■第15章 秘密兵器
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「じっと見続けるのよ。そうやって何か見えてきたなら、それはきっとイエス様よ」 ――1980年12月29日、テキサス州ニューキャニーでUFOを目撃したヴィッキー・ランドラムがコルビー・ランドラムにかけた言葉
人間が作った空飛ぶ円盤の歴史は錯綜している。かつて私は個々の断片をどうにかつなぎ合わせてみたことがあるのだが、その際、どうしても解き明かさねばならない問いが一つ残った。もし円盤型の飛行体が1930年代から飛んでいたのなら、なぜ空飛ぶ円盤はそののち、かくも魔術的で異世界の雰囲気を漂わせるようなオーラを持つにいたったのか?
スイスの心理学者カール・ユングはCIA長官アレン・ダレスの親友であったが、彼は晩年に至って空飛ぶ円盤に魅了され、この問題について書いた『空飛ぶ円盤――空に見られたものについての現代の神話』(1959)は今なお古典的作品とされている。ユングは、この円盤の持つ力を、全体性・完全性・完璧さのイメージであるところのマンダラと同一視することで説明しようとした――そうした特性はマンダラ以外では神にしか見られないものである。神話的な賢者ヘルメス・トリスメギストスが語るところでは、神というのは円なのだという。その円というのは、円周はどこにでもあるけれども、中心はどこにもない円である。このパラドクスに満ちた比喩というのはUFOの問題にもピッタリと当てはまる。そして、円盤に神秘性をまとわせているのはその円形の形状だけではなく、ユングの表現でいうならばあまたの報告にみられる「不可能性」 もまたそうである。つまりそこには元来夢のようで非論理的な性質があり、少なくとも [人の心に舞い降りるための] 着陸装置といったものが、イマジネーションの世界の中に常に存在していることを示唆している。
しかし、空飛ぶ円盤の神秘性が広まっていった背景に思いをいたすと、空飛ぶ円盤を単なる航空機というにとどまらず心理学的な兵器にも仕立てていこうという「プラン」のようなものがなかったか、という疑念も兆す。こうした考えは、1950年代初頭にはアメリカ自身による空飛ぶ円盤プロジェクトが進行中であったことを考慮に入れると、より意味をもってくる。
1953年2月11日、トロント・スター紙は空飛ぶ円盤はもはや幻想ではないと報じた。アブロ・カナダ社が、所有するマルトン空港でその種のものを製造していたというのである。スター紙によれば、その垂直離着陸機(VTOL)はほぼ静止した状態でホバリングし、時速1,500マイルで飛行することができるとされた。この話は大筋で本当のことだった。アブロは「プロジェクトY」、あるいはそのスベード状のデルタ形状から「アブロ・エース」として知られる航空機の開発に取り組んでいたのだ。ただしそれはモックアップとしてのみ存在し、地表から離陸できるようなものではなかった。
英国の航空機設計者ジョン・フロストは、英空軍の有名なデ・ハビランド・バンパイアの設計者であるが、VTOL航空機へのニーズの高まりに応じるため、[同社で] 「エース」を開発した。噂されたドイツの空飛ぶ円盤がそうだったように、エースもまた平面放射流タービンエンジンを搭載する予定だった。このエンジンは中央軸の周りを回転し、航空機の縁に沿って空気を押し出すもので、通称「パンケーキ」と呼ばれた。フロストは航空界の多くの人々と同様、ロシア人は既にドイツの設計に基づいて円盤型航空機を飛ばしていると確信しており、エースの設計に関してはハインケル-BMWでフルーク・クライゼルのために働いていたエンジニアから助言を求めたとされている。 [訳注:フロストはアブロ・カナダ社で当時円盤機開発に携わった人物。ここで開発したという「the Ace」の詳細は不明だが、同名の試験モデルがあったものか?]
