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 ホセと会話するジャック・ヴァレ(「Trinity」より)

ジャック・ヴァレはこれまで――例の「ロズウェル事件」なども含め――いわゆるUFOの墜落・回収事例というものに懐疑的な見方を取ってきた。「米政府はハードウェアとしてのUFOなど手に入れてなどいない。そして米政府はいまだUFOの真実に迫り得ていない」。彼がこれまで展開してきた主張はそのようなものだったとオレは理解している。そんな経緯を踏まえてみると、本書『Trinity』で彼は或る種の「宗旨替え」をしてしまったようにも見える。

「サンアントニオ事件」というのはウソ偽りのない墜落・回収事例であり、米軍は1945年の時点で実際にUFOの機体回収を行っていた。いや、ひょっとしたら米当局は「搭乗者」の身柄を押さえた可能性すらある――彼が本書で示唆しているのはそのようなことである。すると、これは年来のヴァレの主張と矛盾するのではないか? 「米政府は何も分かっちゃいない」という主張を頷きながら読んできたヴァレの愛読者からすれば、これはいささか当惑せざるを得ない事態である。米軍がUFOを――そして「搭乗者」をも――回収していたのだとすれば、そのテクノロジーや起源といったものについて、かなりの情報を手にしたと考えるのが自然ではないか。おそらくはそのような疑問を抱くであろう読者に向けて、ヴァレは本書ではこう述べている。



テクノロジーの世界におけるあらゆるサインは、最初の原爆が爆発した1か月後、サンアントニオで「アボカド」が発見されて以降に行われたリバース・エンジニアリング計画が失敗したことを指し示している。


つまり、UFO由来のハイテク技術など全く実用化されていない現状をみれば、その解析作業からは最終的に何の成果も得られなかったと考えるほかない、という見立てである。まぁそういう理屈ならばヴァレの従来の主張と矛盾せずに済む。済むけれども、そんなUFOの回収事件がホントにあったとしたら、その後の米当局のUFO調査プロジェクトが――たとえばコンドン委員会のようなものだ――あんなにグダグダ迷走することはなかったんじゃねーかという疑問も浮かぶ。ドラマになぞらえて言えば、伏線が張られたまま、ほったらかしになっているような感じである。

こうして見てくると、オレなどはここに、老境に入ったヴァレの「焦り」を感じてしまったりするのだ。

――UFO研究に身を投じて70年。しかし、その正体はいまだ判然としていない。「自分が生きているうちにもはや進展はないのだろうか」。そう思っていたところで出会ったのが「サンアントニオ事件」。調べてみればこの事件、何と人類初の原爆実験があった場所・時代ときびすを接するようにして起こっているではないか。ここには重大な意味があったに違いない!

・・・・・・とまぁ、そんな感じでヴァレはこの事件の真贋についてついつい「甘い」評点を下してしまったように思われる。本書の表題が人類初の原爆実験「トリニティ」から取られたのにはそんな事情があるワケだが、ともあれヴァレは「この事件は原爆実験と深いつながりをもっている」という仮説の下、サンアントニオ事件に独自の意味づけをしようと些か強引な試みを本書で繰り広げているのである。

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いや、何だかずいぶんとヴァレについて否定的なことを言ってしまったようだ。いや、ただ、それでもなおヴァレは「終わった人」ではないとオレは思っている。何となれば、一見したところ奇矯にも思えるロジックを駆使し、独自の世界を構築していくのはヴァレの真骨頂とするところであり、その片鱗は本書でも一瞬のきらめきを見せているからなのだ。では彼は本書でどんな思索を繰り広げているのか。以下、なかなかにスリリングなその内容を見ていきたい。

あらかじめ結論めいたことを言っておくならば、この「サンアントニオ事件」というのは何者かが「トリニティ実験」へのリアクションとして起こしたものである、というのがヴァレの基本的スタンスである。言うまでもないが、このトリニティ実験というのは、第2次大戦終結の最後の切り札として原爆開発に取り組んでいた米国政府が、1945年7月16日にニューメキシコ州で行った人類初の核実験である。サンアントニオ事件が、このトリニティサイトからわずか40キロしか離れてしない場所で起きたこと。それがまずは両者の密接な関係を示唆しているとヴァレは言う。

