■CIA + ECM = UFOs
戦間期に生まれたレオン・デビッドソンは少年時代、科学分野でちょっとした天才の名をほしいままにしていた。彼は13歳の頃には早くも「僕は化学技術者なのだ」と宣言し、数年後にはコロンビア大学工学部の博士課程に進んでマンハッタン計画に携わることになった。彼は最終的にロスアラモス研究所の監督技師となり、核産業のためのコンピュータシステムに長年取り組んだ。その後の彼は、プッシュホンの技術にも早い時期から関心を示していた。
アイゼンハワーならば「軍産複合体」と呼ぶであろう世界で働く多くの科学者と同様、デビッドソンもUFO問題に魅了されるようになった。1949年にロスアラモスで働き始めて間もなく、彼は研究所内の空飛ぶ円盤グループ「天体物理協会」に参加したが、そのグループはニューメキシコ周辺で起きていた奇妙な緑色の火の玉の目撃ウエーブを調査していた。デビッドソンは、こうした火の玉は大気上層で秘密裏に行われているロケット研究に伴うものだと確信していた。この件について当局が説明することはなかったが、彼はほとんどのUFO事件の背後には軍事的な秘密実験があると徐々に信じるようになっていった。首都上空へのUFOによる領空侵犯を報じたワシントンポスト紙の一面記事で、デビッドソンは「空飛ぶ円盤に特別な関心を持つ科学者」として紹介されている。
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空飛ぶ円盤に関してきわめて詳細かつ科学的な研究をしているデビッドソン氏は、こう語った。「UFOというのは、おそらくは『円形の飛行翼』をもつアメリカの『航空製品』であって、それは急加速と比較的低速度での飛行を両立させる新型ジェットエンジンを用いている」。彼の考えによれば、UFOは「新型の戦闘機」か、さもなくば誘導ミサイルないしは有人誘導ミサイルであるという。彼は、革新的な「コウモリ型の翼」をもつ海軍の新型機F-4Dなど最近のジェット戦闘機に触れ、UFOのみかけはこうしたものに似ているのかもしれない、とした。
こうして最初は疑念から始まったものが、1959年までには確信に変わっていった。この時の彼は、ワシントンに出没したUFOは巧妙に仕組まれた高度な電子対抗手段(ECM)技術のテストに起因するものだったことを示唆している。彼はUFO研究家向けのニュースレター「Saucer News」(1959年2-3月号)に「ECM + CIA = UFO」というイカしたタイトルのエッセイを発表し、1950年までにアメリカ空軍が利用できるようになっていた基本的なECM技術について説明している。
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我々の爆撃機に搭載された「ブラックボックス」は、敵のレーダー信号を受信し、それを増幅し修正して送り返す。要するに爆撃機からの通常のレーダー反射をかき消すようにして戻すのである。その際には時間をずらしたり位相が変えられることもあるし、レーダースクリーン上の「ブリップ」が示す距離、速度、方向が誤ったものになってしまうこともある。
最も原始的なECMは「ウィンドウ」またはチャフなどと呼ばれていたが、実際には全く電子的なものではなかった。それは1943年7月、ハンブルクに対する破壊的な空襲のさなか、イギリス軍によって初めて用いられたが、実際には乗組員がアルミニウム片を束ねたものを飛行機から投げ落とすというものだった。ドイツが用いていたヴュルツブルク・レーダーの波長は53~54センチだったが、その半分の長さにカットされた金属片の雲は、偽のエコーを発生させることで敵のレーダーを使いものにならなくした。戦争が進むにつれて、軍用機には特定の波長・周波数のレーダー波やラジオをジャミングする、より複雑な電子システムが装備されるようになった。
