■第17章 地球への降下 DOWN TO EARTH

    「この理論を試したことがあるのですか?」
    「他の惑星に行くのには十分に役立つでしょう」
     ――映画『地球が静止する日』(1951年)より
       (バーンハート教授とクラトゥの対話)


過去60年間、米空軍がUFOコミュニティとどのような奇妙なゲームを繰り広げてきたにせよ、そのゲームはまだ終わっていない。ウォルター・ボズリーやデニス・バルサザーと話したことで、ジョンと私はそう思うようになった。私の直感は、それはずっと終わることがないのだと告げていた。UFOの「真実」はいつも曲がり角のすぐ先にあるかのように感じられるのだが、まるで悪夢の中にいるかのように、どれだけ速く走ってもその曲がり角には決して近づけない。このジグソーパズルにセルポはどのように嵌まりこむのか、我々はなお考えあぐねていた。それがUFOシーンに与えた触媒効果は我々も目にしてきた。しかし、そのストーリーがどこから来たのか、あるいはUFOにまつわる壮大な物語をさらに一歩進めること以外に何か目的があったのだとして、その目的が何だったのかは皆目わからなかった。

しかし、そんなことを長々と考えていられる状況ではなかった。セルポを支持している陣営にとってはまずい事態が生じていた。出るぞ出るぞと言われていたイーヴンたちの球技の写真は全然出てこなかったから、事態を見守ってきた者たちはいらつき始めていた。さらに言えば、「リクエスト・アノニマス」とそのメッセンジャーたちの間のコミュニケーションも既に途絶していたようだった。

事態をさらに悪化させたことがある。セルポ情報のソースとされていた者たち、つまりアノニマス、ポール・マクガヴァン、ジーン・レイクスといった人物は、実はたった一人の人間(あるいは少なくとも一台のコンピュータ)が作り出した複数のキャラクターではないかという見方が浮上したのだ。この発見をしたのはスティーブン・ブロードベント。彼は英国のコンピュータ・ネットワークの専門家だが、セルポの魅力に引き込まれ、開示されたストーリーを調査するため「暴露された現実Reality Uncovered」と称するウェブサイトを立ち上げた人物だ。ネット上でスパイ小説もさながらという調査に取り組んだ結果、ブロードベントは、2005年11月にビクター・マルティネスのメールリストに送られたアノニマスの最初のメールを見つけ出した。次いで彼は、それを支持する内容のリック・ドーティならびにポール・マクガヴァンのEメール、さらには国防情報局の「インサイダー」と称する少なくとも2名の人物のメールを見つけ出したのだが、これらすべてが民生用ブロードバンドの同じIPアドレスを共有していたこと、そしてこのIPアドレスはニューメキシコ州アルバカーキにあるコンピュータネットワークのものだったことを突きとめた。この一群の人々の中で唯一サイバースペースの外で実在していることが確認されているのはリックである。これが示唆しているのは、セルポのストーリーの発信源であったかどうかはともかく、発端となったメールの発信者はリックであったということだ。

これは信じがたいことだった。リックは惑星セルポの裏側でクスクス笑いをしていたのだろうか? 仮にそうだとして、リックの背後にいたのは誰なのか?(もしそんな人物がいればの話だが)。ブロードベントの発見はフォーラムに投稿やEメールが殺到する事態を引き起こし、それは数ヶ月続いた。すべてはセルポの伝説の背後にいる黒幕を突きとめようとしてのことだった。そこにいたのはリックただひとりだったのか? ビクター・マルティネスも関わっていたのか? ビル・ムーアの「鳥たち」の中にいる別の人物なのか? 米軍、諜報機関、あるいは政府の一部? サイエントロジーは? あるいはリックとボブ・コリンズの著書『情報解除免除 Exempt from Disclosure』を出版した会社か? セルポの影響で生まれたUFOや陰謀論のウェブサイト、たとえば「Open Minds」や「Above Top Secret」などが関与している可能性は?

これは、シャーロック・ホームズですら絶望してモデムを引きちぎってしまうほどのミステリーだった。登場人物は多く、それぞれの人物について敵対者が持ち出してくる動機もほとんど説得力がなかった(ちなみに他者を告発するのはたいてい疑惑を受けたグループのメンバーだった)。誰かが完全に自白しない限り、この事件は膨大な情報、誤報、そして偽情報の重みに押しつぶされてしまうだろうと思われた。

ブロードベントの発見が示唆していたのは、リック・ドーティがビクター・マルティネスに最初の「アノニマス」名義の投稿を送り、そこからセルポの物語をスタートさせたのではないか――ということだった。リックはその後、自分自身の名で、さらには他の国防総省のインサイダーの名を騙ってセルポの情報を補強するメールを送り続けたというのである。あるいは、誰かがこうしたメールを意図的にデッチ上げ、リックがそれらを送ったかのように見せかけた可能性もある。とりわけセルポの伝説に諜報機関が関わっていた場合には。

我々にしてみれば、リックがたった一人で膨大なセルポの資料を作り出したとは信じがたかったが、彼が一枚噛んでいた可能性は否定できなかった。もしリックに責任があるのだとして、彼が死ぬまでそのことを否定をし続けるのなら、なぜ彼はそんなことをしたのか? リックは一人でもこなせる単純な諜報業務を引き受けたのだが、事がこじれた時に身代わりとして見捨てられたということなのだろうか? それとも、これは彼自身が招いた混乱なのか? 彼は、セルポの物語がどこから出てきたのかを知っているからこそ、既にボロボロになっている自らの評判をそれでもいかほどか守ろうとするが故に、その全貌を明らかにできないのではないか? あるいは、彼がUFOに関わるトリックスターとしての評判を持っていたことが、彼がその任務に選ばれた理由だったのだろうか? 巨大なブラックホールがセルポの伝説を丸ごと飲み込もうとしていた。それはリックをも巻き添えにしてしまうのだろうか?

