パリ五輪も終わったが、今大会で特筆すべきは陸上女子やり投げでの北口榛花の優勝である。

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オレも再々言っているように、およそスポーツというのは細かいレギュレーションとか採点要素とかが入ってくればくるほど納得感が薄れる。もっというとプリミティブな訴求力が削がれる。

なんとなれば、あるいみ細かいルールが定められているほど特定の人たちに有利な状況が生まれたりするワケだし、審判の主観で勝ち負けが決まる要素が強いと(たとえば今回パリ大会の柔道である)ハッキリいって「シラケる」。

これは余談になるが、オレの好きな野球というスポーツはまさにこういう「シバリ」が多い競技であって、野球がなかなか世界に普及していかないのもそういう理由があるからだと思われる。たとえば「野球では三回空振りするとアウトになるけれども何で三回なのか?」みたいな素朴な疑問を出されても答えられないのである。(ここで慌てて付け加えておくが、そういう細かいルールでがんじがらめになった競技には、逆に「ルールの抜け道を探ってウラをかくのが面白い」みたいな倒錯した楽しみ方が生まれる。いったんそういう「沼」にはまるとそれなりの中毒性が生まれるのだが、まぁその辺は一見さんにはなかなか難しい)。

閑話休題。そういう風に考えていくと、その手のよくわからんルールがほとんどないのが陸上競技である。100メートルを一番早く駆け抜けるのは誰か。そういう単純明快な原理ですべてが運営されていく。プリミティブであるが故にこれは門外漢にも凄さがよく分かる。ごまかしが効かない。そういう意味でヤッパ陸上競技はスポーツの華であり王者であると言わざるを得ないのだ。

そうしてみると、今回の北口の金メダルというのは如何にスゴイことであったかが分かる。体格や筋力といった面でいえばモンゴロイドはどうしたってコーカソイドやネグロイドに対して不利である(大雑把にいって。たぶん)。陸上競技では過去にマラソンで金メダルを取った女子選手はいたワケだけれども、これは或る種の持久力みたいなものである程度挽回することができる種目だったからこその快挙であって、フィールド競技となるともうこれは絶望的である。そこは超絶トレーニングであったり卓越したテクニックやらでどうにかこうにか対抗していかざるを得ないのだが、それを今回彼女はやりきったのである。

言ってみればこれは100年に一度の快挙。今大会は柔道の誤審問題とかいろいろあったけれども、日本勢にとって大会掉尾を飾るにふさわしいグッドニュースがここにきて飛び込んできたのは慶事であった。


◆追記

なお今回の北口金に関連して、往年のやり投げ選手・溝口和洋(1962-)が各種メディアでコメントなどしていたのも嬉しかった。

その半生については上原善広『一投に賭ける 溝口和洋、最後の無頼派アスリート』という名著があるのでゼヒ読んで頂きたいのだが、彼は師弟関係の重視みたいな陸上競技の決まり事を片っ端から無視する「一匹狼」みたいな存在として1980年代に活躍した選手である。しかも溝口は単なる無頼派だったワケではなく、実力もハンパなかった。彼は常軌を逸した特訓だとか独自に編み出した独特の練習法などによってほぼ独力で世界レベルにまで到達した人物で、その怪物ぶりは1989年に出した87m60というレコードがいまだに日本記録として破られていないことでも明らかだろう。

それだけの実績があるにも関わらず引退後は陸上界と縁を切り、パチプロ(!)やったりした末に現在は農業をやっているのだという。なんという潔さであろう(ちなみに、表向き陸上から足を洗ったといいながらやはり五輪でメダルを取った室伏広治が教えを乞いにきた時にはこれに応じて私的にコーチしてやったみたいな話もあったりする。この辺りもまた素晴らしい)。

彼はほぼオレと同年代だし、そもそもこういう偏屈な人間が大好物のオレとしてはひそかにシンパシーを抱いてきたのであるが、そういう不世出の人物が北口の金というタイミングで再度スポットを浴びたようなかたちとなったのはしみじみと嬉しかった。これはちょっと前の記事であるようだが、この孤高の先駆者、溝口和洋さん「やり投げを好きと感じたことはない」 パリ五輪へ北口榛花は世界記録も目指せる「才能」なんてのはとてもよく書けているので、どうせそのうちネットからは消えてしまうのだろうが時間のある方は読んでやっていただきたい。