マーク・ピルキントン『ミラージュ・メン』(2010)

■第1章 境界部へ

「船はそこにあるのさ。見上げた人々の目には見えるんだ」 ――グレイ・バーカーの『アダムスキの書』(ソーサリアンブックス、1965


 「あのクソったれは何だ!」とティムが叫んだ。彼の声は恐怖というよりも驚きをにじませていた――それは初めてUFOを見た人間にとってはさもありなんというものだった。

 1995年の7月中旬、明るく晴れた午後のこと。友人のティム、当時のガールフレンドのリズ、そして私は、パンクしたタイヤを取り外す作業をしていた。場所はヨセミテ国立公園の東の境界から27マイル離れたティオガパス・ロード沿いのテナヤ湖。私は22歳だったが、私が前輪を取り替えようとしていたクルマも同い年だった。それは1973年製のオンボロで青空のような色をしたフォード・ギャラクシー500。バックシートにはマットレスを敷いていた。私たちは80日以上かけてアメリカを一周する旅に出ていて、ほとんど2ヶ月ほどが過ぎていた。しかし、そのクルマは限界に達していた。直近でクルマを点検した整備士たちは、あえぐように走る2トンのケダモノで私たちが旅を続けるのをやめさせようとした。そこから私たちは200マイルほど進んできたわけだが、私がスパナを握りしめてそのクルマの下に入り込んでいたのにはそんな事情があったわけだ――そこでティムが叫び声を上げた。

 ティムは私の前に棒立ちになり、信じられないという風に言った。「あれは何だ?」。私は「わからない。でも30分ほど前に同じものを見たぜ。ここから数マイル下のほうで」と応じた。

 私はタイヤのナットを回し続けたが、心もまるでコマのようにグルグルと回転し続けた。私たちが見たものが何であれ、それは20分ほど前に道路上で目撃したものと全く同じものだった。

 ヨセミテからここに向かう途中で、クルマのタイヤはパンクしてしまった。新しいタイヤを持ってこようと、リズと私は最寄りの町、リー・ヴァイニングへヒッチハイクをして向かった。それはモノ湖のわきにあって、石灰に覆われたような殺風景な光景の広がっている、かつては採鉱業の最前線にあった小さな町だった。仕事が済んだ私たちは、通りかかった2人乗りのコンバーチブルスポーツカーに乗り込んだ。リズは前に座り、髪をきれいになでつけたドライバーとぎこちない会話をしていた。一方の私は、ドライバーシートの後ろの空間に足を突っ込んで、修理されたホイールを抱えながら座っていた。

 風の強い二車線の舗装道路を走りながらヨセミテへと戻ってくると、涼しい山の空気が吹き付けてきた。樹木が密集した北側の森のところをカーブした時、木々の間に光るものが目に入った。防火帯になっている直線道路の90フィートほど先、高いモミの木の間に全く予想もつかないものがあったのだ。それは地表3フィートのあたりに滞空しているようで、静止していた。

 それは光を反射する銀色の完全な球体で、直径はおそらく8フィート。磨き上げられた巨大なクリスマスツリー用のオーナメントのようだった。それは私にルネ・マグリットの謎めいた作品『La Voix des Airs 天の声』に描かれた、緑豊かな風景の中に吊されたベルを連想させた。それは美しく、穏やかで、不気味で、そして違和感に満ちていた。

 私が自分が見ているものがどんなものかを認識した途端、それは木々の後ろに消えてしまった――私たちが曲がりくねった道路を走っていく間に。数秒後、私たちはまた別の防火帯用の道路を通過していったのだが、さきほどと同じ場所に目をこらした。それはまだ同じ場所にいた。水銀のように輝き、不動で、奇妙なほど完璧だった。一瞬の閃光を放ってからそれは木々の間に消えたのだが、それからまた別の曲がり角、別の道路を経て、再びあのいまいましい球体が出現した。私は、頭の中で説明を探したけれど、それを口に出すことはなかった。リズやドライバーは特に異常なものを見たような様子もなかったし、仮に私が何を言うべきかわかったとしても、爆音するエンジンと風の音の中でそれを伝えることは不可能だった。