■パイプ

ジョンと私がロスにいる間も、セルポは死の床にあって痙攣を続けていた。我々はそこで、セルポからのメッセージを最初に世に出したビクター・マルティネスを探し出すことにした。彼と会えば、この問題に新たな光を投げかけることができるのでは、と考えたのだ。しかし、当然というべきか、我々の出会いは新たな疑問を生んだだけだった。

50代前半のビクター・マルティネスはがっしりとした体格で胸板は厚く、大きなサングラスをかけ、きちんと手入れした口ひげをたくわえている。彼は早口で延々としゃべり倒す人物で、話が肝心なところにさしかかるとに大げさに腕を振り回すようなタイプだ。ビクターはパサデナにある実家に一人で暮らしており、ときおり代用教員として働いている。彼は健康上の問題をずっと抱えており(我々が会ったときも彼は病院のリストバンドを着けていた)、一方では文章の綴りや文法、句読点に非常にこだわる人物でもあった。我々は彼とグレッグ・ビショップのガレージで何度か話をしたが、ビクターはその間、床に落ちていた釘に気付いて拾い上げ、心配そうにポケットに入れるようなこともしていた。また、これほど大規模で影響力のあるメーリングリストを運営している人間にしては何とも奇妙なことだが、彼にはテクノロジー嫌いのところもある。セルポ事件が起きた頃、ビクターの自宅にはコンピュータがなく、ウェブTVのような簡単な機材を用いていたのだという。

これはビクターに会って初めて分かったことだが、彼はそれまでずっと「ETは地球を訪問している」と熱心に信じてきた人物であった。さらに彼は、地球に生命のタネを植えつけたのもETであって、その事実を政府は隠蔽しているということも確信している。彼は1980年代初頭からロサンゼルス地域のUFOグループで精力的な活動をしており、その間にビル・ムーアとも知り合っている――その関係を知った人はいささか眉をひそめるのかもしれないけれど。

ビクターは、新たに手に入れたUFO業界のインサイダーという立場にご満悦だった。誰だってそうではないか? リック・ドーティやロバート・コリンズに電話して最新のUFO情報について論じあうというのは、ホワイトハウスのゴシップについてミシェル・オバマに短縮ダイヤルをして話すようなものだ。そして、自らのメーリングリストがセルポ誕生の場となるという栄誉に浴して以来、いろいろな出来事があったけれども、彼としてはリックを信頼する気持ちに変わりはなかった。ビクターはリックを「素晴らしい友人」と呼び、セルポの物語の根っこには語られるべき真実があるのだと確信していた。言い換えてみれば、ビクターというのは、恥知らずな輩がユーフォロジーの血脈に新たなDNAを注入しようとした時、その標的にするには恰好の人物だったのだ。

私たちもリックのことは好きだったが、デッチ上げだったことが急速に知れわたってきたセルポにかんし、彼が果たした役割を弁護することはどんどん困難になっていった。新たな非難の矢が彼に向けられたが、その非難は今や我々にも及びそうになってきた。UFOシーンに巣くう情報屋たちが、我々をカートランド空軍基地に連れていったことは「違法行為だ」と言ってリックを糾弾し始めたのである。私が外国の工作員だったら話は別だが、実際にはこの件には全く違法性はなかった。何者かが私を工作員に仕立てるべくなお全力を尽くしており、そうすることでリックを厄介ごとに巻き込もうとしていたのである。リックを擁護しようとしている人間はジョンと私だけであるように思われたこともあった。しかし、後に明らかになるようにそんなことは全然なかったのだ。

■白衣の男

元CIAの科学者から呼び出しを受けたとしよう。しかもそれが30年間もUFOの世界に足を踏み入れていた人物だというのならば、これはもう応じざるを得まい。かくてジョンと私は、人生で最も恐ろしいといっても過言ではない体験をすることになった――ホームレスとしか言いようがない男が運転するイエローキャブで、世界滅亡後の荒野もかくやというデトロイトのダウンタウンを突っ走ることになったのだ。いや、たぶん彼はこのタクシーの中で寝泊まりしていただけで掛け値なしのホームレスというワケではないのだろうが、その服は垢じみてテカテカした脂で覆われ、汚らしい靴の先からはつま先が飛び出していた。そして、酷く臭かった。運転手は両手で持った茶色の紙袋から何かを吸い込みながら、高速道路を時速60マイルで飛ばしていた。そうすることで彼は注意力を高めていたのかもしれないが、この状況はあまりにも危険過ぎる。私は丁寧な口調で「お願いですから、せめて片手はハンドルに置いてください」と言わねばならなかった。

やっとのことで目的地に着いたが、受付係は我々は会おうとしている人物の名前を名簿から見つけられなかった。しかし問題はなかった。いささかビックリしたのだが、彼はもうロビーに来ていたのだ。白衣を着た彼は我々に挨拶し、力強い握手をしつつ歓迎の気持ちのこもった笑顔をみせてくれた。

キット・グリーンは圧倒的な存在感を放ち、ひと目で人を引きつけてしまうようなタイプで、「いかにもCIAにいた人物だ」と思わせるところがある。彼は羽ペンの如く鋭利にして法律文書のようにスキがなく、いいかげんな部分は全く見てとれない。彼は神経生理学の医師で、その専門知識を国家安全保障に生かしている人物であるわけだが、誰しもその物腰は彼の任務にぴったりだと思うことだろう。そんな彼はUFOにも関心を持っている。興味を抱いたのは30年ばかり前、CIAの科学技術局で「奇妙なものを管理する」部署にいた時のことだった。彼は掛け値なしに上級の科学アナリストだったのだが、その仕事の中には1970年代にホットだった遠隔透視(RV)、UFO、その他の超常現象といったものに関わる諜報活動が一部含まれていた。

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 キット・グリーン


キットは今もなお、UFOと米政府に関わる事項についての最新情報に接する立場にあるようだ。この問題についての彼の見解は非常に複雑かつ微妙なもので、UFOは一部の人々には或る種の精神的な病をもたらす可能性があるけれども、この神話の核心部には本当に奇妙で、かつ調査に値するものが潜んでいる――というものだ。

