2011年06月

江戸川区による区内放射線量調査の結果が公表されておりますな。

区内の学校・保育園など中心に19箇所。27・28日に実施したとのこと。機材は都から借りたDoseRAE2で、測定方法も都の規定に準拠したらしい。5分静止させたあと、30秒ごとに5回計測し、その平均値を取る、ってやつ。

で、数値は地上1メートルではおおむね0.15μSv/h。これは実測値のようであるから、ここには自然放射線量も入っているわけで、人工放射線物質に起因する線量は0.12μSv/hぐらいかな。これを、例の屋内16時間・屋外8時間って計算式にあてはめると、人工放射線による外部被曝は年間0.63mSvぐらいか。例の年間1mSvには届かない。

が、しかし、これには「このほかに内部被曝がどれほどあるか」という問題もからんでおって、だからすなわち我々は年間で人工放射線1mSvを被曝することはない、とも言い切れない。そういう微妙な数字ではあるな。まぁ俺的にはいわゆる「想定の範囲内」というやつではあるわけだが。

あわせて、飛灰から高濃度セシウムが検出されたとの報道があった江戸川清掃工場の周りでも、26日に数カ所で測定をしたらしい。こちらは0.2μSv/hをちょっときるぐらいだ。ちと高い。

いずれも、とりあえず現状を考えるヒントにはなる数字だ。区のほうも、これでOKということではなしに、隠れたいわゆる「ホットスポット」を見つけ出してやる、ぐらいの気持ちで、引き続き調査を展開していってほしいものである。


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原発問題などもあり「こいつは辛抱たまらン、俺は外国に逃げ出すぞ」という方もチラホラ現れてきた今日このごろである――というのはウソでそんなヤツはそうそういないのだが、じっさいよく考えると、大富豪ならともかく、一介のサラリーマンである俺などはそうそう海外脱出などできないのだった。

「会社やめてどっか物価の安い途上国に行って貯金取り崩しつつ生活する」というのは、まだ小さいガキがいるので無理である。悠々自適の年金生活にはいっているイマドキの年寄りならともかく、まだそこまでいってない俺などはそのうちカネがなくなって困窮するのは目に見えているのだった。

外国に出てもソコソコ稼げるだけの才覚がないと、日本脱出といっても話にはならん。ということでちょっと考えてみることにした。グローバル時代にあって俺にはそんな商品価値があるのか。



まず困ったことがある。英語である。イマドキどんな国に行くにしても、日常生活はもちろんビジネス面でもコレができんと話にならんだろう。逆にいえば英語がわかれば何とかなる、ような気がしないでもない。しかし、文章読むだけならまぁどうにかこうにかなるかもしれんが、俺は基本的にしゃべれんし、日本人がしゃべる英語以外は聞き取れないのだった(笑)。これは初手から大きなハンデである。

ならば何か特殊技能はあるのか。ふーむ。ない。アマチュア無線技士(電話級)。自動車運転免許。中学時代にとった英検3級(失笑)。なんかダメだね。これじゃ。お話にならんわ。

なんか手に職があるかというと、これもないのだった。スシが握れるとか空手有段者とか禅宗の坊主である、とかだったら、外国人を騙してなんか日銭をかせぐことができるかもしらんが、そういうのもないのだった。そういや、むかし尺八習ってたことがあるんだがアレもすぐに止めちまったなぁ。アレ続けてたらストリートパフォーマーにでもなれたかな。いや、そんなニーズはねえだろうな。

ちなみに俺はメディア関係の仕事をしてるんだが、日本のメディアというのはご承知のように、言語障壁に守られていて「外圧」から保護されてきたのである。しかし「日本語を使ってなんかやる」というのはこの島国から一歩外に出てみれば、ほとんど汎用性のないスキルなのであった。



いや、そもそも日本の会社員は、キホン「特定の会社の中でしか通用しない技能」しかもっていないのだった(少なくとも過去ウン十年の話でいえば)。あるいは「昭和30年代に東京・下町地区でオート三輪のセールスをさせたらピカイチ」みたいな、特定の場所・時間であればスゲー活躍できる人間はけっこういたんだろうが、これから求められるグローバル時代の人材には、おそらく「いつでも」「どこでも」「規定のスペック通りに結果をだせる」みたいな才能が必要なのである。たぶん。

そういや東大の藤本隆宏先生なんかも、製造業には「すり合わせ型」と「組み合わせ型」があって、日本人は「すり合わせ型」が得意なんだ、なんて議論をしていたけど、そのあたり、なんか似たような話のような気もしてくるんだな。

つまり、自動車なんかだとわかりやすいんだが、全体がバランスよく機能するように個々の部品をすり合わせて、調整しあいながらモノを作ってく、そういうのが「すり合わせ型」だ。これに対して、たとえばPCなんかがそうなんだが、一定の規格を満たす部品なら、別に互いに「すり合わせ」なんかしなくてもいい、何をもってきてもいい、そういう思想で作るのが「組み合わせ型」である、と(もちろん、安い部品ばっかりかきあつめてPCを組み立てたりすると「相性問題」といったトラブルも発生するんで、そこは微妙な部分もあるけれども)。

で、こっから先は俺の妄想なンだが、なんか最近、時代そのものが「組み合わせ型」の思想に流れているんじゃないか。つまりは「TOEFL何点以上。MBAもってること。話はそれからだ」みたいな流れになってきてて、人間じたい、そういう一定の「品質保証」があるヤツ、つまりは汎用性が高いヤツじゃないと、ちょっとグローバル社会のなかではどうしようもないよネ、ということになってきてるんではないか。



いやいや、ついつい大きく脱線してしまった。話を元に戻そう。そういうわけで俺にあと残ったのは肉体労働一択か。しかし寄る年波で、俺などはもはやそういう仕事をさせても使い物にならんであろう。

結論。哀しいことにグローバルな労働市場における俺の商品価値は「ゼロ」に近いことがわかった。原発が爆発しようとも、俺はこの国で、この社会で生きていくしかないのだった。そりゃまぁネ、最初からうすうす気づいてたことではあるんだけど。

というわけで、みなさん、今後とも仲良くしてください(と、急に低姿勢になるw)。


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ということで、区内のホットスポット疑惑にかんして異常に腰の重い江戸川区が、ようやく管内の放射線量調査を「区として」やると発表した。→江戸川区HP「区内における放射線量の測定について」

概略はつぎの通り。

測定地点:区内を2キロメートルメッシュで区切り、小・中学校、保育園、幼稚園、公園など19か所で測定
測定日:6月下旬~7月上旬(予定)
測定方法:地上1メートル、地上5センチメートル

もちろん「今頃遅せーんだよ」とか「19か所じゃ少なすぎるだろ」「土壌調査とかもしろよ」的ツッコミもありうるし、機材はオレがいまヤフオクで落として発送待ちのDoseRAE2 PRM-1200(いまだと5~7万ぐらいで買えるみたい。都が各区に貸し出す、っていう例のヤツで、今回も借りてやるようですな)で、「ちょっとショボいんじゃねーか? もちょっとちゃんとしたの使えよ」という気もするが、とりあえずは関係者の労を多としたい(偉そうだな我ながらw)。

ま、良いことをしたときは褒めてあげないといけないので、言っておきましょう。やればできるじゃないかッ、江戸川区! とりあえずはヤル気を示すことから、である。

もっとも、アリバイ的に1回やって「あ、たいしたことなかったんでこれでオワリね」みたいな展開もイヤなので、引き続き関係当局の対応を注視していきたいところである。

しかし、ナンだな、オレは何の影響力もないこんなショボいブログで偉そうにふんぞりかえって、酔っぱらってクダ巻くオヤジよろしく当局を批判しているだけだが、この間こういうとことか、こんなとことか、ちゃんと署名活動などやって然るべきスジに働きかけてきた方々もいるわけで、本当に頭がさがりますm(_ _)m これぞ民主主義です!

