number Came Up」になったそうな。日本でも佐渡の人々の側からこの不時着事故を描いた映画「飛べ! ダコタ」というのがあるという。全然知らんかった)
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