これは直接サンアントニオ事件にかかわる話ではないのだが、ジョンソンによれば、目撃者二人にはともに自らの経歴に関してウソを言っている(あるいは経歴を盛っている)疑惑がある。要するに「目撃者はちゃんとした人物なので信用してよかろう」という心理的効果を狙ったのではないか、という指摘である。
【レミー・バカの場合】
ジョンソンの調べによると、バカは1938年生まれ。1955年に16歳でワシントン州タコマに移住し、現地の高校を卒業。米海兵隊やボーイング社の整備士を経て州歳入局の仕事などもしていた(ようなことをジョンソンは書いているが裏が取れた話かどうかはよくわからない)。やがて1995年にはカリフォルニアに移って保険代理店業に転身。2002年にはワシントン州に戻り、2013年に死去した。
さて、そんなバカの経歴についてジョンソンが問題にしているのは、彼がワシントン州に住んでいた1970年代の話である。以下はバカの主張ということになるのだが、彼はその頃、タコマのヒスパニック系コミュニティの中で一目置かれる存在になっていたことから、1976年のワシントン州知事選挙で民主党から出馬したディクシー・リー・レイ(1914-94)の選挙スタッフとなる。この選挙でディクシー・リー・レイは見事当選。結果、バカは論功行賞ということなのだろう、州知事の側近を務めることになった――というのが彼の言い分である。じっさい彼は自分を「キングメーカー」とまで言っていたそうだ。
ディクシー・リー・レイ(1914-94)。女性である
しかしレイ知事のスタッフ幹部リストやら当時の新聞やらを調べまくったジョンソンは、選挙スタッフを務めたのは事実だけれども「幹部スタッフに近い立場にあったことなど一度もなかった」と断言している。そんな大物だったことを示唆する記録・痕跡は一切なかったというのである。
また、この話から派生してくるエピソードが一つある。このディクシー・リー・レイには、知事就任以前に米原子力委員会(当時)で委員長をしていたキャリアがあった。バカはそれを踏まえて、「当選に尽力したことへの感謝ということで、レイから原子力委員会の極秘ファイルを見せられたことがある。そこにはなんと自分の体験したサンアントニオ事件のことが載っていた!」と主張していたのである(注:ここで「なんで原子力委員会にUFOの極秘ファイルが残ってるん?」と不審に思われる方もいるだろうが、ヴァレの考えでは、そもそも当時のUFOというのは原爆実験があったのを見て関連施設周辺に慌てて飛んできたワケで、そんな事情もあったために原子力委員会はその調査に一枚噛むことになった――ということになっているらしい)。
要するに、たまたまディクシー・リー・レイを選挙で応援したら、たまたま彼女にはUFO事件のファイルを秘匿していた原子力委員会のトップだった経歴があり、なおかつそこにはバカ自身が当事者であるところのサンアントニオ事件の記録も残っていたので見せてもらうことができた――ということをバカは主張しているのだった。
そんな風に偶然に偶然が重なるウマイ話があるかよという気がするのだが、ジョンソンはとりあえずこれに対して「ディクシー・リー・レイが政府機関を去る時に機密書類を持ちだすことなんてできなかったろうし、退任後に入手することだってムリ。それに仮にそんなことしたら重罪じゃないか。アンタはディクシー・リー・レイを犯罪者扱いするのか!」といって怒っている。
ちなみにバカがハリスにこの話を明かしたのは2009~10年頃だというから、その時点でディクシー・リー・レイは死んでいる。これも「死人に口なし」案件か。
【ホセ・パディージャの場合】
ジョンソンの一連のレポートを読むと、彼はどうやら「サンアントニオ事件」というのはレミー・バカが「主犯」となって作り上げたストーリーで、ホセ・パディージャはそれにつき合わされた「共犯者」であると言いたいようである。ラジオ番組などでの二人の発言を改めてチェックすると、能弁なバカに対してパディージャは言葉少なに頷いたりするパターンが多い、というようなことを言っている。
