■第9章 リック

    リックのような人物とふらっと会って話をする。彼は「一般人として」心を打ち明け、全てをあらいざらい話す。そんなことがあり得ると考えている人間には口あんぐりだ。そんなことはありえない。
     ――ポール・ベネウィッツ(クリスタ・ティルトン宛の手紙より)

ラフリンUFOコンベンションは今や佳境に入っていた。空気で膨らませたマンガ風の巨大なエイリアン人形を前に、ジョンと私はロビーに座り、行き交う人々を眺めては「この中にリック・ドーティがいるのだろうか」と考えていた。仮にいたとしても、我々は彼を見分けられるだろうか? グレッグ・ビショップが警告してくれたところでは、彼が本を書くためにインタビューした際、ドーティの写真は撮ったのだけれど、これまでにリック・ドーティと確認された人物は少なくとも2人いたのだという。[訳注:ここの意味はよくわからない]  しかし、そんなことを言われても我々の捜索に役立つわけではない。大会は一週間続くが、この日は平日ということもあって、辺りには年配の退職者が多かった。通り過ぎる群衆をチェックしていると、こちらを見返してくる人もいた。彼らは潜入捜査官なのか、それともこちらのたたずまいが彼らの妄想をかきたてているのか?

ビル・ライアンは何度か私たちの前を通り過ぎていった。彼も監視されていると感じているようだった。「惑星セルポからの使者」としてコンベンションに参加しているビルは皆の注目を集めていたが、それが彼を少し悩ませ始めていた。「ここでは信じられないほどの政治的かけひきだとか妄想がうごめいている」。彼は通りすがりにそう話してくれた。「誰もが、信頼できるヤツ・できないヤツを私に教えようとする。誰もが今起きていることについて一家言もっているんだ」

グレッグ・ビショップは、このコンベンションでポール・ベネウィッツについて話す予定だったが、ビルに対して言っておきたいことがあった。というのも、リック・ドーティがUFO問題についてのビルの指南役を務めていたことが分かったからだ。「ビル、注意したほうがいい。リックが一枚噛んでいるなら、あまり深入りしないほうがいい。ベネウィッツに何が起こったかは知ってるだろ。セルポは政府のニセ情報か、さもなくば詐欺だ。いずれにせよ、ポールのように火だるまにならないよう心しなければいけないぜ」

しかし、ビルは毅然としていた。「たとえ真実が10%しかなくて残りがニセ情報だとしてもだよ、これは人類史上最大の物語なんだ。見過ごすわけにはいかないよ」。インタビューの依頼が山積みになっていたビルは、スポットライトを浴びる瞬間を楽しんでいるようだった。結局のところ、人が世界を変えるような僥倖に恵まれることはほとんどない――そういうことなのだろう。

私たちは催しを見ながら、その人を待った。プエルトリコ沖の海底にあるエイリアン基地についてのプレゼンテーションには大勢の聴衆が集まっていたが、グレッグの講演はそれほど多くの観客を集めなかった。ビル・ムーアの暴露から17年経っても、人々はまだ自分の身のまわりで起きていることに興味を示そうとはしなかった。

しかし、グレッグに注目していた一団もいた。それは以前から私の目を引いていた興味深いグループだった。彼らはどの発表の時も、出口に一番近いテーブルに座っていた。しかもそれをこの数日間、ずっと続けていた。そのうち2人は大柄でがっちりした30代と思しき男たちで、きちんとした身なりをしていた(1人はあごひげを蓄え、大きなカーボーイハットの下に整えられたポニーテールをたらしていた)。この2人に挟まれて座っていたのは、60代ほどで長年風雪に晒されてきたような風体の痩せた男だった。髪は灰色で眼光は鋭く、茶色の革製フライトジャケットを着た男は、仲間たちと同様に体調万全といった風であった――それは大会の多くの参加者たちとはおそろしいまでに対照的であった。彼らは軍から監視にきた人間か、さもなくば諜報機関のエージェントではないか。私はそう考え始めた。これまで学んできたことを考えると、ここにスパイがいないほうがむしろ驚きであった。その一方で、私たちは半ば公然の秘密であるエージェント、すなわちリック・ドーティを探していた。

彼は現れるのだろうか?グレッグもビルも彼は来ると思っていたが、私たちは半信半疑だった。UFOの歴史の中で最も悪名高く、信頼されず、さらには嫌われている人物の一人が、UFO研究者でいっぱいのホテルにフラリと現れるとは思えなかった。少なくとも変装しているだろう。そんな推測に基づいて、私たちはリック・ドーティの「候補者」たちに3段階評価をつけ始めた。ハワイアンシャツにショートパンツの男? うーん、2点。もしかしたらリックはヒゲを生やしているかも? 1点。彼は背が高いのか低いのか? もしかしたら写真ではカツラをかぶっていた? 0点。

