■第十一章 「きみたちは宇宙のバランスを危うくしつつある!」


さて、「超地球人」についての考察を始めたキールは、本章にいたって「彼らが人間に向けて語ったこと」にスポットを当てる。


本章冒頭で彼が取り上げているのは、彼らが「あんたら人類は核兵器なんか開発しちまって危なっかしすぎる。何とかしなさい」と説教をしていったケースである。こういうエピソードがUFO事件につきものであるのは周知の事実であるが、ここでキールはそうした事例を幾つか列記している。例えばこんな具合である――。


1957年8月20日、アルゼンチン・キリノで円盤と遭遇した空軍の衛兵は(おそらくはテレパシーで)「原子エネルギーの誤用が、きみを破滅させようとしている」と話しかけられた。
1959年4月24日、ブラジル・ピアタで円盤を目撃したへリオ・アギアルは、その時なぜか気絶してしまう。やがて彼が意識を取り戻すと、その手には自らの字で「原爆実験をただちに中止せよ」と書かれた紙片があった。
1957年9月7日未明、英国チェシー州ランコーンで着陸した円盤に乗せられたジェイムズ・クックは、中にいた「宇宙人」から「きみたち地球の住民は、もし調和の代りに力を利用しつづければ、バランスをめちゃくちゃにしてしまうだろう」「その危険について彼らに警告したまえ」と告げられた。


さて、こうした警告をどう考えるかであるが、「なるほど連中も結構いいこと言うじゃんか」という気がしないでもない。実際にキールがこの本を書いた1970年頃というのは米ソ冷戦で偶発核戦争の危険がなお叫ばれていたし、いわゆる公害も社会問題化していた。だからこそ日本でもその辺の危機を煽った五島勉の『ノストラダムスの大予言』(1973年)が大ベストセラーになったのである。そういう意味では「あんたら人類このままじゃダメじゃん」というヤツらの指摘はけっこう本質を衝いていたのではないか。

ただ、キールがこういうメッセージをありがたがっている様子はない。これはオレの推測なのだが、キールはたぶん

「ったく偉そうにご託宣ならべやがって。そんなベタな説教されなくてもこちとら分かってンだよ陳腐なんだよ」

みたいなことを考えていたのではないか。というのも、あとの方まで読んでいくと分かるが、キールは「連中は一見もっともらしいことを言うことがあるけれども基本的に信用しちゃならん」ということを終始考えていたフシがあるからだ。


さて、それはそれとして、ここまで並べてきたようなユニークな事件は「1957年」にしばしば起きていたようで、この年はUFO史上でもちょっと注目すべき1年だったらしい。ジャック・ヴァレ『マゴニアへのパスポート』の後半部には、1868年からの百年間、世界各地で起きたUFO事例923件を列記した「UFO着陸の1世紀」というパートがあるのだが、このうち1957年の事案は68件ある。ちなみにヨーロッパで大ウェーブがあった1954年が136件で突出しているんだが、「68」というのも相当である。

ということで、キールは本章後段では「1957年」のUFOシーンというものにスポットを当てる。


そんな文脈で登場するのが、アダムスキ-と並び称されることもあるコンタクティー、ハワード・メンジャー(訳書ではメンガー)である。彼はニュージャージー州ハイ・ブリッジで看板書きをしていた男で、第二次大戦中から宇宙人とコンタクトしていたのだが、1957年まではそのことは口外してはならんと言い含められていた。それゆえメンジャーはこの頃になってようやく自らの体験を語りだしたらしく、ラジオ・ショーに登場するなどして有名人の仲間入りをする


しかし、キールのまなざしはなかなかシビアである。



ハワード・メンガーは、このことで金持になっただろうか? とんでもない。彼は自分の看板書きの仕事と自分の名声を失った。最後には、彼はほかの州に逃げ出さざるをえなくなり、そこで彼のむかしの商売でかろうじて生計を立てているにすぎない。(204頁)


