千葉ロッテマリーンズの佐々木朗希が10日の対オリックス戦で完全試合を達成した。奪三振19(日本記録タイ)という快投ぶりで脱帽するしかない。今シーズン連戦連敗の阪神に彼が来てたらなぁと思うが、いまさら詮方ナシ。

それはともかく、相当にインパクトのあった出来事ということなのだろう。今朝の天声人語はさっそくこの話をネタに取り上げていた。が、しかし、今回もちょっとおかしいのではないかと思う部分が幾つかあった。


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まず「160キロ台の速球に、猛者たちのバットが空を切る」とあるけれども、これは野球をよく知らない人間の表現である。

この日の試合についていうと決め球として機能したのはむしろフォークボールだった。奪った19三振も、うち15三振まではフォークで取った。確かに直球が早いからフォークが打てないワケだが、なんだか直球一本やりで打者をきりきり舞いさせたみたいな書きぶりである。実に素人くさい。いくら160キロの速球でも変化球全然投げられなかったらプロの打者はちゃんと攻略する。プロを舐めてはいけない。


それから佐々木朗希というと、高校時代、「連投させて故障させてはイカン」というので夏の甲子園岩手県大会決勝で投げさせてもらえなかったエピソードで有名である(それでチームは負けた)。今回の天声人語でもこの話が取り上げられていて「こんな大記録も達成できたし、あのとき無理に投げさせなくて良かったネ」という意味のことを書いている。

まぁフツーは「そうだよなー」と思って読み過ごしてしまう部分であるが、よくよく考えると、コレは「超一流選手にとっては高校野球などしょせん通過点。もっともっと成長するためには高校野球で勝つより大事なことがあるだろう」ということを言っているに等しい。

要するに「高校野球<プロ野球」「高校野球はプロ野球の踏み台」という話である(もちろんこれは超高校級選手に限った話であるが)。

オレもそういう価値観はあっていいと思う。現に春夏の甲子園はプロを目指す選手の公開セレクション大会になっている。しかし、よくよく考えると、夏の甲子園を主催している朝日新聞は「高校野球は教育の一環」とか言ってなかったか?

「 ここで無理して故障したらプロに行けなくなるかもしらんので連投は止めさせよう」という考え方が「教育的」かというと、なんか違うような気がする。そもそも教育の手段であったハズの野球が、そこでは「目的」になってしまっているのではないか。

・・・ということで、天声人語はここで「高校野球はプロへの踏み台」説をうっかり肯定してしまったのである。まぁ朝日新聞が「高校野球は教育の一環説」はウソくさいので止めたということならばそれでスジが通るが、果たしてそうなのか。

というわけで、今回もいろいろとおかしな表現が目立つ天声人語。原稿は書き上げてから20回ぐらい読み返し、過去の言動とのムジュン点とかぬるい表現がないかとか確認した上で出稿するがよかろう。(おわり)