これらはすべて混乱を引き起こすためのものであったが、デビッドソンが語っていたのはもう少し洗練されたもの――そう、「欺瞞」であった。彼は、こうした新たな手法が用いられた最初の事例は、南太平洋の南西諸島で戦時中に起きた出来事であったとしている。それは1945年4月。第二次大戦の最終局面で、沖縄侵攻の準備をしていた連合国軍が神経をすり減らしていた時期であった。この地域のすべての船舶は日本の特攻隊の標的にされることを恐れていたから、レーダー画面にブリップが現れると、それがどんなものであれ全乗員はデッキに飛び出して応戦する態勢に入った。しかし、時として、レーダーブリップは現れたけれども、それに該当すべき航空機が見当たらないという事態が起きた。この幽霊のようなレーダー反射、いわゆる「駆けていくゴースト」は、南西諸島に集結した艦船のレーダースクリーンに繰り返し現れた。これらのゴーストの少なくとも一部は、鳥の群れによって引き起こされたものだった。ペリカンが――ちなみにペリカンは後にケネス・アーノルドの円盤目撃事件の下手人ともされた――単独の航空機と誤認されることもあった。海軍の科学者は、多くの強力な海軍レーダーが近接して運用されていることがゴーストを引き起こした可能性があると推察し、そこから「意図的にレーダーファントムを作り出せればそれは敵を欺くための非常に有用なツールになる」ということに気づいた。
1957年3月の「アヴィエーション・リサーチ・アンド・ディヴェラップメント」誌の記事は、このゴースト技術が如何にして改良され、民生部門に導入されてきたかを論じている。
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標準的なレーダー表示装置上に最大6つのターゲットを生成できる新たなレーダー移動ターゲットシミュレーターシステムが開発された……その目的はレーダーオペレーターの訓練や、飛行中の空中早期警戒担当者のテストのためで……ターゲットの位置、経路、速度は……リアルな飛行経路をシミュレートできる……最大10,000ノット(約11,500マイル/時)の速度を示すものが容易に生成される……ターゲットは左または右に回転させることができる……各ターゲットについて……それぞれスコープ上にリアルな姿を現出させる調整機能がある。
デビッドソンは、このように描写されたものが1952年7月にワシントンでレーダー上に現れたものと非常に似通っていることに気づいた。そして彼は、誰がそれを操作していたのかを「知っていた」。
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1951年以来、CIAは自らの目的のために空飛ぶ円盤の目撃を引き起こしたり後押ししたりしてきた。巧妙な心理的操作によって、一連の「ありきたり」な出来事が、地球外からUFOが来ていることの非常に説得力ある証拠として提供されてきた……(そうした企みの中には)当事者となったレーダー担当者が知らされぬまま内密にEMCが軍事利用されたケースもある。
デビッドソンは正しかったのだろうか? それがCIAであったかどうかはわからないが、誰かがこうした技術を使ってパイロットやレーダーオペレーターをテストしていた可能性はあるように思われる。1957年に英国で発生した事件は、レーダーを用いた欺瞞の典型的なケースと思われる(その出来事によって一人のアメリカ人パイロットは恐怖に突き落とされた)。彼、すなわち25歳のミルトン・トーレス中尉は当時、ヨーロッパのアメリカ戦略航空軍団の前哨基地でもあったケント州のマンストン基地に駐留していた。5月20日、彼は約15マイルほど先にレーダーで捉えられたB-52爆撃機ほどのサイズの大型機を追跡するため(ちなみに同機の長さは約160フィート・幅は180フィートである)、F-86Dセイバージェットでスクランブル発進するよう命じられた。トーレスは、攻撃準備をして射撃する命令を受けたが、戦時中でもなければケント州の片田舎でパイロットがそんな命令を受けるなどというのはおよそ考えられないことであった。そこへ――これは彼が恐れていたことであったが――「その飛行機は敵であっておそらくロシアのものだ」という連絡が入った。
