■第2章 円盤の出現

    「いま真実というものが失われているのなら、明日現れるのは神話だろう」 ――ユーリ・ハリトン

■2004年9月、カフェ・ブリス(ロンドン・ダルストン)

容赦ないほどに脂っこい朝食が消化器系に与えるインパクトにちなんで名づけられたブリス(至福)という店――そのお気に入りの店で、ジョン・ランドバーグと私は顔を合わせていた。ジョンと私が初めて会ったのは1998年だった。その時、私はミステリーサークルを作る彼のグループに加わった。そう、ミステリーサークルというのは例外なく人工的な産物なのだ。それも1970年代半ばからずっと。

ジョンと彼の仲間たちは1990年代初頭から毎夏ミステリーサークル作りに精を出してきた。それは今も変わらない。私は「フォーティアン・タイムズ」誌のジャーナリストとして彼らと出会ったのだが、しまいには彼らのチームに加わることになった。私は何年もの間この仕事に取り組んだが、それほど上手な作り手だったとはいえない。しかし(雨が降っている時を除けば)夜空の下の畑で働くことに飽きることはなかったし、ナゾのミステリーサークルを信じ込んでいるビリーバーたちがこねくり回す理屈というものに常に魅せられていた―その理屈というのは、この現象にスピリチュアルな意味でも情緒的な意味でもおカネの面でも入れ込んでいない人間にしてみればおそろしいほど明白にようにみえることに対し、真正面から向き合うのを避けて彼らが作り上げたものであったわけだが。

しかし、その日、私たちが話していたのは、ミステリーサークルのことではなかった。ジョンは映画製作に忙しく、政府とトラブルになったミステリーサークルの研究者にかんする短編ドキュメンタリーをまとめたところだった。私の向かいのシートにすべり込んだ彼は、いつものiPodのイヤホン、軍用の緑のパファージャケット、エイフェックス・ツインのスウェットシャツを身につけていた。バイキング系の名前が示唆するように背が高くて頑健で、髪を刈り込んだ彼はいつも笑顔だったが、そうでなければ威圧的に見える人物なのかもしれない。彼がベジタリアンの朝食を注文するや否や、我々は仕事の仕事を始めた。

「CIAのさる人物と話をしているんだ」。彼はひそひそ声で言った。「これまで彼が私に話したことは、結局全部がウソだった。でも彼は友好的な人物で、何かしらのことは知っているとボクはにらんでいるんだ。話の最後に彼は言ったよ。もしUFOに興味があるのなら、リチャード・ドーティーという人物についての映画を作ったらいいよ、って。君はこの人物を知ってるかい?」

私はベイクド・ビーンズを飲み込み、お茶を一口含み、深呼吸をしてから話し始めた。リチャード・C・ドーティーはUFO文書の地下世界に出没するメフィストフェレスとでも言うべきキャラクターだった。一部の人々にとってのドーティーは「暗黒の騎士」――かつて自らが活動していた諜報の世界と、彼自身が「エイリアンは地上にいる」という信じがたい情報を渡したUFO研究家たちが形作る世界の間にあって、捕らわれた暗黒の騎士であった。他の人々にとってのドーティーは「はぐれ者」――政府の陰謀のための道具にしてニセ情報を撒き散らす者、UFOの秘密を打ち破ろうという大義への裏切り者であった。言ってみれば、ドーティーは我々にとって近しいタイプの人間なのだった。UFOやミステリーサークルのような真偽の境界線上にある現象に引き寄せられてくる人間――それはジョンや私にとっては永遠の魅力の対象である。こうした事象は真空の中では生じない。その現象を育み、奇っ怪なその姿を現出させるためには、ドーティーのような人物が――そして我々のような人間もであるが――存在する必要がある。日常の世界における事実と、精巧なフィクションとの間のどこかに横たわる者が。換言するならば、もしUFOが森の中に着陸し、それを誰も目撃していなかったのなら、UFOは本当に存在したといえるのだろうか?

