■第6章 ワシントンvs.空飛ぶ円盤
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「象徴というものは、相手が納得してしまう流れを示してみせれば良いのである。象徴は、騙す相手の内面に確固としてあり、彼があらかじめ受け容れている観念を伝えねばならないのだ……それはあたかもスポーツフィッシングの釣り人が、ルアーをたやすくゲットできるエサにみせかけるために、匂いや動き、色彩をそれらしく見せるのと同じようなものである」 ――『欺瞞分析入門:心理作戦の標的となる聴衆の分析』(リエカ・ストロー中佐、ジェイソン・ウェンデル少佐。 『イオスフィア』 2007年秋号より)
1952年の初め、CIAのウォルター・B・スミス長官は心理戦略委員会のレイモンド・アレン長官に次のような書簡を送った。
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私は本日、「未確認飛行物体に関連する諸問題というのは、諜報活動や諜報作戦のみならず、心理戦においても重要な意味を持つ」と結論づけた提案文書を国家安全保障会議に送付しました。私は早期に会議を開催し、心理戦のためにこうした現象を攻撃・防御の両面で利用できるかどうか、その可能性を議論したいと考えています。
スミスは、1951年の後半、空飛ぶ円盤に対する大衆の関心が劇的に増していく状況に対峙していたのだが、それは急激な目撃報告の増加へとつながっていき、その報告の多くは軍隊の内部から寄せられるという事態を呈していた。それと同時期、米空軍のプロジェクト・グラッジのチームは円盤の問題を軽視する方向でうまいこと仕事を進めつつあったが、それが故に彼らはどう考えても首を捻らざるを得ないような事件をも無視しようとした。そうした事件の一つ、つまり同年9月にニュージャージー州フォート・モンマス陸軍基地で起きたパイロットとレーダーオペレーターによる目撃事件は、空軍の高官たちを動かすきっかけとなり、1952年3月、グラッジはプロジェクト・ブルーブックへと改編された。この改編は空飛ぶ円盤の「当たり年」にかろうじて間に合った形となり、目撃報告は同年6月から10月の間に886件に及び、夏のピーク時には一日に50件が寄せられるほどであった。ブルーブックの責任者であるエドワード・ルッペルト大尉は(ちなみに彼は「未確認飛行物体」という言葉を作った人物だ)は、この数字は1947年以降に空軍が受理した総件数より149件多いものだったとしている。
ルッペルト自身はフォート・モンマスでの目撃事件はバルーンによるものと考えていたが、この事件に続いて、空軍はJANAP 146(B)を発した。これはすべての軍隊に向けた指令の拡張版とでもいうべきもので、未知の飛行機を目撃した際は国防長官、防空司令部、最寄りの米軍基地に報告するよう指示していた(ちなみに国防長官は次いでCIAに報告を転送することになっていた)。さらにUFO事件に関する情報を許可なく公開することは犯罪とされ、最高で懲役10年と1万ドルの罰金が科されることになった。ソビエトがアメリカの一挙手一投足を監視している状況にあって、UFOは――ここでいうUFOには極秘のバルーンやミサイルの発射、開発中の航空機の飛行も含んでいたが――諜報や安全保障上の問題になりつつあり、コントロール下に置かれるべきものともなっていた。
ウォルター・スミスの懸念はやがて薄気味悪いほど的中することになった。UFOをめぐる状況は1952年7月の2夜、当惑を強いるような、そして潜在的には破滅的となってもおかしくないクライマックスを迎えた。数多くの非確認物体がワシントンDC・ナショナル空港のレーダー画面上に現れたのである。その最初の夜、すなわち7月19日から20日にかけての真夜中、首都から15マイルの位置で7つの物体が捕捉された。それらは時速約100マイルでホワイトハウスに向けて徐々に近づいていた。近くのアンドルーズ空軍基地からも明るく光るオレンジ色の球体一つが目撃された。その場にいた空軍兵によれば、それは「円を描くような」動きを見せ、それから「信じられない速度で」飛び上がって消え去った。このほか近くを飛行中だった旅客ジェット機のパイロットからも、白く輝く高速の光が6つ目撃されていた。