 球体と森を後にした私たちは、自分たちのクルマに戻ってきた。それはきらめく湖と険しい岩山の間に挟まれた場所にあった。クルマをジャッキアップしてその下に潜り、ホイールを取り付ける作業をしている間、私は自らが見たものについて口にすることはなかった。ティムが叫び声を上げたのは、その時だった。私の視界にあったのは彼の足首と足だけだったが、彼とリズは興奮して大きな声を上げた。

 「早く!これを見ろ!いったい何なんだ!?」

 立ち上がった時、私はそこで何を見ることになるかは分かっていた。

 午後の日差しを受けて、それは湖の上を意志を持っているかのように滑り、私たちに向かって進んできた。穏やかに浮かんでいるさまは、まるでどこかの粘性のある流れに運ばれているかのようだった。それは先に見た球体とまったく同じように見えたが、同じものではなかった。というのは、それは約1/3マイル離れた湖の反対側からやってきたからだ。それは私たちの頭上約50フィートほどのところを飛んでいたが、全く音をたてず、急いでいる感じもなく、それでもどこか決然としたものを感じさせるような動きだった。そして、丘の穏やかな輪郭に沿うようにしてそれは視界から消えていった。この間の時間は1分足らずだった。

 「あれ、何だったの?」。リズが私たち全員の思いを代弁するように言った。虚無が一帯を満たした。頭は答えを探そうとしたが、何も出てくることはなかった。

 クルマの下に戻った私は、さらに少しナットを外して、不安が忍び寄ってくる感覚を抑えようとした。が、無理だった

 「まったくもって信じられない!もう一つ来るぞ!」とティムが叫んだ。

 急いで体を出すと、ちょうど間に合ってもう一つの球体を見ることができた。前のものとまったく同じで、湖の上をゆっくりと私たちに向かって進んできた。そのルートは先ほどのものとまったく同じだった。そして、それは丘を越えるように上昇し、まるでそこを毎日通っているのだという風に穏やかに進んでいった。

 私はカメラを取りにクルマに飛び込んだが、間に合わなかった。球体は消え去っていた。それが最後だった。

 おそろしく奇妙で、本当の話である。これは他の何千ものUFOの物語とも似ている。この話には、その当時私がUFOに多少興味を持っていたという事実によって、いささか奇妙さの度が増しているところもある。正直に言うと、その当時私はUFOに取り憑かれていた。私はこれまでずっと超常現象と異常なものに興味を抱き続けてきた――ほとんどの子供がエニド・ブライトンを読んでいる間に、私はH.G.ウェルズやブラム・ストーカーを読んでいたのだ。 しかし、どういうわけか1980年代後半になると、徐々にUFOが私の主要な関心事になっていったのである。

 1989年、16歳の時、私はスペイン南部で最初の目撃をした。友達と私は、9つの光るオレンジ色の球が地平線沿いに振幅の大きい正弦波を描くようにして転がっていくのを見た。私はそれらが次々と過ぎていったのを覚えているが、それはまるで粘っこい液体の中を見えない糸で結ばれて動いているかのようだった。私も友人もその光景にそれほど仰天したわけではなかったし、それが「エイリアンの宇宙船」だという可能性も頭には浮かばなかった。しかし、私はその出来事を何度も思い返しては、こう思ったものだ――私たちが見たものはいったい何だったのだろう、と。

 1990年代の初め、UFOは私にとってのすべてになっていた。後から考えると、私は無意識のうちに千年紀前夜の時代精神に捕らえられていたのかもしれない――星々の魅力に魅せられてしまった他の何千人もの人々と同様に。一方には冷静にしてハイテク技術をめぐるワクワク感に満ちたティモシー・グッドのUFO本(そこでは明らかにありえない航空体と軍とのコンタクトが論じられていたのだ)があり、他方にはホイットリー・ストリーバーの魂を揺さぶるエイリアン誘拐の回想録があった。そのはざまにあって、エイリアンとのコンタクトの可能性、そして我々の世界のそれとは違う生命体がいる可能性、島のようなこの地球を離脱できる可能性、そうしたものは大いにありそうなことと思われるようになっていたのだ。

