■第九章 物的証拠の不在


さて、キールはここまでの議論で、空に現れる奇妙なモノというのは、彼のいう「超地球人」が、時代時代に応じたスタイルをその都度考案しながら人間に見せつけてきたものだという話をしてきた。天使のような宗教的存在から飛行船、飛行機、さらにはロケットへ――そんな流れがあったワケだが、それが戦後になってまた変わったという。そう、いわゆる「空飛ぶ円盤」の登場である。


この点についてキールはちょっと面白いことを言っている。ご承知のように、戦後ほどなく世界は米ソ対立の冷戦期に入る。そんな時代にむやみに「幽霊ロケット」なんか飛ばしてたら偶発的な戦争が起きかねない。そこで連中も、今度はそんな危険を招かないヤツ、つまりは敵国じゃなくて地球外から来てる「空飛ぶ円盤」というものを考案して飛ばすことにしたんじゃないのか――というのである。彼のいう「超地球人」、意外と人類のことを心配してくれてるじゃないの(笑)。


話を元に戻すと、この「空飛ぶ円盤」、総じていえば「いかにも超高度文明が生み出しそうなたモダンでメタリックな宇宙船」の雰囲気を身にまとっておった。戦後ともなると人類も地球外に知的生命体が存在する可能性には十分理解が及ぶようになっているから、そこでこういうヤツを飛ばせば「どっか外宇宙の文明の進んだところから飛来しているんじゃないの?」と思ってくれるだろう。そういう狙いで連中はこういうものを飛ばし始めたというのがキールの読みである。実際、1947年のケネス・アーノルド事件以降、「UFOというのは宇宙船である」という観念は人々の間に広く定着した。


しかし。「でもこの説って全然立証されてないよネ」というのがキールの立場である。なんとなく今はUFOにまつわるデフォルト理論みたいになってるけど、それは全然違いますからネということを以下、キールは主張している。

そもそもこの宇宙人仮説であるが、「宇宙船を捕獲する*」あるいは「宇宙船が公の場に着陸する」といった事態でも起きない限り決定的証拠にはならない。そして、そんなことはこれまで起きていない。
次善の策としてUFO地球外起源説の人たちが考えたのは「円盤が落とした・残したモノ」を拾ってくることだったという。つまり「こりゃ地球上にはありえない特殊なモノだ!」とかいう展開で傍証を固めようという作戦である。


*ちなみにここで彼がフランク・スカリーが広めた墜落円盤のウワサ、つまり「アズテック事件」について論及しているのは感慨深い。今なら「ロズウェル事件」が真っ先にあがるところだが、本書はロズウェルが再発見される前の1970年の刊行なのです)


まぁしかし、キールに言わせれば連中はもともと地球にいるのだから、そんな地球外のものなんて落としていくワケはないのである。彼はここで、ナゾの飛行体がイカリを降ろして地上をひきずったり、あるいは人をひっかけたりした事例を複数紹介している。このうち、アイルランド・クロエラ(956年)、イングランド・ブリストル(1200年ごろ)、テキサス州マーケル(1897年4月26日)の事例は、いずれもイカリをつないでいたロープをつたって男が下りてきたが、最終的にはロープを切り離して逃げていったというお話である。要するにキール、連中はそんな特殊なモノを落としてくワケがないんで、いくら一生懸命拾ってもムダでしょうとイヤミなことを言っているのである。*


*なお、この「吊り下げられたイカリ」にまつわる諸事件はジャック・ヴァレ『マゴニアへのパスポート』第5章でも紹介されている


この流れでキールは、20世紀に入ってから連中が何か落としたり残していった(と思われる)有名な事例を紹介していくのだが、彼によれば確かにロクなものはみつかっていない。

ワシントン州のモーリー島事件(1947年)で投下された鉱滓は鉄や亜鉛など。ブラジル・カンピナスで投下された「銀色の液体」はスズ。ソコロ事件(1974年)で残された物質はシリコン。ブラジル・ウバトゥバの爆発事件(1957年)の破片は単なるマグネシウム。1956年7月6日、何か箔片みたいのが空から降ってきた日本の「銚子事件」にも触れているが、これなんかもいわゆるチャフとほとんど同じとかいって一蹴しておる。

それから、一部のUFOファンの間で圧倒的な人気を誇るジョー・サイモントン事件(1961年)についていうと、彼が連中からもらったのは「ただのコーンミールと塩と油」でできたパンケーキだった(邦訳書ではホットケーキ。当時はパンケーキといってもみんな分からなかったのだろう)。彼らはこうやって物体を適当にばらまく「加工品ゲーム」やってんじゃないの、とキールは言っている。


これに続いてキールは(本書の前のほうでもちょっと触れていたが)彼らの「自分たちは宇宙から来ていると思わせる作戦」について触れている。彼によれば、地上に降りているUFOのところで乗員たちが何やら修理しているような動きをみせている例はたくさんあって、例えばここでは1966年3月23日、オクラホマ州テンプルで起きたエディ・ラクストンの目撃事例(機体のわきに数字らしきものが書かれていた事件としても有名だ)を挙げている。


ということで、「UFO地球外起源説に従ってモノを考えても全然ホントのことはわかりませんでした」というのがここまでの議論である。

最後の部分で、キールはUFOに関して妖精めいた小人が目撃された事例に論及している。そして、宇宙人仮説にこだわる研究家たちはこういうものは「アホらしい」といって無視しがちであるけれども、実はUFO現象というのは極めて主観的な要素が多いので、UFOの落とし物を調べたりしてるよりも、こうした一見突拍子もない体験をしてる人も無視せずにその主張に耳を傾けたほうがよっぽどいいんだよネ――キールはおおむねそのようなことを言って本章を締めくくる。まぁ仮に何か落としていったら一所懸命調べなきゃイカンとは思うけれども、おおむね同感である。(つづく