■第十章 「あなた方のタイム・サイクルは?」

この章で語られるのは、キールいうところの「超地球人」とは一体いかなる存在なのか――という問題である。ここではその説明のために何やら彼独特の怪しげな物理学が展開されているのだが、正直いって何を言ってるのかサッパリわかりません(笑)。しかし、それで済ませてしまっては申し訳ないので、そのあらましだけでも確認していこう。

さて、この章の冒頭では一つのUFO事件が紹介されている。1966年11月のある夜、ミネソタ州でラルフ・バトラー夫人ともう一人の女性が、当時盛んに目撃されていた光体群を眺めていたところ、その女性のほうが突然トランス状態になってしまい「あなた方のタイムサイクルはどうなっていますか?」「一日は何時間ですか?」というような質問を発してきたのだという。バトラー夫人は親切に答えてやったようだが、彼女自身はこれを空飛ぶ円盤とテレパシー交信をした経験だと考えていたようだ。

その翌年には、その体験談をきこうということで空軍の「リチャード・フレンチ少佐」と名乗る男が彼女のもとを訪ねてきた。彼は二日連続でやってきたようだが、その二度目、夫人がゼリーをふるまおうとしたところ、男はゼリーをボウルごと飲もうとしたという。ちなみに後日、ミネソタ州の空軍に問い合わせると確かに「フレンチ少佐」はいたが、それは例の訪ねてきた男とは全然違う人間だった。要するにこの男はUFOの目撃者のところにやってきて脅迫したり奇行を重ねるとされている「メン・イン・ブラック」であったらしく、とりわけこのゼリーのエピソードはそのトンチンカンぶり故に多くのUFOファンの間で愛され、語り継がれている(笑)。

いや、話が長くなったが、結局この事件に関してキールが注目しているのはゼリーの一件とかではなくて、ヤツらが発した(とされる)「あなた方のタイムサイクルはどうなっていますか?」という質問であるらしい。この事件を入り口として、要するにヤツらと人間とでは「時間という観念」が異なっているのだ――という方向に話をもっていく。

で、まず彼は、地球における一日の長さは自転、一年の長さは公転に拠るので、結局地球の時間のフレームワークはこの地球上だから成り立つモノで、結局、時間は相対的なものなのだというようなことを言いだす。

    【注】ただ、ここでキールはちょっと唐突に不可解なことも書いている。プレアデスは「空の民族」の故郷だとする民間伝承は多くあるので、「空飛ぶ円盤が実際に地球外宇宙船として存在しているのだとしたら、プレアデスはその発信地としてかなりの可能性をもつかもしれない」(185頁)。その説はテッテ的に否定してたんじゃなかったのかよ? ここはちょっと意味不明でアル

で、「時間という概念の相対性」みたいなところから連想したのかしらんが、彼は「光速に近い速度で移動する物体では時間の進み方は遅くなる」という、SFなどでおなじみの例の浦島効果の話をもちだす。

ここからの飛躍がスゴイのだが、つまりそういうことがあるのなら「超高周波分子が超高速度で運動して、われわれの時間の場から脱出したり、影響されなくなったりすることは可能はなずである」(186頁)。

よくわからん。わからんけれども、高周波のエネルギーを操作すれば(というのも意味不明なのだが)時間を操作することも可能であるということを言いたいようだ。さらにUFOというのは高位のエネルギーの現れで、それは「目に見える周波になるだけでなく、それらはわれわれに物質的なもの、現実的なものと見える形もとり、知的に見える活動もするのである」(187頁)。

「えっ??」と100回ぐらい聞き直したい感じだが、しょうがないのでキールがこの辺りで書いていることを強引にまとめてみると、彼らはエネルギーを自在に操って人間の感覚世界を超越した不可思議な現象を起こすこともできるし、脳内のパルスをコントロールして人間の考えも操作できる、UFOというのはそのような能力によって生み出された現象に違いない、キールはそういうことを言っているのである。

最後のほうでキールは、この「超知能」をもつ存在を「顕微鏡を通じて微生物を観察している人間」になぞらえている(この場合の微生物にあたるものが即ちわれわれ人間であることは言うまでもない)。

う~ん、何だかこのエセ物理学みたいなのはカンベンして頂きたいところだが、とりあえずキールがイメージしているものはちょっとは見えてきたかもしれない。「超地球人」というのは、ようするに人類をオモチャ扱いして遊ぶような能力をもつ何らかの知性体であるらしい。(つづく