ま、オレんちは例の恐怖の下水処理施設「葛西水再生センター」の近くだし、民間有志のデータながら近くの小学校あたりで0.6μSv/hみたいな数字もネットに上がってたりする(西葛西周辺ね)こともある、DoseRAE2届いたら家の近所でボチボチ計測してみたいとは思ってる。
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のれんに腕押し、蟷螂の斧、結局届かぬ言葉であるとは思いつつ、江戸川区長の多田正見という人に何としても言っておきたくなった。

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さてこの多田氏、これまで子育て世代にやさしい江戸川区、みたいなことを言ってきたのだが、いったいあれは何だったのだろう? 単に住民税ほしさにぶち上げたセールストークだったのか? 聞けば区議会の主要会派はそろって「区も調査を」と申し入れているそうではないか(江戸川区議・滝沢泰子氏Twitter6/17より)。なぜ区民の声を無視するのか? このままであれば、「多田正見」の名は「傲慢さゆえに区民に塗炭の苦しみを与えた愚蒙の人」として後世に語り継がれるやもしれぬ。その辺も覚悟の上での決断をされておるのか?


それから、このクリティカルな局面だから、区民のいのちを預かっている公人ということで、区の担当職員の方にもモノ申したい。

健康部長の渡辺浩という方は、区議会での委員会答弁記録などみると

 経営企画部参事→経営企画部財政課長→福祉部長(H17)→健康部長(H22)

というキャリアを積んできた方らしく、まぁ福祉・健康問題についてもまんざら素人ではないと思われる。

また、保健予防課長の大地まさ代という方は公衆衛生の専門職らしく、板橋区立板橋健康福祉センター、中央区保健所健康推進課長などを経て2009年から江戸川区保健予防課長に転じたようだ。学術論文などもお書きになっている。

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【大地氏は左端の人物。中央区保健所勤務時代の会見より。出所はこのページ

ということであれば、お二人ともそこそこ今回の原発事故についてご自分のお考えはお持ちなのであろう。そして、区がいまだ独自の放射線量調査に踏み切らないということでいえば、おそらくは江戸川区内の状況についても「さほど心配する必要はない」とお考えなのであろう。

なるほど、確かに「年間100mSv以下の被曝で人体に影響があるという確実な証拠はない」といわれれば、それを否定することはできない。であるから、仮に「現下の江戸川区内の状況はまったく問題がない」という信念を個人的におもちであったとしても、それはそれでこちらが咎め立てできることではない。

だが少なくともオカミはこれまで、普通の市民は年間1mSvを超す人工放射線の被曝は避けなければならない、とりあえずその辺がかなり確実な安全ラインと考えられるので、という意味のことを言ってきたのだった。ならば、この江戸川区で「1mSv超え」が予想されるのであれば対策を取らねばならない。それは自明ではないのか? これまでなぜか区が等閑視してきた内部被曝をも勘案するならば、「1mSv超え」が懸念される地域がかなり広範囲に広がっているであろうことは明白である。

ましてやオトナより(おそらく)何倍も放射線に対する感受性が強いといわれる子供のことを考えれば、ここで「1mSvプラスアルファ=問題なし」みたいな「個人的信念」を持ち出されても大変なメイワクなのである。そんなものは捨てなさい。結果的に「大したことない」で終わる可能性はもちろんあるのだが、だからといってそれは「手抜き」をしていい理由にはならない。

行政の人間としては「1mSv超え」が事実かどうか確認し、事実であれば何とか減らす対策を取る。そういう行動が取れないのなら、役人として失格である。即刻退職してくれ。

 【注記】なお、渡辺浩氏、大地まさ代氏についての記述はネットでの検索に拠った。万一同姓同名の方がいて、その方と混同している記述があったとしたらご容赦を願いたい


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最後に、「内部被曝+外部被曝」で1年1ミリシーベルトを越える可能性のあるところなどの人に対して、



「健康に問題は無い」、「特に注意はしなくてよい」



と言っている人(政府、東京都、自治体、教育委員会、その他の人たち)は、放射線障害が起こったときに最終的な責任をとる準備をしておいてください。


人気の武田邦彦センセイのブログからの引用である。けっこうワキが甘いというか、しばしば信頼性に乏しい発言をするともいわれるセンセイではあるんだが、こういうタンカ切るとこ、オレはとっても好きだ(笑)。

たしかにオレの家のあたりはまさに1年1ミリシーベルト危険地帯、しかも至近距離にはごていねいに巨大下水処理施設というオマケまでついている豪華仕様。まぁオレはいいんだが、家には小学校低学年のガキがいて、たしか今日からは何の検査もなしにプール授業まで始まってる筈、しかるに江戸川区は完全に「オレしらねー」と平気で鼻くそほじってそうな態度。なんであんなバカ区長を選挙で選んじまったのか(オレは入れなかったけどw)とストレスフルな状態にあるだけにね、なんかスカーッとするわけですな!

もちろんね、万が一オレの子供にこれから障害が起きたとして(ま、腹ん中じゃ起きないだろうと思ってるんだけどネ)、裁判とかになったとしても「その時点で因果関係ハッキリしてたんなら別だけど、そのへんグレーだったんならね、クロにはできないよ」という、実にアリガタイ判断が下されるのは必至なわけで、その場合でも多田正見区長などは(その頃にはもう死んでるかもしれないがw)、「責任? んなものねーよ」とうそぶいてオワリであろう。

くやしいなぁ~。

だからね、こういう、ちょっとおっちょこちょいの武田先生あたりに、おもいっきりドライブ感のある発言してもらいたいんだよなー。などと切実に思う今日このごろ。
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桂花新宿末広店に久々に行ってみた。

以前はなかったライスなんか置いてるみたいだし、細麺の替え玉なんかもあるようだ。経営不振でどっかに買収されて、やっぱり「メニューにバリエーションを」みたいな話になったんだろうか。

ターロー大盛りを頼む。そういえば、前は大盛りなかったよな。

ん。スープがぬるい。たしかにターローは生のキャベツがのってるので、微妙に温度がさがりがちな弱点がある。しかし、これは。

む。具にシナチクがのってる。これも以前はなかった。茎ワカメとのコンビネーション、やや微妙。

気を取り直してスープ。あ、なんか全然違う。似て非なるもの。あの濃厚で、しつこさと紙一重のスープじゃない。薄くてマイルド。しかしこれはあの桂花じゃない。

…俺の青春の味が、またひとつ消え去ろうとしているようだ。いや、まてまて、俺が定期的にいっている池袋店がある。希望の星。
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江戸川区はいぜんとして独自の放射線調査をやる気がないようである。困った人たちだ。

役所が全然手を打たねーから、やむなくオレもヤフオクで放射線測定器のDoseRAE2落としちまったじゃねーか、ちょっと安めの即決価格で出てたんで飛びついちまったんだが、納期は7月とか書いてあったしちゃんと届くか一抹の不安があって却って気苦労が増えたじゃねーかコノヤロー、万一のことがあったら責任取りやがれ江戸川区長クソー状態である(笑)。