1954年までに、カナダ政府の忍耐、そして資金はいずれもが尽きかけており、プロジェクトYは閉鎖の危機に瀕していた。そこに米空軍研究開発(R&D)部門のドナルド・パット中将が登場した。パットはフロストに20万ドルを提供して作業を継続させ、さらに1955年には――おそらく前年10月のラッセル上院議員の目撃が刺激となったのだろう――さらに75万ドルを提供した。米空軍の資金からの資金が入ったことで、「シルバーバグ」と「レディーバード」として知られる2つの円盤開発の計画が含まれたプロジェクトY2が発足した。ちょうどこの頃、おそらくは1954年10月になって、空飛ぶ円盤に関する問い合わせに対して米国防総省が発送する定型文からは、「未確認航空現象」は「米国によって開発された秘密兵器、ミサイル、または航空機である」という主張を否定する段落が削除された。
単座の迎撃機として開発されていたレディーバードは、さらなる進化版として、速度は驚異のマッハ3.5(2600マイル以上)、飛行高度は80,000フィート、ホバリングから70,000フィートに達する時間はこれまた想定外の4分12秒という高性能を発揮することが期待されていた。この円盤機がこれほどまでの高速性能を達成できるのは、コアンダ効果を利用できるからだとされた。すなわち曲面の縁に沿って流れる空気が、さらなる揚力を生み出すという効果である。Y2計画では、円盤機の様々な使い方が提案された。その中には海軍艦船や潜水艦から発艦する艦上機、小型バージョンを用いての無人の飛行爆弾、さらにはリムの部分を強化した有人機で敵機を「スライス」するというものもあった――最後のそれは多くのパイロットが進んでやろうとはまず思わない任務ではあったが。
フロストの円盤のうち最も進んだバージョンとなったアブロ「MX-1794」は、それまでより強力なターボジェットエンジンを搭載したもので、1956年にモックアップ段階に達した。風洞試験はライト・パターソン基地で行われたが、これが「基地内に空飛ぶ円盤がある」という噂を広めるのに貢献したのは疑いがない。この試験はその後、NASAの前身であるNACAのカリフォルニア州エイムズの施設でも実施された。1794型機のプロジェクトの見通しは明るかった。1956年10月の海軍のプレゼンテーションでは、アブロが1957年1月に飛行プロトタイプ機を完成させると発表した……だが、この飛行機についての話が表に出たのはこれが最後だった。
アメリカ製の空飛ぶ円盤に何が起こったのだろうか? 航空史家のビル・ローズとトニー・バトラーは、実質的に同一の航空機のために複数のプロジェクト名が入り乱れて用いられていたのは意図的に混乱を招くためだったとみており、MX-1794は最終段階で「ブラック」に――秘密兵器になったのだと示唆している。彼らは、進行中の空飛ぶ円盤開発プログラムについて論じた1959年の文書を見たと主張しており、U-2やステルス機を生み出した有名なロッキード社のスカンクワークスがその拠点である可能性が高いと主張している。
シルバーバグの物語のほろにがい後日談をひとつ紹介しておくと、1958年にMX-1794が姿を消したのと同時に、アブロは新たなプロジェクトを発表した。VZ-9AV、通称アブロカーである。これは幅18フィート、高さ3フィートの単座型円盤型飛行機だった。もともとは陸軍用のホバージープとして設計されたものだったが、アブロカーは振動が激しく不安定で、最終的には役に立たない失敗作だということが判明した。その役目といえば、ニュース映像で滑稽なシーンを提供できることぐらいで、一部の人々は、これは真の極秘プロジェクトであるMX-1794から目をそらすための意図的な目くらましだとすら言っている。シルバーバグの資料が1995年に機密解除されるまで、一般の人々がアブロ社の円盤プロジェクトについて知っていたのはアブロカーだけであり、その結果がどうなったかといえば、自国製の円盤開発プログラムが真剣に検討されることは全くなくなってしまった。
