■第六章 変幻自在な空の幽霊


キールは、引き続き本章でも謎の飛行物体の歴史をたどっていく。1905年8月2日にカリフォルニアで目撃された物体は「翼を巨大な鳥のように羽ばたかせていた」・・・そんな怪しい話を一発カマして我々を驚かせた後、彼は1909年に世界各地で起きた一連の出来事にスポットを当てる。


この年の7月、ニュージーランドでは葉巻型物体が目撃され、ひきつづき夏から冬にかけてはスウェーデンに「翼のついたマシン」や「明かりをつけた気球」が現れた。さらに12月末にいたると米国東部のニューヨークやマサチューセッツ州あたりでは新たなフラップが起きたのであるが、この事件に絡めてまたまた怪しげな人物を登場させてくるのがキールの真骨頂である。


その人物こそ誰あろう、マサチューセッツ州ウスタの実業家にして、発明家でもあるウォーレス・E・ティリングハストであった(知らんがなw)。

彼は地元でもけっこうな名士であったようなのだが、この年の
12月12日、突然記者会見を開く。そこで彼が語ったのは「自分は巨大な単葉機を発明した。試験飛行にも既に成功している」みたいな突拍子もない話であった。翼長は72フィートというから約20メートル。乗員も3人ぐらい乗れるというから当時の技術水準からすると凄いシロモノである。で、ここからが奇妙なんだが、この会見からさほど間を置かず、12月21日頃からマサチューセッツ一帯では強い光を放つ飛行体が盛んに目撃されるようになった。


そうなると、当然ティリングハウスは「あんたの仕業なのか?」とみんなから追い回されるのだが、何故か彼はハッキリしたことを言わずに逃げ回る。ようやく12月30日になって、スポークスマンを通じて「飛行機、来年2月にボストン航空ショーで一般公開しますから」と発表したのはイイのだが、なんとも皮肉なことに飛行物体の目撃はそれきり止まってしまう。

なんだかワケのわからない話である。だが我らがキールは、ここで彼一流の推理を披露してみせるのだった。これをオレ流にかみ砕いていえば、以下のような話になる。




――1896年の飛行船騒動の時には、西海岸に現れて地元の法律家たちに「世間を騒がせている飛行船は自分が発明したものだ」と触れてまわった怪しい人物がいたワケだが(前回記事
を参照のこと)今回の一件はその一種のバリエーションである。


つまり、謎の飛行機を飛ばしている「例のヤツら」は、今回は表に出ず、地元の名士であるティリングハウスを代理人として使ったのだ。

まずティリングハウスに接触した「ヤツら」は、「この飛行機は自分たちが発明したヤツだ」といって謎の飛行物体に実際に彼を乗せてやる。次いで、「一連の試験が終わったら飛行機ビジネスの利権をアンタにあげるから、マスコミ発表とか代わりにやってくれ」といった話を持ちかける。

ティリングハウスはこの話をすっかり真に受けてしまう。それで記者会見を開いたのはいいのだが、突然ヤツらはハシゴを外して姿を消してしまった・・・


「いや、ホントのところはティリングハウスをつかまえて洗いざらい話してもらえばいいンじゃねえの?」と思うところだが、ひょっとしたら失踪でもしちまったのか、その後の彼がどうなったか書いてないので仕方がない。我々としてはとりあえずキールの推理におつきあいするしかないのである。この辺りが彼のうまいところで、とにかく何でそんな手の込んだ悪戯をするのか皆目意味は分からんけれども、とにかくUFO現象というのは一から十まで「ヤツら」の仕掛けた「ぺてん」なのだということを、キールはここでも重ねて言っているのだった。


この章ではさらに、1910年8月30、31日の両日、ニューヨークのマンハッタン島の上を「長くて黒い複葉機」が低空飛行した話なども紹介している。日本でいえば新宿の真上を謎の物体が飛び回ったような話であるから「ホンマかいな」と思うが、まぁニューヨークの「トリビューン」にそう書いてあったと彼は言っている。もはや完全にキールのペースである。(つづく