トーレスと、もう一機のセイバー機に乗った僚友は3万2000フィートまで常勝し、マッハ0.92(時速約700マイル)で巨大な物体に向かって突進した。トーレスによれば、その物体は空母ほどのサイズでありながら、彼のレーダースクリーン上では昆虫のように動き回っていた。彼は侵入者に向けて24発のロケット全弾を発射する準備をしていたが、彼ももう一人のパイロットもターゲットを目視することはできなかった。それは目に見えない飛行機だったのだろうか? 突然レーダー信号が消え、セイバーは基地に呼び戻された。
翌日、トーレスはトレンチコートを着たアメリカ人の訪問を受けた。彼はアメリカ国家安全保障局(NSA)から来たと言った。謎の男は、もし再び飛行機に乗りたいのなら口を閉ざしておくようにと警告した。そしてトーレスは30年間沈黙を守った。トーレスの話は、デビッドソンが記述したレーダー欺瞞の典型的な事例のように思われる(UFOの歴史の中には同様の話が数多くある)。謎のアメリカ人が本当にNSAから来たのかどうかはわからないが、NSAもCIAもこの技術に関心を持つに足る十分な理由はあった。そして両者とも、第三者に接触する際に他の機関のメンバーだと身分を偽ることを常套手段にしていた。
CIAとNSAは共同作業に取り組んでもいた。1960年代初頭までに、彼らは「パラディウム」と呼ばれるプロジェクトを開始していた。それは、ソビエトの航空機、船舶、潜水艦、地上レーダー、ミサイル基地をターゲットとして、電気(ELINT)・通信(COMINT)・信号(SIGINT)のかたちで情報をアメリカに取り込もうというものだった。冷戦の初期には、こうした情報は「カラス」と呼ばれるパイロットによる危険な「フェレット」ミッションを通じて収集された。「カラス」たちはソ連の領空の外縁を探り、防空システムを起動させることでできるだけ多くのデータを地上レーダーや通信システムから収集しようとした。
パラディウムは、より安全にデータを収集できる画期的な技術を生み出した。この技術によってCIAは幽霊飛行機をソビエトのレーダーに浮かび上がらせることが可能になり、NSAはその間、こうした幻影がどのように探知され、追跡され、報告されるかを監視した。こうした幽霊飛行機はどんな形やサイズのものでも作り出すことができたし、どんな速度や高度でも飛行させることができた。
電気シグナルの専門家で元CIAのユージーン・ポティートは、キューバ危機の際に敢行された手の込んだ作戦について語っているが、そこではパラディウムのシステムと、潜水艦からパラシュートをつけた金属球を発射し、キューバのレーダーを混乱させる作戦が平行して用いられた。ポティートのCIAチームは、レーダー上の幻影をキューバの空域に「飛行」させ、その「侵入者」に向けて戦闘機を緊急発進させるよう仕向けた。CIAはパラディウムシステムを用いて幽霊航空機をキューバの戦闘機の前方に出現させ、ちょうど良いタイミングが来るのを待ち受けた。キューバのパイロットがゴースト機を撃墜しようとしているのを探知した瞬間、NSAのチームは「全員が同じ考えを抱いた。エンジニアはスイッチに指を伸ばした。私が『よろしい』とうなづくのを見て、彼はパラディウムシステムをオフにした」
エドワード・ランズデールのアスワン(先述した「フィリピンの神話に登場する吸血鬼」のことだ)は、今や航空機となった。軍が関わり、UFOがレーダーで捕捉された初期の事件の中には意図的に偽装されたものがある。その目的は、レーダーオペレーターやパイロットがこうした異常にどのように反応するかをテストし、心理戦のシナリオにおいてこうした技術がどれだけ使えるかを試すことだった――そんな風に考えるのは理にかなっているように思われる。しかし、レオン・デビッドソンはさらに一歩進んで考えた。彼は、パラディウムというのは政府が究極の目的を達成するための一つの道具に過ぎないと考えた。すなわち、未確認飛行物体を地球外から来た宇宙船へと変貌させ、エイリアンの侵略をでっちあげるという目的のために――ちょうどバーナード・ニューマンが『空飛ぶ円盤』で描いたストーリーのように。
■神話をつくる