3日目の午後も半ばを過ぎて、リック・ドーティが現れる気配はなく、我々は絶望し始めていた。この無謀なミッションを始めた時だって、実際に会えるどころか、彼と連絡を取ることすら難しいだろうと思っていたのだ。彼は結局謎のままであり続けるのかもしれない。

そのとき、私の目の前を灰色のフランネルのズボンが通り過ぎた。ポケットには会議のバッジがクリップで留められている。「リック・ドーティ」。私は椅子から飛び上がり、叫んだ。「リック!」

「やあ!君たちがイギリスから来た映画のクルーかい?」

リックは、私たちが見た写真通りの姿であった。50代半ば、短く整えられて灰色がかった茶髪、ワイヤーフレームの眼鏡、白とグレーのストライプの半袖シャツで、その胸ポケットにはペン。何の特徴もない彼は、諜報員というよりは普通の公務員のように見え、まったく目立たない。ワイルド・ビル・ドノバンというよりはむしろビル・ゲイツのような印象だ。完璧だった。

「変装して来ると思っていたのに。こんなUFO会議に出席するなんて危険じゃないんですか?」

「いや」と彼は甲高い笑い声をあげた。「ここにいるほとんどの人は私のことを知らない。UFO会議に来たのは久しぶりだよ」

リックは腰を下ろして話し始めた。彼は現在、国土安全保障省でコンピュータ関係の仕事をしており、さらに弁護士としての訓練も受けていると言った。彼は、UFOに強い関心を持つ「民間人」としてここに来ているのだと繰り返し説明した。それからの数日、「民間人」という言葉はリックの口から何度も繰り返されることになる――鼻にかかった、緩やかに上下する声で。「ホテルに到着して、部屋の鍵を受け取ろうと列に並んでいた時、数人後ろに国防情報局(DIA)の知り合いが並んでいるのを見かけたよ。彼は私を見て驚き、『ここで何しているんだ?』と聞いてきた。私は『ただの民間人だよ、他の人と同じようにUFO会議を楽しんでいるんだ』と答えたよ」

「国防情報局がこの会議に来ているんですか?」

「もちろん、UFO会議には必ず情報機関の人間がいる。ここにも数人いて、何が話題になっているのか、どんな目撃談があるのか、何を見たと考えているのかを探っている。今年は中国のUFO研究者の代表団も来ている。DIAの連中は彼らが何を目的にやってきたのか非常に興味を持っているだろう。でも私は、ただの民間人としてここに来たんだ」

突然リックが顔を上げた。ビル・ライアンが私たちのテーブルに現れたのだ。

「リック!会えて嬉しいよ。また後で話そう!やあみんな!」

「やあビル、何してるんだ?一緒にどうだい?」

「いや、招待されたビデオのプライベート上映会に行くところなんだ。生きているエイリアンへのインタビューさ。君たちも連れて行きたいけど、招待されたのは6人だけなんだ。また後で!」

ビルはロビーを歩き去った。その姿は水を得た魚のようで、彼はこのコミュニティの奥の院に既に居場所を見つけてしまったようだった。

「そのビデオは見たよ」とリックは軽蔑のこもった声で言った。「デタラメだよ」

彼はしばらくの間、私たち2人を真剣な目で見つめた。「君たちはビルと一緒じゃないよね?」

「一緒? いや、一緒にやってきたわけじゃありません、そういう意味だとしたら。ここでは彼を撮影するだけで、彼のことはあまり知らないんです」

リックはほっとした様子だった。彼はこれから行かなければいけない用事があると言ったが、夕食に一緒に行かないかと尋ねてきた。私たちは喜びを隠しながら同意した。

リックが姿を消した後、我々は思わずハイタッチをせずにはいられなかった。喜びいっぱいのニセ情報オタク2人組だ。なんてこった、UFO界の謎の男、リック・ドーティが夕食に誘ってくれたのだ。次は何があるのだろう? ひょっとしてリクルート?

