■第三章 幻想の世界


この章でキールは、UFOが突然姿を見せたり消したりする現象を説明しようということなのだろう、人間の知覚というものについて論じている。どうやらそのキモは「人間の知覚域には限界がある」ということらしく、電磁気のスペクトルというのは波長の短い宇宙線から長い方は電波に至るまでとても広大な領域にわたっているのだが、そのうち人間が視覚で知覚できるのはごく限られた可視光線だけだ――と強調している。


アマチュア無線技士電話級(笑)の資格こそもっているが基本的に文系脳のオレとしてはこういう話になるといまひとつちゃんと理解できていないのではないかと不安になってくるのだが、まあいいや、ともかくオレが理解するところでは、キールは「この宇宙の中で人間が見たり聞いたりできる現象世界というのは限られており、その外側には人間の知覚を超えた不可解なものがうごめいている」ということを言いたいようなのだった。


ただ何というか、ここでキールはうまいこと議論を混線させていて、「だから人間の知覚を超えた現象をもたらす、何らかの主体というものもあるんですよ」という方向に話をずらしているような気がする。


たとえば彼はこういう言い方をしている。




われわれの世界もまた、何かもっと大きい、われわれの感覚や理解力を超えた何ものかの一部かもしれない。(中略)これらのエネルギーは、われわれと共存し、われわれに将来とも気づかれずに同じ空間を占めることすらできるにちがいない。

われわれが本書で概観してきた証拠はこの知覚されない共存を明確に示しているし、いまやわれわれは"それ"あるいは"それら"あるいは天界の偉大な何者かと妥協しなければならないときである。(49頁)


まぁ確かに人間が知覚不能な世界やエネルギーといったものはあるんだが、そこから「人間の了解不能な世界があり、その世界におけるアクターというものも当然存在する」みたいな方向に何だかうまいこと誘導されてる感が否めないのである。


ともあれ、キールはここで「UFO現象をもたらす主体」という概念を議論の中にうまいこと密輸入することに成功した(笑)。そして、彼らの知覚域は人間のそれを超えていることを示唆する。それゆえに彼らがフツーに行動していても我々にはそれが「見えたり消えたり」する。


というか――ここがスゴイんだが――キールはさらに一歩進んで「彼らは意図的に<見せたい自分>を<人間の知覚域>に向けてチューンして見せているンではないか」といった仮説まで持ち出すのである。



われわれの輝く物体(注:UFOのこと)は色、サイズ、形が変わるが、このことはそれらが一時的に地球上の物体に見せかけるような操作が可能なエネルギーから成っていることを示す。(58頁)



孤独な目撃者たちが、地上に降りてパイロットたちによって修理されているハードな物体に出くわしたといった報告がたくさんあった。(中略)ほんとうはわざとやってるんじゃないかとしか思えないようなこうした事故があまりにも多い。それらは、その物体は実在のもので機械的なものだという信仰を強めようとしているのかもしれない。(60頁)

こういう風に「暴走」していくのがまさにキールの魅力である。


■第四章 時間外からのマシン


この章からキールは、歴史を振り返りながら、そこに今日でいうUFO現象に類したものを探っていく(むろん、それは「宇宙人は昔から地球を訪れていた!」という意味ではない。ここまでお読みの方ならお分かりだとは思うけれども)。


そこでまず取り上げられるのは、空中に「火の柱」が現れたといった記述のある旧約聖書である。あるいはキリスト教における天使というのも、見ようによっちゃUFOの搭乗員みたいなもんじゃネ?ということも言っている。もひとつ、奇妙な生きものの訪問を受けて、のちにモルモン教を興すことになるジョセフ・スミスを取り上げているのも興味深い(余談ながら、ジャック・ヴァレもUFO現象とのかかわりでジョセフ・スミスに論及している)。


18、19世紀になっても奇妙な物体、奇妙な人の報告は続いたが、1896~97年になると巨大な葉巻型の物体が人々の前に姿を現すというエポックメイキングな事例が起きるようになる。いわゆる幽霊飛行船騒動である。これが次章のテーマとなる。



■第五章 壮大なぺてん


さて、19世紀末の幽霊飛行船騒動というのは、米国の中西部諸州を中心に各地で謎の飛行船が出没し、時に着陸した搭乗員たちと目撃者が会話を交わしたとも言われている一連の事件である。本章でキールは、その主立った事件を紹介しながら、最終的にはこれを「ぺてん Deception」という言葉で総括している。


それでは何が「ぺてん」なのかという話になるわけだが、ここに本書の第三章末尾でキールが言っていた話がつながってくる。つまり、UFOの搭乗員たちは、なぜだか知らんが地球の人間たちに「偽りのストーリー」を植えつけようといろいろ画策してるんじゃネ?という話をキールはしていたのだった。連中はこの19世紀末の時点でも、そういう怪しい動きを繰り広げていたとキールはいうのである。


キールは「これは試験飛行中の飛行船だ」といった説明を目撃者が聞かされた話を紹介しているほか、「世間を騒がせている飛行船は自分が発明した」という謎の人物が1896年11月、西海岸に出現した話なども伝えている。彼によれば、この人物はカルフォルニア、さらにはサンフランシスコで、高名な法律家2人を相次いで訪問したという新聞記事が残っているそうだ。その男は黒い肌、黒い目であったが、ちなみにキールはこれをUFO目撃者のもとに現れて恫喝などをしていくとされる「メン・イン・ブラック」に類したものと考えているらしい。加えて目撃地域では、その飛行船から投下されたものと思われる航行記録の記されたカードみたいなものも再三見つかっているという。


むろんそんな飛行船は当時実在しえなかったワケで、要するにこういう情報は全部欺瞞であり、物証もインチキである。なんでそんな偽装をするのかという話になるわけだが、ここでキールは一つの推論を提示している。いささか長いが引用してみよう。




容貌、言語などがわれわれと全くちがうものもいる正体不明のよく組織された人間の集団が、一九八七年に、空から合衆国中西部の大規模な"調査"を行うのが得策だと判断したと仮定してみよう。

(中略)

彼らは自分が存在していることをわれわれに知られたくもなかったし、もしわれわれが彼らの航空機に気づくようになれば、われわれは自動的に彼らのことに気がつくようになるだろう。だから彼らは、この"侵入"をなるべく気づかれないでやれるような、あるいは少なくとも無害に見えるプランを考案しなければならなかった。(97頁)


こっそりと、衝突が生じないようなかたちで人類の社会を観察している者たちがこの地球にはいるのだ――そんな極めてラディカルな方向に向かって、キールの思考はさらに驀進していく。(つづく