閑話休題。またまた江戸川区の保健予防課感染症第二係に電凸された方のレポートが上がっていた(311sanichiichiさんのブログ)。今回出てきたのは放射線技師だとかいう人。なかなか興味深いことを言っていたので、その言い分について考えてみた。


職員氏曰く

日本人は内部被曝を含めて自然放射線を年間2mSvちょっと被曝している。よって人工放射線の1ミリ分含めて年間3mSvぐらいまでなら大丈夫

「自然放射線による被曝量+人工放射線1mSv」ぐらいまでなら大丈夫、という議論には当方も異存はない。ただし、日本人の自然放射線被曝量は1.4mSvとしている資料が多いので、それをベースにすると「大丈夫なのは年間2.4mSvまで」ということになる。ちなみにこの人、後ろのほうでは「日本で暮らしている方の数値は年1、6ミリシーベルト」とか言っているので、だったら安全ラインは2.6mSvになるのではないか。「3mSv」とか数字を丸めて余裕を稼ごうというのは、落語の「時そば」みたいでズルイと思った。


つづいて、葛飾区の空中放射線0.6mSv/hの件(共産党調べの水元公園のデータかと思われる)についての問答。

職員氏 「0、6でも、3ミリちょっとですね。食べ物が入った形で」

311さん 「毎時0、6だと、食べ物を含めて年間3ミリで、安全ということですか?」

職員氏 「もちろん安全ですね」

ここが良くわからない。この職員氏は「0.6mSv/hの空中放射線量だと年間被曝量は3mSvちょっと」になるけれども、前にいったように年間被曝量3mSvは問題ないラインなので心配いらないからね、といいたいのだろう。0.6mSv/hに単純に24×365をかけると年間累計5.25mSvになってしまってつじつまが合わないので、ここでは例の「屋外8時間・屋内16時間(屋内分は屋外数値×0.4)」という計算をしていると思われる。これだと年間累計3.15mSvで、確かに「3ミリちょっと」。そこまではいいが、「食べ物が入った形で3ミリ」が意味不明なのである。

これは「食べ物による内部被曝もあわせて年間被曝3ミリにおさまるよ」という意味に読めるのだが、ちょっと待ってくれ。この3.15mSvには、もちろん人工放射能で汚染された「食べ物」とか「水」とか「ホコリ」とかを体内に取り込んで受ける内部被曝線量は入っていない。この3.15mSvに、そういう内部被曝量をプラスしていって、それでようやく職員氏のいう平時の「2.0mSv」(俺的には1.4mSvといいたいところだが)との比較ができる。

それを足してもいないのに「食べ物入れて3ミリ」とか何で言えるんだ? 人工放射線による内部被曝は実質ゼロだから足しても増えない、とか勝手に判断してるのか? 0.6mSv/hのとこに住んでたとすると、外部被曝の増量分だけですでに「プラス1ミリ」の余裕は使い切ってしまって、あとは人工放射線による内部被曝量の分だけ純増、ということではなるんではないのか。この人、本気で「内部被曝ほぼゼロ」と考えてるんだろうか。あるいは上司からこういう風に言えと命令されてるのか?

内部被曝量の算定は難しいらしく素人にはなかなか手を出せない。「外部被曝と同じぐらい見ておいたほうがいい」とか「いや、××倍だ」とか、いろいろ議論があるらしい。だが「ほぼゼロでいい」なんて楽観的な話は聞いたことがないぞ。ともかくその辺もハッキリしないから、せめて外部被曝の目安となるデータが欲しい、江戸川区で測ってくれ、と区民有志は言ってるのに、なぜそれがわからんのか? 


職員氏曰く

「私15年、16年と仕事してきて、撮影業務だけで20ミリシーベルト以上被爆しているんですね。これは恐いことですか?」

「数値がさっきの1ミリシーベルト以下ってなると、けっこうどこ行っても厳しい値になると思うんですよ。」

というようなことも職員氏、言っている。放射線技師としての体験をもとに説得にかかった部分で、言わんとすることはわからんでもないが、聞いている人は子供への影響を心配しているのであまり説得力がない。子供への影響は大人と同等とみなしていいのかどうか、ここは議論があるところだし、「ペトカウ効果」といって、内部被曝はその被曝量がわずかであっても長期にわたるのであれば決してバカにできない、といった議論もあるのだ。

で、後半は意訳すると「人工放射線の年間被曝量を1mSv以下におさえるなんて、今の東京あたりじゃ無い物ねだりですよ。ま、俺みたいに20mSv受けても平気で暮らしてる人間もいるんで、子供だって1ミリちょっと超えるぐらいなら我慢して下さいよ」。最初のほうでは1ミリ以内に何とか収められる、というような詭弁を弄していたわけだが、ご当人もその嘘っぽさは分っていて、ホンネがチラッと出てしまったのだろう。が、これは敗北主義である。タテマエを死守すべき役人(笑)としては、やはり年間1ミリラインを意識してほしい。仮に今後、区内でけっこうシビアな数字が出てきたとしても。


職員氏曰く

「だから、我々が計測するとかの判断はしてないんですね。部長とか?課長とか?そういう人達がやってる訳で」

これは「なぜ江戸川区は独自測定をしないか」に触れた部分。なるほど。部長、課長が計測するかしないか判断しているのか。っていうか、部長・課長って誰? そう思って区議会の議事録をネットで調べたところ、今年3月の福祉健康委員会の議事録があった。

所管は健康部保健予防課だというので、健康部長は何という人かとみると渡辺浩さん、保健予防課長は大地まさ代さんである。その後に異動がなかったとすれば、この人たちが計測にストップをかけていることになる(と少なくとも部下の人は考えているようだ)。俺たちはてっきり多田区長がスゲー頑固ジジイで計測するなと命令してるのだと思っていたが、考えてみれば、現場の責任者が「いや、必要ないんですよ」とか言ってたとしたら、「ま、現場無視するわけにいかんからなー」とかいってゴーサイン出せない、という可能性だってないワケではないのだった。

というわけで、渡辺浩さん、大地まさ代さんをご存じの区民の方、ぜひこのご両人を説得していただけまいか。明日の江戸川区をになう子供のために。


職員氏曰く

「でも、区長も人の子ですからね、支持者に突っつかれればいろいろ判断も変わるとこだと思いますけどね。」

ここも興味深かった。「ここまで拒否し続ける背景には何か裏がありそうだ」的邪推も可能なんだが、プレッシャーをかければ翻意もありうる、と担当職員の方も見ているんですなー。朗報。区長にもひきつづき民草の声を届けていく必要がありそうだ。(おわり)
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遠い昔、まだ大学生であった1984年ごろであったが、テレ朝の深夜番組枠で田辺エージェンシーが噛んでいる一連のシリーズがあって、よくみていた(蛇足ながら「タモリ倶楽部」もその一つ。今なお生き延びているのは凄い)。

たとえば「グッドモーニング」というのは、馬鹿馬鹿しいけれどもぼけーっと見ているには丁度いいバラエティー(ウィキによると、1984年4月~1986年9月。月曜日の24時台にやってた)。のちにダウンタウンの浜田の嫁になった小川菜摘とかが3人組の「オナッターズ」とか称して、当時フジでやってた「オールナイトフジ」の女子大生=オールナイターズの向こうを張っていたり、あるいは「てん・ぱい・ぽん・ちん体操」と称してかわいこちゃんタレントの水島裕子がノーブラ&タンクトップ&ホットパンツで若者の妄念を刺激するヘンな体操を披露していたり、あるいは今もたまにみかける中村有志や大島智子がレギュラーで活躍していたのだった。
 