キットとジョン、そして私は数時間にわたって話をした。最初の話題はセルポであったが、驚いたことにはキットは、我々が予想した以上にこの問題を真剣に受け止めていた。「そこにはいかほどか事実があるのです」と彼は語った。「或る種の文書が存在しているんです。だから私はこの件を一概に否定しさることができません。そのストーリーが明らかに真実ではないとしてもね」。セルポ資料、あるいは少なくともその一部は、どこかの誰かに高度に体系化された形で情報を伝える目的で使われたのではないか。キットはそのように示唆した。情報の価値を評価する方法の一つとして、「その情報に引き寄せられる人物を観察せよ」というのがある。そしてセルポは、防衛諜報分野で高位にいる人々――その中にはおそらく最上層部の人もいただろう――の注意を惹きつけた。キットが興味を抱く理由としてはそれだけでもう十分だった。もっとも、我々と同様、彼もいまだ答えを得てはいないのではあったが。

キットは、長年にわたってリック・ドーティの親しい友人でもあった。彼はリックに対して好意を示し、敬意を表しつつ話したが、そんな彼にしても時折リックが当惑を強いるような行動、苛立ちを感じさせる行動を取ってきたことは認めざるを得なかった。

控えめに言ってもUFOの世界の背後で何が起こっているのかを知っているであろう人間と「拝謁」する機会を得たのだからと、私は幾つか直球勝負の質問を投げかけることにした。そして彼からは見事な直球の答えが返ってきた。

私は、ヨセミテで目撃した銀色の球体について尋ねた。「あれが何だったのか分かりますか?」

「我々はそんな風に見える偵察機をもっています」。彼はあっさりと答えたが、それ以上の詳細は明かさなかった。

我々はまた、軍や核関連の施設を調査するためUFOに「偽装」した静音ヘリを使うことがあるのかという話をした。

「そういうことがあったのはほぼ確実だと思います」とキットは言い、さらにそのような任務を行ったと主張する人物に会った経験があることをほのめかした。

地球外起源説への打撃が二発撃ち込まれた。しかし、我々が安心できる陰謀論のゾーンに入っていこうとするや否や、キットは方程式の中にエイリアンを引きずり込んだ。生物学に関する医師の知識。情報に対するアナリストの洞察力。国家安全保障に関するCIA職員としての理解。ハイストレンジ事例をも受け止めるUFOファンとしての才能。それらを一身に備えたキットの下には、時折「評価をして頂けないか」といって奇妙な資料が届けられることがあるのだという。

1995年にロンドン出身のレイ・サンティリが制作した「エイリアン解剖」の偽映像が世界的な話題になる以前から、キットは、人間とは異なる存在に対して行われた解剖報告書の噂を耳にしていた。キットはETが地球に来ている可能性は全否定できないというのだが、彼をしてそう考えさせているものの中にあって、これなどはそのごく一部を占めるに過ぎない。それ故に彼は1986年、やはりデニーズでのことであったが、物理学者のハル・パソフ、コンピュータ科学者にしてユーフォロジストのジャック・ヴァレとともに、自分たちがこの問題に関して知っていることを後に「コア・ストーリー」として知られることになるものにまとめ上げたのだった。

キットによれば、コア・ストーリーというのは簡潔に言うと次のようなものである。「ETはここに来た。回数はおそらく一度か、あるいは数回。偶然か意図的かは不明だが、アメリカ政府は彼らの乗り物を一つ入手した。問題はその乗り物を推進させるための物理学があまりに高度だったことで、何十年にもわたって我々人類はそれを理解し再現しようと奮闘してきた」

大した話ではないかもしれないが、キットのようなバックグラウンドをもち、才覚もある人物からこの情報を聞くと、頭の中で小さな核爆弾が爆発したかのような衝撃を受けた。私は彼にもう一度その発言を繰り返すよう頼んだ。すると彼は言った――「エイリアンはここに来ていた」と。キットは、アメリカが保有しているとされるETの乗り物3隻に付けられたニックネーム、すなわち「三匹のクマ」という言葉を何気なく口にした。その瞬間、以前リック・ドーティから受け取った謎めいたメールを思い出した。そのメールには「三匹のクマ」と題されたテキストが含まれており、ザッといえばソビエト連邦からアメリカのスパイを救出する空軍のミッションが記されていた。その話は実際には別のことを示していたのだろうか? 私の心は不安に揺れ、大きなパズルのピースが一つずつはまっていくような感覚を覚えた。

この男は本気(シリアス)だった。そして、彼の見立てでは事態もまた深刻(シリアス)なのだ。我々は宇宙にあって孤独ではないし、おそらく孤独だったことはずっとなかったのだろう。彼らは今もここにいるのかもしれない。問題は、我々はそれにどう対処すべきかということだ。

キットはこの問題を深く考えており、ひょっとしたら解決策を持っているのかもしれない。彼の長い独白はそんなことを感じさせたが、一方で私は「彼は以前にもこんな話をよそでしていたのではないか」と思った。

「教育を受けた分厚い人口層がある国家では、いわゆるパラフレニアを患う人々が相当な割合を占めています。パラフレニアというのは、日々の生活には支障をきたさない一種の精神病です。つまり、そういう人たちは妄想を持ちながらも、狂ってはいない。その妄想というのは、閉じ込めてコントロールすることができる。我々の多くは心の片隅に妄想を持っているわけです。これは賭けてもいいですが、私だってそうなのです」

「例えば、その妄想は宗教的なものかもしれない。私はエピスコパリアンですが、エピスコパリアンであるが故にパラフレニアだという診断を下されずに済んでいる。そしてそれはUFO愛好家も同様です。なぜなら、宗教のように巨大な社会構造体の人々が分かち持っている信仰は、妄想扱いされることがない。だから、自分たちは政府から電波攻撃を浴びていると信じている人々は、もはや狂人と診断されることはありません。そうした人々があまりにも多くいるからです」

「しかし、もしその妄想が社会構造に脅威を与えるものであれば――例えば『エイリアンがここにいて我々の赤ん坊を連れ去っている』という考えや、神は特定の信仰や肌の色の人々を憎んでいるという考えのことを言っているのですが、そのような妄想を抱く人々が集まると、互いに悪影響を及ぼしあってより病んでしまう可能性が出てくる。そして、時には集団自殺をしたり、自爆ベルトを巻いて自らを爆弾にしてしまうことだってある。だからこそ我々は、そうした人々をどう扱うか、彼らが他に危険を及ぼすのをどう防ぐかを知っておかねばなりません」