1970年代後半から1980年代初頭にかけて、ドーティーは米空軍特別捜査局(AFOSI)に勤務していた。この組織は、空軍内部におけるFBIのような役割を果たしている。通常、AFOSI(一般にはOSIと呼ばれているが)は、国内外の米空軍基地で発生した犯罪、例えば窃盗、薬物取引、殺人などを調査している。また、AFOSIは空軍とその作戦に対する脅威を発見・抑止する任務や、対敵情報活動、対敵諜報活動などの役割を担っており、それらは敵に対して技術的優位を維持するために極めて重要なものとなっている。米空軍は何十年にもわたって、新しい航空技術の開発において世界のリーダーであり続けてきたが、AFOSIはこの点において重要な役割を果たしてきたのである。

ニューメキシコ州のカートランド空軍基地に駐在するAFOSIの特別捜査官として、ドーティーは戦後期において最も奇っ怪な諜報活動のひとつに関わりをもつことになった。この話はもともと公にされるはずがないものだったが、実際には表沙汰になってしまった。その露見がドーティーの責任であるのか、それとも彼が大規模な作戦のスケープゴートに過ぎなかったのかは定かでないが、この事件は空軍の最も機密性の高い策謀を公衆の目に晒し、多くの人々が常に疑っていたこと、つまり米政府がUFOについてウソをついていたことを初めて明らかにしたのだった――ただしそれは、UFOコミュニティが望んでいたような形でなされたものではなかったのだが。

それは1979年、優れたエンジニアで物理学者でもある人物として50歳代前半に頭角を現したポール・ベネウィッツに関わるストーリーとして始まった。彼の経営する「サンダー・サイエンティフィック」社は、カートランド基地との境にある工場で、空軍やNASA向けに温度計やコンパスといった機器類を開発していた。ベネウィッツ自身は、カートランドの北側にある高級住宅街フォーヒルズに家族と共に住んでおり、そこからは基地やマンザノ山脈を見渡すことができたが、この山脈には当時、米国最大規模を誇る核兵器の貯蔵施設の一つがあった。

その年の7月、ベネウィッツは自宅の屋上デッキから、マンザノ地域周辺に飛び交う奇妙な光を撮影するとともに、それらに関連していると思しき無線通信を記録し始めた。彼は市民としての責任感をもつ人間だったし、空軍と契約を結んでいることもあったため、1980年になってからカートランド基地のセキュリティにいま起きていることを報告することにした。非常に優れた科学者ではあるものの、多くの優れた人々にはままあるように若干風変わりな面もあったベネウィッツは、その光体というのは高度に進歩した地球外生命体による乗り物であるに違いないと結論づけた。また彼は、彼らの意図は決して友好的なものではないと推測し、その旨を空軍に伝えた。

ここまでのところでも既に相当奇妙なストーリーではあるのだが、話はさらに奇妙で非常に不吉なものになっていく。2003年に75歳で亡くなったベネウィッツは、善良な人物で真の愛国者であった。空軍はこういってぞんざいに彼を追い払うこともできただろう。「ご協力ありがとうございます。これらは我が軍が機密にしている航空機なので、これは見なかったことにして誰にも話さないでください」。しかし、代わりに彼ら、つまりAFOSIは、ベネウィッツの無害な妄想を後押しするにとどまらず、それを増幅して最終的には彼を狂気の淵に追いやってしまうことを決めたのである。AFOSIはその後の数年間、彼に政府のUFO文書と称するニセ文書を渡し、悪意のある地球外生命体からの通信を受信しているように見えるコンピューターを供与し、はるか離れたニューメキシコの地にニセモノのUFO基地を作り上げた。これら全ては一人の風変わりな科学者をだますために行われたのである。

リチャード・ドーティーの役割は、ポール・ベネウィッツと親しくなって、彼を「宇宙戦争」の空想にさらに引き込むことであった。同時にドーティーは、少なくとももう一人、名高いUFO研究者であるウィリアム・ムーアとも秘密裏に連絡を取り合っていた。ムーアはUFO研究の世界で進められている最新の調査・研究の詳細をAFOSIに提供していたのである。ムーアの情報はニセの政府文書を作成するために利用され、それは「政府のトップレベルでUFOの隠蔽が行われている」というUFOコミュニティの疑念を補強し、ムーアの仲間の研究者たちを「人間とエイリアンの間には長年関わりがあった」とする偽史(それは2000年間にも及ぶということになっていた)に引き込んでいった。これについてムーア自身は、自分はホンモノの政府文書を提供してもらえるという約束で協力させられたのだと言い張った――ちなみにその文書では、地球外生命体は本当に地球を訪れており、米政府は人類史上最大のこのストーリーを隠蔽していることが証明されるはずだった。

