■第七章 未確認飛行機


さて、UFOというと円盤型というのが通り相場のように思われているが、この章でキールはまず「飛行機に似てるけれどもどう考えても飛行機ではありえない飛行物体」の目撃事例を俎上にあげる。


考えてみるとキールはここまで、19世紀末の幽霊飛行船騒動なんかを題材に「ヤツらはその当時の技術レベルからしてそんな違和感のないモノを擬態してやってくる」といった議論をしてきた。その流れでいえば、飛行機が一般化してくるとともに「謎の飛行機」が出現しはじめたという話になるのはごく自然なことであろう。かくて彼は、本章冒頭で「はっきり見分けられる翼や尾翼を持つ通常のプロペラ機は、UFOミステリーの不可欠の一部である」(117頁)と宣言する。


ここで問題にされるのは、認識票や規定に定められたライトを備えていない飛行機だったり、航空力学的にはちょっと飛行不能と思われる小さな三角翼をつけた飛行機だったりする。あと、フライング・ボックスカーと称された貨物輸送機C-119にソックリの飛行機が常識では信じられない超低空飛行をした事例、あるいは彼がウェストバージニア州ポイントプレザントで自ら体験した「エンジンを停止して頭上を滑空していった双発機」の話なども紹介している。

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C-119の写真

というのが本章の導入部。
キールはここまでおおむね時代に沿ってUFO事例を論じてきたわけであるが、その流れを踏まえて、ここからは1932-38年にスカンジナビアで起きた正体不明の「大型飛行機」による目撃フラップを詳しく紹介している。それらは吹雪の最中であっても難なく飛行し、低空を旋回して地上にサーチライトを浴びせることもたびたびであったという。ちなみにキールによれば、「ニューヨーク・タイムズ」は――何年の記事かは知らんが――「犯人は日本だ」とする記事を載せたというから、満州事変後の日本が世界からどうみられていたか、ちょっと考えてしまいますな。


ここからキールは、場所が同じスカンジナビアということもあってか、1946年以降の「幽霊ロケット」騒動へと筆を進める。要するにノルウェー、スウェーデンあたりの上空でロケット状の物体が盛んに目撃されたという話なのだが、キールによればスウェーデン当局は2000件以上の報告を集めたとされる。東京大空襲を指揮した米軍のジェイムズ・ドーリットルが調査協力のためストックホルムに飛んだという、UFO本でよくみかけるような話もここには書いてある。


で、ここまでのところで「幽霊飛行船」「幽霊飛行機」「幽霊ロケット」というものが相次ぎ登場したわけであるが、さらに「幽霊ヘリコプター」というものもあるとキールは言いだす。何だか謎の光体が目撃された後、それを追うように登場するのが定番であるらしい。ここでは、輝く物体が去ってからヘリ7機とジェット機10-12機が現れたニュージャージー州ワナクの事例(1966年10月11日)、卵形物体を取り巻くかたちで7機のヘリが目撃されたメリーランド州ローズクロフト・レーストラックの事例(1968年8月19日)などが紹介されている。


さてさて、ここまでのところを改めて振り返ってみると、前にも言ったようにキールは「飛行船だとか飛行機を擬態しているようにみえる飛行物体」にえらくこだわってきた。それは何故かと考えると、彼は「UFOというのは宇宙人が乗ってきた宇宙船だとかアンタら言うけど、そんなのウソだから」と言いたいのである。だから「UFOといえば未来っぽい円盤形」みたいなイメージをぶち壊しにかかる。「歴史をさかのぼってみるとおんなじような出来事あったけど、全然円盤とかじゃなかったじゃん」と言いたいのである(たぶん)。


であるから、彼は本章の最後でいよいよ「宇宙人来訪説」をツブシにかかる。どういう論法かというと、世界中で目撃されてきたUFOというのは(おそらく1947年のアーノルド事件以降を念頭に置いてのことだと思うが)その形状についてみると、ほとんど同じものがない。タイプ分けをしようにも「タイプなどというものは何もないのかもしれない」(137頁)。宇宙人来訪説を前提とすると、そこから導かれる結論は二つ。全部がウソであるか、あるいは「あるおどろくべき正体不明の文明が、全力をあげて無数の異なったタイプのUFOを製造し、そのすべてをわが地球に送っている」ケースである(137-38頁)。


キールはそんなこたぁないだろうといって、もう一つのアイデアを示す。UFOはハードな物体のかたちを取ることができるが、大きさや形を自在に変えることもできる。「宇宙人の乗り物」なんかとは違う何かよくわからんものだというのである。


彼によれば、ある目撃者はこんなことも語っていたという。「わたしが目撃したものが機械的なものだとはとても思えないんです。たしかに、あれは生き物だったにちがいありません」。キールはUFO=生き物説を主張しているワケではないが、もう宇宙船説なんてほっといていいやん、とここで言い出したのである。(つづく


*なお、「同じ形状のUFOは存在しない」という主張はとりもなおさず「アダムスキー型円盤」といったものの存在を否定していることになるわけで、いきなりこう断言するキールは好きである