当ブログではしばしば世界的ユーフォロジストであるジャック・ヴァレの仕事を論じてきた。そんな流れもあって、現在82歳のヴァレが、やはり研究家のパオラ・ハリスとの共著として昨年刊行した新著『トリニティ Trinity』については先だって簡単に紹介をしたところであるが、このほどどうにかこうにか全巻を読了した。英語力不如意のためよく分からんところもあったけれども、せっかくなのでこれから何回かに分けてその概要を紹介していきたい。

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ヴァレが新しいUFO本を出す――そんなニュースを聞いたのは昨年の春だったろうか。大御所の久々の新著ということで、やがてアマゾンに出てきたその本をオレはさっそくポチッたのだが、実のところ、落手をする前にネットを通じて漏れ伝わってきたその内容には何だか危惧のようなものを感じていた。どういうことかというと、ひょっとしてこの著作でヴァレは年来の主張を引っ込め、変節・転向してしまったのではないかという疑念が兆したのである。あるいは高齢になったヴァレは耄碌してしまったのか、とも。

なぜそんな危惧を抱いたのかを理解していただくためには、先ずはユーフォロジーの世界におけるヴァレの立ち位置というものをおさらいしておいた方が良いだろう。

そもそも彼がこの世界で一目置かれてきたのは、「UFO=宇宙人の乗り物」という従来の「定説」に徹底的かつ怜悧な批判を浴びせてきたからである。ヴァレももともとはET仮説寄りのスタンスを取る研究者ではあった。しかし、研究を進めていくうち「どうもそれはオカシイ」ということに気づく。そのロジックについては以前紹介したこともあるのでここでは省くが、確かに凡百の研究家が当然視してきたUFO地球外起源仮説(いわゆるET仮説)というのは冷静に考えるとあまりにも無理がありすぎる。

かくして彼は、1970年頃になってすこぶるユニークなテーゼを打ち出した。つまり「UFOを飛ばしているものたちはどこか遠い宇宙から来たのではなくて、我々とともにこの地球にずっと存在し続けてきた超自然的存在ではないか」というのである。

これは一般に「Interdimensional hypothesis 多次元間仮説」などと称されているようだが、似たようなことはジョン・キールなどもほぼ同時期に主張し始めていたから、このトレンドはユーフォロジーにおける「ニュー・ウェーブ」とも言われた(実際のところ、高名なUFO研究者であるアレン・ハイネックあたりもこの説には如何ほどか説得されかかったフシがある)。そのような「革命家」として、彼は世界のUFOファンの間にその名を轟かせてきたのである。

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ここで話を元に戻すのだが、そんなところに出てきたのが今回の『Trinity』である。ヴァレがこの本で論じているのは1945年夏に米ニューメキシコ州で起きたとされる「サンアントニオ事件」であるワケだが、ひと言でいえばこれはUFOの墜落事件で、当時子供だった目撃者2人はその「搭乗員」とおぼしき生命体を目にしたほか、その残骸を米軍が回収していくさまをも間近に観察した――という触れ込みの事件である。そしてヴァレは、本書で「そうした事実は確かにあった!」と主張しているのだという。だが、先に述べたヴァレの来歴からいうと、これはなかなかに厄介な話なのだった。

何となれば、そもそもこの手のUFOの墜落事件というのは――例の「ロズウェル事件」がそうであったように――イコール「エイリアンが操縦する宇宙船の墜落事件」という文脈で語られてきた(業界では一部に「それは地球人の手になる秘密兵器だった」という説もないではないが、流石に「どこにそんなテクノロジーがあるんじゃい!」という話になるのでそれが珍説の域を出ないのは言うまでもない)。

物理的な実体としての飛行物体がどっかから飛んできて墜落した。そしてヴァレがその事実を認めている。ということは、彼はひょっとして「ET仮説」に宗旨替えをしちまったのではないか。これまで彼が言ってきたのは何だったのか。裏切りではないか。どうしてもそういう疑惑が浮かび上がる。

ということで、いよいよ入手した本をビクビクしながら読み進めていくと、この点についての疑念は晴れた。つまり彼は今でも「UFOは宇宙から来たものではない」という意味のことを主張していた。つまり「ここにきてヴァレが転向した」というのは濡れ衣であった。ただ、それは同時に「えっ、じゃあ墜落したUFOってどこから来たのよ?」という疑問を召喚してしまう。そこで何とか読者を納得させるようなロジックを構築できているかどうか。疑惑は晴れてもまた別の難問が浮かび上がる仕掛けなのだった。

よくよく考えてみれば、それは半ば予期されたことでもあった。ヴァレだって「物理的なブツとしてのUFOは存在する」という事はずっと前から言っていた。ということは「宇宙じゃないならどこから来たのよ?」というエニグマは、宙ぶらりんの状態で放置されていたのである。「多次元間仮説」とかいってもその「次元」というのは何だか意味不明で、何を言っているのか分からない。「どこから?」問題には、彼もいつかは正面からぶち当たらざるを得なかった。つまり「ここに飛行物体が飛んできて落ちました、搭乗員もいました」という話を全肯定しちゃった以上、彼はそこから一歩先に進まざるを得ない。いよいよラスボスと対峙せざるを得なくなったのである。それでは彼はその辺を納得できるような形で論じ得たのかどうか――そこのところは今は言わない(笑)。できればこのエントリーの最終回にでもまた触れてみたいと思っているので、何だったらたまに覗きにきてください(爆)。

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さて、「ヴァレは変節した?」あるいは「耄碌した?」という当初の懸念に即していえば、この本にはもう一つ気になるポイントもあった。

ヴァレは「このサンアントニオ事件はインチキではなくて本当に起きた出来事だ」と断じているワケであるが、もともとヴァレは「ロズウェル事件」をはじめとするUFOの墜落ー回収事件については懐疑的なことを言っていた。ところが今回彼は何だかとても素直に目撃者の証言を受け入れているようだ。「容易に騙されない男」というイメージで売ってきた彼が、なんだか判断基準がずいぶんと甘くなってしまったのではないか。「やはり耄碌?」という疑念も浮かぶ。

となると「UFOとはどこから来ているのか」みたいな思弁を繰り広げる前に、我々にはやることがある。事実として何があったのか。サンアントニオ事件では何が起こったのか。未曽有の事態が生じたというヴァレの判断を信用していいのか――さしあたって確認しなければならないのはそこである。(つづく