このねじくれた作戦1980年代後半まで続き、最終的にはアメリカのUFOコミュニティ、そしてポール・ベネウィッツの精神の双方を破壊した。ドーティーの行動は最終的には暴露された。西ドイツでAFOSIの任務についた後、彼は空軍から退役し、ニューメキシコ州の州警察官となった。それが、私であれ他の誰であれ、リチャード・ドーティーについて当時知っていたことの全てであった。

私にとって本当に興味深かったのは、ドーティーとベネウィッツというのは、1980年代初頭以来出現した多くのUFO神話にかんして、そのソースではなかったとしても流出ルートにはなってきたということだった。墜落したUFO。悪いETと米政府が結んだ協定。エイリアンによる家畜の収奪や人間のDNAの操作。そうした話は、無数の書籍、記事、映画、テレビドキュメンタリーを通じて何度も語り継がれることで信憑性を増していった。ここは20世紀後半におけるフォークロアの生成の場であり、冷戦期のアメリカの夢想の中心、ミステリーサークル作りを通じて私とジョンがすでにその一部を成していた世界であった。

ドーティーが勝手に動く一匹狼だったのか、あるいは同じ任務に従事する多くのエージェントのうちの一人だったのかはわからない。ただ、確かなのは、アメリカの諜報機関は常にUFOのストーリーにクビを突っ込んでいたということだ。UFOコミュニティでは、CIAや国家安全保障局(NSA)といった組織は真実を隠蔽するための道具であるとされてきた。だが、ベネウィッツをめぐる出来事は、その話は逆なのかもしれないということを示唆していた。つまり、実際には、UFOをめぐる神話の多くはそうした機関が発していたのかもしれないということだ。

冷戦初期、アメリカはラジオ送信機を使ってソビエト深奥部に向けてプロパガンダを流していた。ロシアの大都市では「干渉活動」が行われており、何百人もの「ジャマー」が電子音やテープ録音、ガラガラ音や音声を使ってこれらの敵対的なアメリカからのシグナルを妨害していた。ノイズを作りだし、情報に何か付け加えたりニセ文書を作ることは――業界では「データ・チャフ」と言われるものだが――諜報活動や防諜活動では常套手段となっている。ベネウィッツ事件の真相というのはそういうものではなかったのか? 仮にそうなら、彼らが隠そうとしていたシグナルとは何だったのか?

私は、実際にUFOと諜報活動とが絡み合った話を読んだことがある。1950年代初期、CIAはハンガリーの王冠の宝石を「UFOの部品だ」と偽って国外に持ち出した。1991年にはMI6が、国連事務総長候補のブトロス・ブトロス=ガーリを地球外生命体に関する途方もない話と結びつけて中傷しようとした。こうした逸話は、諜報の世界の人々が地球外生命体の現実を覆い隠すために必死になっていたことを示唆するものとは思われず、むしろUFOというのは必要に応じて持ち出されるオモチャの一つに過ぎないことを示している。

では、なぜCIAのネタ元は、リチャード・ドーティーについての映画を作るようジョンに頼んだのか?確かに興味深いアイデアではあった。だが、それはトントン拍子で進むとは思えないシロモノだ。ドーティーはUFOの現場から離れて久しく、彼にインタビューできるるチャンスがあるとは思えなかった。さらに、UFOシーンがほぼ10年間停滞していたことも我々の足を引っ張った。インターネットの中ですら、異星人への関心は薄れているように見えた。関心のピークは1997年で、それは「Xファイル」が絶頂期を迎えた時であったし、その年の3月には非常に巨大な物体がアリゾナ州フェニックス上空を静かに移動していくのが目撃された。しかし、それ以来、このテーマに対する熱はすっかり醒めており、「フォーティアンタイムズ」誌に送られてくるUFOニュースの切り抜きが少なくなってきたことがそれを如実に示していた。当時の話として私が覚えているのは、英国のUFO組織の閉鎖と「ユーフォロジーの死」に関するものだけだ。ダメだ。UFOを追いかけるべき時期ではなかった。いや、UFOに関する話を追いかける時期ですらなかった。しかし、だからといって私たちは立ち止まっていいのだろうか?

