■第12章 百聞は一見にしかず
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「その目的は……テレビ画面を通じて数十億の人間の心を直接条件付けすることだ……情報をコントロールする者が世界を支配する……そこではもはやメッセージに伝えるべき内実などない。メッセージは印象的な誘惑なのだ」
――ロフティ・マヘルジ、アルジェリア・アクチュアリテ、1985年3月13-19日
ホテルのバーに戻った我々に、リックはまた色々な話を聞かせてくれた。それによると、ウディ・アレンは大のUFO信者で、あるとき私立探偵を雇ってその真実を探らせたことがあったのだそうだ。その探偵はアレンのクレジットカードを使って1万5000ドルを使い込み、そのまま姿を消した。リックはスティーヴン・スピルバーグの家を訪れたことがあり、彼が空軍から購入したF-16やC-130のフライトシミュレーターを見たそうだ。リックは『Xファイル』や、スピルバーグがエイリアンによるアブダクションをテーマに手がけたミニシリーズ『テイクン』のコンサルタントとしても働いていた。軍のUFO関係者の中には、このような仕事に就いた者も少なくないという。リックは『Xファイル』のエピソードの1つに吸血鬼としてカメオ出演したこともあると言っていた。
ポール・ベネウィッツの精神を乱し、UFOの研究コミュニティを汚染する計画に関与した男が、その後、テレビを通じて何百万もの熱心な視聴者たち――その多くは将来UFO研究者になったはずなのだ――に影響を与える立場にあった。そう考えると、私はいささか心穏やかではいられない気分になった。そうしたコンサルタントたちは、自分たちが作り上げた神話を大衆の意識へと拡散していった時点で、なお空軍やDIA(国防情報局)に所属していたのだろうか?
私はリックに尋ねた。もし政府がUFOやエイリアンに関する真実を知っているのなら、なぜそれを我々一般市民に隠し続ける必要があると考えているのか? 1950年代であれば、エイリアンは共産主義者と同様、恐れるべき存在だったのかもしれない。しかし、『未知との遭遇』や『ET』を体験した我々は、宇宙の隣人に出会う準備ができているのではないか? 異星人とのコンタクトがあってもそれはあまたあるニュースの一つになり、数週間か数か月間は話題になるとしても、やがてはセレブをめぐるニュースやスポーツニュースに飲み込まれてしまうのではないか?
それに、もし1947年にエイリアンとの接触があったのなら、それから何か成果が上がっているのではないか? 世界は何か変わっただろうか? 我々は今でも資源を巡って争い、環境を破壊している。クラトゥのような、銀河を股にかける警察官はどこにいるのか? 人類の技術の進歩を考えてみても飛躍的な進歩などあったろうか? フリーエネルギーはどこにあるのか? 個人で飛ばせる空飛ぶ円盤は? 物質転送装置は? 僕のジェットパックはどこにあるのか?
「君は自分で答えを言ったじゃないか」。そうリックは言った。「フリーエネルギーだよ。エイリアンはフリーエネルギーを持っているが、そのことを抑えている連中は、一般人がそれを知ったらどうなるかを恐れているんだ。無限のクリーンエネルギー源があれば、石油経済が崩壊し、世界がひっくり返るかもしれない。世界中がカオスに陥る可能性がある。彼らはそういうことを心配しているんだ」
私は納得できなかった。たとえフリーエネルギー源が出てきたとしても、使用量は記録されるだろう。つまりインフラの費用は誰かが負担しなければならないのだ。しかし、確かに移行シナリオは複雑だろうと私は認めた。突然、リックは席を立ち、テーブルを離れた。私は彼を怒らせたのだろうか? 数分後、彼は我々のためにビールを、自分にはクラブソーダを持ってきた。彼は腰を下ろし、ガラスのテーブルの反対側から笑顔をみせた。遠くのスロットマシンのチラつく光が彼の頭の周りで炎のように揺らめいていた。
「君たちが好きだよ」。彼はなお微笑みを残しながらそう言った。「君たちは賢い」
「ありがとう」。私たちもリックが好きだと言った。何かが起きつつあった。
「この一週間、一緒に多くの時間を過ごしたよな。なぜだと思ったことはあるか?」
「ええと、ただ気が合っているんだと思っていました」
「まあ、そうだな。確かに気が合っている。でも、僕のほうは君たちを観察していたんだ。君たちが本当に言っている通りの人物なのか確認する必要があったからね」
「どういう意味ですか? インターネットで調べたとか?」
「そうだ。でも指紋も採取したし、いろんなデータベースでも調べた」
ジョンと私は、お互い顔を見合わせた。信じられない。
「指紋?! 一体どうやって?」。ジョンの声は震えていた。
「それは簡単だよ」。リックは、我々が困惑するのを横目に微笑んだ。「君たちが触ったものから採取できるんだ。ビール瓶みたいなものでもね」。彼はビール瓶を1本持ち上げた。「ここには指紋がびっしりだ。でも心配しないでいい。君たちはリストには載っていない。クリーンだ。問題ない」
「何のリストですか?」
「外国のスパイじゃないか、犯罪者じゃないか。そんなことを調べたのさ」
「でも僕たちはミステリーサークルを作った。あれは犯罪だよ!」。ジョンはそわそわしつつ笑った。
「心配ない。そんなことでは逮捕しないよ!」
しばし間が空いて、空気がちょっと軽くなるのを感じた。
「そこでだ。僕はDIAや政府の友人たちと話をしていたんだが、君たちが関心をもつかもしれないような提案が彼らからあった」
おっと、何てことだ。
「君たちがかなり乏しい予算で活動しているのは知っている。それで彼らは、その点で君たちを少し助けてあげられるかもしれないと言うんだ。要するに、撮影をいくらか支援してやれるということだろうね。……ただし、もし自分たちが作っている映画の内容に関していくつか提案を受け入れる用意があれば、だが」