いや、それはどうでもいいんだ。本当に面白かったのはコントグループ「怪物ランド」が主役を張った「ウソップランド」という番組であった(同じくウィキだと1983年10月~1986年4月。水曜24時台)。平光琢也・赤星昇一郎・郷田ほづみの三人組は実に個性があり、とりわけ坊主頭の赤星が子泣き爺に扮し、脈絡なく街に現れては「子泣き爺じゃ。夢見るぞ!」と捨て台詞を吐いて消えていくギャグは実に秀逸であった。

低予算のゆえでもあったろうが、なにがなんでも有栖川公園でロケを敢行するというその姿勢が既にしてギャグ。きわめて毒のあるコントが当時の若者の胸を打ったのであったが、今回偶然youtubeで彼らの当時の映像に遭遇し、これ、実は今見てもかなり凄い連中ではなかったかと思ってこんな思い出話をかいたりしてしまうのだった。

これはウィキにも書いてあったのだが、そのノリはモンティ・パイソンに近いのである。キャラ依存の昨今のお笑いとは違って、キッチリと台本を練ってたんだろうなぁ、あれは。で、その笑いは「夜の少年ドラマ バロムI」とか相当にブラックであったりシュールだったりするけれども、どっか「あ、俺たち権威はみとめないよ」的な思い切りの良さがあったんだ。で、けっこう知的。

ま、毒のある笑いというと、一時期は「ツー・ビート」とか、あるにはあったんだが、それでいて決して泥臭くなくてスマート、っていうのはあんまりなかったんだ。あ、「シティボーイズ」ってのはあったなぁ。そういや、彼らもけっこう好きだった。

で、今じゃ怪物ランドの三人、それぞれに声優とか演出とか、なんとなく業界周りでやっておられるようで、つまりグループとしてはけっこう短命で終わったみたいなのだが、瞬発的な脊髄反射的リアクションで笑いを取るような芸人ばっかでつまんなくなってきた昨今(唯一、さんまだけはその超人的才能ゆえに認めてもいいような気がするが)、ああいうコントの可能性というのはホントはこの国にもあったんじゃないかなーと思うと残念至極。

あと、アシスタントをしてた松本小雪も面白かった。朝日新聞で高橋源一郎が連載小説書いてたときにイラスト担当するという快挙を成し遂げたんだが、そのとき剽窃疑惑起こしてどっか消えたんだったよなー。彼女もいまはどうしているやら。











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というワケで、いまだに江戸川区は放射線量の独自調査やる気はまったくないみたいだな。

都内の放射線量は平常範囲です」 とか、いまだに区のHPに出てるの見て、なんか腹立ってきた。

東京都健康安全研究センターでは、放射線量の推移や室内・外の生活時間から積算し、1年間に受ける放射線量を164マイクロシーベルトと推定しています。この数値は、国際放射線防護委員会が定めた「年間1,000マイクロシーベルト以下」という基準値の6分の1以下です。

区では、今後もこれらの測定結果をチェックし、必要な対応を実施していきます。

とか書いている。この前かいたこととほとんどダブってると思うんだが、許せ、また言いたくなってきた。ホント「健康部保健予防課感染症第二係」の職員の知性を疑わざるを得ない。

新宿の地上18メートル地点でやってるモニタリングポスト調査をみて、その数値は江戸川区の地べたあたりの放射線量と同等である、って言いたいのだろう。でも、実際に江戸川で「測ってない」のに何でそんなことがいえるのか? それとも何か、江戸川区の健康部保健予防課感染症第二係のお役人は人知を絶する特殊能力をおもちで、測ってなくても「あぁ、いまこの場所の空中放射線量は0.06μSv/hですね」ってわかるのかな? そうか、江戸川区は超能力者を職員に雇ってるのか。涼宮ハルヒも真っ青、ってわけか(笑)。

ICRP勧告の「人工放射線の年間被曝量は1mSvまで」っていうのは、お役所としても当然意識しなきゃいけない数字だと思う。そして、少なくとも共産党とかあるいは民間有志の調査によれば、区内各所でこのラインを超すおそれのあるデータがいろんなところで上がっているのは確かだ。区民が不安を抱くのは当然だ。しかも、現実にはこの空中放射線による外部被曝に加えて、子供たちは内部被曝も覚悟しなければいけないっていうのに。「そんなデータは間違いだ」といいたいのなら、実際に測って見せてくれ。なぜそれをしない?

もう、酔った勢いだ、ここは個人名だして書かせていただく。

多田正見区長の考えていることは全くわからないが、ただひとついえることがある。彼は今後20年、30年先といった近未来、この江戸川区でどんなことが起きても知らないよ、俺は関知しないよ、と言っているに等しい。もちろん人間なんてそんなに先のことまで見通せないから、「100年先の未来に責任持つ」なんてことはできないだろう。だが、いま問われているのは、おそらく数十年先、いま元気に遊んでいる子供たちがどうなってしまうのか、という問題だ。

多田正見氏が坂本龍馬でもなんでもないのはわかってる。だから「100年先の未来に責任をもってくれ」なんてことは言わない。そんな期待はしていない。ただ、最低、数十年先の未来には責任をもってくれ、という話だ。そんな想像力もない政治でどうするのか。

多田氏も俺も、たぶんこれぐらいの汚染なら大した影響はない。ただ、子供たちにかんしては「わからないこと」が多すぎる。そのことに「畏れ」をもってほしい。それが「政治家」にとって最低限必要な徳目ではないのか。



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七尾旅人というシンガーソングライターのことは全然しらなかったのだが、このたびの原発事故に触発されて、ということだろう、「圏内の歌」(うた、かもしれないが)という楽曲を歌っている。ツイッターの「もんじゅ君」におしえてもらって、聴いてみた。

彼はこんな風にうたう。


離れられない 愛する町 生きてくこと決めた この町



まるで何もなかったように ほほえみをかわす桜の下



子供たちだけでも どこか遠くへ 逃がしたい



どこか遠くへ 逃がしたい



福島がこんなことになってしまったいま、アーティストはどんなものを自らのうちから生み出すことができるのか。この曲は、そんな問いにたいする、ひとつの答えになっていると思う。

あとに続く人たちの多からんことを。
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東京東部在住の一都民として、小学生の子供の年間放射線被曝量をどんな感じでコントロールすればいいのか、ちょっと脳内シミュレーションしてみることにした。何度もいうが、タバコ歴30年近い俺はすでに発ガン問題では「コールド負け寸前」。試合が終盤に入ってから1点2点とられても大勢には影響がないのであって、以下はあくまでも子供のことを想定にした話である。

なお、こういう文章はいちおう他人様に読んで頂くような体裁をとっているが、ホントは個人的な覚え書き的文章であって、ただ何となく誰か他者に語りかけるようなスタイルをとるほうが、独り言を記すよりも見晴らしがよくなるような気がするから、みたいな理由でこういうかたちをとっているだけである。たまたま読んだ方も、そういうわけで温かい目でスルーしていただきたい(笑)。