米空軍は1961年にアブロ・カナダ社との協働をやめ、その翌年にはマルトン工場も閉鎖された。だが、空飛ぶ円盤の夢がそれで終わったわけではなかった。1958年の映画『ベル、ブック、アンド・キャンドル』に登場する魔法の猫にちなんで「パイ・ワケット」とコードネームが付けられたコンベア・レンズ防衛ミサイルは、直径約5フィートの無線操縦式円盤で、飛行機としては短命に終わったB-70バルキリー爆撃機から発射される予定であった。パイ・ワケットは有人航空機ではできない動きが可能で、時速マッハ7(約5000マイル)の速度で衝突して爆発することを想定していた。このプラットフォームは風洞試験の段階に到達したのち、1961年に開発中止になったが、小型で流線型をした円盤モデルの写真は今でも存在している。ただ、MX-1794と同様、レンズ防衛ミサイルも「ブラック」入り――つまり極秘プロジェクトに移行した可能性があり、ホワイトサンズで実物大モデルがテストされたという噂も根強い。長年にわたる小型円盤型UFOの目撃情報の多くはパイ・ワケットのようなもので説明できるという説もある。
人工的なUFOに関する議論では、長年アメリカ最大のUFO研究団体であったNICAPの創設メンバーで、オハイオ州出身のエンジニアであったトーマス・タウンゼント・ブラウンをめぐる謎も無視できない。生まれながらの発明家であったブラウンは、1921年、イオン化された電子によって推進力が発生することを発見した時、まだ16歳だった。このビーフェルト=ブラウン効果は通常は電気流体力学(EHD)と呼ばれているが、今日の「リフター」(軽量の機体が電気を動力源として使用する原理)の背後にある原理で、将来的には深宇宙の探索に役割を果たすかもしれない。
ブラウンのキャリアの多くは機密に包まれている。1930年代から1940年代にかけて、彼はいまもなお機密扱いになっている陸軍や海軍の多くのプロジェクトに参加したが、どうやらそれらはレーダーや通信衛星に関するものだったようだ。1950年代後半には、ブラウンは円盤型モデルを使った反重力研究に取り組んでいたと言われている。当時は、新聞や『メカニックス・イラストレイテッド』のような人気雑誌にも記事が載るほど反重力への関心は高まっていたのである。伝えられているところでは反重力研究はアメリカ国内の14カ所で行われていたとされ、その中のひとつ、ライト・パターソン空軍基地の航空研究所(後に航空宇宙研究所)では、アブロ社の円盤の試験が行われていた。UFOコミュニティの一部の人々は、この時期に反重力技術のブレイクスルーがあったと信じている。中でも最も可能性が高いとされるのは、ブラウンのアイデアが、重力の引っ張る力を中和する技術で僅かながらではあるが進歩を生み出したという見方である。例えば、それは電場を使って航空機の翼の抗力を減ずるといったもので、そのシステムは今日巨大なB-2ステルス爆撃機で用いられているとも言われている。
人間の手になるUFOを探求する際、もう一つ考慮すべき分野がある。あらゆる場面で原子力への熱狂があった時代の一断面ということになるが、1946年、米空軍は、航空機の推進のための原子力(NEPA)計画を立ち上げた。実際の試験飛行が始まったのは1955年で、2年間にわたって、12トンの鉛とゴム製のシールドを装備したB-36爆撃機がテキサス州とニューメキシコ州の上空で47回の試験飛行を行った。この機には空気と水で冷却される原子炉が搭載されていた。「X-6」という原子力航空機の計画も立てられ、試作エンジンも製造されたが、1961年に計画は全て中止された。しかし、それは本当に終わったのだろうか? いくつかのUFO遭遇事件では、目撃者が放射線被曝と考えられる症状を示している。1980年12月29日のキャッシュ=ランドラム事件がその最も有名な例である。