重苦しい空気が漂った。ジョンの顔が青ざめていた。私は少しめまいを感じた。リックがビールに何かを入れたのか? 彼は続けた。
「彼らは君たちの映画用に映像素材を提供しようとしているのかもしれない――僕が昨日見たようなものをね。あるいは、この映画プロジェクト全体を指揮する代わりに、君たちが要した時間分も含めて全予算を負担しようということかもしれない。よく分からないが、25万ドル、いや50万ドル出すつもりかもしれないね。……こういう話に興味はあるかい?」
私は咳払いをし、口を開こうとした。と、そこでジョンが話し始めた。「リック、僕たちはお金のためにやっているわけじゃないんだ。もしそうだったら、こんなことはしていない。何か別の映画を作っているだろうね」
「君たちが倫理的な人たちだということは評価しているし、だからこそ嬉しい。それが僕が君たちを好きな理由の一つなんだ。君たちは偏見を持たず、えこひいきはしない。物事の真実を知ろうとしているだけだ。その点は尊敬しているし、同じ立場だったら、僕もそうするだろう」
「そうですねえ」。私はできる限りビジネスライクに聞こえるように言った。「彼らの提案には目を通してみましょう。そのまま通すつもりはありませんが、良いアイデアや良い素材があるかもしれない。大手スタジオや広告代理店のために映画を作るようなものだと思えばいいのかもしれないですね。ただし、そこで宣伝するのはUFOなんですが!」
「そうだね、そんなふうに考えることもできるだろう。とにかく、この話について考える時間を君たちにあげるよ。僕は明日ニューメキシコに戻る予定だ。出発前にもう一度会おう。そして、来週アルバカーキでまた会えればいいね」
リックが見えなくなると、ジョンと私は同時に安堵のため息をつき、笑い出した。信じられない気持ちだった。こんなことが起こるかもしれないとは予想していたが、実際に起こるとは思ってもみなかった。それにしても、何が起きたのだろう? あれは現実だったのか、それともまたまたリックのいたずらだったのか?
私たちは、どんな提案であれ少なくとも検討はしてみるべきだということで一致した。最終的には自分たちの有利になるように事を運べるかもしれないし、優位を保つこともできるだろう。政府のニセ情報とUFOに関する映画を作るのに、実際のニセ情報を使うことができたら、これほど適切なことはないだろう。もし彼らが「ETはいる」という宣伝映画を作れと言ってきたら、そのお金をどこにつぎ込むべきかを教えてあげることになるだろう――もちろん丁寧にではあるが。そして、彼らの提案を受け入れなかった場合には、映画冒頭に次のようなテロップを入れるのも面白いかもしれない。「『ミラージュ・メン』の制作中、アメリカ国防情報局は我々に50万ドルを提供し、彼らの望む映画を作るように求めた。我々はその提案を断った」
結局のところ、リックのいかがわしい提案は実らなかった。彼は「向こうから連絡を取ってくるだろう」と言って情報畑のある人物の名前を教えてくれた。しかし、それから数週間、首を長くして待ったジョンと私は、つれない現実を受け入れねばならなくなった――米政府は我々に関心を示さなかったのか、そうでなければリックの教えてくれた人物はそもそも実在しなかったのである。いずれにせよここで言えることは、我々の映画が仮にアメリカの防衛当局から便宜を受けたとしても、それは初めての事例ではなかったということだ。
1953年当時、CIAのロバートソン・パネルは、「未確認飛行物体に付与されてしまった特別な地位や、残念ながらそれがまとってしまったナゾめいたオーラをはぎ取る」ために、「広範な教育プログラム」を立ち上げることを勧奨していた。こうした教育プログラムに関わった企業として名前が取り沙汰された会社の中にはウォルト・ディズニー社があり、同社を代表するアニメーターの一人によれば、こうした活動は2年後に実際に行われたのだという。ウォード・キンボールはウォルト・ディズニーに近い立場にあったアニメーター兼デザイナーだった。彼は『ピノキオ』のジミニー・クリケットや『ダンボ』におけるカラスたちを作り出し、ディズニーの短編映画で2度オスカーを受賞している。
1950年代半ば、キンボールはドイツのロケット科学者ウェルナー・フォン・ブラウンをフィーチャーした3つのテレビ番組、すなわち『宇宙における人類 Man in Space』『人類と月 Man and the Moon』『火星とその彼方へ Mars and Beyond』の脚本を執筆し、監督した。これらの「科学ドキュメンタリー」映画は非常に人気があり、アメリカの宇宙開発プログラムへの支持を広めたり、将来宇宙飛行士になることを夢見る子供たちを多数生み出す効果をもたらした。いかめしいが慈愛を感じさせるフォン・ブラウンはここで、4段ロケットや宇宙ステーション、そして最終的に火星やそれ以遠に人類を送り込む原子力宇宙船の計画を披露した。アイゼンハワー大統領は『宇宙における人類』を個人的にコピーしてくれるよう求めたとされ、ロシアの著名な宇宙科学者レオニード・セドフも同様な求めをしたと言われている。
ウォード・キンボールはまた、熱心なUFO愛好家でもあり、生涯にわたってその興味を持ち続けていた。1979年、彼は予告なしに「ミューチュアルUFOネットワーク」の年次会議に現れ、アメリカ空軍は1955年、ウォルト・ディズニーにUFOに関するドキュメンタリー映画を作ることを提案したことがあると語った。空軍はディズニーに実際のUFO映像を提供することを約束し、ディズニーは映画に登場させるエイリアンのキャラクター作りの仕事をアニメーターたちに命じた。しかし、結局空軍はUFO映像を提供せず、ディズニーはプロジェクトを中止するに至った。ただし、この時のエイリアンのキャラクターのうち幾つかは、一般公開されなかった15分のUFO映画に登場している。