「人工放射線による余計な被曝」をとりあえず年間累計1ミリシーベルト以内に収めればいいのではないか。これが出発点である。だがしかし、そうはうまくはいかンだろう。次善の策として「5ミリシーベルト以内に抑え込む」ことがセカンド・ベストになる。5ミリで線引きする根拠は、ハッキリ言って、ない(笑)。強いて言えば、内閣官房参与を辞めた小佐古敏荘氏が「子供の被曝量はせいぜい年間5ミリ・シーベルトにとどめるべき」とか言ってたのがアタマの片隅に残っていたりするから、という言い方はできる。で、算数は苦手なので、以下の計算は適当にみつけたサイトの試算に依存することにする。

なお、3月15日&21日の(おそらくヨウ素たっぷりの?)放射能飛来による被曝もけっこうあったんだろうがその辺は実態がよくわからんので、とりあえず無かったことにする(いいのかそれで?)。それからいちおうの前提として、今後また関東圏に大量の放射能が飛んでくるようなことはないし、3.11以前の関東には人工の核種なんてまったくなかった、ということで話を進めていく。


1、外部被曝

とりあえず「空中放射線量が平時からどのぐらい増えたのか」というと、いま俺の住んでるあたりの実測値はハッキリしないが、先の共産党都議団の調査をふまえてちょっと多めに0.2マイクロシーベルト/hとしてみると、東京の平常時は0.04マイクロシーベルト/hあたりとして、その差0.16マイクロシーベルト/h。1日のうち屋外で8時間・屋内で16時間(屋外の4割ヒバクと仮定)過ごすとして、人工放射線による外部被曝量の年間累計は0.16*8*365+0.16*0.4*16*365=467.2+373.76=840.96(マイクロシーベルト)。丸めると0.84ミリシーベルト。【ここまで累計0.84ミリ】


2.内部被曝

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問題は体内被曝をどれだけ抑えることができるか。まず水である。日常生活で使う水をミネラルウォーターに切り替えるわけにもいくまい。ここは水道水でいくしかないだろう。それで立ちゆかない、っていうんだったら、どっか引っ越すしかないワな。で、炊飯とか調理で使う水、お茶とか飲用で体に入る水は、いったい一人あたり一日何リットルなのか。わからんのでググってみる。たまたま見かけた「1日に必要な最低水分摂取量」というページをみると、子供は体重1キロあたり50~100ccとある。体内の代謝で500ccカバーできるというから、体重25キロだと多めに見積もって25*100-500=2000cc。毎日口からは水分2リットルを入れないといかん、ということだな。

で、水道水からの被曝量を計算してみる。いいサイトがあった。「ベクレル(Bq)、シーベルト(Sv)計算・換算」。都の「金町浄水場での放射能測定結果」のサイトをみると、ここんとこ放射能は検出されてないと言ってるが、検出限界値はどの核種もおおむね7ベクレル/kgぐらいとしているので、その限界ギリギリまで実は汚染されてると仮定してみるか。ヨウ素はないことにして、セシウム134とセシウム137、それぞれ7ベクレル/kgで毎日2リットル・1年間摂取したとすると、上のサイトによると被曝量はそれぞれ0.09709ミリと0.06643ミリ。合算して丸めると1年で0.16ミリシーベルト。上の0.84ミリと足すと、ちょうど1ミリだ。【ここまで累計1.00ミリ】

2-2.
続いて「ふつうの食い物」。これは、たとえば「本州産の食い物は食わん!」とか決意すれば理論上はゼロにできるのではないか。ただ実際はそうもいくまい。品目別の計算などとても自分ではできないので、ググってみたら「柏夜話」というところでセシウムについて暫定基準ギリギリの食材を平均的な分量だけ食べたという条件下での試算が出ていた。で、少年(定義不明だが)だと年間2.7ミリシーベルト。「店に出てる食材なら何でもOK」というスタンスで、いちばん「引き」が悪かった場合である。可能性としては年間0~2.7ミリの間におさまることになる。【ここまで累計1.00~3.70ミリ】

2-3.
難しいのは、空気中に浮いているような人工放射性物質を吸い込むケース。「わかっていそうな人」をネットで探すと、「起業ポルノ」という奇妙な名前のブログで考察してる人がいた。なかなか説得力がありそうなので信用してみよう。結論的には「空間放射線量の値と同等の内部被曝を考えればいい」といってる。すると外部被曝と同じ0.84ミリを足せばいいのかな。いや、しかし、この測定データでは濾紙が大気中の放射性物質をどれだけ捕捉しているかはハッキリせず、たとえばヨウ素についていうとその想定される捕捉率は10~98%とかなり幅広いのだ、なんてこともおっしゃる。「実際に存在する物質は実測値の10倍ということもありうるので、この内部被曝量は安全マージンをとって外部被曝の10倍ぐらいみといたほうがいいかもね」ということになるらしい。それだとマックス8.4ミリにもなるなー。よってこの被曝量もちょっと幅がある。0.84~8.4ミリ。【ここまで累計1.84~12.1ミリ】



というわけで、人のふんどしを借りつつ、子供の年間被曝量をざっくり調べようという文系素人レベルの試みであったが、けっきょく空気中から吸い込んだ物質由来の内部被曝がどれぐらいになるのかハッキリしないので、あまりスッキリはしなかった。上の「起業ポルノ」のご主人は、例の「年間100ミリシーベルト」を意識しておられるようでもあり、この辺の数字でも比較的落ち着いておられるようだったけれど。

ま、なんとなく分かってきたのは「左うちわで年間5ミリ」というワケにはいかず、ちょっと油断してると年間10ミリぐらいにはいっちゃうかもね、ってこと。食い物の産地に気をつけつつ、それから空中線量の低下に期待して(低くなれば同時に空気中から吸い込む粒子による内部被曝量も平行して低下していくはずなのだ)事態を見守っていく、ってとこかな。というか本当にこういう積算でいいのか俺的には自信がないんだが(笑)。

うーん、ここはひとつ、専門家の方に簡便で説得力のある「内部被曝の算出法」を考案していただきたいものだなあ。何となく腰ダメで「ふつうに暮らしていて余計に浴びる放射線は、外部被曝する人工放射線の数倍みといたほうがいいかもね」ぐらいのことしかいえないんじゃね、スッキリしない気分、なお続きますから。
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小学生の子供がいるので、都内屈指の放射能汚染地帯(笑)である江戸川区に住む身としては、ややナーバスになっているのだが、これまで江戸川区は独自の放射線量調査をやろうとしてこなかった。で、都が今度、都内全域で改めて調査態勢をととのえようという話になったようで、ようやく区内での調査が実現するのかなーと思って見ているところである。

さて、この間、調査を渋っていた江戸川区に電トツした人がいるようで、その記録を見たりするわけだが、これはひどい。担当職員の対応が不誠実である。

数キロ、いや数百メートル離れれば線量が大きく変わりうるというのは今回の事故から明らかなのに、江戸川区民も東京都健康安全研究センター(新宿)のデータに準拠して考えてほしい、というようなことを言っている。遠すぎるだろ。加えていえば、そもそもこの新宿での観測、本来は他国の核実験の影響を知るため空中を飛来する放射性物質を検知するためのもの、だから地上18メートルの高さにある。たしかに福島からの新たな飛来があったらそれを検知するような役目は果たせるだろうが、地上付近における人体への影響を測るためにはあまり意味がない。