1952年7月のワシントン上空での空飛ぶ円盤事件は、UFOの歴史における決定的な転換点になった。この事件は、CIAがかつて心理戦略委員会(PSB)に警告したような混乱を引き起こし、同時にCIAがUFO問題に介入する格好の理由を与えた。一方、この事件は世界中で報道されたが、それはちょうどこの問題への関心が英国でピークを迎えた時期でもあった。
しかし、その時点でアメリカは「エイリアンの侵略ありうべし」という雰囲気になっていたのだろうか? 1952年4月、アメリカで最も人気のある雑誌『ライフ』は、「我々は宇宙からの訪問者を迎えているのか?」という記事を掲載した。ちなみにこの号の表紙には、どんなアメリカ人男性もあらがうことができなかったであろう、若くて魅力的なマリリン・モンローがフィーチャーされていた。さて、この記事は、次のように始まっている。「空軍は今、あまたの円盤や火の玉の目撃について説明がつかないことを認めざるを得ない状況にある。そこでライフ誌は、惑星を超えてやってきている円盤が実在するという科学的な証拠を提示してみせよう」。記事はそのクライマックスで、太字を使って以下のような主張を展開している――円盤は自然現象ではなく、アメリカやロシアの秘密航空機でもなく、風船でも心理的なものでもない。従ってそれは宇宙から来たものであるに違いない、と。
著者であるH.B.ダラク・ジュニアとロバート・ジンナは、この記事に関して、空飛ぶ円盤の話題を抑え込んでいたはずのアメリカ空軍と1年間にわたって協議を重ねていた。それだけに、この断固としたET仮説支持のトーンは驚きであった。デビッドソンは疑問に思った。空軍が望んでいないのに、アメリカで最も評価の高い雑誌がそのような記事を掲載することなどできるのだろうか? ルッペルトによれば、ジンナは空軍の高位の人々と話をしており、その意見は記事に反映されていた。しかし、それは空軍の戦略だったのか? それともタイムライフのオーナーで、CIAやPSBと親密な関係にあるヘンリー・ルースの指示によるものだったのか? ジンナとダラクは誰のゲームプランに従っていたのだろう?
『ライフ』の記事が空飛ぶ円盤の研究に「真っ当なもの」というイメージを与える一方、ET仮説を後押しし、さらにこの現象について洪水の如き報道がなされることに寄与したことは疑いない。ルッペルトによれば、1952年の最初の6か月間で、148のアメリカの新聞が6000以上のUFOに関する記事を掲載していた。
これは誰かが故意に円盤ヒステリーを煽り、7月に起きる壮大なるワシントン上空の領空侵犯に向けて前奏曲を奏でたのだろうか? デビッドソンは、ワシントンでの目撃ウエーブは大がかりなレーダー偽装事例の一つでありデモンストレーションであったと確信していた。この考えを第三者的に眺めてみるならば、なおパラノイア的ではあるけれども、それほど狂っているとも言えないだろう。1952年までにCIAがUFO現象に強い関心を持つようになっていたことは間違いないし、彼らがそうするのは完全に理にかなっている。1945年にまでさかのぼるレーダー偽装の技術を踏まえれば、1957年の時点で、レーダー上に幽霊飛行機を作り出して制御する技術というのは、相応の対価を払ったものには誰でも利用可能だった。ワシントン事件の直後にサムフォード将軍がニューヨーク・タイムズに述べた声明は、故意にレーダーが操作された可能性を示唆するものとも解釈できる。「我々はレーダーについてますます多くのことを学んでいる最中だ……レーダーは、最初に設計された目的とは異なるトリックを行うこともできるのだ」。デビッドソンは、首都防衛の任務を負った空軍の迎撃機は通常ワシントンDCから4マイル離れたアンドリュース空軍基地に配備されているが、この領空侵犯があった月には、90マイル離れたデラウェア州ニューキャッスルに移されていたと指摘している。これはアンドリュース基地の滑走路が修理されていたためとされるが、ともあれこれによって迎撃機の現場への到着はかなり遅れてしまった。
