米アカデミー賞授賞式で、ウィル・スミスが「妻を侮辱された」といってプレゼンターを壇上で殴打した事件が話題になっている。今朝の「天声人語」はこの話を取り上げて「暴力ハンタイ!」という主張を展開している。

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この件についてはウィル・スミスを擁護する議論も一部にあるわけだが、まぁ「暴力ハンタイ!」という主張は当然あってよい。よいけれども、今回の天声人語の論理はデタラメである。

どういうことかというと、筆者は今回のウィル・スミスの殴打事件から、例の「忠臣蔵」を連想したという話を始める。要するに「忠臣蔵というのは吉良上野介をイキナリ殺害したテロ事件。あんなものを褒めるのはどうかしとる。いきなり暴力ふるったという点ではウィル・スミスも同罪である」といった意味のことを言いだすのだった(この要約はオレ流なので原稿には必ずしもこういう表現が使われているわけではない)。

しかし忠臣蔵――というか「赤穂事件」をここで引き合いに出すというのは全く的外れである。

これはよく国内の戦争責任論争で出てくる話にも通じるのだが、要するに朝日新聞はここで「昔おきた事件を現代人の倫理規範で断罪する」という挙に出ているのである。

ちなみに戦争責任論では、ネトウヨが「だって戦前は西洋の先進国はそこらじゅうに植民地作って収奪してたジャン。日本が大陸進出したのも同じようなもので、いまさら日本だけ責められるのは納得できんわ」ということをしばしば主張する。つまり「当時は当たり前だったことを現代の規範で批判されてはかなわん」と言うのだった。

実際には明治以降の日本の大陸進出というのは(とりわけ満州事変以降だが)当時の国際ルールに照らしても相当に非道なものであった。なので、このネトウヨの主張はおかしい。おかしいけれども、一般論としていえば「今の視点から昔の人々の行いをアレコレ論評する」という行為は、いわゆる「ウワメセ」で相当に下品である。

そして今回の天声人語はまさにその下品なふるまいに出てしまった。

じゃあ朝日新聞は「バスチーユ監獄を暴力で急襲するなんてのは許せない。フランス革命は平和裏にやるべきだった」とか仰るのでしょうか? そんな平和的になんてできなかったからフランス革命は起きたんじゃないスか? あるいは大化の改新(いまは乙巳の変とかいうらしいが)で中大兄皇子が蘇我入鹿を殺したのは「ゼッタイダメ」だったんでしょうか?

あるいは50年100年前の事件であればこの手の論法が通用することがあるかもしらんが、300年前の赤穂浪士について「倫理的におかしい!」とか言われても困るのである。こういう具合に、当時の状況など一切斟酌せずに「暴力はゼッタイいけませんな」と説教を始めてしまうところに朝日新聞の悪しき伝統が見え隠れする。


追記

そういえば同じく今日の朝日新聞の「論壇時評」にも気になる表現があった。
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これは外部執筆者の東大の先生の原稿なので朝日新聞自体がどうこうという話ではないのだが、冒頭、今回ロシアがウクライナに侵攻した理由についてはいろんなものを読んでみたが全然「得心」できなかった――ということを言って識者の論考にイロイロ注文をつけている。

これもどこか朝日新聞の悪しき貴族主義と通ずるところがあると思うから敢えて触れるのであるが、そんなことを言いだしたらナチス・ドイツがなんであんなことをしたのか、誰も「得心」なんかできないだろう。得心なんかできないのは百も承知、というかそれを出発点とした上で、それでも何とか了解できないものかと思ってこれまで思想家たちはナチズムとは何かを懸命に考えてきた。

ここでオレは具体的にはエーリヒ・フロムだとかハンナ・アーレントのことを頭に浮かべているのだが、つまり彼らは得心はできないにしても「あぁナチスの蛮行というのはどっかで自分たちと連なってるところがあるのかもなあ」という認識に到達したのだった。ハナから「もうアイツらの言い分なんて一ミリもわからんわ」みたいな態度を取るのは知識人としてどうなのよとオレは思う。