「年間1ミリ以下で癌の発生率も心配ない」とかいってるが、これも不正確。仮に年間1ミリであれば「まぁほぼ問題ないはず。でも本当はわからないけど」ぐらいの話だろう。だいたい子供は大人より放射線にたいする感受性が何倍か強い、みたいな説があるので、子供も「年間1ミリシーベルトなら大丈夫」といえるのかどうかも、素人たる俺がここまで見てきた範囲ではよくわからん。そして本当に被曝量が年間1ミリで収まるかどうかについても、共産党の出した約0.2マイクロシーベルト/hみたいな数字がホントだとすれば、まぁ「一日のうち室内で16時間」みたいな計算を施した上でもすでに年間で1ミリシーベルト近い人工放射線の被曝をすることになるのだし、ましてや、これにくわえて内部被曝もある、ということであれば、最終的に江戸川区あたりの子供は年間数ミリシーベルトを浴びることにもなりかねない、果たして大丈夫か、やっぱりここは「キチンとした数字じゃないと混乱する」などと逃げ口上を打つんでなく、大体の目安でいいから測ってくれよ、という話なのである。

そもそも今回は、ラドンなどと違って体内濃縮の恐れがある人工核種がその辺にまき散らされているから、単に外部被曝線量が高くなる、というにとどまらず、キケンな内部被曝をする危険が増えているということでわれわれも警戒してるのではないか。いつもより被曝量が多めになるにしても温泉地でラドンを浴びるぐらいのもんだから、とでもいいたげな対応はちょっと、いや根本的に違うのではないか。最終的には「どこまでが安全か/安全でないかわからない」中で、一人一人がどこかに「ここまで」というラインを引いてその事態を引き受けるしかないというのが俺の持論ではある。あるが、そのベースになるデータはちゃんと示してもらわんと話にならんのである。

ということで、文系のニワカ勉強でもツッコミどころが見つかるような対応ではいけません。こうした懸念が杞憂に終わるのであれば幸いではあるけれども、住民の気持ちには最大限寄り添ってほしいもの。江戸川区ももっと真っ当な対応をしていただきたい。
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なんか軽そーな作りの本なんだが、ついついタイトルに引かれて買って読んだ。で、けっこう当たりであった、この本。

長谷川英祐「働かないアリに意義がある」(メディアファクトリー新書)


働かないアリに意義がある (メディアファクトリー新書)

働かないアリに意義がある (メディアファクトリー新書)

  • 作者: 長谷川 英祐
  • 出版社/メーカー: メディアファクトリー
  • 発売日: 2010/12/21
  • メディア: 新書



ハチとかアリみたいにして「社会」を構成している生物を「真社会性生物」というんだそうだが、その研究をしている進化生物学者が軽いタッチで書いた啓蒙書である。で、「アリとかの社会にはあんまり働かない連中が一定数いる」という、どっかで聞いた話があるわけだが、その辺を突破口にして社会をもつ生物の世界について説明している。

まぁこの手の話を擬人化して語るのは正確さを欠いて本当はいかんのだが、あえてそうやって説明させていただくと、こういうアリたちには個体差があって、ある程度の刺激があると「おぉ、これは働かないといかんぞ!」とかいって働き出す個体がいる一方で、「ん? そろそろ仕事しないといけないのかなー」とかいってボヤボヤしてるうちに作業終了になってしまって、結果、仕事をしないで終わってしまう連中もいるのである。

しかしながら、こういう仕事をしない(というか、仕事にありつけない)個体がいるということは、逆に言えば、その社会には「ゆとり」というか「遊び」がある、ということでもある。仮に全員が全員、一気に「働くぞー」とかいって動き出してしまう社会があったとする。で、みんなが一緒に疲れ切ってしまったところへ、「これ処理しないと大変なことになる!」みたいな別の仕事が舞い込んだとしたらどうするか? 誰も働き手がいなくて大変なことになってしまうのである。

だが、反応が遅くて、あとからノッソリ動き出すようなヤツが、疲弊してないまま残ってたとしたら? そう、彼は組織にとって救世主になれるんである。

ということで、社会を作っている生物というのは、実は組織の中にヘンなやつがいたほうが、環境がガラリと変わったりしたときでもリスクヘッジになったりするわけで、平時は「使えない」みたいに思われてるヤツにも意外に存在意義があるんだよね、それは高度に進化した生物――人間なんかの社会にも言えそうだよね、みたいな読後感を抱いたりするのだった。

むろんそれは、企業社会の中で、「何か最近の俺、くすぶってるなー」的な気持ちを抱きがちな自分自身を念頭に入れての感慨でもあるわけだ(笑)。「働かないアリ」というのは、別に働きたくないわけじゃない。ちょっと要領が悪くて、いいタイミングでピシッと仕事を決める、そういう才覚がないだけなんだよね。そういって自分を少し慰める。で、こんな俺でも、それでもいつかひょっとしたら何かで貢献できる場がでてくるかもしれない、と思う。

とまぁ、そんなわけで、ちょっと風呂敷を広げていえば、どんな人間でも、生きてること・そこにいることだけで、すなわち意味がある、ということになりますか。ちょっと元気をもらえた1冊。

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なにぶんヘソ曲がりな性分なので、みんなが口を揃えていうことに対しては「そうなのかなあ?」と言いたくなる。最近でいうと、東日本大震災にあたって日本人は略奪騒ぎも起こさなかったし、お互いに助け合ったし、流石に日本人はできている、という一般ジョーシキがある。

もちろんアメリカのニューオーリンズでの災害のときとか、外国だと何かあったあとアァやっぱり略奪おきたね、みたいなパターンがあるんだが、日本ではなかなかそういうことは起きない。もちろん、こういう事態になっても粛々と生きている被災地の人たちは凄いと思う。尊敬に値する。それはそれで確かにそうなんだが、ホントに「日本人が素晴らしい国民だから」そういうことになるんだろうか。

北大に山岸俊男という社会心理学の先生がいる。一般向けに面白い本もいろいろ書いている人なんで一読をお薦めしたいんだが、この先生、たとえば日本人だったら日本人にかかわる出来事を「日本人のこころ」のせいにするような議論を片っ端から否定してまわってる人である。絶対不変の「日本人のこころ」があるわけじゃなく、人間って自分が置かれた状況とかモロモロを計算した上で行動するんだよね、みたいな主張をしている。俺流にいうと「日本人論バスター」。

たとえば、人間は多勢に無勢みたいなところがあって、特に学校のいじめ問題なんかはそうである。だから確かある本で、「いじめは許さん」という生徒がクラスの●●人中○○人いたらいじめは最終的に終息するんだが、たまたま○○人に一人足りなかったら最終的に止められない、みたいな実験の話が書いてあった(うろ覚えなのでちょっと違うかもしれない)。とにかく、このクラスの生徒のこころは「キタナイ/美しい」みたいなレベルで判断するのは間違い、ってことだ。

さて、この人の考え方を援用していえば、今回の震災の関係で騒ぎが起きなかったのは、必ずしも日本人が高潔なこころをもってるからじゃない。醒めた言い方をすれば、日本人は仲間うちでは礼儀正しく仲良くするけれども、外側には冷淡である、みたいな閉じた社会を作りがちである。身も蓋もない言い方をするなら、ムラ社会の中でのサンクションが怖いから秩序を守るんであって、必ずしもその本性たるや善、というわけではないのである。