しかし、ワシントンの目撃が偶然ではなかったことを示す最も明確なヒントは、プロジェクト・ブルーブックのエドワード・ルッペルトに与えられていた。それはワシントンDC上空での出来事が始まる数日前のことだった。航空会社の乗務員が奇妙な光を目撃する出来事が相次いでいたことから、ルッペルトは「名前を明かせない機関」のある科学者(デビッドソンはこれがCIAだと推測していた)とUFOについて2時間議論をした。その終わりに、科学者は一つの「予言」をした。「数日のうちに……連中は大爆発を起こす。それで人々はUFO目撃の決定版みたいなものを目にするだろうね……場所はワシントンかニューヨークだが、たぶんワシントンだ」
数日後、それは実際に起こった――その科学者が言った通りに。ルッペルトが彼の著書で言っているように、空軍情報部はワシントン事件についてツンボ桟敷にあった。そして、前述のように彼自身は事件の2日後に新聞で初めて事件を知った。その後、ルッペルトが事件を直接調査するためワシントンに行こうとしたが、スタッフカーを借りることはできなかった。「出発しようとするたびに、何かもっと緊急なことが起こった」と彼は書いている。 かくて空軍のUFO調査主任は、空飛ぶ円盤の歴史の中で最も劇的な事件に現場で立ち会うことができなかった。ルッペルトが後に回顧したところでは、ワシントンの領空侵犯についての報告をまとめるのには1年がかかったが、タイムリーにワシントンに到着していればそれは1日で済んだ。まるで誰かが彼の仕事を妨害しようとしているかのようであった。「空軍が何をしているのか、私は全く分からない」。彼は後にライフ誌のジャーナリスト、ロバート・ジンナに語った。
■ストークが知っていたこと
もしワシントンの騒動が仕組まれたものであったなら、その責任を負うのは誰で、その目的は何だったのか? 議論を呼ぶであろう仮説は、1953年1月9日、ハワード・クリントン・クロス博士からマイルズ・ゴル大佐を経由してエドワード・ルッペルトに送られたメモの行間に見いだせるかもしれない。 クロスはバテル記念研究所で働く冶金学者で、この研究所は材料科学に特化した民間の研究機関であったが、その当時はプロジェクト・ストークというコードネームでアメリカ空軍のUFOデータを処理する仕事を請け負っていた。一方のマイルズ・ゴルは、米空軍の技術移転部門の分析主任であった。冶金学者のクロス。ハードウェアの専門家であるゴル。UFOの専門家であるルッペルト。この三者が関わっていたということは、空軍がUFOについてどう考えていたかはともかく、軍はその技術的側面に関心を寄せていたことを明確に示している。
そのメモは「機密」指定されたものだったが、ここにはCIAのロバートソンパネルが1週間以内に開かれる予定であり、プロジェクト・ストークとアメリカ空軍の航空技術情報センター(ATIC)は「その会合で議論できること、議論されるべきでないこと」を事前に話し合うべきだと指摘している。この記述は、空軍がCIAに対してUFOに関する情報を隠す用意をしていたことを示唆している。しかし、どの情報を隠そうとしたのか? 隠そうとしたのは、プロジェクト・ストークがいまだUFO問題に対して満足のいく答えを持っていないということだったのかもしれない。アメリカ空軍内部で作られた他の報告書が見いだしたことをなぞるようにして、クロスはこう記している。「我々が今日まで未確認飛行物体の研究を重ねてきた経験から言えることは、信頼するに足るような使えるデータは明らかに不足しているということである」(訳注:ここでクロスのメモと言われているのが即ちジャック・ヴァレのいう「ペンタクル・メモ」である)
クロスはCIAに対し、空軍は事態を把握していないと伝えるのを恥じたのだろうか? おそらくそうなのだろう。しかし、彼の次なる提案は、全く別の陰謀的なトーンを見せている。ここでクロスは、プロジェクト・ストークの一環として「信頼すべき物理データを得るために、コントロールされた実験を実施すること」を推奨している。その計画というのは、UFOの目撃が多い地域に観測拠点を設置し、そこから天候のパターン、レーダー反射、UFOと誤認される可能性のある特異な視覚現象(風船、航空機、ロケット実験など)を詳細に記録しようというものだった。クロスは書いている。「そのエリアでは、様々な種類の空中を舞台にした活動が極秘のうちに、かつ意図をもって計画されるべきである……そうすれば、軍人など公職に就く者からの報告のみならず、これを目撃をした普通の市民からの報告も山のように寄せられることだろう」。要するにクロスは、UFO事件をでっち上げ、その結果どういうことが起きるかを見てみようと提案しているのだ。彼は、その「空中での活動」は他の軍関係者に事の次第を知らせずに行う手もある、とまで言っている。「このようにして仕込まれたデッチ上げはまず間違いなく偽りであることが暴露されるだろうが、それが確実に知れ渡るのは軍内部に限られ、公に表に出るようなことはないだろう」