キンボールは、空軍とディズニーがコラボした目的は、アメリカ人をETとの接触の現実に備えさせるためだと考えていた。こうした噂は、キリスト教色の強いUFO寓話ともいえるロバート・ワイズ監督の『地球が静止する日』(1951年)や、25年後のスピルバーグの啓示的映画『未知との遭遇』にもつきまとっている。スティーブン・スピルバーグやロバート・ワイズの動機がどんなものだったのかはハッキリしないが、おそらく彼らも他の我々と同じように新聞やUFO本で読んだことに影響を受けたのであり、彼らの映画はその影響の産物だった可能性は高い。
しかし、それらとは別に空軍によって完全に公認された映画も一つある。そのメッセージは明確だった。「UFOは実在する」というものだった。
■UFO: 過去、現在、未来
ボブとマーガレット・エメネガー夫妻は親しみやすくて陽気なカップルで、年齢は60代後半から70代前半である。彼らは、アーカンソー州の緑豊かな農地にあって、美しいイギリス風のアンティーク家具が並ぶ美しくて大きな家に住んでいる。夫妻が出会ったのは二人がロサンゼルスにある巨大な広告会社「グレイ」で働いていた頃で、マーガレットはデザイナー、ボブは最終的にクリエイティブ・ディレクターになった。マーガレットは愉快で弁舌鋭く、折れないタイプ。ボブも同様に快活ではあるが、性格はより穏やかでリラックスしたタイプだ。
夫妻は共に引退しているが、地域社会では活発に活動している。ボブは地元の音楽イベントを仕切り、地域のオーケストラで演奏をしている。彼は才能ある音楽家であり、ユーモアのセンスもある。1970年代初頭の人気テレビシリーズ『チンパン探偵ムッシュバラバラ Lancelot Link: Secret Chimp』の音楽を作曲したことを誇りに思っている。ちなみにこれは、主人公のチンパンジーがロックバンドで演奏しながら二重スパイとして活躍するという番組だ。
ボブとマーガレットは、ETはかつて地球を訪れたことがあり、おそらくは今でも地球にいるのではないかと信じている。マーガレットは、元サッカー選手から陰謀論者に転じたデイヴィッド・アイクの説だとか、2001年9月11日の事件にまつわる疑問、そして人間とエイリアンのハイブリッドでサイキック能力を持つ「インディゴ・キッズ」について話すのが好きだ。ボブは必ずしもマーガレットの全ての見解に同意しているわけではないが、UFOに関しては一定の知識を持っている。映画制作者として、ボブはおそらく他の一般市民よりもUFOの真相に近づいているのだが、そうした仕事をするよう仕向けたのはアメリカ空軍であった。
1970年代初頭、ボブ・エメネガーと彼の制作パートナーであるアラン・サンドラーは、古くさくなってしまった企業ブランドを復活させるような仕事で評判を得ていた(例えばリチャード・ニクソン大統領の再選キャンペーンといったものである)。1972年、彼らはペンタゴンのためにそのマジックを披露するよう依頼された。当時の国防総省は困難な状況に直面していた。ベトナム戦争は10年近くもダラダラ続き、アメリカ国民が政府に抱いていた僅かばかりの信頼はほとんど無に帰そうとしていた。国防総省には後押しが必要だったのだ。ひとつには自らの士気を高めるため、もう一つには人々に入隊を促すために。サンドラーとエメネガーはその手助けをできるのだろうか?
彼らの映画は、当時の軍内部にあって特にエキゾチックで刺激的なネタに焦点を当てることになった。エメネガーは、海軍で訓練を受けているイルカ、新たな原子融合技術、人間の心とコンピュータをつなぐインターフェース、偵察や爆弾探知の訓練を受けた犬を見たことを覚えている。いくつかの犬が頭にマイクロチップが埋め込まれているシーンもあったが、しかし、それは映画館でポップコーンを食べながら見たいようなネタではなかった。
先進的なレーザー技術やホログラフィーといった新技術も目玉の一つであった。アラン・サンドラーは、とりわけ印象的なホログラフィックのデモンストレーションを見せられた。映写室には端っこに小さな舞台があった。カーテンが開くと一人の男性が登場し、ペンタゴンの最新鋭ホログラフィー投影技術を紹介した。するとその瞬間、突然小さな鳥が舞台袖から飛び出し、その男性の肩に止まった。彼が微笑むと、その男性と鳥は消えてしまった。それ自体がデモンストレーションだったのだ。
犬やイルカ、レーザーは確かに興味深いが、それだけでは足りなかった。グレイ社の二人はもっと劇的なものを求めていた。そして、ペンタゴンの担当者はそうしたものを差し出すことになった。UFOである。サンドラーとエメネガーは、ロサンゼルス郊外のノートン空軍基地に招かれ、基地のAFOSI(空軍特別捜査局)長や、AFOSIに関係する保安担当官であり、空軍の映画取得部門の責任者でもあったポール・シャートルに会った。
空軍がUFO調査機関「プロジェクト・ブルーブック」を閉鎖してからまだ3年しか経っていない時期だった。それだけに、UFOに関するプロモーション映画をグレイ社に依頼することにはほとんど意味がなかった。しかし、ペンタゴンは真剣だった。二人は空軍のトップであるジョージ・ワインブレナー大佐とウィリアム・コールマン大佐に引き合わされた。ワインブレナーは、ライト・パターソン空軍基地にある外国技術部門(FTD)の司令官であった。FTDは今日の国家航空宇宙情報センターであるが、過去も現在も変わらることなく、空軍が保持していない技術に関する情報の中心地だった。もし本物のUFOについて知っている者がいるなら、それはワインブレナーであった。あるいはコールマンが知っていた可能性もある。彼は1960年代にブルーブックの広報連絡官を務めており、会見の時点では空軍の最高情報責任者だった。