要するに、メンジャーというのは「ヤツら」の言い分を真に受けたことによって最終的には「変な人」という烙印を押され、身を滅ぼしてしまった人だと言っているのである。


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 メンジャーと奥さん


逆にいえば、それは「連中はこうやってひと一人の運命を狂わせてしまうこともある危ないヤツらだ」という主張でもある。もう勝手放題、好き放題。そういう意味でいうと、ここでスポットが当たっている1957年というのは、先に触れたように「説教事例」を含めて奇妙な事件の当たり年だったから、キールは引き続き連中の傍若無人ぶりがうかがえる奇妙な事例を紹介していく。

ここで興味深いのは、彼の紹介する1957年11月はじめの複数の事件が何となくお互いに連動していたようにみえることである。以下の3件なんかはちょっとしたコンボになっている。



1957年11月5日@ネブラスカ州カーニー
ラインホルト・シュミットなる人物が飛行船のようなものを修理している搭乗員と遭遇した。そこで会話した相手はドイツ語をしゃべるフツーの男だったというから、キールも言うようにこれは19世紀末の幽霊飛行船事例が半世紀後に再現されたようなもので、何とも奇妙な話である。ちなみにシュミットはこのあとしばらく精神病院にぶち込まれたそうで、彼もまた「ヤツら」に惑わされて酷い目に遭った人間の一人だったわけだ(なお、現在絶賛発売中のUFO同人誌「UFO手帖 5.1」にはこの事件を取り上げたものぐさ太郎αさんの「アダムスキーみたいな人たち」第4回が掲載されているので、興味のある方はぜひ買うように



1957年11月6日の早朝@テネシー州ダンティ
愛犬フリスキーとともに外に出た12歳のエヴァレット・クラークは、野原で静止している輝く物体と、その近くにいる男女4人組を発見した。彼らはこの犬を掠おうとしたが、フリスキーは噛みついてなんとかその魔の手を逃れたそうだ。一部UFOファンの云う「イヌ事例」である

*ここで注目したいのは彼らが「ドイツ兵みたいながらがら声」で話していたというクラークの証言で、前日の事件でラインホルト・シュミットのお相手が「ドイツ語をしゃべってた」という話となんだか奇妙にリンクしている



同じく1957年11月6日の夜@ニュージャージー州エヴァリッツタウン
農夫のジョン・トラスコが飼い犬にエサをやるため外に出たところ、輝く卵形の物体と小男を発見した。小男は「わたしたちは平和な人間です」「わたしたちはトラブルを起こすのをのぞみません。あなたの犬が欲しいだけです」と話しかけてきたが、トラスコが一喝すると物体に乗り込んで飛び去っていったという。やはり「イヌ事例」である

*これもテネシー州の事件の目撃者が「エヴァレット」君だったのに対して、今度の事件の場所は名前がよく似た「エヴァリッツタウン」。そしていずれも「犬が狙われた」。この二つもどっかつながってる。この暗合についてキールがここでアレコレ言ってるワケではないが、ちなみにジャック・ヴァレは自著でこの点について論及している


ついでに言っとくと、キールによればこの11月6日にはオハイオ州モントヴィル、カリフォルニア州プラヤ・デル・レイ付近、ミシシッピー州でも「搭乗者」の目撃事件があった。

11月上旬にはこうした連続目撃事件が何だか互いに関係しあうような感じで起きた。キール自身は「ヤツらが洒落っ気を出してそういう連続目撃事件を演出した」とまで言っているワケではないが、読む側からすると「こりゃあ連中、人間からかっておもしろがってんじゃネ?」という感想を抱かざるを得ない。

結果として、そうした体験をさせられた人間は総じてペテン師扱いされたり酷い目に遭うのだが、キールはそうした人々はむしろ被害者なのだという。



一九八七年以後の接触者たちは、われわれに、彼らがUFO乗員たちに告げられたことを伝えている。嘘つきはそのUFO乗員たちで、接触者たちではないのだ。(209頁)


そうした接触が起こると、彼らは意図的にばかげたインチキ情報を伝える。(中略)このミステリー全体はわれわれを混乱させ、懐疑的にするために計画されてきたのだ。
だれかが、どこかで、われわれを笑いものにしているのである。(210頁)



「やっぱりそうなのか」ということで、だんだん分かってきた・・・・・・ような気がしないでもない。(つづく