かくてクロスは、そうした実験は米空軍が空飛ぶ円盤という「問題」についてハッキリした結論を得る上で役に立つだろうし、さらなるパニックが起きた際、UFOの報告――とりわけ一般大衆から寄せられた報告をどれだけ真剣に受けとめるかを決める上でも助けになるだろう、と結論づける。そして最後の下りは、空軍はUFO問題を取り扱う際に何を優先させようとしているのかを明らかにしている。「空軍は将来のしかるべき時点で、大衆を安心させるため、すべてはコントロール下にあるという意味の、ポジティブな声明を発することができるよう心せねばならない」
当時のUFO報告の中には、ストークが仕込んだものとおぼしき多くの事件が含まれている。そのような事件が、北ヨーロッパ沿岸での大規模なNATO合同演習「メインブレイス演習」の間に起きた。ルッペルトは回顧録で、1952年9月に演習が始まる前、ペンタゴンは「半ば真剣な調子で」海軍情報部にUFOに注意するよう指示したと述べている。実際、メインブレイス演習では、2件の刮目すべきUFO目撃が報告されており(うち1件では写真も撮影された)、それらはいずれも大きな銀色の風船のように見えた。しかし、調査の結果、どの部署からも「それは当方の責任です」との返答はなかった。これはストークが速達でも出したということなのだろうか?(訳注:ストークがニセUFOを飛ばす指令を発した、といった意味か?)
クロスのメモは、アメリカ空軍が空飛ぶ円盤の謎の核心を理解するのにまだ苦しんでいたことを示している。これとは別の内部メモも示していることであるが、ロズウェルだろうがアズテックだろうが他の場所であろうが、彼らがどこかに墜落した空飛ぶ円盤を保持していたことなどありえないのは明らかなのだ。では、なぜ空軍はUFOに関する情報をCIAと共有するのを制限しようとしたのだろうか? それは、空軍がいまだ確たる結論を得ていないのに、CIAが何らかの結論に至るということを望んでいなかったからかもしれない。それは空軍と海軍の間にもあるような、組織間のライバル意識を反映していたのかもしれない。さもなくばバテルと空軍は、UFO問題をCIAに押し付けてしまうためには、CIAに知らせることなく自分たちだけでUFO事件をデッチ上げるのが良いと考えたのかもしれない。確かに首都空域への領空侵犯事件をデッチ上げるなどというのは、今日では無責任に過ぎると思われるし、実際そうなのだが、ともかくこの事件は政府の中心部に強力なメッセージを送ることができた。それは同時に「UFOについては空軍が『すべてをコントロール下に』置いている」ということも示したのだった。
ワシントンでの事件は、最終的にCIAがUFOを真剣に受け止めるきっかけとなった。ロバートソン・パネルの側にはとりわけ懸念していたことがあった。前年7月のようなことがあって、ソビエトが偽りの標的を用いてアメリカのレーダーと通信のシステムをオーバーフローさせてしまうのではないか――しかも最悪のシナリオでは、それは核攻撃のプレリュードともなりうるのだ。しかしそうなると、パネルの参加者から「そのようなニセの標的を作る技術は既にあって、それがワシントンでの騒動を引き起こした可能性がある」といった指摘がなかったのは奇妙に思われる。これはクロスがCIAから隠したかったことの一つだったのだろうか? 仮にそうだとしたら、やがて起きる騒動についてルッペルトに警告した所属不明の科学者というのは、レオン・デビッドソンが疑ったようにCIAから来たわけではなく、バテル研究所の人間だったのではないか?