ブルーブック時代のコールマンは、アメリカのトーク番組の司会者であるマーヴ・グリフィンにこう語ったことがある。「UFOのタイヤを蹴飛ばすことでもできたらUFOを信じますよ」。この発言に対しては「UFOにはタイヤなどない」という手紙が大量に寄せられたという。だが、コールマンが当時言及しなかったことがある。彼は1955年、B-52爆撃機でアラバマ州とフロリダ州の州境上空を飛行中、自らUFOを目撃していた。それは完璧な銀色の輝く円盤で、あまりにも至近距離であったため、彼は衝突を避けようとして巨大な爆撃機の方向を急ぎ変える必要があったという。円盤はいったん消えた後、飛行機から約2,000フィート下方、地表から100フィート付近に再び出現し、影を落とす一方で巨大な土煙を巻き上げた。
幻覚では土煙は立たない。コールマンと4人のクルーは非の打ち所のない報告書を作成し、プロジェクト・ブルーブックに提出した。コールマンが10年後にブルーブックから退くことになった時、彼は自分の報告書の記録がないことを知って驚いた。1999年にインタビューされた際、コールマンはこれを管理の不備に起因すると寛大な解釈を下していたが、UFOハンターたちは長い間、ブルーブックというのは、より秘密に行われているもう一つの作戦の隠れ蓑だと主張していた。この主張が真実であったことは、1979年に公開された1969年作成のメモ(これはブルーブックの閉鎖を記すものだった)によって最終的に証明された。その核心部分にはこうある。「国家安全保障に影響を与える可能性のある未確認飛行物体の報告は……ブルーブックのシステムの所管外である」
コールマン大佐とワインブレナー大佐は、空軍がUFOに関心を持っていることを示すのに熱心だった。空軍のファイルに自由にアクセスできると告げられたサンドラーとエメネガーは、UFOに関する映画を作ることを決めた。大佐たちは、機密情報を扱う際の危険性について映画製作者に警告しながらも、米国上空のみならず宇宙空間のものも含むUFOの膨大なデータ、写真、映像を提供することを約束した。さらに彼らは、CIAの高官を含む人たちによる至近距離からのUFO目撃の証拠だとか、とりわけ劇的な事例として1971年にホロマン空軍基地で実際に起きたETの宇宙船の着陸映像があることをほのめかした。映画『UFO: 過去、現在、未来』は、アメリカ空軍はUFOに本気で関心を持っているだけではなく、UFOとは何であり、その中に誰がいるのかを知っていることを示す作品になる予定だった。
大佐たちはこの資料を映画製作者たちに提供するためなら、どんなことでも厭わなかった。サンドラーはNASAに宇宙空間でのUFOの写真や映像を求めたが、NASAは門前払いをくらわし、そんな資料は持っていないと拒絶した。サンドラーがこのことをアメリカ空軍の担当に伝えると、空軍は「UFOが目撃されたNASAのフライト」「関係した宇宙飛行士の名前」、さらには「関係する映像のフレーム番号」にいたるまで詳しく記したペーパーを渡してくれた。この新情報を携えてNASAを再訪したサンドラーは、目当てのものを手にすることができた。もっとも、その画像にはぼやけて不鮮明なものしか映ってはいなかったのであるが。
なぜ空軍は、この程度の曖昧模糊とした資料を映画製作者たちに渡すために、多大な努力を払ったのか。これはこの事案にまつわる多くの疑問の中の一つに過ぎない。
さらに不可解なのは、コールマンを通じて映画製作者たちと接触したロバート・フレンド中佐が、彼らに語った話の内容である。フレンドはAFOSI(空軍特別捜査局)で働いていたが、1958年から1963年まで、少佐としてプロジェクト・ブルーブックの責任者を務めていた(ちなみにこのプロジェクトの要員は彼が去る頃には2名に減っていた)。
1959年7月初旬、フレンドはCIAの国家写真解釈センター(NPIC)で海軍情報部の司令官2人とCIAの職員たちと会うように求められた。U-2偵察機による写真データの分析を行うため1954年に設立されたNPICは、ワシントンDCの5番街とKストリートの区画にある駐車場ビル最上階にひっそりと置かれていた。2人の海軍司令官はメイン州のフランシス・スワンという女性を訪問してきたのだが、その女性によれば、彼女はAFFAという名の地球外生命体とテレパシーで交信しているのだという。このAFFAはOEEVという組織のリーダーで、EUNZAと呼ばれる地球での調査プロジェクトを進めているということであった。海軍の司令官たちは懐疑的であったが、スワンに複雑な技術的・天文学的な質問を投げかけると、驚いたことに彼女は正しい答えを返してきたのだという。AFFAはその後、交信チャンネルは切り替えられるので、海軍の人物を介して交信したいと提案。その海軍の司令官は同僚の発する難しい質問にちゃんと答え続けたという。[訳注:要するに海軍の軍人がチャネリングに挑戦したという話である]
この奇妙な出来事がワシントンに伝えられると、2人の司令官はCIAの写真センターに召喚された。かくて1959年7月6日、。先の海軍の人物をAFFAとの伝達役として、彼らは再び交信実験を行うことになった。ここでエイリアンが実在する証拠を求められたAFFAは、「窓のところに行け」と言った。するとその時、ごく近い距離を一機の空飛ぶ円盤がゆっくりと通過していった。驚いた列席者は近隣のレーダーセンターに問い合わせをしたが、返ってきた返答は「スコープ上には何も見えない」というものだった。彼らはこの時点でロバート・フレンドに助けを求めたのである。
3日後、フレンドは新たな交信セッションに立ち会うことになった。AFFAはこの時も前回同様、海軍の司令官を通じて話をすることになった。この時はフレンドが「空飛ぶ円盤を見たいのだが」と言ったところ、AFFAは「今はまだダメだ」と答えた。飛ぶのを見られなかったことには失望したが、海軍の司令官のトランス状態は本物だと確信したフレンドは、ライト・パターソンの上官に報告書を提出した。