未確認物体の目撃とレーダー上での捕捉は午前3時まで続いていた。ここで、物体を子細に観察すべく迎撃機2機が飛び立ったところ、その時点で残っていたUFOは空から消え、レーダーからも消えた。ところがジェット機が燃料不足で帰投するや、物体は再度出現した。そのため、民間航空局の上級航空管制官のハリー・バーンズは、その正体はどうあれ、このUFOは無線交信を受信し、それを踏まえて行動しているのではないかと思った。バーンズはこの出来事について空軍の上級幹部の注意を促そうとしたが、それは無視されたように思われたため、彼の苛立ちは倍加した。空軍内の誰かはいま何が起きているのかを知っているのではないか――そんな疑惑を膨らませるようなこともあった。ブルーブックのエドワード・ルッペルトは、二日後に新聞の一面を読むまで、この出来事について全く知らされていなかったのだ。
未知の航空機が米国の空域に侵入するなどということは今日の我々にはありえないことと思われるかもしれないが、その出来事がいかなる騒動を巻き起こしたかは想像に難くない。それは「パールハーバー」から11年後のことで、アメリカ軍の記憶の中でその傷はまだ真新しかった。さらに言えば、1952年の時点で、そうした侵入がもたらす危機の大きさは1941年の頃よりはるかに大きなものになっていた。ソビエトはその時点で原子爆弾を3発爆発させていた。その夜、ワシントン上空に現れた7つのUFOのうちには、彼らが作った「ファットマン」や「リトルボーイ」を搭載したロシアの爆撃機がいたかもしれないのだ。そして、7月26日にUFOは戻ってきた。この時はレーダー上に12機が映し出され、それ自体はさほど驚くべき速度ではなかったが、時速100マイルで飛行していた。前回同様、光は航空機上からも地上からも目撃された。さらにこれも同様に、ジェット機2機が迎撃に飛び立った。あるパイロットは、4つの白く「輝くもの」を追跡したが、それらは突然「こちらに飛んできて飛行機の回りを取り囲んだ」。だが結局のところUFOの正体はこの時も明らかにはならなかった。
メディアはまたも大騒ぎを始め、ペンタゴンでは空軍の記者会見が開かれた。その規模は第二次大戦以降で最大のものとなった。ルッペルトは1956年に刊行した回顧録『未確認飛行物体についての報告 The Report on Unidentified Flying Objects』で、大混乱に陥ったその場の状況を描いている。空軍情報部のジョン・サムフォード将軍はその目撃について何か言質を取られることを避けつつ、このUFOは「誘導ミサイルだとか秘密裏に開発されたアメリカの飛行機だとかではない」と言って人々の恐怖を和らげることに全力を挙げた。直截に「その物体はアメリカの秘密兵器か」と問われた時、サムフォードは遠回しで謎めいた返答をした。「質量をもたず、無限のパワーを出すようなシロモノは持っておりません」。次いで現れたのはライト・パターソンの空軍技術情報センター(ATIC)から来たレーダーの専門家、ロイ・ジェームズ大尉だった。彼は、少なくともレーダー反射の幾つかは気温逆転によるものだとした――つまり地表近くの冷たい空気の上に、温かく水蒸気の多い空気層が出来る現象で、こういう時にはレーダーが地上レベルにある蒸気船のような巨大な物体の反射を拾ってしまうことがあるのだ、とした。ルッペルトたちはこの説明に納得しなかった。が、報道陣はこれを受け容れた。
この二度にわたる領空侵犯は、その前年に大当たりした映画『地球が静止するた日 The Day the Earth Stood Still』に描かれた出来事と気味が悪いほど似ていた。この映画では、善意のヒューマノイド型エイリアン、クラトゥの操る空飛ぶ円盤がその姿を見せ、次いでワシントンDCに着陸することでパニックを巻き起こした。一方、現実のワシントンでの目撃事件は全国の新聞で一面の記事になり、凄まじい目撃報告の波を生み出し、ルッペルトとブルーブックの仕事を激増させた。全米からの目撃報告は空軍に殺到し、その数は7月だけで536件にも達した。その結果、空軍内部の通信には支障が出るほどだったし、扇情的な記事でメディアは埋め尽くされた。大西洋の向こうでは、この大波が英国の首相ウィンストン・チャーチルの興味を引きつけていた。彼は顧問に渡したメモでこんなことを訊ねていた。「いったいこの空飛ぶ円盤というのは何なのだ? 何を意味しているのか? 真実は何なのか?」