さらにヴァレは、「アボカド形」と評されたUFOの形状もこのトリニティ実験と関わりがあるのでは、と言い出す。どういうことかというと、このトリニティ実験においてはプルトニウムを用いた原爆が用いられたのであるが、「ガジェット」と命名されたその寸詰まりの形状はサンアントニオ事件のUFOによく似ている、というのである。さらにこの実験では、万一爆発が失敗した場合に猛毒のプルトニウムが散乱するのを防ぐため、当初は「ジャンボ」と呼ばれた巨大な鋼鉄容器の中で原爆を爆発させる予定だったのであるが、現場近くに運び込まれた「ジャンボ」の形状もまたUFOに酷似していた(実際にはこの「ジャンボ」はトリニティ実験では使用されずに終わっているのだが)。

要するにヴァレは、UFOのヌシである「何者か」は人間が準備している核実験のことをよ~く観察していて、「これはアンタらの核実験に対するアンサーだから」といった意味合いで同形のUFOをわざわざ飛ばしてみせたのではないか、という意味のことを言っているのである。なんだかよく分からないがスゴイ発想である。

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 「Trinity」より


なお、ここでついでに言っておくけれども、本書でヴァレは、流れをぶった切るようにして伝説的UFO事件であるところのソコロ事件(1964年)とヴァレンソール事件(1965年)についても詳細に論じている。どういうことかというと、ここでも彼は多分UFOの形状というものを意識している。つまり、信憑性の高い(と彼が考えている)この2ツの事件で目撃されたUFOもやっぱりサンアントニオ事件のソレと似てるじゃん、ということを言いたいのであろう。

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 「Trinity」より

以上をまとめてみると、ヴァレの考えは以下のようなものだ――人類が核兵器を手にしてしまったことに対して、連中はおそらく「警告」のために何らかのリアクションをせねばなるまいと考えた。そこで彼らは

①トリニティサイトにほど近い場所で
②トリニティ実験からカッキリ1か月後の「8月16日」という日を選び
③「これはトリニティ実験への応答なのだ」と理解してもらえるよう敢えて「ジャンボ」と同形のUFOを送り込んできた

――という話なのである。

ちなみに「UFOが第2次大戦後に数多く目撃されるようになったのは核兵器による人類の自滅を警告するためだ」というのは、それこそコンタクティーの皆さんはじめ多くのUFO関係者が唱えてきた陳腐な説ではある。ヴァレが最終的にそっち寄りのことを言い始めたのは若干残念なような気もするが、とにかくそういう文脈で話は進んでいく。


ただし、「空から飛んできて墜落した物体が米軍に回収された」となれば、これは「宇宙からやってきたと考えるほかあるまい」というのが普通の発想なのだろうが、彼がそこで自説を撤回することなくキチンと踏みとどまっている点には注意したい。読む前は「なんだヴァレも遂にET仮説に堕してしまったのか?!」という疑念を抱いていたのだが、それは「冤罪」であった。彼はこの期に及んでなお「UFOは外宇宙から飛来した」といういわゆる「ET仮説」には疑義を呈しているのである(偉いぞヴァレ!) たとえば本書には以下のようなことが書いてある。



我々はUFO現象を考える際に大きな誤りを犯してきたものと私は考えている。第一の大きな誤りというのは――UFOが実在するとしての話だが――別の可能性を排した上で「この現象は他の惑星から宇宙を越えてきたエイリアンに起因しているに違いない」と仮定したことである。




ユーフォロジストたちが今も提唱している安直な説明――つまり「どこか向こう」にある仮説上の惑星から都合よくやってきた訪問者がおり、彼らはたまたま我々のようなヒューマノイドで、我々の吸う空気を呼吸しているというものだ――は70年間にわたって存続しつづけている。もちろん、それですべての説明はつく。(中略)しかし、それを科学ということはできない。