その日の午後、グレッグ・ビショップにリックと会い、夕食に行くことになったと話した。

「おっと、それは楽しい時間になるだろうね」。彼はそういったが、少し困惑したようでもあった。「彼は面白い話をいくつかしてくれるだろう。間違いない。でも、よく注意して聞くことだね。彼の話は、聞くたびに少しずつ内容が違ってくるから」

■影の中での生活

「コロラド・ベル」は昔の外輪船をレストランに改装した店だ。あるいはレストランを外輪船に改装したと言うべきかもしれないが、どちらが良いのか言うのは難しい。ここで、リブとフライのクラシックなアメリカ料理を食べながら(ベジタリアンのジョンはサラダだったが)リックは諜報活動の話や武勇談で私たちを楽しませてくれた。彼は1960年代後半、エリア51で働いていたことがあると言った(エリア51はしばしばUFOとの関連が語られるネバダ砂漠の只中の極秘の空軍基地である)。1980年代には、モスクワの街角でスパイを追跡するためにロシアのおばあさんに変装したこともあったという。また、ブルガリアの国防大臣が従者と不正な行動をしているのを捉えるため絵画にカメラを仕掛けたこと、ロシア軍のソフトボールチームのアルミバットにマイクロフォンと送信機を隠した話などもしてくれた。さらに彼一流のハック技術も自慢してみせた――例えば、嘘発見器のテストから逃れる方法(「尻の筋肉を締めろ」)、曲がり角の向こう側を見ることができるレーザー(ただし「もう機密情報じゃないと思うけどね」だそうだ)、紫外線の痕跡を残すスパイ・ダストといったものの話で、それらは我々をおおいに驚かせた。

これらがリック自身の経験なのか、あるいは新しい接触相手に強い印象を残そうとする時のため、彼らのコミュニティで皆が共有できるよう代々伝承されてきたスパイの物語なのかは分からなかった。リックの軍歴にはモスクワやエリア51に関する記録はないが、もしこれらが機密任務だったなら、そうした記録はおそらく残されなかっただろう。実際のところ、リック・ドーティについて多くのことを知ろうとしてもそれは実に難しい。彼が語っていないことはまだまだたくさんあるのだ。

リチャード・チャールズ・ドーティはおそらく1950年にニューヨーク州バートンで生まれた。オンライン上の情報には、彼をニューメキシコ州ロズウェル生まれとするものがある。本当ならばステキだが、それはほぼ確実に間違いだろう。ただ、ドーティ家はニューメキシコ州と強い繋がりを持っており、UFOは実際ドーティ家の血筋の中に存在している。

1951年、リックの叔父で気象学を学んだ経歴のあるエドワード・ドーティ少佐は、米空軍のプロジェクト・トゥインクルの指揮を執ることになった。このプロジェクトは、1949年後半からニューメキシコ州のいくつかの重要な軍事施設の近くで目撃された奇妙な光を監視するものだった。これらの光は多くの場合緑色の火の玉で、音もなく長距離を飛行してから垂直に落下し、地面に落ちる前に燃え尽きた。それらはロスアラモス複合施設や、近くのカートランドおよびホロマン空軍基地の上空に繰り返し出現したが、これらの施設では当時、地球上で最も機密性の高い軍事研究が行われていた。火の玉の目撃者の多くは、軍人や情報機関の関係者、科学者たちであり、彼らの豊富な知識と経験を動員してもその正体を解明することはできなかった。多くの人は、こうした光は火炎弾やロケット、隕石のいずれでもないと考えていた。隕石専門家のリンカーン・ラパズ博士は、緑色の火球を含む2つのUFO目撃を報告していたが、これらの火の玉は人工的なもので、アメリカまたはロシアの機密技術であると確信していた。これは、やはり当時ロスアラモスにいたレオン・デビッドソンとも同様の考えだった。しかし、1950年にニューメキシコへの観測ステーション設置の試みが半ばで挫折したころには緑色の火の玉は徐々に姿を消していき、1951年、ドーティ少佐がその残務管理をしている間に、プロジェクト・トゥインクルはついに閉鎖された。

エドおじさんのUFO史における役割はさておき、リックは子供の頃、空飛ぶ円盤にほとんど興味がなかった。ただ、彼の兄はそれに夢中だった(年下のリックにとってそれは笑いの種であった)。1968年9月、リックはアメリカ空軍に入隊し、テキサス州のラックランド空軍基地で基礎訓練を受け、その後同じ州のシェパード空軍基地に配属された。ここまでは確実な情報であるが、ここから先、彼をめぐる話は急激に曖昧になっていく。