たしかに今回の被災地だって、これで旧来の秩序が全部消え去って新たな世界が始まる(「マッド・マックス」か。笑)とまでは誰も考えていなかっただろうから、心のなかで悪辣なこと考えてたヤツだってそうそうヘンなことはできなかったはずだ(避難地域でコソ泥しているような連中はけっこういたようだが)。日頃抑圧されてきた貧乏人が「どうせ失うものはねえんだ」とばかりに災害の混乱に乗じて悪事をはたらく、みたいな図式は描きにくい。

もっとも、良くも悪くも「昔ながらのコミュニティ」ってやつが比較的残っていたであろう今回の被災地だからこそ秩序が守られたのであって、いま首都圏でこんな災害が起きたら、まぁ略奪までするかどうかはしらんが、俺たちが「整然とした行動」をとれるのかどうかは、いささか心許ない。水道汚染の話がでたらいきなりミネラルウォーター求めてプチ・パニック起こしてた俺たちだから(笑)。

ちなみにここのところ売れているという吉村昭「三陸海岸大津波」には、たしか明治の津波の際、被災地を公然荒らしてまわる連中がいたという話があった。まぁ当時の日本には格差もけっこうあったろうから、ムラ社会を外れたアウトローたちが無茶をした、ということなのかもしれん。

ということで、「日本人は世界に冠たる素晴らしい民族だ」みたいな話になっていくのは、ちょっと違うと思うのだ。親鸞が言ったように、人間は時と場合によってはとてつもない悪を為してしまう存在なのであって、それを忘れちゃいけない。人間は天使にも悪魔にもなれる、というのはそういうことだ。確かに被災地には天使たちが舞い降りたのだろう。だが悲しいかな、人間はいつも、常に、「天使でありつづける」わけにはいかない。

とはいえ、まぁ美しき誤解をしたままのほうが幸せ、ということもあるだろう。俺たち偉いよね、すごいよね、そんな風にでも思わんと、原発まで爆発してしまったこの国で生きてくのは辛くてかなわん。それもまた事実だ。
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「小林朝夫ネタはもうやめる」とずいぶん前から言っておきながらナンなんだが、もうひとつだけ書かせてもらおう。我ながらしつこい。ごめんなさい(笑)。ほんともうやめようとは思うのだが。

小林氏、確か「いぜん週刊誌に取り上げられてバッシングされたので叩かれるのには慣れている」みたいなことをツイッターだか何だかに書いていた。改めて確認してみると、4月4日のツイッターであった。

ありがとう、、袋だたきは慣れてます。以前、週刊文春と新潮に叩かれたときは電車の中吊り全部ボクの顔でしたから、あのときは家族が参っていました。ボクはドMですから、ぜんぜん平気でしたが(笑 もう、みなさん忘れていると思いますので、こんなふうにツイートできますが・・

2ちゃんねるではたしか「それは不倫絡みの話」みたいなことを言ってる人もいたんだが、結局それって何の話だったのかわからんかった。小林氏は「忘れていると思います」というが、そもそも記憶がない。そこで当時の雑誌など調べてきた。以下、その「事件」の顛末。


【第一幕】

1999年9月19日(日)付 朝日新聞朝刊掲載

「あなたが選ぶ この人が読みたい」


同日の朝刊社会面アタマの連載企画「あなたが選ぶ この人が読みたい」に、東京・三鷹駅近くで国語塾の先生をしているという小林朝夫先生(当時38歳)が登場した。見出しにはこんな言葉が躍っている。

塾の世界で、小林先生を知らない人はいません 「国語の神様」です

なんと例の「国語の神様」というのは朝日新聞上で高らかに喧伝された呼称だったわけだ。

さてこの記事、「ぜひ取り上げてほしい人物」を一般読者から募集した上で、記者がその人物に会いに行って記事にする、という企画モノである。この月のアタマから鳴り物入りで始まったばかりの企画だったらしい。小林氏を推薦するメールを朝日新聞に送ったのは、塾に子供二人を通わせていたというH・Jさん(当時37歳=記事では実名)。上に記した「小林先生を知らない人はいません」云々の文言は、どうやらこのH・Jさんの言葉から引いたようだ。

読んでいくと、その前半生が簡潔に紹介されている。朝夫氏が作曲家・小林亜星氏の二男であること。若き日にはテレビの戦隊モノ「サンバルカン」で主役を張っていたこと。しかしアルバイトではじめた塾講師が性に合ったこともあり、結局はその道に進んだこと。ブっとんだ「小劇場的授業」がやがて評判となり、独立して1992年に今の塾を開いたこと。小3~6年向けの塾は「学年ごとにキャンセル待ちが七十人ほど」という盛況を誇っていること。といったわけで、なかなか読ませる記事ではある。余談ながら、その直後の「女性自身」10月12日号にも「その道のカリスマに訊け!」のタイトルで「塾講師のカリスマ 小林朝夫さん」の記事が登場してる。内容は同工異曲なのでパクったのかもしれない。

だが好事魔多し。ほどなく一部週刊誌がこの記事を問題視しはじめる。


【第二幕】

「週刊文春」1999年10月21日号掲載

朝日が「国語の神様」に祭り上げた小林亜星二男に“不適切な関係”


この記事で、朝日に推薦メールを送った女性と小林さんは「夫婦同然なんです」という驚愕の証言が飛び出す。証言者は「小林氏の塾の近くに住む主婦」。この主婦によれば、メール女性には離婚歴があるらしいのだが、その娘が通う学校の名簿をみると「父親の欄に朝夫さんの名前があります」。こんな個人情報をペラペラ喋っちまうというのは、個人情報保護とかウルサイ今だとかなりマズかろうが、当時は許されたのだろう。実に感慨深い。

まぁ余談はともかく、「夫婦同然」にしている実質上の配偶者が第三者を装って新聞社にダンナの売り込みを図り、それが天下の朝日新聞に大きく載ってしまった――という話だったとすればかなり問題である。そして、塾の案内書には本部住所としてメール女性の自宅が書いてあった、との記述もある。

文春としては当然朝夫氏サイドの言い分を聞きにいくわけだが、くだんの女性は「夫婦同然」というのを否定。朝夫氏も、女性には不定期で経理の仕事を頼んでいるだけで、学校の名簿についても、片親だと肩身が狭かろうと配慮して単に「名義貸し」をしただけ、みたいな釈明をしている。ちなみに朝夫氏、自分もメールの女性もともにその時点で独り身であることをさりげなく語っているので、どうやら「不倫疑惑」という話ではないらしい。それはまぁいいのだが、やはり客観的にみると自作自演疑惑は払拭しきれない。スキャンダルの発覚であった。

もっとも、全体的に記事のトーンは「小林氏を非難する」というより朝日批判に主眼をおいているようで、「別の全国紙記者」にこんな言葉を語らせている。「朝日新聞の社会面トップで紹介すれば、仮に金銭的なメリットはないにせよ、世間的な評価や格は上がります(中略)社会的影響力を考えると、取材の確認方法は感心しませんね」。たしかに推薦者が「たまに経理を手伝ってただけ」だったとしても、表向き「かつての教え子の親」という立場で朝夫氏を推薦したのだとすれば、そのへんしっかり確認せずに記事を出しちゃったのは軽率だ。文春は朝日新聞広報室から「今回のケースは大きな反省材料です」というコメントを引き出しており、行間からは担当記者のドヤ顔が透けてみえるようだ。


【第三幕】


「週刊宝石」1999年10月28日号掲載

「朝日新聞」が小林亜星の息子に騙された!