以上が円盤型航空機の完全なる歴史だというわけでは全くない。多くの航空機設計者は、UFOの報告が絶えず流れる中、その形状を用いた実験に取り組んできた。アメリカの空軍基地の格納庫に円盤が保管されているという噂も今なお続いている。人口に膾炙したそのバリエーションとしては、1960年代にフロリダ州のマクディル空軍基地のスクラップ置き場で大きな円盤が目撃されたという話や、1980年代にアメリカ国内の極秘施設でリバースエンジニアリングが行われていたとされる反重力エイリアン再現機(ARV)3機(通称「スリーベアーズ」)の噂といったものがある。
■UFO:資金不足の優良案件
偶然なのか仕組まれたことだったのかはともかく、1950年代になると、空飛ぶ円盤は地球外に由来する知性体やテクノロジーと関連づけられるようになった。戦後の世界の覇権争いの中で、先進的な異星人のテクノロジーを握っているように匂わせることは、心理戦において強力な武器となり得た。UFOコミュニティが「アメリカ政府はUFOの真実を隠している」と訴えていたのとは反対に、冷戦がいまだかつてないほど激化する中、サイラス・ニュートン、オラヴォ・フォンテス、それからやや遅れてではあるがポール・ベネウィッツといった人物は、「米軍はイギリスなどと比べたら何百年――ことによったら何千年も進んだ異星人の技術を所有しているのだ」と信じ込むよう [当局から] 吹き込まれた。こうした異星人の乗り物は信じられない速度で移動し、瞬時に停止し、ピンの上に浮かぶことができた。音を全くたてず、目に見えない存在になることもできた。UFOはかつても、そして今も無敵だった。そして、アメリカはそうしたテクノロジーを手にしているというのである。
ベネウィッツ事件の後、こうした噂はどんどん強まっていった。「ガンホー」(「世界の軍事関係者のための雑誌」を称する雑誌だ)1988年2月号に登場したアル・フリッキーという偽名の人物は、「エリア51で異星人の乗り物の試験飛行が行われている」という話で人々の耳目を引いた最初の人間となった。ネバダ州のこの基地は、細かい事をいえばネリス空軍基地の軍事作戦エリアに属していて、現在では多くの人にその名を知られているが、当時はその存在自体が極秘であった。記事のタイトルは「ステルス――そしてその先へ:オーロラ計画と『資金不足の優良案件』(Unfunded Opportunities:UFO)についての概要」というものだった。ちなみにこの「資金不足の優良案件」というのは、ロッキード・マーチン社の「スカンクワークス」(U-2、SR-71ブラックバード、ステルス戦闘機、B-2爆撃機を開発した先進開発プログラム)の責任者であるベン・リッチが、かつて語った言葉に由来している。彼はUFOについての意見を聞かれた際、「UFOというのは資金不足の優良案件だよ」と言ったのである。この発言は如何様にも解釈できる多義的なコメントだ。彼は「スカンクワークスはアブロMX-1794のような空飛ぶ円盤を開発したが、資金が尽きてしまった」と言いたかったのだろうか? あるいは「目撃されたUFOはまだ開発段階に至っていない試作機だった」ということなのだろうか?
「ガンホー」の記事では、エリア51で――とりわけそこにある「エイリアン・テクノロジー・センター」で何が行われているかについての推測がなされているが(ちなみに編集者は「彼らはメキシコ人を研究しているのか?」と軽口を叩いている――訳注:エイリアンには外国人の意味もある)、そこにはロッキードのエンジニアのこんな匿名コメントが引用されている。「こんな風に言っておこうか。ネバダの砂漠には、ジョージ・ルーカスがよだれを垂らしてしまうようなものが飛んでいるのさ」。また、空軍の匿名士官はフリッキーにこう語っている。「我々がテスト飛行している機体は、言葉では説明しにくい。観念的な言い方だが、これをSR-71と比べることは、レオナルド・ダ・ヴィンチのパラシュートをスペースシャトルと比較するようなものだ」。フリッキーはまた、「フォースフィールド技術、重力駆動システム、『空飛ぶ円盤』のデザイン」といったものにかんする噂にも触れている。エリア51で彼らは一体どんなスーパー兵器を作っていたのだろう?