ドーティの軍歴によれば、彼はシェパード基地に警備隊員として勤務した後、ベトナムのファンラン空軍基地に派遣されたのだが、その間には何か驚くべきことが起こった……という話がある。グレッグ・ビショップは著書『プロジェクト・ベータ』の中でこの出来事を描写しており、ドーティ自身も自費出版の書籍『情報解除免除 Exempt from Disclosure: The Black World of UFOs』の中で再びこの話を取り上げている。その共著者は元空軍の物理学者だったロバート・コリンズであったが、彼もまたリック同様、ビル・ムーアの言う「鳥の群れ」、すなわちUFOに興味を持つ軍内部のインサイダーの一人であった。

この書籍の中でリックは、1969年7月、ネバダ州のインディアン・スプリングス空軍基地近くの極秘施設で、彼が任務に就いていた時のことを語っている。彼は3,500フィート×4,000フィート、高さ100フィートという巨大な格納庫の外で警備をしていたのだが、その中には「実験機」が格納されていると言われていた。ある日、その格納庫の扉が開き、牽引車によって大きな空飛ぶ円盤が引き出された。それは滑走路に1時間ほど置かれ、白衣を着た男性たちがああでもないこうでもないと何やらやっていたが、それが飛び立つことはなかった。リックがそこにいた45日間、現場では何度か同じようなルーチンが繰り返された。ある午後、民間人の「ミスター・ブレイク」と呼ばれる人物がリックに、空飛ぶ円盤について何か知っているか尋ね、さらに「今日見た物体が別の惑星から来た本物の円盤だと言ったらどうする?」と問いかけた。困惑する若い警備兵にブレイク氏は、いつの日にか、君が目にした乗り物の真実を知る日がくるだろうと言った。

この話はリックの「起源神話」とでも呼べると思うのだけれど、『プロジェクト・ベータ』の中では少し異なる形で語られている。こちらのバージョンでは、事件は明らかにエリア51で起こったことになっている。巨大で黒い円盤状の物体が滑走路に引き出され、それは静かに起動すると、青い電気のコロナに包まれて地上から200フィートほど浮かび上がる。ドーティはそのようなテストを何回か目撃したが、ある時、技術者が「これは大気圏外まで行けるかもしれない」と言うのを聞いたという。さらにまた別の時であるが、指揮官が(念のため言うとこれはミスター・ブレイクではない)ドーティにこう言ったのだという。「これは一般的にUFOと呼ばれるものであるが、我々のものではない。借りているのだ」。ここでも他のバージョンと同様、ドーティは「やがてこの乗り物についてもっと知ることになるだろう」と告げられている。

ドーティの証言は、UFO関連の文献によく登場する軍絡みの大ボラの典型だ。が、ここで我々は一つの行き止まりにぶつかる。これらの話は虚構なのか? アメリカ政府は本当に異星人の宇宙船を所有しているのか? それとも、彼らはこのような事件をデッチ上げ、被験者が予期せぬ事態に直面した時に冷静さを保てるかどうか、あるいは秘密を守れるかどうかをテストしているのではないか? 仮にそうなら、もし被験者が空飛ぶ円盤について口を滑らせても大きな実害はないし、被験者はたくさんいるUFO狂の一人として見られるだけだ。しかし、リックはその手の単なるUFO狂には見えなかった。

ベトナム後、ドーティはワシントン州のマッコード空軍基地に2年間配属され、その後、西ドイツのヴィースバーデンで3年間、門兵として勤務した。1976年、26歳になった彼は、サウスダコタ州のエルスワース空軍基地に異動となった。ここで彼は初めてUFOの真の力を垣間見ることになった(エリア51での飛行試験のことは措くとして)。この頃、エルスワースには戦略爆撃機とミニットマン大陸間弾道ミサイル(ICBM)が配備されており、冷戦期のアメリカの重要な軍事拠点となっていた。1975年11月、隣接する州ではミサイルサイロがUFOの目撃に悩まされ、奇妙なキャトルミューティレーションが相次いで発生していた。これらの事件はすべて米空軍の文書に記録されており、基地内でのウワサとなり憶測の対象となっていた。

これはありそうにないことに思われるだろうが、その当時、[タブロイド紙の] 「ナショナル・エンクワイアラー」誌はUFO情報に関しておそらくは最も大胆で、かつ信頼できる情報源となっていた。空軍が公式UFO調査機関の「プロジェクト・ブルーブック」を閉鎖してから5年がたった1974年の末、エンクワイアラー誌は民間UFO研究団体APROや全米空中現象調査委員会(NICAP)、そしてアレン・ハイネックを含む科学者たちと共同で、UFOに関する「ブルーリボン」パネルを設置した。これらのUFO団体は最も興味深い事例をエンクワイアラー誌に提供し、パネルが必要と認めた場合には同誌がさらなる調査資金を提供することになっていた。同時にエンクワイアラー誌は、UFOが実際に宇宙から来たことを証明できる者には100万ドルの報酬を、またその年のベストとされた事例の目撃者には5,000ドルから10,000ドルを提供していた。