例えば、2010年12月10日に放送されたメル・ファブレスをパーソナリティとするラジオ番組では、当初レミー・バカとパオラ・ハリスも出演する予定だったが、トラブルがあってホセ・パディージャが一人で登場せざるを得なくなった。彼はしどろもどろになってしまったようで、ジョンソンはこのインタビューを「Padilla's Bungled Interview」――つまり「パディージャの大失敗インタビュー」と名づけ、勝手に「PBI」などという略語まで作っている(ちなみにパディ-ジャはこの時のインタビューで「墜落現場付近では樹木が燃えたりしてはいなかった」と「公式ストーリー」に反する発言をしていたりする。おいおい、ダメじゃん)。『Trinity』では、パディージャは一度目にしたものは忘れない記憶力(いわゆる「瞬間記憶能力」のことだろう)の持ち主だとかいって持ち上げられているのだが、それ本当かよという疑念も兆してくるのである。
ということで、なんだかちょっと話が脇道に逸れてしまったけれども、ここからは本題に戻りまして、「実はそんなパディージャのほうにも経歴詐称の疑いはあるのだ」という話をしていきたい。
ジョンソンによれば、パディージャは1936年11月24日生まれで、死没したバカと違って現在も健在である。その経歴について自ら語るところでは、13歳でニューメキシコ州兵に入隊し、1950年代にはカリフォルニアに移住。兵役で赴いた朝鮮戦争(1950-53年)では負傷を負ったという。帰国後は「カリフォルニア・ハイウェイ・パトロール」に32年間にわたって奉職したが、その間にも犯罪者から腹部に銃弾を浴びせられる体験をしたと述べている(ちなみに「ハイウェイ・パトロール」というのは一種の警察機関・法執行機関で、民間の警備会社などとはワケが違う)。
しかし、ジョンソンの執拗な調査は、そのすべてが疑わしいことを告げている。まず「わずか13歳で州兵入隊」というところからしていかにも怪しい。パディージャは戦後の混乱期だったため特例として認められたと主張しているようだが、ニューメキシコ州では実際に18歳未満の州兵入隊を認めていないし、過去に特例があったという証拠もない。ジョンソンは、念のため氏名・生年月日・社会保障番号でニューメキシコ州兵とニューメキシコ空軍州兵の隊員記録を検索してみたそうだが、果たして該当者はヒットしなかった。次いで「朝鮮戦争従軍」の件であるが、ジョンソンが国立公文書記録管理局のオンライン検索で「朝鮮戦争の負傷者リスト」を検索したところ、ここでも彼の名前は出てこなかった。
とどめは「カリフォルニア・ハイウェイ・パトロール」である。実はこの組織、1970年代までは身長が5フィート9インチないと入隊できないという規則があった。しかし、2021年のニューメキシコ州政府の記録ではパディージャの身長は5フィート3インチしかなかった。勤続32年で定年の60歳を迎えたものとして計算すると、入隊はどうしたって1960年代でなければならない。しかし当時の規則では彼は入隊できない。矛盾が生じる(もっとも、年取って彼の身長が6インチ≒15センチ以上縮んだ可能性は微レ存w)。
ホセ・パディージャ(写真右)=the MUFON UFO Journal, June, 2016より=
加えて「カリフォルニア・ハイウェイ・パトロール」の在職記録に当たったところ、ここにもパディージャの名前はナシ。勤務実績があれば当然受け取っているはずの退職者年金の給付記録もなかった。朝鮮戦争で負傷を負った愛国者。凶悪犯に銃弾を撃ち込まれてもひるまなかった法執行官。そういう人間を装えばみんなに信用してもらえるだろう――パディージャの心中にはそんな思惑があったのではないか。しかし、どうやらそんな作戦は裏目に出たようである。(つづく)
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