少なくともアメリカ空軍の一部は何が起きているのかを知っていたのではないか。ワシントンでの事件後の記者会見を主導した空軍情報部長のジョン・サムフォード将軍が、1956年に国家安全保障局(NSA)の2代目局長に就任したという事実はひょっとしたらそれを示唆しているのかもしれない。NSAは国際間の通信を監視していたし、先に述べたように、CIAと連携して日常的にパラディウム・システムを使用していたのである。
レオン・デビッドソンは、ロバートソン・パネルで何が議論されたのかハッキリ知らなかったし、クロスのメモについても知ることはなかった。しかし、1952年7月の出来事がレーダー欺騙技術によるものだと確信していたし、それが正しいか間違っているかは別として、UFO現象の背後に誰がいるのかについては自分なりの考えを持っていた。彼は、プロジェクトを指揮していた人物としてCIAのアレン・ウェルシュ・ダレスを挙げている。合衆国国務長官ジョン・フォスター・ダレスの弟でもあった彼は、1953年から1961年まで、まるで私領のようにCIAを支配していた。文民として初めて長官に就いたアレン・ダレスは戦時中の諜報活動に深く関わっており、V-2ロケットの開発者ヴェルナー・フォン・ブラウンを含むドイツの科学者を「プロジェクト・ペーパークリップ」の下でアメリカに秘密裏に移入するのも監督していた。
ダレスは、冷戦の初期のアメリカの舵取りに貢献した。ワシントンの領空侵犯事件の数日後、心理戦や秘密作戦を担当する「汚いトリック」部局としてCIAに作戦本部(Directorate of Operations)が置かれたが、これもダレス指揮下でのことだった。この作戦本部は、国際社会の現状維持に務めるアメリカの役割を保持・発展させていくため、重要にして悪名高い存在となっていった。また、デビッドソンの指摘するところでは、ダレスは哲学者カール・ユングの親友にして、崇拝者でもあった。ちなみにユングは1959年、先見の明を発揮して神の如き存在としての空飛ぶ円盤についての本を執筆している。この二人が1950年代初期に皆が関心を寄せていたテーマ、つまり空飛ぶ円盤について議論をしていたことは疑いない。デビッドソンは、UFOをめぐるストーリーが展開して新たな段階に入っていく時、その背後にはいつもCIAがいて、その黒幕はダレスであったと確信していた。彼はこう記している。「ダレスは『善良なエイリアンは過去数千年にわたって地球を訪れてきた』という神話を信奉していた」。そして「奇術師の手品、トリック、ショーマンシップ」を用いて、よくある誤認や軍用機の目撃をエイリアンの目撃、着陸、コンタクトに変えてしまったのだ、と。
では、なぜダレスとCIAは「宇宙からの訪問者」説を推進しようとしたのだろうか? UFOというのは、CIAが秘密裏に進めている心理的・政治的作戦、さらには高度な軍事テクノロジーを隠すのに丁度良いものだったのだ。UFOの神話を広めれば、ロシア人たちは空飛ぶ円盤の物語を調査し――もっといえばアメリカが自らの手で高度な円盤型航空機を飛ばしている可能性を調べるために時間やリソースを消費してくれる可能性があった。
三つ目の理由はユングの考えに由来するもので、それはバーナード・ニューマンの小説『空飛ぶ円盤』のプロットからもきている。
第二次世界大戦が現前させた黙示録的な恐怖は、多くの人々をして「神は人間を見捨て、我々を悪しき発明の下に投げ出した」と感じさせるに至った。我々は、新たな宗教としてのテクノロジーが倫理に取ってかわった新たな時代に突入し、もはや原子爆弾よりも高次のパワーというものはありえない。そう感じるようになってしまった。しかしそこでユングは、欠けるところがなく円形をした空飛ぶ円盤の形状に、神の如き完全性を示す現代的な象徴を見てとった。我々を超越する高次の権威が存在し、それが空飛ぶ円盤を飛ばしている――そのような信仰は 人類に定められた自滅を押し止めてくれるのではないか?
ダレスは、このような信仰を煽るために洗練されたトリックを使っていたのだろうか? しかし、その「高次の権威」というのはいったい誰――というか何だったのだろうか? 彼らは我々に何を伝えようとしていたのだろうか?
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