 そして今や私は再び目撃を果たすことになった。

 ヨセミテでの出来事の奇妙さをさらに倍可させたのは、旅の途中で読んでいた本だった。それはカーラ・ターナーの『Into the Fringe』。心理学者にしてUFO研究者でもあった彼女は、私たちが目撃をした1年後に脳腫瘍で亡くなった。自分の家族のUFO体験について彼女が記した記録は、もともと奇怪なこの分野にあって、さらに折り紙つきの奇妙なものの一つであった。そこにはいくつかの浮遊する銀色の球体が登場しているのだが、ターナーはその球体を「貯蔵庫」になぞらえて、「そこでは人間の魂が何らかのかたちでリサイクルされるのだ」としている。その球体の中にあって、人間の魂は或る意味では他者 [訳注:原文はエイリアン] でもあるわけだが、それは母親の胎内に植えつけられる。それは外科手術のようでありながらもスピリチュアルなプロセスであり、UFO伝説の核心にある神秘的次元を医療のコトバで映したものなのだった。

 しかし、私たちがその日ヨセミテで見たものに、そんな魔術めいた要素は一切なかった。その遭遇に続く何年間か、「私たちの頭上を飛んでいたものについてありふれた説明はできないだろうか」という風に私は自問自答していた。

 あれはアルミ箔で覆われた風船だったのではないか?その可能性は否定できなかった。ただ、あれは風船というにはあまりに固いもののように見えた。もし私たちが岩を投げたら、カツンという音をしっかり立てただろう(投げなくて良かったが)。あれが飛んでいく時、水の上のコルクのように上下に揺れ動き、そして私たちの後ろの丘の輪郭に従ってスムーズに飛んでいった様子もまた、風船の動きとは全く異なっていた。風船であれば、ガレ場の斜面に無様にぶつかってから稜線を超えて飛んでいったことだろう。それだけではない。私の記憶では、気味が悪いことに、その物体を運んでいくに足るような風は少なくとも私たちが立っていた場所では吹いていなかった。

 もしかしたら、あれは球電やセントエルモの火のような珍しい大気現象だったのではないか? こうした電気的性格をもつ気体が泡だったものは、より超常的なUFO目撃のいくつかについては良い候補になろうし、昼間は銀色に見える可能性があるとされている。アメリカ空軍は何十年もの間、兵器化する可能性を探ってプラズマをの生成・コントロールするすべを探ってきた。しかし、再び言わせてもらえば、私たちが見た球体は明らかに固体で、「気体」ではなかった。

 あれは何らかのドローン機だったのか?私たちがいたのはチャイナレイク海軍航空兵器基地からそう遠くない場所だったが、その基地は海軍が新しいオモチャを試す試験場の一つであるから、その可能性はある。しかしかりにそうだったら、あれを空中に飛ばしていたテクノロジーはいかなるものだったのだろう。球状の物体がレーダーの訓練とその補正のために軍用機から投下されることがあるが、あれは垂直に落下していたわけでもパラシュートで降下していたわけでもなく、水平に飛んでいたのだ。

 こうしたプラグマティックな試みがうまくいかない場合、神秘的な説明だったらどうなるだろう? あの物体は、カーラー・ターナーの本に触発された私自身の無意識から湧き上がったもので、それから皆が共有できる現実にしみ出してきたものだったのではないか――そう、チベットの神秘主義における精霊トゥルパのように。違うだろうか? ふむ、一つの考えではある。そして告白せねばなるまいがそれは当時私が考えていたものだった。

 もしそれらが物理的な物体であったとすれば(私はそうだと信じているのだが)、アメリカ政府が秘密を保管している「ブラック・ボールト」や最新の軍事装備が収容されている倉庫にアクセスできない限り、「私たちがあの日見たものは何か」という問題に満足のいく答えを見つけることはできまい。そして、とらえどころのないこの現象ならではということになるが、少なくとも第二次大戦以降のUFO文献には同様な物体の報告が散見される。例えば1944年12月14日のニューヨークタイムズの記事にはこうある。「ドイツの新兵器が西部戦線に現れたことが本日明らかになった。アメリカ空軍のパイロットの報告によれば、彼らはドイツ領空上空で銀色の球体に遭遇している」