1978年2月、スティーヴン・スピルバーグの『未知との遭遇』が爆発的なヒットを記録してからわずか3か月後、サウスダコタ州ラピッドシティの消印が押された匿名の手紙がでナショナル・エンクワイアラーのフロリダ支局に届いた。その手紙は、第44ミサイル警備中隊の司令官からのものとされており、前年11月にエルスワース近くのミニットマン・ミサイルサイロで起きたセキュリティ違反事案について記していた。またこの手紙には空軍の報告書も添えられており、そこにも事件の詳細は記されていた。

その手紙と文書によれば事の顛末は次のようなものだった。違反行為を調査するためサイロに派遣された2人組のセキュリティ警戒チームは、そこで緑色に光る金属製のスーツとヘルメットを装着したヒューマノイド一体と出くわした。その「存在」は武器を発射し、警戒チームの一人が所持していたライフルを溶かし(まるで『地球が静止する日』のように)、その男は両手にひどいヤケドを負った。もう1人の兵士は、このほかに2体の人影があるのを目撃した。彼はそのうちの1人の腕を撃ち、さらにもう1人のヘルメットを撃った。だが彼らは傷を負った様子もなく、丘を越えて姿を消し、30フィートの空飛ぶ円盤に乗り込んで高速で飛び去った。手紙には、サイロ内のミサイルからは核部品がなくなっていることが後に判明したと記されていた。

エンクワイアラーの記者3人――その中には後に独り立ちして著名なUFO研究家となったボブ・プラットもいた――はエルスワースに向かい、調査を開始した。しかし、調査が進むにつれ、物語はボロボロと崩壊しはじめた。事件に関わったとされる全員に話を聞いた結果、すべてはデッチ上げだったことが分かった。空軍の報告書は巧妙に作られたニセモノだったのだ。手紙に名前の挙がった人々は確かに基地で勤務していたが、その役職は手紙に記されていたものとは異なっていた。また、ファーストネームが実際と違っていた者もいたし、場所も混同されていた。チームは合計で20の誤りを発見し、エンクワイアラーは結局その話を記事化しなかった。しかし、エルスワース文書は、アメリカの防衛能力に対してETが関心を払っている証拠なのだという売り文句でUFOコミュニティにリークされ、後にポール・ベネウィッツの興味を引くこととなった。ボブ・プラットがこれは偽造だとする文章を公にしたのは1984年のことであった。

このエルスワースの手紙の黒幕は誰だったのか? リック・ドーティは当時エルスワースで勤務していたが、彼は「自分がAFOSIに採用されたのは1978年の春だった」として、この事件への関与を否定している。しかしこれは、AFOSIが後にビル・ムーアやポール・ベネウィッツに対してしでかした事に似ている。デッチ上げが公に暴かれたにもかかわらず、エルスワース文書というのはニセ情報を研究する上でのテキストといえるものである。彼らは、狙ったグループ(この場合は「ナショナル・エンクワイアラー」とUFOコミュニティだった)に対し、少なくとも最初だけはもっともらしく聞こえるような形でバカバカしい話を伝える。一見するとその文書は本物で、そのストーリーは裏が取れているように見えた。だからエンクワイアラー誌は数千ドルと延べ数百時間を無駄にしてこの事件を調査したのである。

では、なぜAFOSIはエンクワイアラーにニセ情報を流そうとしたのか? 出版社のUFOへの熱狂に水を差そうとしたのだろうか? ボブ・プラットは後にこう語っている――UFOのストーリーはセレブの物語ほど売れなかった。にも関わらず、エンクワイアラーの出版人であるジェネローソ・ポープ・ジュニアは、何万ドルもの資金を出して自分を世界各地に派遣し、UFOの話を取材させていた、と。プラットは、ポープが本物のUFO信者であったと考えていたが、「ポープには諜報機関とのつながりがあったのでは」と疑う者たちもいた。ポープは1951年、CIAによる心理作戦の訓練を1年間受け、その翌年にエンクワイアラー誌を買い取った。彼はまた、ニクソン政権で国防長官を務めたメルビン・レアードの親友でもあった。