「これはUFO問題についても言えることです。もしUFOに関して語られているとても奇妙な話が事実だとしましょう。その時、我々はその情報を大衆に伝えるのに何をすれば良いでしょうか? 第一に、我々は基本的な事実と思われるものは何かと考える。文明を築いた生命体は宇宙のどこかにいるかもしれない。彼らは宇宙船に乗って我々のところを二、三度訪れ、それから帰っていったのかもしれない。彼らはその乗り物だとか何らかのテクノロジーを後に残していき、我々はその使い方を突きとめようとして多くの時間と金を費やしてきたのかもしれない。そして、こうした事は実際に起きていて、政府の外にいる誰かがそのテクノロジーを解明できるかもしれない以上、政府の中には『そうした情報は大衆に伝えねばならない』と考えている人がいるかもしれない。でも、その時、権力を持っている人たちの中から別のグループが出てきて、こう言うのです。『いや、すべてを明かしてしまうと人々はおかしくなってしまうだろう。この話は外には出せない。危険過ぎる』とね」

ジョンと私はお互いに顔を見合わせた。私は口が乾き、気温が下がったような気がした。いや、そうではなくて上がったのだろうか? もう分からなくなってしまった。事態は再び奇妙なことになってきた。キットはこういうことが実際に起こったのを知っていると言いたいのだろうか?それとも、彼が今提示したのは仮定のシナリオだったのだろうか? それとも彼が本当にあったと信じているストーリー? キットは話を続けた。

「では、どうすればいいのか?この問題に関する研究は二つに分かれるのです。一部の研究では、人々はこの情報を受け取ると狂って橋から飛び降りると言う。しかし、別の研究では、彼らが狂わないようにする方法は、恐怖を体系的に鈍磨させていくことだと言うのです」

「患者を受け持っている精神科医であれば、この問題をとても体系的なやり方で検証することができる。学生グループを使って研究している大学の社会学者であれば、巧みに構成された実験を行ってそれを確かめることができる。しかし、政府が国全体でそれを行おうとすると、事は遙かに複雑になります。そう、中には肩をすくめて『エイリアンが実在するなんてことは知ってたよ。全然大したことじゃない』という人もいるでしょう。しかし、中には狂っている人がいて、大変なトラブルを起こすかもしれないということは分かりますよね。だから我々は、彼らが知るべきこと、あるいは知る必要があることをどうやって国民に伝えるか、自問自答しないといけないのです」

「その方法ですが、まずは一つの枠組みを作り上げ、彼らが聞いた話のうち本当ではないものをより分けてしまう。そうやって残ったものをどうにかコントロールできる扱えるストーリーへと削り込んでいくのですよ。例えばこんなストーリーです。『30年以上前に3機の宇宙船が飛来し、そのうち1機を我々が捕獲した。その動作原理は解明することができず、我々はその宇宙船をクラッシュさせてしまった。必要とする物理学のうち、我々がいまだ理解するに至っていない領域が大きすぎたからだ。我々は磁気流体力学に基づく環状体のようなものを入手しており、それによって実際に乗り物を浮上させることはできたのだが、その乗り物は酷い悪臭を放つ上に数人のパイロットを死に至らしめてしまった。その件については本当に遺憾に思っているが、それも我々が他の惑星から来たこのマシンを手に入れたからこそ為したことであり、我々としてはその動作原理を知る必要があるのだ』とね」

何てことだ、彼はまたぶちかましてくれた。私は呼吸を落ち着けて、めまいが完膚なきまでのパニック発作へと転じていくのを防ごうとした。

キットは話を続けた。私の内なる葛藤には気づいていなかったようだ。彼の操作するMRI装置の内側にいなかったのは幸いだ。

「では、その話をどうやって伝えればいいのでしょう? もしそれが真実であれば、の話ですが」と彼は言い添えた。ほとんど付け足すようにではあったが。

「もしコア・ストーリーをいきなり伝えたら、人々はおかしくなってしまうでしょう。だから、10年20年をかけてゆっくりと伝えていくのです。たくさんの映画。たくさんの本、たくさんのストーリー、たくさんのインターネットミームを使って、我々の子供たちを食べる爬虫類型エイリアンだとか、最近でいえばセルポで見聞きしたような狂った話を大量に流す。そして、ある日こう言うのです。『はい、あれは全部ナンセンスだから安心して。そこまでひどくないし、心配することはありません。現実はこんな風で――』と伝えるのです。それから、本当の話をする」

「ということで、これは試行錯誤の末に確立された脱感作モデルなのです。そして、もし嘘偽りのないコア・ストーリーというものがあって、そのコア・ストーリーを広めたいと考える人々が、人を害することなくそうしたいと考えている限り、彼らはこういう風に行動することになる。たくさんのナンセンスな話を作り出してから、それを徐々に消していき、人々がだんだんと心地よくなるよう仕向けていく。そうすることで、最後に真実を提示された時、それは人々が最初に恐れていたほど怖いものではなくなっているのです。『信じられるよ』と彼らは言うでしょう。『気が違った爬虫類の話だとか、光のビームで子供が子宮から連れ去られるといった話は信じられなかった。でも、宇宙船とリバースエンジニアリングされたテクノロジーの話なら信じられる』とね」

「だから、ボブ・エメネガーの映画みたいなものの背後にある意味は、まさにそのようなものなのです。真実を知った時に人々が病気にならないように、そして彼らが冷静でいられるようにするためのものなのです」

私は催眠術にかかったような気分だった。ジョンはとても真剣な表情をしていた。彼の額には玉の汗が浮かんでいた。我々はこの旅で非常に奇妙な話をたくさん聞いてきた。そうしたものを分類して「奇妙な話」という引き出しにしまい、奇妙な話を聞きたがる人々が来たら見せてやる。それは、いとも容易いことだった。