私たちはリチャード・ドーティーについて、そして諜報の世界とUFOコミュニティの関わりについての映画を作ることに決めた。ひょっとしたら映画が完成する頃にはUFOが再び流行しているかもしれない。思いがけないことはこれまでにもたくさん起きてきたのだから。

新しいプロジェクトに興奮したジョンと私は別れた。しかし、家に帰って、自分が何にアタマを突っ込んだのかを考え始めると、最初の熱意は次第に消えていった。私は最後に世界がUFO熱で盛り上がった当時のことを思い出した。当時の私は、他の多くの人々と同様、UFO信仰の最前線にどっぷりと浸かっていた。果たして私は本当にあれと同じことを繰り返したいのだろうか?

■UFO:ノーフォークの日常

1995年のヨセミテでの目撃後まもなく、私はUFOに対するこだわりを反映しているかのような夢を見た。それは奇妙で強烈な夢であり、何年も無意識の中に染みつくようなものであった。その夢の中で、私はパディントン・ベアのようにしてエリザベス2世にお茶に招待された。私は輝く銀色の馬車で女王に会いに行った。宮殿の外観は覚えていないし、それが建物であったかどうかも定かではないが、内部は観光パンフレットに載っているような豪華な装飾で、赤いビロードと白貂の毛皮が掛けられ、宝石と金箔で飾られていた。女王は礼儀正しかったし、もちろん私もそうだった。私たちはボーンチャイナのティーカップでお茶を飲み、何かを話したが、その内容は覚えていない。そして、辞去する時が来た。

女王は私を宮殿の入口まで案内した。入口の敷居は輝く黄色い光で満たされていた。女王が私の手を取り、別れを告げるために前かがみになって頬にキスをしようとした瞬間、恐怖に包まれた。私の視点からは、化粧が剥げた部分が見え、その下には冷たく灰色で革のような異星人の肌があった。

フロイト派の解釈者であれば、これを幼児性の権力に対するファンタジーと解釈し、併せて女性から疎外されていることの表れだと指摘するのではないか。ユング派の解釈者は、これを内なるアニマ、つまり内なる女神との出会いと読みとるかもしれない。デイビッド・アイクは――私がこの夢を見た数年後に、彼はこのような出来事について一生懸命書いていたけれども――自在に姿を変え、人の血をすする爬虫類型異星人の支配者の恐ろしい現実を垣間見たものだとみなすだろう。UFOコミュニティの面々の多くは、これをホンモノの異星人に誘拐された体験を隠す「スクリーンメモリー」と考えるかもしれない。おそらくそれら全てが正しいのかもしれない。が、よくよく考えればそれは私がUFOに関する本をあまりに読みすぎていたことのあかしでもあった。

その秋、イギリスに戻った私は(当時はノリッジに住む学生だったのだが)ノーフォークUFO協会(NUFOS)に参加した。数か月後、グループの若い創設者がマリファナによる神経衰弱を起こしたため、私はリーダーを務めることとなった。

NUFOSの会合は、2週間に一度、ノリッジのウェンサム川沿いにある「フェリーボート・イン」で行われた。時には100人もの人々が集まることもあったが、中心メンバーは約20人で、退職した警察官や英空軍(RAF)の要員も含まれていた。多くのメンバーは自身の奇妙な経験に対する答えを求めていた。もっとも、その当時はUFOに関するストーリーがメディアで盛り上がっていて(そのほとんどは米政府によってエイリアンが解剖されたというインチキフィルムに関するものだったが)好奇心を募らせた人々もたくさんやってきていたのではあったが。