イギリスのレーダー技術の先駆者レジナルド・V・ジョーンズは、第二次世界大戦の回顧録『最も秘匿された戦争』の中で、1939年にアドルフ・ヒトラーが行った演説がイギリス諜報機関を如何に畏怖させたかを記している。外務省が翻訳したその演説の中で、ヒトラーは、ドイツは「如何なる防御も無効な秘密兵器」を持っていると自慢していた。これに続いて、ヒトラーはこう宣言した。その兵器は標的となった者たちから「視覚と聴覚を奪う」ものだ、と。
秘密情報部はジョーンズにこの秘密兵器がいかなるものであるか評価するよう要請し、彼はいかなる可能性が考えられるかを報告書にまとめた。
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空想めいた噂、つまり「地震を起こす機械」だとか「半径2マイル以内の人間を爆発で滅し去るガス」といったものを除外した上で、なお考慮に入れるべき兵器は幾つかある。以下のようなものである。
- 細菌兵器
新種のガス
火炎兵器
グライダー爆弾、空中魚雷、無人航空機
長距離砲・ロケット
新型の魚雷、機雷、潜水艦
殺人光線、エンジン停止光線、磁気銃
ヒトラー演説の真相は、最終的にはより現実的なものであった。ドイツ語で「武器」を意味するのは「ヴァッフェ」という言葉であるが、ジョーンズがスピーチを改めて翻訳したところ、ヒトラーは「ルフトヴァッフェ」、すなわち空軍のことを言っていたことが判明した。犠牲者を盲目にし耳を聞こえなくするという謎の力は、単に「雷に打たれた」と訳されるべきものを不適切に解釈しただけのことに過ぎなかったのだ。
ハッタリと脅しは、どの国においても重要な兵器である。戦時であれ平時であれ、もし敵国ないし潜在的な敵国が先進的なテクノロジーを手に入れたと主張するならば、それを無視することはできない。少なくとも、その主張が真実かどうかを評価するために多大な時間と資金を費やすことになる。自国でそれと同じものを作ろうとさらに資源を浪費するかもしれない。一方で、そうした脅威が市民や軍の士気にもたらす影響は、その兵器そのものと同じくらい破壊的になる可能性があるのだ。
UFO現象の初期には、ゴーストロケット、空飛ぶ円盤、緑色の火球、そのほか謎の物体のあれこれが、ソビエト連邦の進んだテクノロジーの表れなのではないかという懸念があった。1948年に円盤を追跡していたパイロットのトーマス・マンテルが死亡した後、この状況はさらに悪化した。アメリカ空軍のパイロットが、「マンテルのようになってしまうかもしれない」といって未知の航空機に立ち向かうことを恐れるようになったら、希望はすべて潰えてしまう。もしある日、空飛ぶ円盤がソビエト連邦の航空機であると判明したら、一体誰がそれに立ち向かうだろうか? そのような事態が起きてはならないのだ。そうした理由で、軍の目撃報告に対する管理を強化し、円盤に民間人が興奮するのを抑えこむことでUFOパニックを封じなければならない必要が出てきたのである。逆に、他国に「空飛ぶ円盤は無敵で、しかもアメリカの手の内にある」と信じさせたらどうなるか。敵国のパイロットがU-2や偵察気球を撃墜しようとする試みを抑制できる可能性も出てくるのである。
■スターウォーズ
超兵器をめぐる策略というのは単なる憶測にとどまるものではない。考えてみて頂きたいのだが、これと同様なシナリオは、ポール・ベネウィッツが妄想の極にあった1983年の時点で現実に存在していた。
当時、相互確証破壊(Mutually Assured Destruction)の観念は、東西両陣営を死の恐怖で縛り付けていた。CIAの予測によれば、このまま軍備拡張が続けば、ソビエト連邦は10年後にはアメリカ本土に到達可能な核弾頭21,000発を保有することになると見込まれていた。たった一度のミサイル攻撃でも壊滅的な結果を招くというのだから、CIAの予想はまさに黙示録的であった。この状況を打開するためには何かが為されねばならなかった。