ボブ・エメネガーは、フレンドを通じてこの会合についてのCIAのメモを入手したが、このメモは、NPICの創設者であり、CIAのロバートソン・パネルのために写真分析を行ったアーサー・ランダールが書いたものであると目された。このメモによってフレンドの説明通りの出来事が起きたことが裏付けられた形となり、これはエメネガーの映画の中でETとのコンタクトがあった証拠として取り上げられた。しかし、1979年にランダールとの連絡が取れた際、彼は1959年7月6日にNPICの窓のところに空飛ぶ円盤が現れたことを否定した。また彼は、件のメモを書いたことも否定した。
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私は一瞬たりとも、件の海軍将校が宇宙と交信していると信じたことはないし、UFOを見たこともない。我々がそんなデモンストレーションをやってみせろと言ったこともない。彼の説明によれば、スワン夫人は「自動書記」なるものを見せてくれたということで、もし求められれば私にも見せようということを言っていた……彼が私を [会議の出席者に] 選んだのは、私が彼の友人だったからだと思う……私は地球以外に知的生命体が存在することを信じているが、この件に関して言えば、彼に対してただただ同情と恥ずかしさを感じるばかりだった。厄介ごとに巻き込まれた男、私の友人だった男、そして上官に知られたら確実にキャリアを台無しにしてしまうような目に遭った男に対する思いとして。
もしランダールが真実を語っているなら、エメネガーに渡されたCIAのメモは誰が作成したのか。宇宙人に関する話に信憑性を与えるように詳細が改竄されたのは何故か。ランダールは、この会合が実際に行われたこと、CIAと海軍情報部が関与していたことは明確に認めている。ロバート・フレンドが調査に呼び出されたことも確かである。しかし、重要な細部――とりわけ本物の空飛ぶ円盤の出現が報告書に追加されてしまったことで、事態はよりドラマティックになり、空飛ぶ円盤の信者たちの掲げる火には油が注がれ、懐疑的な人々の疑念は膨らむことになった。この出来事は、ベネウィッツ事件に先駆けること10年前、エメネガーに対して示されたAFOSIの古典的ニセ情報作戦の一例であったように見えるのだ。
しかし、映画製作者たちにとって垂涎の的となったのは、エメネガーが聞かされたストーリー、すなわち1971年5月の早朝にホロマン空軍基地で起こったUFO着陸の話であった。彼が聞いた話では、まず最初に3機の飛行円盤が基地上空に現れ、そのうちの1機が不安定に揺れながら降下を始めた。それは地上から数フィートの高さで短時間ホバリングした後、3本の脚で着地した。偶然ではあったが、ヘリコプターに乗っていた空軍の映画撮影班はこの降下の様子を撮影しており、地上からは別の撮影班がこのシーンを捉えていた。
エメネガーはこの映画にリンクして刊行されたミリオンセラーの中で、空軍のフィルムアーキビストで、この出来事を目撃したと主張するポール・シャートルから聞いた話を描写している。
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司令官と2名の将校、それから空軍の科学者2名が到着し、不安げに待っていた。やがて、機体の側面にあるパネルが開いた。そこから外に1人、次に2人目、そして3人目が現れた。彼らは、タイトなジャンプスーツを着た人間のように見えた。背丈は我々の基準では低いかもしれず、顔色は奇妙な青灰色で、目は遠く離れて配置されていた。大きく目立つ鼻を持ち、頭部にはロープ状のデザインを思わせるヘッドピースを着用していた。
司令官と2名の科学者が前に進み、訪問者たちを迎えた。音声を介さないような形でのコミュニケーションが行われ、グループはすぐに「キング1」エリアの室内に入っていった。
その後何が起こったのか、宇宙人が何を話したのか、何を食べたのか、彼らが贈り物を持ってきたかどうか。これらは不明である。
ホロマンでの撮影を準備する中、エメネガーは管制官の一人に着陸について尋ねた。彼は「飛ぶ浴槽」のような物体が着陸するのを見たことを覚えていたが、それ以上の話はしなかった。エメネガーは火星ストリートにあるビルディング930に案内された。そこには宇宙人とその機体が滞在中保管されていたというが、今では特に異常なものはなかった。ホロマンでの撮影が完了した後、サンドラーとエメネガーは、このプロジェクトをUFOドキュメンタリーから歴史的事件に生まれ変わらせてしまう映像が届くのを待ちわびていた。しかし、映像は決して現れなかった。
落胆した様子のコールマン大佐は、こう告げた。――ペンタゴンの上層部が「今はこのとりわけ厄介な問題を掘り下げるのに良い時期ではない」と判断したのだと。当時、ウォーターゲート事件やニクソン政権の崩壊は人々を神経質にさせていたのだ。彼らは、その代わりにこの事件を「将来起こるかもしれないこと」として描くよう勧められた。せめてもの慰めとして、映画製作者たちは、何やらハッキリしない物体がホロマンの滑走路と思われる場所に降下する映像をいくつか映画に取り入れた。この映像は実際の着陸映像の一部だという噂は根強く残っているが、エメネガーはそれを「単にホロマンで実験機が着陸する様子を自分たちのカメラマンが捉えたものだ」と述べている。エイリアンとの遭遇についていえば、サンドラーとエメネガーは、ポール・シャートルの説明を基にしたアーティストの想像画で代用するしかなかった。