協会の会長として、ふだんは私がプレゼンテーションを行った。話したことといえば、「リモートビューイング」を試みるアメリカのサイキック・スパイプログラム、火星の人面岩、ネバダ砂漠のエリア51で本当に行われていること(私はアメリカでの旅で基地の周辺まで行ってきたのだった)、世界が2012年12月に終わるのか――といったもので、要するに今では使い古されたUFOの話題であった。当時はインターネットが普及する前だったので、これらの話題はそれほど知られていなかったのだ。そう、少なくともノリッジでは。

NUFOSは調査活動も行っており、地元の新聞に取り上げられることもあった。ある晩、私は空に奇妙な形の明るい光を撮影した男に会いに行った。が、それは再三UFOと間違われる金星であって、彼のビデオカメラの内部シャッターメカニズムによって異常に角張って映ったものであった。また別の時には、地元紙が空に漂うオレンジ色の光を映したビデオの静止画を掲載した。それは典型的なUFO映像で、形の定かならぬ光の塊が暗い夜空を背景にして浮かび上がっていた。それは何とでも言えそうなものだった。そのフィルムに関するニュース記事には私の家の電話番号が掲載されたので、その結果、奇妙な光を見たのだが何なのかという電話が数件かかってきた。私の標準的な対応はこういうものだった。目撃者に「寒くて耐えられなくなるか、飽きるまでその光を見続けてください。翌晩同じ時間に外に出て、また光があれば、こちらにもう一回電話してくる必要はないですね」。それでもう電話はかかってこなかった。

これは単純にして明快な解法であった。メディアでUFOの目撃が報じられると、好奇心旺盛な人々は空を見上げるわけだが、ほとんどの人はふだんそんなことをしていない。すると彼らはそれまで見たことのないものを目にして「UFOではないか」と思う。それは私自身何度も経験したことであった。最も一般的な犯人は明るい星や惑星(特にシリウスと金星)、衛星、流れ星、そして降下する飛行機であり、その前部のライトが空中で静止しているように見えることであった。これらの目撃がほとんどすべてのUFO報告を占める。そしてこれからもそうであろう。しかし、そうではないUFO報告もあり、私たちもそうしたものはいくつか受け取っていた。

中でも刮目すべきものは「空飛ぶ三角形」であり、そのバリエーションは今でも世界中で見られる。有名なものとしては、1989年のノーフォーク海岸沖の油田での事例があって、三角形をした黒い乗り物が(それはノース・シー・デルタと呼ばれることになる)2機のF-111戦闘機に護衛される中で米国のKG-135給油機により燃料補給されているのが目撃された。これは凧やカモメの誤認ではなかった。目撃者のクリス・ギブソンは王立防空監視軍団の元隊員であり、航空機には詳しかった。

これらの「空飛ぶ三角形」というのはほぼ確実に最新式の軍用機などと思われるわけだが、UFOの物語においては繰り返し登場するキャラクターである。それらはオーロラ、ブラック・マンタ、TR-3Bといった名前で知られている。大きさはアメリカンフットボール場3つ分から普通の軍用機のサイズまでさまざまであり、速度もホバリングから瞬きする間に消えるほどの高速にいたるまで、こちらも様々に報告されている。彼らはしばしば無音飛行、透明化、重力を無視する能力といった特殊な力を持っているとされる。

NUFOSは、ノーフォークの湖沼に浮かぶ運河船の上でホバリングする「黒い三角形」や、一家が高速道路で追跡されたという驚くべき報告を受け取っていた。その家族は、もし箒が車の中にあれば箒の箒の柄で突けるほど近くを飛んでいたと述べていた。これらの報告は興味深く、通常の空に見える光よりもはるかにエキサイティングであったが、私たちはそれにどう対処すればよいのだろうか?地元の英空軍に相談すれば、国防省に正式な報告をするように言われるだろうが、防衛省が極秘で飛ばしている飛行機をスパイしてくれたからといって記念のバッジをくれるはずもなかった。

「どう対処すべきか?」は私たちの会議における定番の問いであった。私は、ランカシャーUFO協会のリーダーが同様の「空飛ぶ三角形」の報告に直面したときに行ったようなことはしたくなかった。彼は、そのナゾの飛行機が駐機しているとされた英空軍のウォートン基地に侵入することを提唱したのだった。面白いアイデアではあった。だが、NUFOSのメンバーの多くは自分たちの地域の軍事施設の階段を登るのすら苦労するだろうし、ましてやフェンスをよじ登るのはなおさらだろうと思った。