しかし、これは違っていた。キットは違っていた。ここにいるのは、私が安心して自分の命を預けられるような人物だった。医者であるキットは、おそらく何度かはそうした場面を体験してきたことがあるだろう。ここにいるのは非常に理性的で、かつ非常に知的ではあるが、同時に我々がこれまでに会った誰よりも政府の陰謀に肉薄した人物でもあった。そして彼は、言外に「エイリアンというのは実在しているのだ」と言っているように思われた。そして彼らはまだここにいる。そして…

パニックが襲ってくる感覚、自分がこれまで築いてきた世界観の確固たる基盤が足元から消えていく感覚――私はそうしたものを何とか抑え込んだ。UFOについて長年研究してくる中で、私は天真爛漫な楽観主義と非情な懐疑主義の間を揺れ動き、最終的にはその中間に腰を落ち着けていた。宇宙に寄せた希望の小さな種を完全に否定することは決してなかったが、それを不毛の地に置いたまま育てようともしなかった。そして今――その種は寝覚めた。大きな葉を広げ、「確実性」という名の暖かく明晰な光を遮って、疑念の冷たい影で私を包み込もうとしているのを感じた。

キットが信じることができるというのなら、きっと私も信じることができるだろう。

ジョンと私はほとんど丸一日をキットと過ごしていたが、もう出発する時間だった。これはおそらく良いことだった。私は、彼がその穏やかな思慮深さの中にたたえている衝撃と畏怖とを、どれだけ受け止めきれるか分からなかった。私たちがキットに感謝を述べると、彼はタクシーを呼んでくれた。

今度の運転手は、茶色の紙袋から何かを吸い込んでいたわけではないが、やはり正気とは言い難かった。が、茫然自失で驚愕した体の我々の表情を他人が見れば、我々も同様に正気ではないように見えたに違いない。

■困難な一年

数日後、我々はアルバカーキに戻った。驚いたことに、リック・ドーティから連絡があって、我々と会って情報交換をしたいというのだった。我々は車で1時間ほどのところにある、彼の地元の商店街のデニーズで会うことにした。またもやデニーズ、であった。ありとあらゆるデニーズには、人々の会話に即座にアクセスできるよう国家安全保障局によって盗聴器が仕掛けられてるんじゃないか。私はそんな風に思った。

ジョンと私はレストランの外でリックを待った。駐車場の向かいのスーパーマーケットの近くに、軍のヘリコプターが置かれていた。その中には将来アメリカの兵士になる者もいるであろう子供たちが、ソフトドリンクやアイスクリームを手にヘリコプターに乗ったり降りたりしていた。

小型の戦車ほどもあるデカい銀色のジープが我々の隣に停まった。リックが運転席で笑みを浮かべていた。

「やあ、みんな! 撮影はしてないよね?」と彼は言った。

我々は、カメラクルーは今日の仕事を終えたので帰らせたとリックに伝えた。彼は本当に嬉しそうであり、我々もまた彼に会えて嬉しかった。彼はいかにもプライベートといういでたちで、野球帽にTシャツ、ショートパンツ、スニーカーといういでたちであった。彼の片目は腫れており、感染しているように見えた。

「そう、鼻の感染症でね。ちょっと気持ちが悪い。今年は散々だったよ。家族の健康にいろいろ問題がでてきてね」

リックとジョンはサラダを食べ、私はプライムリブを食べていた。リックはリラックスしているように見えた。

軽く雑談した後、我々はUFOの話を始めた。プロジェクト・シルバーバグについて。1950-60年代にカナダ上空で行われた円盤型飛行機のテスト飛行について。現在進行中のアメリカの円盤テストと中央ヨーロッパの王族との資金的なつながりについて。彼はそんな話をした。さらに彼は、1970年代にカートランドのコヨーテキャニオンに着陸した円盤についても語った。これがベネウィッツが見たものだった、ということなのだろうか? おそらくそうなのだろう。

これはリックとの会話にはしばしばあることなのだが、突然ホットな話題が始まった。リックによれば、OSI(米空軍特別捜査局)での任務の一つとして、彼は或る大佐の警護をしていたのだが、その人物はEBE1(彼は「イーバ」と発音した)と呼ばれる地球外生命体との連絡役だった。その大佐はもう亡くなっているが、彼の娘が父親とEBE1とのツーショットの白黒写真を見つけたのだという。もしその写真が本物と判明すれば公開されることになるだろう。そうリックは言った。 

私はリックにとても信じられないという顔をしてみせたが、彼は真顔のままだった。私は思った。彼は我々を相手に新しいネタのリハーサルをしているのではないのか。

彼はこのネタをどこから手に入れたのだろう? 誰かが提供してくれるのだろうか? それとも、彼は自らの手でこんな突拍子もないUFOネタを作り出しているのだろうか? リックは、いまだ評価されていないけれども実はポスト・モダンフィクションの天才なのだろうか? セルポ文書を書いたのは彼で、そうすることで現実と社会的想像力の境界をわざとぼやかし、どんな歴史だって所詮は神話なのだと示そうとしたのだろうか? 彼はSF作家になるべきだったのだと私は思った。警官向きではない。

リックはこんな話もした。1970年代にハル・パソフとラッセル・ターグがスタンフォード研究所で遠隔透視の研究をしていた頃、彼らはお抱えの超能力者たちに別の惑星を透視してくれと頼んだ。リックによれば、透視して得たイメージの中には、レンガ作りの小屋とエイリアンがあったという。まさにセルポだ。彼はまた、疑惑のメールアドレスの件はでっち上げだとも語った。ジョンと私は、それはそうかもしれないが、世間からみたらあなたの立場はまずいことになっているので、そこは理解したほうが良いと言った。

こんな話をしばらく続ける中で、リックはちょっとしたヒントめいたことも言ったが、それをここで洗いざらい明かすことはできない。ただ、リックが技術方面の話を好むことを知っていたので、私はボブ・エメネガーが語っていたホログラフィック技術について彼にこう尋ねてみた――あれはUFOの謎と何か関係があるんですか? リックは口数が少なくなり、話題を変えた。