無論、UFOを飛ばしているのがいわゆる「宇宙人」ではないとすれば、一体それは何者なのかという問いは残ってしまう。本書でも彼は明確な答えを提示し得ていない。ただし、彼のイメージの中では、「サイキック」に関わるレベルで人類に影響を及ぼそうとしている未知の存在の姿が確かに見えているようでもある。本書のいたるところでヴァレは、次のような自問自答を繰り返している。




UFOというものが、人間が今の知識や社会の発展レベルでは決してリバース・エンジニアリングができないようデザインされたものだったとしたら? 彼らのターゲットは違うレベルにあったとしたら? つまり、それが象徴的なレベルのもので、生命と我々との関係にかかわるものであったら? サイキックのレベルにおけるもので、宇宙と我々との関係にかかわるものであったら? 彼らはそこに存在論的な警告を込めていたのだとしたら?




その物体が単に物理的な乗り物というより、一種の情報物理学(これは今日生まれつつある科学である)の産物であったとしたら? それは物理的なものでありつつ、同時に――より良い言葉がないのでこう言うのだが――「サイキック」なものでもあるとしたら? 人類初の大規模かつ歴史的な原子力の解放があってから1か月後、古代からの伝統ある場所にテレパシーを使う奇妙な生きものを配置して、それはなにをしていたのか?




それは我々が原子力を発見したことに対する直接的な返答だったのか? 希望に満ちた対話の始まりだったのか? それともメッセージだったのか? それは、我々が今後生き残っていくためのささやかな可能性を受け取れるよう、外部にいるアクターが求めていた反応――つまり我々の精神を強制的に開放し、我々の傲慢を取り除き、人間とは違うものの意識に耳を傾ける機会を設けることで或る種の反応を引き起こすべくパッケージされたものだったのか?



なんだか禅問答のようではあるが、このあたりの言い回しは、実はヴァレが「コントロール・システム」というような奇っ怪な議論を打ち出した頃と殆ど変わっていないのである。それから次に引用するのはなかなかに衝撃的なくだりなのだが、ここを読むと、「サンアントニオ事件」のUFOというのは「彼ら」が人間にメッセージを伝えるため意図的に墜落させたものではないか、といったことまでヴァレは言っている。実に悪魔的な仮説である。




もし連中がアルファケンタウリなどから来ているのではなかったとしたら? もし連中の乗り物が墜落するよう意図されていたとしたら? それが贈り物だったとしたら? あるいは何らかのシグナルだったら? あるいは警告だったとしたら? 戦略的な対話に向けての希望を託した第一歩だったら? それが我々がいま用いている基本的な語義の通りの「宇宙船」ではなかったとしたら? 連中がその搭乗員の生死など気にかけていないとしたら?


そう、彼が想定しているような知的存在が本当にいて、1945年の夏にUFOの墜落というかたちでメッセージを送っていたのだとすれば、「彼ら」はいまの地球をみて何を考えているのだろう。オレはついついそんなことも想像してしまいたくなるのだった。

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さて、まとめである。

縷々述べてきたように、私見ではあるが、この「サンアントニオ事件」が正真正銘のリアルなUFO墜落・回収事件だったのかは疑問である。だが、ヴァレがこの事件に或る意味「賭けた」心境は分かるような気がする。そして、そこから先は例によってヴァレ一流の思弁的な議論となる。「UFOを飛ばしている者たちは何処から来ているのか」という問題についてのヴァレの考えは俗に「多次元間仮説」というよく分からない言葉で説明されてきたのだが、本書でもそこは全く五里霧中のままであった。しかし、それでもなお読み進めていくうちに、目前にはやはり夢幻の中に遊ぶような魅惑的なヴァレの世界が広がっていく。

おそらく本書はヴァレにとって最後の著作ということになるのでは、という予感がある。長年よく頑張っていただきました――全巻を読み終えた今、オレの心中にはそんな言葉が自然と浮かんでくるのである。(おわり)