私たちの仲間の中には、UFO現象と非常に複雑で個人的な関係をもっている者もいた。ある女性は、自宅の上空に赤い光の球が現れることを、彼女が患っている慢性疲労症候群(CFS)と関連づけていた。別の年配の女性は、どの医師も診断できないほどの奇病のため車椅子から離れることができなかったが、それは異星人と関係していると確信していた。初めて話をしたとき、彼女は積み上げた木の上で丸太に「擬態」した異星人を見たと話してくれた。彼女もまた、CFSの女性と同じく、自宅の上空に赤い光を見たことがあった。時間が経つにつれ、私は彼女が毎回のNUFOS会合の間に、私たちが前回の集まりで話し合ったことを体験することに気づいた。彼女は、公には「空想性傾向のある人格」と呼ばれる心理学的なモデルケースにあたるのではないか。私はひそかにそう疑っていた。

そして、サイキックもいた。UFO現象は常にそうした者たちを引き寄せてくるのだった。1945年、つまり世界が初めて空飛ぶ円盤の話を耳にする2年前のことであるが、アメリカの超能力者ミード・レインは、ボーダーランド科学研究財団を設立し、エーテリアンと呼ばれる異星人とのチャネリングを始めた。1950年代半ばまでに、「ナッツ・アンド・ボルト」派のUFO研究者とチャネラーやコンタクティーの間には明確な線が引かれた。前者は科学志向の研究に傾倒し、しばしばプロフェッショナルな科学的背景を持っていたのに対し、後者はよりスピリチュアルな指向性を持っていた。NUFOSにはその両方がいたのである。

メンバーの一人、ショーンは、身なりに構わないやせ細った男で、目の下には黒いクマがあり、常に千年先を凝視をしているようだった。彼が言うには、自分は英国政府のためサイキック関連の仕事をしており、保守党の黒魔術作戦に対抗する秘密組織の一員だということであった。ある時、ショーンはギネスビールを飲みながら、ノーマン・テビットというのは保守党の悪魔崇拝集団のリーダーであって、それは「彼の目を見ればわかる」と言った。私の在任期間が終わった後、数年経ってから、ショーンは資金と資産を盗んだとしてNUFOSに訴えられた。

ジョージと彼の妻ジャネットは、遅れてグループに参加した。二人は仲の良い夫婦で、とても真剣な雰囲気を漂わせていたが、このジョージとジャネットは宇宙人からのメッセージをチャネリングで受け取り、テレビ画面で未来のビジョンを見せられたと言っていた。そのビジョンの中には、2000年になると地球に多くの宇宙人が着陸し、黙示録さながらの光景が展開されるというものもあった(それはミレニアムバグ――2000年問題が話題になるずっと前のことであった)。

NUFOSにおいては風変わりであることはアリだが、あいまいであることは許されなかった。1996年の初夏のある日、会議が招集されて、私たちはフェリーボート・インの奥の部屋に集まった。そこで私は、「あなたはこのグループのリーダーにふさわしくないとの決定がなされた」と告げられた。私は皆に友好的で、若く、そこそこ頭もきれた。だが、私は「答え」を持っていなかった。実際、私のプレゼンテーションというのはいつも新たな疑問を生みだすもので、それはUFOの謎を解明する助けには全くならなかった。NUFOSが求めていたリーダーというのは、グループに規律を植え付け、方向性を示し、そして・・・そう、答えを与えてくれる者だったのだ。

かくて彼らは、ジョージを新しい会長に選出した。テレビを通じてエイリアンのメッセージを受け取ってきたあのジョージである。裏切られたように思った、といえば言い過ぎだろう。私は学業を終えて、数ヶ月以内にロンドンに向けて発つ出発をしていたのである。ただ、私はグループとその将来に危惧を覚えた。ノーフォークの寒い夜、彼らは水路を越えて集まってきて、ポータブルテレビの明かりに照らされる中、「空飛ぶ三角形」に乗せてもらうのを待っている――私はそんな光景を想像していた。