このあと、今はなき「週刊宝石」も後を追った。「文春」から一週遅れてしまったせいかけっこう過激で、「朝日新聞の関係者」に「社会部の記者がなぁ、小林亜星の息子に騙されて、とんだPR記事を書いちゃったようなんだよ」などと言わせている。こちらも朝夫氏を直撃しているが、言い分は同じ。例の女性には「この学習塾の経理を担当してもらっている」だけだと言ってる。

これにかんして「宝石」は、「塾の経理を担当している女性が、利害関係のない母親を装って推薦のメールを送れば、それはもう立派な“騙り”ではないのか。/小林氏にその意図があったかどうかは別にしても。」と書いている。正論である。記事のトーンは、総じて「文春」より朝夫氏に厳しい。なお、こっちの記事でも、朝日新聞広報室は「今回のケースは大きな反省材料です」と言ってる。

なお、後追いの意地をみせたというべきか、この時の「宝石」はけっこういい取材をしている。朝日新聞は「塾の世界で、小林先生を知らない人はいません」などと書いている。だったら、三鷹駅前で聞き込みすれば「国語の神様」の塾なんてすぐみつかるだろう。そんな目論見で取材を始めるのだが、駅前の大手塾で聞いてみると「う~ん、まったく知りませんねぇ」。また、ある塾の国語講師はこう言ったという。「私は長いこと三鷹で学習塾をやってますが、そんな名前は聞いたことがないですよ。キャンセル待ちが70人で、何年も前から予約がいっぱい? こんな時代に、そんな話があるわけないでしょう」。取材記者、6軒目の学習塾でようやく朝夫塾の情報を得ることができたそうだ。足で稼いだ取材だからこそよく見えてくるものがある。

ちなみに、朝夫氏は週刊文春と新潮に書かれたと言っていたが、俺が確認できたのはこの「週刊文春」と「週刊宝石」だけだった。


【終幕】


以上が「事件」のあらましである。まぁこういう記事であるから、朝夫氏の側にも相当のダメージがあっただろうことは想像に難くない。あるいは彼の人生設計を根本から狂わせた事件であったのかもしれぬ。が、その結果はやはりご当人が背負っていくしかないものであろう。

もちろん朝夫氏にも言い分はあるだろうが、仮にも「教育者」を名乗っていた人物である。客観的にみて、マスコミを使って仕掛けた売名行為と受け取られかねないふるまいは避けるのが賢明な判断というもの。4月4日のブログでは「ボクはドMですから、ぜんぜん平気でした」とかおちゃらけて書いているが、教育に携わるものとして、こういう嫌疑をかけられても「平気でした」とかいってしまう神経は如何なものか?

「李下に冠を正さず」ともいう。心ある人であれば、最終的には朝日新聞には丁重にお引き取り願うべきであった。なぜそれができなかったのだろう? ひょっとして朝夫氏には「下心」があったのか? これはもう、読者諸兄の判断におまかせするしかないのだが。

ただ、ここでひとつ、気になったことがある。この方が現在経営している店について、ヤクオクのストア情報でみてみると、代表者はH朝夫(苗字はあえてイニシャルとする)となっている。奇しくも1999年の朝日新聞に実名で出てくるメール女性=H・Jさんと苗字が同じなのである。まぁこの方が誰と結婚しようが勝手ではあるのだが、こういう名乗りをされているということは、ひょっとしたら小林氏はこの女性とその後結婚し、戸籍上婿入り?でもされたのだろうか? 4月4日のツイッターでは「あのときは家族が参っていました」と書いていたが、この家族というのはH・Jさんのことなのだろうか? 深読みのしすぎだったら恐縮だが、もしこの推測が当たっていたとしたら、上の「週刊文春」「週刊宝石」の記事の読み方も自然と変わってこようというものである。

もっとも、公平を期していっておくが、先の朝日新聞の記事も彼の授業自体はかなり評価していたし、「週刊文春」も地元での塾の評判は悪くないと書いている。こんな「事件」を起こすことなく、朝夫氏がその後も地道に国語教師としての力を積み重ねる努力を続けていったとしたら、彼はいまどんな人生を送っていただろう? そんな「イフ」を語っても詮ないことなのだが、「誤字が多い」「文章がヘン」等々2ちゃんねる界隈でボロクソ言われながらネット上で扇情的な言葉をまき散らしている今の彼とは違う、もっとちゃんとした人物がそこにはいたような気がしないでもない。そう思うと、俺はちょっとだけ哀しい気持ちになる。


【おまけ】

なお今回の騒動に絡んで「予言が的中した!」と朝夫さんを持ち上げていた最近の雑誌2点も確認してみた。女性週刊誌の「週刊女性」「女性自身」、それぞれ5月3日号である。

ちなみにこういう週刊誌の場合、なんか珍しい人間が出てきたときに「持ち上げる」か「こきおろすか」は、けっこう恣意的であるようだ。編集長が「褒めよう!」といえばそういう材料を集めるし、「叩け!」といえばネガティブな情報を集める。別にロジカルに議論して評価を定めようみたいな空気はなくて、「どっちのスタンスでいけば売れるかな~」というのが基準になる(たぶん)。で、一般論としては、世の中に出始めた人間に対しては比較的好意的で、そこそこ有名になっちゃったあとは引きずりおろす、みたいなパターンが多いような気がする(ホリエモンが好例)。

小林氏はどうなのかといえば、一般的にはあまり知名度がないから、とりあえず定石通り持ち上げたんだと思う。ひとたび持ち上げることにしたら、「場所とか規模とか全然違ってたってサ、何か地震が来る来る言ってたらそのうちホントにどっか来たんだからサ、当たったっていやぁ当たってんだよ」というノリで突っ走ればいいのである。

だから「こんな外れっぱなしの予知を持ち上げるなんてヘンだよ」という批判は編集部には全くこたえない。連中も本気で「当たってる!」と思って記事作ってるわけじゃないから。

ちなみに先の「事件」当時に叩かれたのは、父親の亜星氏も勢いのある時代だったし、なにより朝日新聞にデカデカと登場した直後だったから、バッシングのしがいがあった、ってことなのだろう。今回の提灯記事でももちろん亜星氏の名前は出てくるんだが、若い連中にとっちゃ「亜星?ダレそれ?」みたいなモンだろうから、叩いたとしてもツマラナイ。

さらにもうひとつ。おまけのおまけ。「FLASH」1999年9月14日号の『この9月もヤバい! 2000年問題「11の危険日」』なる記事の一角、小さな囲みの中にも朝夫氏は登場していた。いわゆるコンピュータの2000年問題に警告を発する記事なのだが、今読むとけっこう興味深い。ここで朝夫氏は、「2年前から2000年問題に注目し危機感を募らせ」「20人が1年間暮らせるだけの水、食料、燃料などを別荘に備蓄しています」と語ってる。「家族、親戚を連れ、年末に東京を脱出する」予定だとも書いている。これが今いる八ヶ岳の別荘なんだろうか? 既視感がある(笑)。まぁ今の日本にはホンモノの危機が到来してしまったわけだが、朝夫氏の思考回路は、あの2000年問題の空騒ぎのときも同一パターンで作動していたのかと思うと感無量である。(おしまい)

追記 4月4日の小林氏のツイッター内容が確認できたので、若干書き加えました(2001/6/2)

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