怒ったエメネガーは、ライト・パターソンにいるワインブレナー大佐との面会を要求し、なぜ映像が自分たちから奪われたのかを問いただした。ワインブレナーは不満そうに大声で言った。「あのミグ25のせいだ!こちらは持っているものを全部公開しているというのに、ソ連には我々が知らないものがたくさんある。もっとミグ25について知る必要がある!」。彼は前年に出版されたJ・アレン・ハイネックの『UFO体験』を本棚から取り出し、その中にある自分宛の献辞をエメネガーに見せた。「カフカの物語の一場面のようだった」。エメネガーはそう回想している。
それでは、映像は実際に存在していたのか、それとも単なる「撒き餌」だったのか? それは映画製作者たちに、自分たちの「ドキュメンタリー」はUFO現象の虚偽広告以上のものになるという確信を抱かせるためのルアーだったのだろうか?ポール・シャートルは、自分が見たのは本物だとしつつ、それは空軍が訓練用に映画スタジオから購入したフィルムだったのだろうと主張している。だが彼は、それはニセモノだと考えるにはあまりに「本物っぽかった」とも言っていて、何とも役に立たない。
『UFO: 過去・現在・未来』は、興味深いコーダ(締めくくり)で終わる。そこでは、社会学者のグループがETとの接触に関する真実をどのように公開するのが最善かを調べるため、大衆の信念のありようについて論じている。
ある社会学者は、「ETたちがあまりにも進歩していたり、アメリカの新しい友人より優れているように見えたらよろしくないのではないか」という懸念を表明している。アメリカ人が「ETたちは最初の開拓者がインディアンを扱ったように自分たちを扱うのではないか」と恐れるかもしれないから、というのだ。そこで彼は政府にこんなアピールをするよう推奨する。ETたちは「宇宙の平和、がんの治療法、太陽エネルギー」といった多くのものを提供してくれるかもしれないが、アメリカ人にだってETたちに与えられるものはいっぱいある。「ジャズ、ヤル気、カーネル・サンダースのフライドチキン」といったものがあるんだ、と。
別の社会学者は心理学者A.C.エルムズを引用している。「本当に必要とされているのは、宇宙からの敵対的な侵略者だ。そうすれば我々は一つの種として団結し、侵略者を追い出し、その後は平和に暮らすことができるだろう」。これはバーナード・ニューマンの『フライングソーサー』でおなじみのテーマである。最も興味深いのは、匿名の社会学者である。彼は、テレビでホロマンの映像のようなものが放映された時のインパクトに考えをめぐらした末、そこに登場するであろう「自称地球外起源人間型有機物 Humanoid Organisms Allegedly Extraterrestrial」という仮説的概念――略してHOAEXについて論及している。これについては我々が思うがままに解釈すればよいだろう。[訳注:舌足らずなので捕捉すると、HOAEXというのはもちろんHOAX デッチ上げのもじり。映像を信用しない人々によって「エイリアンの飛来はウソだ」という主張が盛り上がるだろうという含意]
こうした研究を集約しているのは、UFOカルト研究の古典『予言が外れるとき』(1956年)の著者、レオン・フェスティンガーである。フェスティンガーと2人の同僚は、シカゴの主婦マリオン・キーチ率いるUFOカルトに参加した。キーチはクラリオンという惑星からの宇宙人からメッセージを受け取っていた。1954年12月21日に起こるとされた世界的な洪水の予言が外れたとき、彼女の信者たちの多くはグループを去るどころか、むしろ信仰にさらに固執するようになった。フェスティンガーは、人が何かを真実であると信じているのに全ての証拠がそれを否定した場合、人は新しい信念体系に基づいて人生を再出発させるよりも、しばしば古い信念に執着し、現実との矛盾に対抗する新たな説明を生み出すということを発見した。フェスティンガーはこの反応を「認知的不協和」と呼んだが、これはUFOの分野や他のあまたの信念体系において繰り返し見られる現象である。
好奇心をそそってやまない『UFOs: 過去・現在・未来』は、『トワイライト・ゾーン』の創作者ロッド・サーリングがナレーションを担当した。それはUFOの実在を裏付ける真っ当な事例を紹介するもので、ロバート・フレンド、ウィリアム・コールマン、J.アレン・ハイネックが出演している。1974年の公開時にはそこそこの成功にとどまったが、スピルバーグの『未知との遭遇』が大ヒットした1979年に同作は再び注目された。『UFOs: それは始まっている』という新タイトルが付けられたこの拡張版には、キャトル・ミューティレーションがETによって行われている事を示唆する新たな素材や、ダルシェ周辺で行った調査について語るゲイブ・バルデスのインタビューが含まれている。
ボブ・エメネガーとUFOストーリーとの関わりはこれで終わらなかった。1980年代半ば、彼は国防音響映像局(DAVA)の高官2名から接触を受けた。1人は同局の局長ボブ・スコットで、もう1人は彼の補佐役にして、退役陸軍大将のグレン・ミラーだった。ミラーはかつてジョージ・パットン将軍と共に働き、さらにロナルド・レーガンのハリウッドでの最初のエージェントでもあった。スコットは以前、東欧を中心にアメリカ支持のプロパガンダを発信していた米国情報局で働いていた。今回も、プロジェクトを進めたのはコールマンとシャートルで、彼らはスコット、ミラー、エメネガーを引き合わせた。そして再び、空軍がUFOの秘密を公にする準備ができていると約束したのである。何回か奇妙な会合が開かれたが、そんな機会にスコットが「地球は複数のET種族の訪問を受けている」といった確信を語ったこともあった。だが、結局このプロジェクトは中止された。