その年の3月、全アメリカ合衆国大統領ロナルド・レーガンは全国放送のスピーチで、アメリカは近日中にソビエトのミサイルに対して無敵になるだろうと発表した。彼はこう語った。我々の安全というのは、ソビエトの攻撃を抑止するための「万一の際の報復」に依存しているわけではなく、戦略弾道ミサイルがわが国や同盟国に到達する以前にそれを迎撃・破壊できるからなのだ――そう知ったアメリカ国民はこれから安心して暮らしていけるだろう、と。
レーガンの超兵器は、戦略防衛構想(SDI)、通称「スター・ウォーズ」であった。理論的には、敵ミサイルがアメリカの国土に被害を与える前に撃ち落とし、いわばアメリカとその同盟国の頭上に「漏れのないアストロドーム」を作ろうというものであった。さらに、その防弾ガラスの下で安心していられるということは、アメリカがソビエトに対して先制核攻撃を行うことが可能になるということでもあった。議会はSDIに対して懐疑的であったが、彼らの承認なしにはその開発資金を調達することはできなかった。そこで、議会に財布の紐を緩めさせ、かつスター・ウォーズ計画は至って真面目なものだとロシアに確信させるため、ペンタゴンはシンプルだが見事な策略を考案した。
4回にわたるデモンストレーションが行われた。カリフォルニア州のヴァンデンバーグ空軍基地からソビエトのICBMを模したミサイルが発射され、一方でSDIの迎撃ミサイルが南太平洋から発射された。最初の3回のテストは失敗したが、4回目のSDIミサイルは標的を直撃した。この成功の映像は世界中のテレビニュースで放送され、アメリカの軍事的優位性を決して疑ってはならないという警告が喧伝された。議会はこの成功に感銘を受け、SDIに350億ドルもの巨額の資金を投入し、ペンタゴンの計画はさらに進展した。既に経済的に破綻寸前だったロシアは、この計画に対抗できなかった。もっとも、そのすべてが壮大な演出でなかったら、そんな成功を収めることはできなかっただろう。
SDIはインチキだった。迎撃のデモンストレーションは単なる手品だった。その効果を説得力のあるものに見せかけるため、ソビエトのそれに模したICBMは、SDIミサイルが近づいた時に自爆するための爆弾を搭載していた。問題は、最初の3つの迎撃ミサイルが目標を大きく外したため、それを自爆させたらおかしな風に見えてしまうことだった。4回目の「成功した」テストでは、性能不足の迎撃ミサイルでも狙える大きな標的となるよう、標的のミサイルは人工的に加熱され、レーダーのビーコンも取り付けられた。その際、迎撃ミサイルには熱探知センサーまで装備されていたのである。標的のミサイルは時速9,000マイルで飛行しているものの、ほぼ無防備な状態であった。
SDIは、ペンタゴンの欺瞞作戦の中でも最も派手なものの一つであり、幸いなことに冷戦の緊張を緩和するのに役立った。これは、アメリカをベトナム戦争に巻き込んだ1964年の「トンキン湾事件」や、サダム・フセインの「存在しなかった大量破壊兵器」とは異なっていた。
異星人の超兵器というのも、もうひとつの軍事神話に過ぎないのだろうか? あるいは我々の地球上のテクノロジーが、もはや異星人の乗り物と区別がつかないほど進歩したということなのだろうか? それとも、ペンタゴンのUFOは大衆を騙す兵器に過ぎないのだろうか?(16←17→18)
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