こうした動きはCIAをいらつかせた。何か手を打たねばならない。CIAがUFO問題に首をつっこまねばならない時がやってきたのである。CIAのUFO調査に引き入れられたのは応急情報室(Office of Current Intelligence)、科学情報局、そして武器装備部門だった。1952年8月、CIAの代表者たちは、そのカウンターパートに当たるライトパターソンの空軍技術情報センターの面々と何度も極秘の会談を行った。最も重要だったのは、日増しに疑念を膨らませている大衆からCIAがUFO問題に関わっているのを隠すことだった。「サイレント・グループ」が「陰謀」や「隠蔽」をくわだてているといった話は既に広まりつつあった。その立役者はドナルド・キーホー。彼が1949年に「トゥルー」誌に書いた記事は『空飛ぶ円盤は実在する Flying Saucers are Real』という本になってバカ売れしていたのである。CIAがUFOに関わっていることが知れたら、こうした疑念が裏付けを得てさらに広まってしまうことは明らかだった。
CIAが調査にあたって作ったブリーフィングペーパーは、この組織が――さらにいえば国を司っている人々が――UFO問題や他の世界をどう見ていたのかを明らかにしている。同時にそれは、半世紀以上前にこの件で提起された問題は、今もほとんど変わらず残っていることをも示している。そのペーパーはまずUFOについて主要な作業仮説4つを検討している。「その物体は米国の機密の航空機である」「それらはロシアの航空機である」「UFOは地球外起源のものである」。そして最後に「それは既知の航空機や自然現象の誤認である」。ペーパーに記されているところでは、CIAの職員たちは最初の仮説、つまりは秘密の航空機説を追ってとても高いレベルにある人々にまで当たったのだが、目撃報告を現在進行中のプロジェクトのせいにすることはできないというところに結論は落ち着いた(彼らがこの時点で気づいて然るべきだったこともある。CIAはそれから3年のうちに、当時最高機密だった偵察機U-2を飛ばすことになり、それはUFOの目撃報告の相当数を占めることになる)。彼らはこんな指摘もしている。仮に空軍がウソをついているとしたらどうか。しかし得られている証拠はこの仮定にそぐわない。米空軍がきわめて貴重な新しいオモチャをもっているのなら、なぜそれに対して自軍のジェット機でスクランブルをかけるようなリスクを負うのか。そして、そんな航空機を首都上空で公然と飛ばすという信じられないリスクを冒したのは何故なのか。
ソビエト機による領空侵犯説にも同様な疑問が生じた。CIAは、アメリカ同様、ロシアの技術者たちも楕円形や三角翼の飛行機の設計が可能かどうか研究していたことを知っていたが、そのような飛行機を飛ばす技術的な進歩がみられた兆候はなかった。むろん、ロシアがそうした飛行機を敵国の首都上空で飛ばすと考えた時点でこれは気違い沙汰なのであるが。さらに言えば、偵察プロジェクトとしての領空侵犯が行われたというような形跡もまた全く認められなかった。
「全く支持されなかった」もう一つの説として、ロシアはバルーンを米国上空に飛ばし、報道を通じてその航路を記録しているのではないかというものもあった。実のところ、同様に「およそありえない」と考えられていたけれども、実際には現実のものとなってしまった前例はあった。領空侵犯した日本の風船爆弾「フグ」は、1945年に米国の市民を死亡させていたのである。「火星から来た男」説についてCIAは、「知的生命体はどこかに存在しているかもしれない」が、そうしたものが地球を訪れているという説を支持する天文学上の証拠はないとし、さらにその目撃パターンも軍事的観点からみると全く意味をなさないとした。この結論は、その4年前にランド・コーポレーションのジェームズ・リップが到達したのと同様なものであった。