1988年、ホロマン着陸事件は、『UFOカバーアップ・ライブ!』という悪趣味な番組が全国放送されたことで再び国民の前に浮上した。これは1988年10月18日に放映されたもので、番組はエメネガーがグレイ社で働いていた当時の同僚、マイケル・セリグマンがプロデュースした。彼はかつてはアカデミー賞授賞式を制作していた人物だが、エメネガーによれば、UFOの陰謀論に首を突っ込むようなことよりはカネ儲けの方にはるかに興味があった。この番組では、ボブ・エメネガーが自らの話を語り、シャートルはホロマンでの着陸映像を見た話を改めてしゃべった。
番組で最も印象的なシーンの一つは、ファルコンとコンドルという名前で紹介された空軍内部のインサイダー2人へのインタビューであった。その顔は影で隠されていたが、このインサイダーたちは驚くべき話を語った。エイリアン種族との条約について、そしてエリア51に収容されている生きたETについてである(彼らは野菜やストロベリーアイスクリームを好み、チベット音楽を聴くのが好きなのだという)。彼らは交換プログラムについても触れたが、それを「セルポ」とは呼ばなかった。この「鳥さん」たちが誰だったのかといえば、他でもない、別名ファルコンのリック・ドーティ(ただしもちろんビル・ムーアの言うオリジナルのファルコンではない)であり、別名コンドルのロバート・コリンズであった。ちなみにこの二人は、2005年に『Exempt from Disclosure』の共著者として再び手を組むことになる。
では、『UFOs: 過去・現在・未来』の目的は何だったのだろうか? 空軍はUFO問題に対する思いは一緒なのだというふりをしてUFOに関心を持つ新兵を引き付けようとしたのだろうか? それとも、ETは来ているという信仰を推し進める心理的プログラムをより広い範囲に広めようとしたのだろうか? UFOに対する一般の関心を高めながら、同時にこの問題への自らの関与を否定するというのは矛盾しているように思えるが、事がUFOに関わる限り、空軍の行動の多くは同様に矛盾している。この映画は空軍内部の意見の分裂を示しているのだろうか。あるいは、コールマンとワインブレナーの背景に見えるAFOSIや外国技術部門を念頭に入れると、むしろカウンターインテリジェンスやディスインフォメーションが目的だった可能性が高いのだろうか?
映画には確かにインパクトがあった。映画の中心にあるホロマン着陸事件は、UFOの世界で長く卓越した地位を占めることになった。『未知との遭遇』のクライマックスは、この事件を基に精巧なディスコ風の再現をしてみせたものであり、30年後にはセルポ事件の中心的な要素ともなった。しかしその前にこの事件は、AFOSIの汚い仕事によるところのもう一つの古典的事案においても重要な役割を果たすことになる。そして我々は、またもやその中心部にリック・ドーティを見ることになる。
■ETファクター
1983年までに、ポール・ベネウィッツの関心というのは、その殆どの部分がダルシェの宇宙人基地に集中するようになっていた。彼の「プロジェクト・ベータ」報告のおかげで、彼の存在と「エイリアンの侵略」というセンセーショナルなストーリーはUFOコミュニティでよく知られるようになっていた。それと同じ時期、ドーティ、ムーア、ボブ・プラットは自分たちのSF小説『アクエリアス・プロジェクト』についての議論をかわしていたのだが、そこで彼らが考えたアイデアの幾つかは、AFOSIがベネウィッツや他の研究者たちに流していたニセのUFO文書に盛り込まれていた。
そんな研究者の一人がリンダ・モールトン・ハウだった。彼女はコロラド州を拠点とするライター兼映画監督で、キャトル・ミューティレーションを扱った1980年のドキュメンタリー『奇妙な収穫』では地域エミー賞を受賞していた。彼女はキャトル・ミューティレーションの調査を通じてポール・ベネウィッツやゲイブ・バルデスと知り合い、この現象にはUFOが関わっていると確信していた。だからHBOがUFOについての映画制作を依頼してきた時、彼女はその好機を逃さなかった。『UFOs: ETファクター』というそのタイトルは、HBOが何を狙っていたのかを物語っている。それは『未知との遭遇』や『ET』の実話版だったのだ。
1983年4月、ハウはドーティからカートランド基地に招かれた。彼女がアルバカーキ空港に到着したとき、UFOは大きな話題となっていた。地元紙の一面には、1980年にカートランドのコヨーテキャニオン上空でUFO目撃が記録されたという空軍文書の公開についてのニュースが掲載されていた。また、地元の科学者ポール・ベネウィッツが、相互UFOネットワークのアルバカーキ支部でUFOについて講演を行ったことも報じられていた。
ドーティは予定通り空港でハウに会うことができず、ようやく姿を見せた時の彼は不安そうで苛立っているように見えた。彼らがカートランドへ向かう途中、ハウはホロマンでのUFOの着陸についてドーティに尋ねた。ドーティはそれは本当にあったことだと答えたが、正確な日付は1964年4月25日で、それはニューメキシコ州ソコロの外れの乾いた谷で、警官ロニー・ザモラが卵型の飛行物体が着陸するのを目撃した数時間後だったと言った。
ドーティはハウを上司のオフィスだという場所に案内し、机を挟んで座った。頑健な牧場主や軽薄なテレビ業界の連中と一緒にいることに慣れていたハウは、民間人然とした服装のドーティをあまり印象に残らないタイプだと思ったが、彼はハウの注意を引く術を知っていた。彼はハウに、彼女の映画『奇妙な収穫』は政府の人々を動揺させたと伝えた。彼女は何か重要なものに近づきつつあるというのだ。彼は、AFOSI(空軍特別調査局)のメンバーとともに、彼女がドキュメンタリーを通じて真実を伝えるのを手伝いたいのだと言った。彼が提供できるもののサンプルとして、ドーティは引き出しを開けて書類を幾つかリンダに手渡した。「上司からこれを見せるように言われています」。そう彼は言った。さらに彼は、窓から遠く離れたところにある大きな鏡の前の椅子に座って書類を読むように言った。「窓越しに監視されているということもあるかもしれませんからね」。彼はそう言った。ハウは、鏡の向こう側では誰かが彼女の反応を見ていたのではないかと今でも考えている。