エルスワースのデッチ上げには、「近隣のICBMサイロで1975年に侵入事件があった」というウワサから一時的に関心をそらす役割があったのかもしれない。あるいは、『未知との遭遇』に登場するような、平和を愛する異星人をおだてるための「引き立て役」を舞台に上げようとしたのかもしれない(この映画のラストはデビルズ・タワーを舞台としていたが、これはたまたま――といって良いのかどうかは不明だが――エルスワースからほんの数マイルしか離れていない)。ちなみにこの映画はUFOへの関心を大きく再燃させ、新たな調査の再開を求める人々の声は高まっていったが、それこそは空軍が避けたかったことだった。してみるとこれは、単にAFOSIが新たに採用した人間向けにニセ情報の訓練をしただけのことだったのかもしれない。

リック・ドーティが直接関与していなかったとしても、彼がその話を耳にしていたことは確実である。1978年3月までに、彼は下士官学校で6週間の訓練を受け、1979年5月にはAFOSIの一員としてカートランド空軍基地に配属されていた。ポール・ベネウィッツに対する工作は、彼が来てから数か月後に始まることになる。

■アクエリアス計画

リックと過ごしていると、彼がどうやってポール・ベネウィッツやビル・ムーアの信頼を得たのかがよく分かった。確かに、彼の話の中には真実味の感じられないものがいくらかはあった。彼の口からこぼれ出るそうした話には、どこかで伝え聞いたものといった感じがつきまとった。しかし、それは問題ではなかった。我々が話している相手はリック・ドーティなのだし、新しい友だちとの間で少しばかりホラ話が出たって何だっていうんだ?

ホルモン剤たっぷりの牛肉で満腹になった我々3人は――もっともジョンはレタスばっかりだったが――グレッグ・ビショップを探しに行くことにした。リックに、グレッグの著書『プロジェクト・ベータ』であなたは重要な役割を果たしていたが、自分ではあの本をどう思っているか、と尋ねた。リックは「あれは良い本だ」としつつ、「よく出来たニセ情報というのはみんなそうなんだが、あの本には正確な情報と不正確な情報が混在している」と言った。少し意外だったのは、彼があの本がそれほど売れなかったことに失望していると述べたことだ。リックは明らかに商才に富んだ人物であった。

総じていえば、リックは本というものについてあまり話したがらない傾向があった。彼は『情報解除免除 Exempt from Disclosure』にはほとんど関わっていなかったと言い、自分の名前を表紙に載せたくはなかったと述べた。ただし、改訂版の第2版にも彼の名前は記載されている。そして、我々との会話ではあまり触れたがらなかったが、リックは1980年代初頭、「出るかもしれない」とウワサされていた別の書籍プロジェクトに関与していたことがあった。その本は結局日の目を見なかったが、それが出ていればムーアやベネウィッツと関わっていた頃のリックのパーソナリティを覗き見ることができたのかもしれない。

1981年末までに、リック・ドーティとビル・ムーアの関係は次第に強固なものとなっていた。情報のやり取りは双方向で行われており、ドーティはプロジェクトのコードネームやUFO隠蔽工作に関与する人物のヒントなどをムーアに提供し、一方でムーアはUFOコミュニティ内部の最新情報をドーティに渡していた。ムーアは、ナショナル・エンクワイアラーの記事でUFOコミュニティからの信頼と尊敬を得るに至ったボブ・プラットとも密接な関係にあった。誰がこのプロジェクトを発案したのかは明確ではないが(ムーアとドーティは沈黙しており、プラットはすでに亡くなっている)、まずはドーティとムーアが、彼らが共有していた情報をまとめた本を出版する構想について話し合った可能性が高い。この本はムーアが成功を収めた『ロズウェル事件』の続編として計画されたもので、ドーティは「ロナルド・L・デイヴィス」という名義の内部情報提供者として登場し、ムーアとプラットは執筆を担当する予定だった。その本の素材は、ドーティがムーアを通じてポール・ベネウィッツに渡していたニセの政府文書と本質的には同じもので、ロズウェル事件後に始められ、なお継続している秘密のUFO調査の詳細が含まれることになっていた。

ボブ・プラットはムーアとの間の電話を全部録音していたので、そのテープから、ムーアは当初、書籍をノンフィクションとして発表することに固執していたことが明らかになっている。しかしプラットは、ムーアがドーティを通じて提供する素材には十分な証拠がないことに不安を感じていた。渋々ながらムーアはフィクション形式での出版に同意した。書名は最初『Majik 12』と名付けられたが、やがて『アクエリアス計画』と改題された。これはドーティがムーアに渡した偽造文書の名前から取った。プラットとムーアが構想したこの本は、愛国的なアメリカ兵士「D」の物語となる予定だった。主人公のDは、ベトナムでの過酷な任務から戻り、今は自国に裏切られたと感じている人物である。