かくて第4のオプション、すなわち「UFOは一連の誤認によるものだ」とする選択肢が、最もありそうな答えとして残った。これはまた、プロジェクト・グラッジの閉鎖以来、空軍の公式見解となっていたものでもあった。このような点を踏まえて、ブリーフィング・ペーパーは、報告をしてくる人々というのは多くの場合、思い込みに捕らわれすぎたのだとした。誤認された物体はほぼ常に空を背景として目撃されたが、その大きさ、速度、距離、動きなどを見積もるために参照できるものがなかった。一連の心理学的要因もまた多くの目撃を意味づけるために持ち出された。つまり、メディアの報道(CIAはこれをオーウェル流の言い回しで「心理的条件付け」と呼んだ)、事実を脚色したり捏造することで注目を浴びたいという潜在的な欲求、見慣れないものに出くわした時に生じる情緒的反応といったものである。
1952年9月24日、CIAの科学情報局担当次官補であるH・マーシャル・チャドウェルは、ATICの会議内容をまとめた報告書をウォルター・スミス局長に送付し、会合から導き出された結論を概説した。その内容は、ここでほぼ全文を引用するに値するものだ。
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空飛ぶ円盤をめぐる状況は危機的な二つの要素をはらんでおり、それらは緊張状態にあっては国家安全保障にかかわる意味を有するものとなる。すなわち――
- a)心理的要素:空飛ぶ円盤が世界中で目撃がされている中にあって、調査が行われた時点に於いてソビエトではこれについての如何なる報道、コメントも見られず、風刺めいた話題すらなかった……国家にコントロールされた報道にあっては、その内容はもっぱら公的な政治決定に従うものとなる可能性がある。従って、この種の目撃について以下のような疑問が生じる。
- 1)目撃はコントロールできるか
2)目撃は予測可能か
3)目撃を心理戦の観点から攻撃ないし防御のために利用することは可能か
- この現象に関する大衆の関心は米国のメディアに影響を与え、空軍への問い合わせの殺到といった事態を巻き起こしているが、これが示しているのは、国民の相当な部分は信じがたいものを受け入れようという心理的条件づけを受け入れているということである。この事実が明らかにしているのは、ここには集団ヒステリーやパニックを引き起こす潜在的な可能性があるということだ。
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b)空の脆弱性:合衆国の空中警戒システムが、今後レーダーと目視観測の組み合わせに依存していくであろうことは間違いない。ソビエトは現時点で合衆国を空爆する能力を有している……攻撃があった場合のことを考えると、我々が現時点で幻影と実体あるものを即座に区別できないのは明らかである。そして緊張が高まっていくにつれて、我々が誤警報に見舞われるリスクは増えていくだろうし、実際の攻撃を誤って幻影とみなしてしまう危険性はさらに大きくなっていく。
チャドウェルは、ソビエトが空飛ぶ円盤について何を知っているかを調査するよう指示しつつ、次のように結論づけた。すなわち「研究は以下の事項を念頭に置いて進められるべきである。アメリカの心理戦のプランナーたちはこうした現象をどうやって利用すればいいのか。こうしたものを活用しようとするソビエトに備えて、どのような防衛策を計画すればいいのか」。かくて彼が最終的に提唱したのは、「パニックのリスクを最小化するために」その現象を大衆が如何に受けとめるかを自分たちが管理すべきだということであった。
ウォルター・スミスはこの時点で腹を決めた。CIAは1953年1月、核物理学者、レーダーとロケットの専門家、他の空軍関係者、および天文学者から成る秘密のパネルを招集した。ペンタゴンの兵器システム評価グループの責任者であるハワード・パーシー・ロバートソン博士が率いるこのグループは、非常に長い昼食休憩を取りながら、UFO報告を聴取し、未確認物体のフィルムを観察し、この現象を解明し得る説明を求めて四日間を過ごした。彼らの結論は、1966年まで一般に完全には明らかにされなかったが、チャドウェルの先の報告が懸念していた点に的確に応じたものとなっていた。