この時ハウが見たのは、AFOSIが作成した「アクエリアス文書」であり、それは彼女の心を揺さぶった。「アメリカ合衆国大統領へのブリーフィングペーパー」と題されたその文書には、あまり知られていないUFO墜落事件の話が書かれていて、そこにはロズウェル事件のほか、1952年までロスアラモスで生存していたエイリアンEBEの話も書かれていた。EBEの語ったところでは、彼らの種族は数千年前から地球に来ていて、今もなお地球にいるということだった。彼らは人類を遺伝的に作りだし、霊的指導者を通じて我々の進化を導いてきたが、その中には、2千年前に「平和と愛を教えるために送られた」者も含まれていた。こうした内容の多くはビル・ムーアとボブ・プラットが彼らの本について語り合っていた話から出たもので、元はといえばエーリッヒ・フォン・デニケンの『神々の戦車』のおかげでポピュラーになっていたものだった。ムーアはそのアイデアをドーティに渡し、今やそれがハウに伝えられるに至ったというわけだ。
アクエリアス文書によれば、プロジェクト・ブルーブックというのは、極秘にされていた本物のETの技術から大衆の注意を逸らすためにのみ存在したもので、実際のUFOに関する問題はMJ-12という組織によって管理されていたとしている。その文書は、フランク・スカリーの『空飛ぶ円盤の背後で Behind the Flying Saucers』で採り上げられた後、ほとんど忘れ去られていたアズテックでのUFO墜落事件についても言及していた。これは1970年代後半、匿名の空軍情報源からの情報漏洩がうまいこと仕組まれたこともあって再び注目を浴びていたのである。この事件を掘り下げたビル・ムーアは、リック・ドーティやボブ・プラットと議論を重ねていたのだが、その内容はドーティ経由でアクエリアス文書に入り込み、それが再びUFOコミュニティに広まっていったということになる。しかも今度は政府のお墨付きという形だ。そのプロセスというのは実にグルグルと循環しているようで、めまいを覚えざるを得ないほどだ。
ドーティはハウに対して、墜落したUFO、エイリアンの遺体、ホロマンへの着陸映像、そして何とも驚くべきことに生きているイーバEBEの映像を提供しようと言った。さらに彼は、現在米国政府の「客」として滞在しているEBE3に会って、場合によってはその撮影すらできるかもしれないと仄めかした。しかし、これには一つ落とし穴があった。ハウの撮る映画では、UFOのストーリーはソコロ事件があった1964年までに限定されるというのだった。なぜこの年が切り取り線として選ばれたのかは不明だが、おそらくそれはハウをダルシェやベネウィッツの問題から遠ざけるためだったのだろう。
ハウは驚愕した。自分はついにUFOの真実を世界に伝える存在になるのだ。しかし、なぜ空軍はそんな素材をニューヨーク・タイムズやメジャーなテレビのニュース番組にではなく、彼女に与えようというのか。ドーティは、警告を発するような素振りは一切見せずに率直な調子でこう言った――個人の方が大組織より操りやすいし、簡単に信用を失墜させられるからさ、と。
ハウはHBOに「世紀の物語」に備えるように伝えたが、HBOのプロデューサーは、提供されるという映像について後々責任を問われないことを保証する書簡が欲しいと米空軍に主張した。ドーティはハウにそうした書簡を用意すると約束した。数週間が経ち、数ヶ月が経った。ドーティは、EBE1を世話していた空軍大佐とのインタビューをセッティングすることを約束したが、その前に彼女と彼女のスタッフの身元調査を行う必要があると主張した。そして、結局は何も進まなかった。HBOはその間、不安を募らせていた。映像はどこにあるのか? 1983年10月までに、ハウのHBOとの最初の契約は失効し、彼らはその映画制作を断念した。ハウは打ちひしがれた。
数年後、ドーティはハウとの間にこうしたやり取りがあったことを否定したが、ハウはやりとりが実際にあったとする宣誓供述書に署名して対抗した。彼女はまた、ドーティとの間のやり取り、そしてHBOとの間のやり取りを記した文書も明かした。なぜAFOSIがリンダ・ハウを欺こうと決めたのかは不明である。当初からHBOの制作をやめさせる計画であったのか、それともただ予期せぬ事態があってこうなったのか? 理由は正確にはわからないが、彼らがそうしたことをしたのは確かであったし、ドーティは24年後になってハウが述べたようなやり取りがあったことを認めた。その目的は、ベネウィッツに対するAFOSIのニセ情報プログラムに関連していた。ドーティの言葉によれば、「我々はリンダに良い情報と悪い情報を渡した。彼女は悪い情報を選んだ」。彼はこの件についてこれ以上の事は言っていない。
こんな風に徹底的にごまかされて自らのキャリアを害されたリンダ・ハウは、UFOの問題から完全に足を洗ってしまったのではないか――あなたはそう考えるかもしれない。だが実際は、レオン・フェスティンガーの認知的不協和理論に従うように、彼女は地球上にETが来ているというのは本当だとさらに確信するようになり、以来、その事実を記録することに生涯のほとんどを費やしている。
これはユーフォロジーの領域では何度も繰り返されるパターンであって、そこには矛盾とパラドクスがあまりに多くあるために、ビリーバーたちはETの存在を信じ続けるため込み入った理屈を日々新たに発展させていかねばならないのだ。この辺はニセ情報戦略の設計者たちであれば熟知していることであり、ハウを欺いたのを契機に、彼らはさらなる傑作を作りだそうとしたのだった。 (13←14→15)
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