ジョンと私は彼にこんなことを言った――「この取材プロジェクトを始めてから、UFOの噂というのはどんな風に作られるのかが分かってきました。それと、ある話を聞いて何ヶ月も何年も経ってから、それが突然パズルのピースのようにしてどこかにはまる。そんなことがあるのも知りました」。リックは満足そうに笑った。まるで弟子の成長を喜ぶ師匠のようだった。彼は言った。「自分が知っている人間のなかに全体像を知っている者は一人もいないが、それはわざとそういう仕組みにしているんだ。それでこそ秘密は保たれる。全ては分割され、誤情報とゴチャゴチャに混ぜ合わされているから、誰一人として迷路の中心にはたどり着くことができない」

真実は今やあまりにも深いところに埋められてしまったので、誰も答えを持っていないのではないかと私が言うと、リックは反論した。確かに誰かが青写真を持っていると確信している。ただそれが誰なのかは知らない。ハッキリしているのはそれは自分ではないということだ、と。「僕はただの豆粒だよ」と彼は言った。

数時間が過ぎた。次の目的地に向かわねばならない時間になった。リックに別れを告げ、いつかイギリスに来て下さいと告げると、彼は「ずっとネス湖を訪れたいと思っていたんだ。いつか行きたいね」と言った。

クルマが走り出し、大きな銀色の車体が砂漠の埃の中へ消えていくのを見送りながら、私はリックが大好きになっているのに気づいた。彼は詐欺師かもしれず、ある意味では危険な存在ですらあるのかもしれない。だがそれ以上に、彼は我々にとってのエイリアンであり、アルミシートにくるまれて空飛ぶ円盤に詰め込まれたエニグマであった。

しかし、その持ち主は我々なのか? それとも「彼ら」なのだろうか?

■奇妙なものを信じる方法

その翌晩、アルバカーキに戻った私は、グレッグ・ビショップとバーに行き、ビールを一、二杯飲みながら、UFOやスペースミュージックについて話し合った。辺りではビリヤードの玉や酒瓶がカチャカチャとぶつかり合い、いつもながらの心安らぐ音を響かせていた。

グレッグはアメリカのUFOシーンに20年ほど関わりをもってきたが、この現象に相対した人間の側のあれこれについていえば、ありとあらゆるものを目にしてきた。自らにUFOとの遭遇経験はないものの、彼は多くの人々がUFO熱に取り憑かれるのを見てきた。彼は、横たわったウィリアム・ムーアがほとんどパニック状態になって「エイリアンは地球に来ている」と言い出した場面を覚えている。MJ-12や「鳥の会」をめぐる調査でムーアと組んだジェイミー・シャンデラが、最初は皮肉たっぷりの否定論者だったのに突然怯えた転向者になってしまったことも記憶している。理由を尋ねられたシャンデラは、「彼らからあるものを見せられたんだ」と言うばかりだった。

グレッグ自身も、1990年代半ばに偏執病に襲われたことがあった。彼はその当時、海軍情報部の関係者と称する男からUFO情報を受け取っていたのだが、彼は次第に「自分は盗聴されており、政府のエージェントは家の外にバンを停めてコンピュータからデータを抜き取っている」という確信を抱くに至った。彼は、海軍の男に行ったインタビューのカセットテープをビスケット缶の中に隠したともいう。恐怖は彼の生活を支配してしまったが、彼はある日、「もうたくさんだ」と踏ん切りをつけ、それ以上恐怖にエサを与えまいと決意した。グレッグ本人の弁によれば、彼はそれ以来完全に正気を保っている。

グレッグはどこか満足げな調子を滲ませつつ、ジョンと私は今回のミッションに着手してから変わったと言った。「最初は、君たち二人ともこの話を真剣に考えていなかった。君たちは人から聞いた話を笑いものにし、周りで起こっていることを軽視していた。でも、今は何かが違う。君たちはまだ笑いを忘れていないけれど、この現象を笑っているわけではない。軽い感じはもうない。『当たり前』の基準が変わったんだ。自分が本当に信じているものは何か、腰を据えて考えざるを得なくなっている。よくやったよ! 君たちは、神秘主義者が『深淵』と呼ぶものに入り込み、『危険の礼拝堂』へと足を踏み入れたんだ。気分がいいんじゃないか?」

私はこれまで話をした人々のことを思い返した。リック、ウォルター、キット。彼らはミラージュ・メンであり、我々にとって「三匹のクマ」のような存在であった。様々なレベルの内部情報を持ち、欺瞞のテクニックに精通し、秘匿のワザに熟達しており、奇想天外なものから不可思議なものまで様々な話を我々に聞かせてくれた。そして、彼ら自身はそうした話を信じているように見えた。

「アメリカ政府は地球外のテクノロジーを用いた物体を飛ばしている」とまことしやかに語った時、彼らは我々を騙そうとしたのだろうか? あるいは彼ら自身が何者かによって騙されていたのだろうか? それとも彼らは自分自身を欺いていたのだろうか? さもなければ――これはいささか不快なことではあるが――世界のどこかにある荒野に、我々人類のものではない、そして何やら非常に奇妙なものが存在していて、それが大気中を信じられない速度で滑走しているという事実を受け入れるしかないのだろうか?

誰を信じるべきなのか? リックと、彼のイエローブック、つまりエイリアンに由来するすべての知識を収めたホログラフィックの記録なのだろうか? ウォルトと、彼が言うところの「時間旅行をしている地下のヒューマノイド」なのか? キットと、彼が語るコア・ストーリーなのか? 信じて、なおかつ正気を保っていられるものなんてあるのか? グレッグと私は、こうした問いに害されないで済む唯一の方法は「答えは絶対得られないだろう」という事実を受け入れて生きていくことだという点で一致した。

我々はさらにビールを飲みながら、奇妙極まりない話を披露しあった。グレッグは、かつて政府のリモートビューアー(RV)だった人間が夕食中に彼をサイキック攻撃し、彼の心に暴力的なイメージを投影した話をしてくれた。私は、テキサス州オースティンで近くの丘陵に向けてクルマを走らせている途中、上空に現れた巨大な空飛ぶ円盤を一瞬見たことがあるという話をした。それはまるで映画『インデペンデンス・デイ』のシーンのようで(映画が公開されたのはその一年だった)、その大きさは確かにさしわたし何千フィートもあった。