Dは諜報活動部門にリクルートされ、ニセのUFO情報をバーコウィッツ博士なる人物(ほぼポール・ベネウィッツそのものだ)に提供する任務を受ける。Dはその後、サウスダコタ州のサイロにある核ミサイルに未知の物体が干渉しようとした事件を調査するよう命じられる(エルスワースでのデッチ上げ事件を題材としたもの)。Dは次第にアメリカ政府の奥深くに隠された超機密のUFOプログラムに気づいていく。これこそが「アクエリアス計画」であり、このプログラムを監督している組織が「マジェスティック」、または「MJ-12」である。

UFOをめぐる陰謀の深みに引き込まれていく中で、Dはイエス・キリスト、ムハンマド、アドルフ・ヒトラーといった歴史上の人物はすべて異星人に操られていたことを知る。ドーティからムーアに提供された情報を反映するように、Dは地球と関わっている異星人には3種類があることを知る。まずは北欧風の美しい容姿を持つヒューマノイドで(ジョージ・アダムスキーのオーソンに似た存在)、彼らは最初に地球に人類を根付かせ、密かに我々の発展を導いている。次は悪意あるグレイで、遺伝的収穫プログラムの一環として人類を誘拐したり家畜を切り刻んだりしている。そして3つ目の種族は、地球の天然資源を略奪しようとしている。アメリカ政府はこれらの異星人すべてを知っており、MJ-12を通じてそれらを監視し、時には高度な技術と引き換えに彼らと交渉していた。しかし、究極的にはMJ-12にこれらの異星人を阻止する力はなく、それ故に隠蔽工作が必要となっていた。国内に大混乱を引き起こすことなく、政府が市民に「我々の遺伝子や地球の資源は異星人の手のうちにある」と告げる――一体そんなことがどうすれば可能なのだろう? 真実に近づきすぎた我らがヒーローDは、人民には何が実際に起きているのか知る権利があると決断する。彼はビル・ムーアやボブ・プラットのような研究者たちに本物のUFO資料を漏洩し始めるが、最終的にDはMJ-12によって暗殺される。これは『未知との遭遇』の壮大な結末を悲惨な方向にひとひねりしたものになるわけだが、彼の遺体は異星人の一種族に引き渡され、彼らの惑星へと運ばれていく。

これはすべてフィクションなのか、それともリック・ドーティは本当に自らをUFOの真実を求める殉教者だと思っていたのか? 一番ありそうなことを言えば、ドーティはムーアに対して自らをそのように思わせたかったのだろう。彼とファルコンは当初、自分たちを政府のUFO政策に反対する内部告発者だと位置づけ、ムーアに本当のUFOの秘密を提供することを約束していた。作中で殉教者となるヒーローDは、いくつかの点でドーティとムーアの両方を合わせたような存在であって、真実を追求するために自らの尊厳、魂、さらには命までも危険にさらす人物だった。そうした役割というのは、ムーア自身も、1989年のMUFON講演に立った自らに投影したものだった。彼は、AFOSIと結託したのは正しいことだと本気で感じていたようであり、彼が受け取っていた情報の一部は真実であるとも信じていたようなのだ。

しかし、ドーティはどうだったのか?1989年、彼のUFOに関するニセ情報工作が公になった直後に書かれた手紙の中で、ドーティはこう述べている。

    地球が過去に他の惑星からの訪問を受けていたかどうか、私は個人的な決断を下すのに十分な情報を持っていません。もし政府での任務中にアクセスできた情報に基づいて決定を下すならば、こう言わねばならないでしょう。はい、地球は訪問を受けていました、と。しかし、私がアクセスできた情報が完全に正確であったかといえば、100%確信しているわけではありません。

これを彼が2006年に「UFOマガジン」に書いた記事と比較してみよう。「1979年初頭……私は特別区画プログラムに参加するよう指示された。このプログラムは、米国政府の地球外生物(EBE)に対する関与についてのものだった。最初のブリーフィングで、私は政府のEBEへの関与についてその背景を洗いざらい説明された」。我々はどちらのリチャード・ドーティを信じるべきか? そして、これはより重要なことだが、彼自身は何を信じているのだろう?