振り返ってみると、私はNUFOSの運営者として最適の人物ではなかった。私が理想と考えていたのは懐疑的な中立地帯にあること――つまり、事実が旗幟鮮明な立場を取るよう求めてくるまでは或る理論を肯定も否定もせず、さらに特定の立場を取った後もなお疑問を持ち続けるということであったわけだが、こうした集団の中でそれを維持することは不可能だった。そもそも、私はそこで何をしていたのだろう? 本当にUFO団体を運営していたのか、それとも、ドロ沼にはまりこんでしまった、不器用で不誠実な参与観察者だったのだろうか? それはいまでもわからない。私はそのあとロンドンに移った。その際、一枚のマンガを持っていったのだが、それはグループにいた元警官のハリーが描いたもので、フェリーボート・インの駐車場にビーム光線とともに下ろされるエイリアンの姿が描かれたものだった。

その後、私をとりまく状況は変わり、UFO現象との関わり方も変わってしまった。ロンドンの空は、街灯や高層ビルに覆われ、日々行き交う航空機でいっぱいだった。ノーフォークの何もない空間が大きく広がっている空と比べると、得られるものはほとんどなかった。次第に空を見上げることをやめ、UFOに対する関心も薄れていった――私以外の世界もまたそうであったように。それでもUFOの話を読むのは好きで(特にそれが奇妙であればあるほど良かった)、何か新しい展開がないかUFO関係の噂話に耳を傾けていたのである。だが、私に――そしておそらくUFOシーンにとっても強い印象を残すようなものは現れなかった。

UFOコミュニティからやむことなく聞こえてくる「真実はそこにある」といった金切り声にはウンザリしてきた。要するに、人類史上最大の出来事、つまり異星人とのやりとりがアメリカのどこかの軍事基地の格納庫でひそかに行われているというのである。そんな出来事があったのなら、どこにその兆候があるのか? 歴史の流れの中のどの時点で、そんな突然の逸脱が起きたのか? ETのテクノロジーはどこにあるのか? それを秘密にし続けていることで利益を得ているのは誰か? マドンナやスティーブン・スピルバーグ、アラブの首長やオリガルヒの連中よりも多くのカネと権力を持つ者がいるということなのか? 陰謀論者が信じているように、もし秘密の組織のようなものが真実を手にしているのなら、彼らはそれをどう利用しようとするのか?

複数のパズルが互いにはまりあうことはなく、証拠もなかった。前々から言われてきた「真実は明らかになる」という話も実現しなかった。明らかなことは、本当にUFOが実在していたとしても、それについてよく分かっている者はいないということだった――世界政府(そんなものが密かに作られているのかどうかはともかく)でもそんなことは理解していないし、ましてやUFO研究家などは論外である。UFO問題に関する或るコメンテーターの言葉を借りれば、UFO研究家たちはUFOについて何でも知っているのだが、例外はある――それは「UFOとは何か」「UFOが来るのは何故か」「それがどこから来るのか」「UFOを操っているのは誰か」といったことだ。私はかつて「非人間存在はやってきていて、UFO現象の背後には異星人がいる」といった感覚をもっていたのだが、そうしたものはほとんど消え去ってしまった。人々がUFOを目撃し続けていることに疑いはない(これまでずっとそうだったし、これからもそうだろう)。しかし私は、ほとんどのUFO目撃事例において最も重要な部分というのは、目撃者の内面で起きたもので、決して外部ではないと感じるようになった。

結局、私はNUFOSと連絡を取らなくなったが、このグループは今も存在している。NUFOSやそれに似た多くのグループは、世界中のUFOコミュニティの完璧な縮図であり、もっといえばミステリーに関心を有するあらゆるコミュニティの縮図でもある。実際のところそうしたグループは、真実と意味とを求める永遠の探究を掲げながらも、実際には日々生じてくる小さな抗争であるとか、皆を支配する圧倒的な官僚主義が想像力をジワジワ締め付けていくことによって常に苦しめられている。そうしたグループは、おそらく人生そのもののメタファーとしてあるのだろう。他の惑星での文明生活も、実はこれとそれほど異なっていないのではなかろうか? (01←02→03