我々は自分たちの正気が揺るがぬことを祝して乾杯をしていた。そこへ、ビールの瓶を持ったジョンが奇妙な笑みを浮かべて入ってきた。

「やあ、みんな!」。ジョンは座った。彼はどこかぎこちなく、自信がなさそうだった。次に何をすべきかをじっくり考えているかのように、彼はしばらく間を置いた。

「実は、君たちに話があるんだ。というか、助けが必要なのかもしれない……」

「もちろん。何があったんだ?大丈夫か?」

「大丈夫だとは思うんだが……キットに会って以来、何かがずっと気になってるんだ。僕は……そう、どうやら僕はこの話を信じ始めているみたいなんだ。つまり、エイリアンだとかUFOとか、政府の隠蔽工作とか、その手のものを全部ね。キットに会うまでは、自分は状況を理解していると思ってた。ミステリーサークルのことなら僕はちゃんと理解できている。でも今は、もう分からない……キットが、エイリアンの乗り物は我が方にあると信じているのならね……くそっ!こんなことになるとは思わなかった!」

我々はジョンに心配しないように言った。信じることは、愛や憎しみ、恐怖と同じく、人間の感情の中で最も強い力を発揮するものの一つで、中でも我々が扱っているものはとりわけ強力なものなのだ。

ウォルターやリックが奇妙な考えを語るのを聞いても我々は平常でいられた。そんな話はキチガイじみているといって容易に一蹴できたからだ。リックやウォルターは豊富な経験と知識を持っているが、一個人としても組織人としてもキットほどの権威があるわけではなかった。だがキットは大病院の医者で、我々と話す時も白衣を着ていた。スタンレー・ミルグラムが1960年代に行った服従と権威に関する実験を覚えているだろうか? ある人間にただ白衣を着せるだけで、その人物には他者に対する心理的な権力が与えられる――他者に従わねばならないと思わせ、信じ込ませる力が生まれるのだ。意図的かどうかは別として、キットはその存在感、ハッキリとした物言い、知識によってそのような権威を身にまとっていた。

私はジョンに、キットが「自分はクリスチャンで、エピスコパリアンだ」と言っていたことを思い出させた。それはUFOやエイリアンの話と同じくらい奇妙な信念の塊であり、事によったら「他の惑星に生命体がいる」という考えより非論理的かもしれない。にもかかわらず、我々はキットを奇妙だとは思わない。それは彼自身が説明した通りである。もし何かを信じる人が数多くいれば、それがどれほど奇妙であっても、彼らが狂人扱いされることはない。我々は彼らをミームや情報ウイルスに感染した人々と見なすかもしれないが、彼らが社会の中でうまく適合している限り、そして彼らが我々に干渉しない限り、我々も彼らを放っておくだろう。

奇妙なものを信じることは一種の技芸である。『鏡の国のアリス』に登場する白の女王は、朝食前にありえないことを6つも信じていた。そうすることで彼女は、ジョンと私が経験したような文化的ショックから自分を守っていたのである。現代においてオカルトを実践している一派の中には、信仰のメカニズムを理解するために、矛盾した信仰システムを採用するよう人々に奨励しているところもある。[訳注:ここはよくわからない]

絶対的な真実を求める試みは、常に存在論的な問題に突き当たる。特にUFOビリーバーたちの気まぐれな世界を探求している場合はなおさらにそうだ。何が起こっているかシッカリ把握したと思った瞬間、それは手元からすり抜け、後に混乱とフラストレーションを残していく。我々はジョンに言った――白か黒かという二者択一の考え方を避ける。そして我々が探求しているのは穏やかに揺れ動いている灰色の世界であることを受け入れる。それが答えになるのではないか、と。

グレッグは、こういった曖昧な領域を探求する際、自分にとってはピュロニズムが有用な枠組みになったと語った。これを彼に教えてくれたのは、異常現象の研究者および哲学者として尊敬されていた故マルチェロ・トルッツィだったが、ピュロニズムというのは、紀元前1世紀のギリシャにおける究極の懐疑主義学派である。その教えによれば、あらゆるものについて「真に知る」ことなど不可能だし、万物は懐疑されねばならない。そして幸福というのは、教条的思考を避け、永久に問い続ける姿勢の中で世界を体験することによってのみ得られるというのだった。これは西洋哲学の歴史の中で絶えず浮かび上がってきた論点で、イマニュエル・カントの苦悩、科学に皮肉を浴びせかけた作家チャールズ・フォートの思索の中に姿をみせたほか、ポストモダンの極端な相対主義の中に新たな支持者を得ることになった。純粋で誠実な懐疑論者であるピュロニストたちは、「何ものも信じないこと」と「何ものかへの不信」の間に明確な区別を設け、「悪霊に憑かれた世界」と「奇跡など起きない世界」の間に張られた綱の上を慎重に進むのである。

我々はジョンにこう言った。――こんな奇妙な領域で生き残っていくためには、我々は存在論的な宇宙飛行士、ピュロ二ズムの鎧をまとったエイリアンにならねばならない。そして、銀色の飛行船から絶えず変化し続ける風景を調査し続ける。創造力で浮かび上がり、懐疑によってバラストを取りながら……。

夜が更ける頃には、ビールと穏やかな再プログラムが功を奏したようだ。ジョンは再び落ち着きを取り戻していた。これは良い兆しだった。我々にはまだ、旅の終わりを迎える前にもう一つ訪れるべき場所が残っていたからだ。

■アラモゴード事件

リンカーン国立森林公園の緑豊かな高地とホワイトサンズ国立公園の眩しい石膏砂丘の間に挟まれたアラモゴードは、19世紀末に鉄道の町として建設され、現在ではアメリカの宇宙開発の拠点になっている。