 謎の発光オーブは最初1942年にヨーロッパ上空で航空兵によって目撃された。これらの光の球は、黄色、オレンジ、銀色、緑、または青とその描写は一定しなかったのだが、航空機を追尾したとされ、激しい回避操作をしても攻撃したり、損傷を与えてきたりすることはなかった。イギリスのパイロットはこれらの光を「例のヤツ the thing」と呼び、アメリカ人は「フーファイターズ foo fighters」と呼んだ。これは人気のある漫画の消防士で、「フーのいるところ火事あり!Where there's foo, there's fire!」という決まり文句を持つスモーキー・ストーバーにちなんで命名されたものだった。元英空軍の情報将校(そして「グーン・ショー」のコメディアン)だったマイケル・ベンティンは、バルト海上空を飛行する際にパイロットを悩ませた怪光について、航空兵たちから報告を受けていたという。射撃手たちはその光に向けて発砲したが、それが応戦してくることはなかった。「その光は何をするでもなく、ただ脈動しながらあたりを飛び回っただけでした。我々は、それは疲労のせいだということで片付けましたが、のちに私がアメリカの情報機関G2に報告を出したところ、将官からは米軍の爆撃機でも空中に光をみていたと言われました――彼らはそれをフーファイターズと呼んでいたそうです」*

 フーファイターズの報告は、空軍省によって真剣に受け取られたが、他のパイロットからは笑い話とされることが多かった。それは球電のような珍しい自然現象だったのだろうか?それとも、多くの人が推測したように、秘密兵器、あるいは敵のパイロットに恐怖を与えるために意図された新しい種類の対空砲やデコイだったのだろうか?これらは無線で制御されていたのだろうか?他の航空機を追尾する仕組みを有していたのだろうか? ベンティンは、1943年のペーネミュンデ空襲に際して銀青色の球体に追跡されたというポーランドのパイロットから事情を聴取したことがある(ペーネミュンデはV2ロケットの生産地であった)。ここでまた別の進歩したテクノロジーが開発されていたことと、この件には関係があったのだろうか? それは定かでないし、今に残る戦時の記録に答えはない。ベンティンの個人的な結論は、もしそれがポーランド機を攻撃しなかったのだとすれば「それは大した兵器ではなかった」というものだったが、それはいささか鷹揚に過ぎるように思われるし、デコイや電子対抗手段(EMC)が戦争のスタンダードを占めている今日にあってはウブな考えでさえあるだろう。しかし、それは彼の上官の態度を反映したものであったわけで、我々の知る限り、上層部の人間はその問題に深入りしなかった。結局のところ、その時点で戦争は続いていたのだから。

 では、私がヨセミテで見た球体はどうだったのか?アメリカの諜報活動に関わったバックグラウンドを持ち、UFOに興味を持っている或る人物は、それはアメリカ軍の偵察用ドローンだったのだと私に語った。これはチャイナレイクの理論を支持するものかもしれない。また、アメリカ政府のために「遠隔視」(RV)を行ったと主張する超能力者は、球体は地球外に起源があり、そのことは一部の政府グループにはよく知られていると私に語った。また、あるアメリカ陸軍大佐は、球体はカンザス州のどこかに大量に集合していて、その一帯に幾何学的な模様を形作っていると彼女に [訳注:誰?] 語っていた。

 あり得る話だと読者諸兄も考えているかもしれない。ひょっとしたら、そういったものが広大なカンザス州の大草原にもミステリー・サークルを作っているのではないか? しかし、それから数年後、かつてサイエンスライターのパトリック・ハイグが著した『スワンプ・ガス・タイムズ』を読んでいた時のことが頭に浮かんできた。彼女は1980年代にカンザスの草原に住む人の話を記していたのだが、その農夫は、晴れた夜に最新式のコンバインで農作業をしているときの喜びについて語っていた。そういう場所が大好きだったと彼は言った。

    「ヤツらが来るまではね」
    「...ヤツらとは誰ですか?」
    「光が降りてきたんだ」と彼は言った。「ふと見るとヤツらはそこにはいない。次の瞬間、側面の窓から外を見ると、そこにいる。こっちと同じ早さで動き続けている。それから、まばたきしている間に、彼らは周りを回って反対側に姿をみせる」
    「UFOですか?」
    ...その男はそれが何であるかは言わなかった。ただ、「こういうものではない」というものの名を挙げた。「ヘリコプター、航空機、ヘッドライト、反射...」
    「で、これからどうしますか?」
    「やらなければならないことをするだけだよ。私はただ仕事をするだけだ」。そう彼は答えた。
    「最後にヤツらは空に飛び去って消えるんだ。本当に神経を逆なでするがな」

 ・・・おそらくカンザスの球体は1995年7月のあの日、ヨセミテで休暇を楽しんでいたのかもしれない。ちょうど私たちがそうしていたように。(01→02