■イエローブック

ジョン、リック、私の3人は、グレッグ・ビショップと彼の婚約者のシグリッドと、「マディ・ラダー」というバーで会った――そこは薄暗い照明、鮮やかなネオン広告、スポーツ放送を流すテレビがあるアメリカ風の怪しげなバーで、ラフリンでは一般的なリバーボートの趣向が取り入れられていた。グレッグとリックの間にはギスギスした関係があったのかもしれないが、とりあえずは友好的な感じだった。グレッグは、あなたの言うことはあまり信じていないとリックにハッキリ言っていた(もっとも彼は誰も信じていないのかもしれないが)。一方のリックは、グレッグに対して時折トゲのある言葉を交えながらもジョークで返していた。ビールを飲んだ。というか、かなりの量を飲んだ。リックも飲んでいたが、彼が飲んでいるのを見たのはその時だけだった。

最初、UFOのことは話題に上らなかったが、酒が進むにつれて抑制が解け、最後にはなぜ我々がここに集まっているのかについて話さねばならなくなった。我々がETの訪問について懐疑的なスタンスを保っていたのに対して、ひとりリックは一歩も譲らなかった。彼はこう断言した。「ヤツらはここに来ていたんだ。アメリカ政府はヤツらのことを知っているし、証拠となる技術も持っている」

私は大声で、おそらくは大きすぎる声で、信じられないと言った。リックは最初、私の疑問の声に衝撃を受けたようで、その姿勢は自陣の防衛に回らねばならなくなった男のそれであった。より饒舌になった私は、さらに問い詰めた。するとリックは思いがけなく防御的な姿勢を取った。「そういうテクノロジーが本当にあるのは知っている。自分で扱ったからな」。彼はこう言った。

「何を扱ったんですか?」

「エイリアンの技術だ。クリスタル……ホログラフィック装置のようなものだ。それは『イエローブック』と呼ばれている。持ったこともある。長方形のクリスタルの板で、ハードカバーの本みたいだった。前面には左右にくぼみがあり、そこに親指とか指を置くと、何かが見える」

「何が見えるんです?」

「私に見えたのは言葉だ。他の人は映像を見た……言っておくけどあれは本物だった」

「パーム・パイロット [訳注:かつてあった小型電子手帳] を発展させた軍のテクノロジーかもしれないでしょう?」

「これはエイリアンの技術だ。単純なことさ。もしそこにいたなら、君もそう思うだろう。君が私を信じようが信じまいがどうでもいい。私はそこにいたんだからな」

そしてその会話は終わった。

いまこの時点で、「私は人を見抜くのが得意だから、リックが真実を語っていたことは分かる」とでも言いたいところだ。が、それはできない。私は酔っていたし、リックも酔っていたと思うし、他のみんなも酔っていた。ただ言えるのは、リックがその時に見せた防御的な態度、声に現れた高音の弱々しい感じ、肩をすくめる仕草、そうしたものすべてが小細工なしの生の姿に見えたということだ。その瞬間、私は彼を信じたのだ。

それ以降、私はこう感じている。リックは「地球は訪問を受けた」と本当に信じているのだ。彼がなぜそう信じているのか、どのようにしてそう信じるようになったのかはまた別の問題だし、我々には知る術がない。

もしかすると、リックはあまりにも長い間同じ嘘をつき続けたので、それを自分でも信じるようになったのかもしれない。しかし、私にはこう思われてならない。ブリーフィング、空飛ぶ円盤のテスト飛行、イエローブック等々、間欠泉の蒸気のように彼から湧き出してくるストーリーが作る迷路のどこかで、彼に確信を与えるような何かが起きたのではないか。

リックは何かを見せられた、あるいは少なくとも彼が信頼していた人々――友人や軍の上司――から何かを聞かされた。彼の語るスパイの話が別人の戦争体験の焼き直しと感じられるのと同じように、UFOの話のいくつかも彼自身のものではないのかもしれない。しかし、そうだったからといって必ずしもUFO問題が現実から遊離していってしまうとは言えない。アメリカ軍内部にはUFOやET(地球外生命体)への強い信仰の文化があり、ユーフォロジーにおけるアラジンの洞窟を垣間見ることを期待して軍に入ってきた者もいる。もしかしたら、本当に地球外の何かがそこに隠されているのかもしれないし、あるいはこうした遺物はすべて、単なる情報撹乱のための小道具にすぎないのかもしれない。そして、おそらくリックはそうしたものを見たのだ。

しかし、リック・ドーティを信じるかどうかにかかわらず、我々としては彼が人を欺く訓練を受けていたことも忘れてはならない。彼はカートランド空軍基地でAFOSIに所属していた時期に欺瞞工作をし、その25年後になってもなお、非常に奇妙な行動に関与していた。そして、それらはさらに多くのウワサを巻き込んでいくことになる。(10←11→12)