そのモットーは「世界で最もフレンドリーな場所」だが、そう思えるかどうかは人によるだろう。この小さく、見映えの悪いロードサイドの町は、我々の空飛ぶ円盤巡礼の最終目的地であり、アメリカの冷戦時代の風景の中心に位置している。世界初の原爆実験が行われたトリニティは、北西60マイル地点に位置し、近隣のホロマン空軍基地に隣接するホワイトサンズ・ミサイル試験場の一部になっている。ちなみにこの基地は、ボブ・エメネガーの映画やセルポ文書では円盤の着陸があったとされる場所だ。アルバカーキとロスアラモスは150マイルほど北にあり、ロズウェルは北東約80マイルに位置している。この荒涼とした地球らしからぬ風景は、初期のUFO神話が形成された場所であり、異星人の本拠地でもあるのだ。

2006年まで、ホロマンはF117-Aステルス戦闘機の拠点だった。私が初めてこの地域を訪れたのは1990年代半ばだったが、ホワイトサンズの風変わりな砂丘をよじ登っている時など、この巨大で不格好な「空飛ぶ矢じり」は定期的に頭上を舞っていた。現在のホロマンには、このステルス機の後継機で、高額なため議論を呼んでいるF-22ラプターが配備されているが、こちらも製造はF117-Aと同様ロッキード・マーティン社である。

政治家の間には、主に空対空の戦闘用に設計されたF-22は、ポスト冷戦の環境においてもはや不要だとする議論もあった。他国にこれに対抗する航空機がないから、というのである。こうした米航空戦略の重点の移行はホロマンでも目に見える形で現れており、同基地は増強著しい米空軍の無人機編隊の主要な訓練の場にもなっている。MQ-1プレデター、MQ-9 リーパー(いずれも対潜水艦攻撃能力をもつ)、由緒正しきライトニングバグのハイテク版子孫ともいえる監視用ドローンのRQ-4 グローバルホークといった機種である。

ジョンと私にとって、ハイウェイ70号線から入る基地正面玄関の映像は必須だった。私は駐車場から衛兵詰所まで行き、撮影の許可を求めた。許可が下り、我々は三脚にカメラをセットして、撮ろうと考えていた映像を撮影し始めた。

私は通過する車両を撮影するカメラの後ろに立っていたが、ふと目を引くものがあった。それは100フィートほど先にある高速道路の高架下にぶら下がっていた。最初は、高架の屋根から細い糸で吊り下げられているのだろうと思った。ここでゾッとしたのだが、あれはとても大きなクモなのではないかと思った。だがすぐに、そんな考えは馬鹿げていると気づいた。糸は見えなかったし、こんなに遠くからでもあれほど大きく見えるのであれば、クモの大きさは少なくとも1フィートはあるはずだからだ。

その物体は地面から突き出ているのではないかと私は考えた。高架の真下に生えているアシの上に突き出ているように見えたのである。しかし、その物体が何かで支えられているようには見えなかった。アシはかすかに揺れていたが、その物体は揺れていなかった。実際、その物体は完全に静止していた。数秒間そっちを凝視した後、その物体は高架下にあるわけではないことに気づいた。それははるか遠くの中に、完全に静止して浮かんでいたのだ。

私はできる限り目を凝らして見たが、ローターも見えなければ、時折通り過ぎる車の音以外は何も聞こえなかった。それはヘリコプターではなかった。私はカメラを回し、ファインダーを覗き、ズームを最大限にした。その物体はあまりに遠すぎてハッキリとは見えなかったが、次第に斜めに傾いてきたようだった。暗くて不吉な感じがした。空中にいるステルス戦闘機を見たときに感じたのと同じような感覚を思い出した。とても空を飛べそうにないように思えたのだ――角が多すぎる。

私をさらに不安にさせたのは、その物体が完全に静止していたことだった。空中にこれほどピタリと静止しているものを見たことはなかった。その物体を数分間撮影したが、何も起こらなかったため、バッテリーとテープを節約しようと私は録画を止めた。それからジョンを呼んだが、彼のほうを見やるためファインダーから目を離したのはほんの3秒ほどであった。

「ジョン、これを見てくれ」と言って私はカメラに戻った。が、その物体は消えていた。

「消えたぞ!」。私は信じられずに叫んだ。「でもそんなはずはないんだ。ほんの数秒前までそこにあったんだ。どうしてこんなに素早く消えてしまったんだ?」

我々は晴れ上がった青空を隅から隅まで見てみたが、何も見えなかった。アレはあり得ないほどの速度で飛び去ったのだろうか? それとも視界から消えただけなののだろうか――光学迷彩システムを作動させるとかして? アレは我々が撮影しているのに気づいていたのだろうか?

私は早々と録画を止めてしまったことに我ながら激しい怒りを禁じ得なかった。もしアレが消えるところを捉えていたなら、このミステリーは解かれていたかもしれない――あるいは謎が深まっただけかもしれないけれど。実際はそうはならなかった。代わりに宇宙のジョーカーは再び現れ、我々にホンモノのUFOを見せつけていった。

我々は、先進的な無人機の拠点となっている空軍基地の隣にいた。ここは見慣れない航空機の目撃が期待できる場所である。だが、にも関わらず我々はここで体験したことに肝を潰していた。何が起こったわけでもないのに我を忘れていた。私は遠い空に浮かんでいる黒いドットを目撃した。振り向いてから元に戻ると、それはもう消えていた。

それではなぜ、我々はこんなにも驚き、喜びを感じているのだろうか? その理由というのは、UFOを目撃した何万人もの人々が自ら説明できないものに驚嘆した理由と同じなのだ――コックピットの中にかがみ込んでいる人、コンピュータ画面の前に座っている人の中にこれを説明できる誰かさんがいるのかもしれないが。

肩すかしの感はあっただろう。だが我々のアラモゴード事件は、UFOというのは全く見映えのしない形ではあっても衝撃と驚きとを与える能力を持っていることを思い出させてくれる、完璧な事例だった。我々はついに求めていたものを見つけたのだ。

その夜、私は3つのUFOの夢を見た。それらは夕暮れの青空に浮かぶ黒い種子のようであった。イルカのように反転し、振り子のように揺れ、踊り、喜びに満ち、生き生きとしていた。それらは手の届かない、飼い慣らされない、理解不能な存在であった。私はそのメッセージを理解した。我々の旅は終わった。(18←19→20