今回は「中休み」ということで、「UFO超地球人説」とは直接関係ない話をひとくさり。
ジョン・キールについては日本語の翻訳本がかなり出ているせいか、日本語のウィキペディアにもちゃんと項目が立っている。それはそれでイイのだが、その元になったとおぼしき英語版のウィキペディアのページと比較してみると、ちょっとおかしなところがあった。
具体的にいいますと、キールの著作『プロフェシー The Mothman Prophecies』(旧訳題名は『モスマンの黙示』)に触れたパートで、ジョン・C・シャーウッドが『Skeptical Inquirer』2002年5- 6月号に書いた「Gray Barker's Book of Bunk」なる論考にまつわる話が出てくるのだが、この論考はシャーウッドとグレイ・バーカーが共同執筆したものであるかのように書いてある。
だが、グレイ・バーカーは1984年に死んでいる(笑)。どうやら「バーカーとかつて一緒に仕事をしたことがあるシャーウッドが執筆した」というくだりを誤訳したらしいのだが、オレはウィキペディアの編集の仕方がよくわからない。そのへん分かってる方はゼヒ当該ページにいって手直ししてきてくださいお願いします m(_ _)m
なお、ついでといってはナンだが、シャーウッドが書いたこの「Gray Barker's Book of Bunk」というのが気になったので、ちょっと調べてみた。どうやらこのシャーウッドというのは元新聞記者で、UFOモノなんかもけっこう書いてたことからキールたちとは結構親しかった人物のようである。
で、検索したら『Skeptical Inquirer』のサイトにオリジナルの記事があった。くだけた表現が多く、学校英語しか知らんオレには荷が重かったが、辞書を引き引きザッと読んでみた。以下はその話(細部間違ってたらゴメン)。
さて、記事のタイトル「Gray Barker's Book of Bunk」というのは直訳すれば「グレイ・バーカーのクソ本」ぐらいの意味であろう。そこからも容易に想像されるように、この論考は基本的にグレイ・バーカーをディスったものである。
要するに「バーカーという人はUFO話を適当にでっち上げてカネ儲けに利用した悪いヤツだ」ということを、かつてバーカーと組んででっち上げに荷担したこともあるシャーウッドが懺悔半分でつづったものらしい。こういう話なので、日本語版ウィキペディアで「シャーウッドとバーカーが共同執筆した」みたいな記述があるのは大間違いなのである(誰か早く行って直してきてw)
話をもとに戻す。シャーウッドによればバーカーのインチキぶりはいろんな人が書いてて、「彼はUFOなんてものは信じちゃいなかった、ただカネ儲けのために本を書いていた」みたいな証言もたんとあるようだ。彼がやはりUFO研究家のジェームズ・モズレーと組んで、米国務省のストレイスなる人物の名前で「あんたの言ってることは本当だ」みたいなニセ手紙をジョージ・アダムスキ-に出したりした一件なんかもシャーウッドはここで改めて持ち出している。
で、シャーウッドはそこからキールとバーカーの関係を論じていくのだが、結論的には「キールってバーカーのインチキ見逃しちゃってるじゃん! ダメじゃん!」ということを言いたいらしい。「アンタもインチキ本出したゆうて自白してますやん、他人のこと言えますのん?」とツッコミを入れたくなるが、まぁそれはいいや。
ともかくこのシャーウッドの論考でポイントとなるのは、キールの『プロフェシー』に出てくる一つのエピソードである。これはヴィレッジブックス版『プロフェシー』でいうと341頁以下に出てくる話だが、いちおうその概略を説明しておこう。
1967年7月14日の夜、キールのところに「グレイ・バーカー」を名乗る男から電話がかかってくる。二人は同じ研究者仲間ということで、もちろん知り合いである。ところが、その口調は確かにバーカーのものなのだが、「キールさん」などと妙に他人行儀な話し方で何だかおかしい。
で、その当時、ニューヨーク地区で「グレイ・バーカー夫人」と名乗る女性が迷惑電話をかけまくるという出来事が頻発していたので(この件の詳細については書いてないのでよくわからない)、キールがその話を振ってみたところ、バーカー(を名乗る男)は「いやぁ、誰にも電話なんかしてませんよ」と答えたというのだが、実はバーカーは独身であった。
要するにバーカーはニセモノだったわけである。ちなみに翌日、キールが念のためバーカーに電話をしたところ、「いいやそんな電話かけてないよ」という。アラ不思議、これもUFOにまつわる怪異ではあるまいか――だいたいがそんな話である。
ところが、このシャーウッドがその後、キールとバーカーの間に交わされた書簡類を調べてみたところ
キール「あのさぁ、あの電話やっぱオマエがかけたんじゃね? オマエあの時どこにいたの?」
バーカー「うーん、どうだったっけ? ただ、通信記録はあったんだよなー。意識なくすほど酒は飲んでなかったし、ホント不思議だよなー」
というようなやりとりが1967年中になされていたらしい。要するに『プロフェシー』の話とはだいぶん様子が違う。ほとんどバーカーが「私がやりました」とゲロってるに等しい。さらにいえば、バーカーとつるんでたモズレーもシャーウッドに対して「そりゃバーカー飲んでたんじゃネ?」みたいな事を口走っていたようである。「なんだ全然怪異なんかじゃないジャン」という話になる。
ちなみにキールがこの本を出版するのは1975年であるから、その時点ではキールには「バーカーにかつがれた」という認識があったハズなのだが、この本ではミステリー風にこのエピソードを取り上げている。であるから、シャーウッドは「あの、あなたがバーカーと交わした手紙と、あの本とでは齟齬がありますよね? どういうことなんです?」とキールに問い合わせたのだが、結果ナシのつぶてだったそうだ。
我々はキールを読んでて「この人、やっぱどっかでちょっと話を盛ってるんじゃネ?」などとしばしば思うのだが、そういう意味では「やっぱりネ・・・」と思わんでもないエピソードである。だが、オレは許す(笑)。
*なお、日本語版ウィキペディアではこの件について以下のような記述がある。この箇所については別に間違いはなくて、まぁそういうことなのだろう。
シャーウッドによるレポートによると、モスマンについて、キールが調査をしていた時点で書いた文書と、彼の最初の本との間には重大な相違点がある、との報告がなされ、本の内容の精度について疑問を投げかけた。また、キールがその食い違いの原因を明らかにすることはなかった、とも報告された。
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