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今朝の「天声人語」について一言。

今回の内閣改造では悪名高き衆院議員・杉田水脈が総務大臣政務官に就任したのだが、今日のはこの問題に触れている。

杉田というのはゲイやレズビアンは「生産性」がないとかいってヒトをモノ扱いしたのが問題視され、結果その文章を載せた「新潮45」が廃刊になってしまうという大惨事をもたらした希代のワルである。要するに自民党の国粋主義勢力を代表する人物の一人で、こないだ亡くなった安倍晋三の「ひいき」で無理矢理比例名簿に横入りしてきて当選してしまったことでも有名だ。

ということで、今回のは「こういうクソ右翼を総務大臣政務官などに就けてはいけません」という趣旨の話であり、オレもその主張自体には全く異論はない。異論はないンだが、今回は文章作法上とても見逃せない表現があったので指摘しておくことにした。

それは、最後の文章に出てくる「それにしても」という一文である。

これはオレの年来の持論なのだが、コラムのたぐいで最後に「それにしても」とかいって流れをぶった切って話をまとめに入るのは愚の骨頂である。ちゃんとそれまでの文章の流れを踏まえて自然と着地するのがコラムの絶対条件であり、「それにしても」などと言い出すのはその努力を放棄したことのあかしである。

いやこれはコラムには限らず、たとえば「それにつけてもカネの欲しさよ」という文句はいかなる短歌のケツにつけても収まりが良い、などとしばしば言われるワケだが、つまりそういう汎用性のある言葉というのは逆にいえば創造性や独創性をテッテ的にスポイルし、凡庸なものを作り出してしまうのである。

いちおう朝日新聞の目玉コラムということになっているのだから、こういう基本ぐらいはちゃんとしていただきたい。(おわり)