ロバートソン・パネル報告書は軍に対し、その要員を訓練して、通常見かけることのない光る人工物や自然現象(流星、火球、蜃気楼、雲など)といったものを肉眼でもレーダー上でも識別できるようすべきだと提言した。報告書にはこう記された。「このような訓練により、誤認やそれに伴う混乱に起因する報告は著しく減少するはずだ」。一般の人々に関しては、彼らの関心を弱め、ソビエトの「巧妙な敵対的プロパガンダの影響力」を減らすために、"debunking"(誤りの暴露)プログラムが設定されるべきだとされた。「手品のトリックの場合のように、『タネ』が知られている場合の刺激ははるかに少ない」と報告書は述べている。こうした教育の実施方法についても興味深い提案があった。彼らはディズニーのアニメーションや第二次世界大戦中に訓練フィルムを制作したジャム・ハンディ・カンパニー、および海軍の特殊デバイスセンター(現在の海軍研究所)を利用して、航空機の識別訓練を行うことを提唱していた。
地区住民の心理的モニタリングもまた考慮すべき重要なポイントとされた。パネルのメンバーは、1949年2月12日にエクアドルのキトで発生した突拍子もないUFO神経症騒動のことを知っていたのに違いない。この時、ラジオ番組「宇宙戦争War of the Worlds」がきっかけとなって生じたパニックは暴動を引き起こし、戦車が街に出動してからようやく鎮圧されたのだが、最終的には20人の死者が出た。報告には「強く求めたいこと」として、その種のプログラムには心理学者や「おそらくは広告の専門家となろうがマスコミュニケーションの技能に長けた人物」のアドバイスを仰ぐべきだともあった――ちなみにこのくだりではハドリー・キャントリルの名前がでてくるが、彼はオーソン・ウェルズの1938年版「宇宙戦争」のラジオ劇に関して米国で起きたパニックについて書いている人物である。
ロバートソン報告書は、民間のUFOグループを監視することも推奨していた。「なぜなら、広範な地域にわたる目撃があった場合、そうした団体は大衆の思考に大きな影響を与える可能性があるからだ。彼らの無責任さ、そしてそのようなグループが破壊活動に利用される可能性というものは、常に念頭に置かれるべきである」。かくてそれからの20年間、そうした団体の一つで、アリゾナ州ツーソンにあった空中現象調査機構(APRO)という名のグループは諜報機関によって厳しく監視されることとなった。
結論として報告書は、UFO自体は「国家安全保障に対する直接的・物理的脅威」とはなっていないようだとしたが、それらの報告が寄せられると「関係のない報告が通信チャンネルを塞ぎ」、多数の誤報を作り出して真の敵対行動が無視される危険性が生じ、いわば「オオカミ少年状況」を生む可能性があると指摘していた。さらに報告書は、このテーマに対する一般の関心が高まると、「巧妙な敵対的プロパガンダにつけこまれ、人々がヒステリックな行動を取ったり合法的な権威に対して不信を抱くというような病的な国家観念」が植えつけられる可能性があるとしていた。
空飛ぶ円盤は、反乱者、さらにもっと悪いことには共産主義者さえ作り出すかもしれない。従って国家安全保障にあたる機関は、「未確認飛行物体に与えられた特別な地位と、それが不幸にも獲得してしまった神秘のオーラを直ちに剥ぎ取る措置を講じるべきだ」とされた。カーティス・ピーブルズが指摘するように、「ロバートソン報告書は空飛ぶ円盤についてのものではなく、真珠湾に関するものであった……米国は、ソビエトによる奇襲核攻撃の幽霊に悩まされていたのだ」
CIAと米空軍がどの程度までこの勧告を実行に移したかは、あまりハッキリしない。だが、ハッキリした物言いをする科学者のレオン・デビッドソンは――彼は熱心なUFOファン以外からはすっかり忘れられた存在なのだが――自分はその答えを知っていると考えていた。(06←07→08)
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