2012年04月

エイモス・ミラー事件について以前書いたことがあるんだが、何かここにきて有志によるリサーチが進み、なんとなく真相が明らかになりつつあるもよう。まとめはこのあたり

とりあえずカナダの「Midnight」というタブロイド紙がでっち上げた事件らしく、現場とされたニュージーランドの皆さんが「くそぉ、ニュージーランドとかいやぁ人外魔境、こんな事件もあるだろなー的感覚でネタ作りやがってコノヤロウ!」と怒っているとおぼしき状況がホーフツとされます。

というわけでこれからどうなるか、全国1000人のエイモス・ミラーファンの皆さん、刮目して待て(笑)
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佐渡でトキのヒナが孵って、皆さん大喜びのようだ。世の中では、絶滅危惧種がんばれー、カラスやテンの魔の手から逃れて無事に育ってね~という話になってるらしい。

オレに言わせれば実に笑止千万。

そもそも皆さん「自然を守れ」とか何とかいうスローガンはお好きなようなんだが、現在の生態系においては「自然」に任せておけばトキは死滅するのが当然の存在なのである。

もともとノロマな生きものらしく、食っても結構ウマイらしいから散々ヒトにやられてたという話もあるぐらいだから生存競争的にはかなり脆弱な生物なンだろう。それでも田んぼにドジョウがウヨウヨいたような時代なら細々生き残る道もあったんだろうが、もはや日本全体で「いまさら田んぼじゃ食ってけないよねー」とかいってる時代である。

基本的にトキがこの日本で繁殖していけるかっつーと、もうこれはかなりの無理筋。むしろ今回みたいに、ヒトの側が部分的にせよ自然環境を人為的にガンガン「改変」してやっとうまくいくかどーかという話なのだ。

つまり「自然を大事に」「自然に手を加えるな」的スローガンと「トキの保護」というのは完全に逆立している。まぁ「オレサマ人間たちには自然環境を改変するパワーがあるんだから、トキを守るためにドンドン生態系に介入していってやるゼ、文句は言わせないゼ」というある種ゴーマンな思想を唱えているという自覚があるんなら、せいぜい頑張っておやんなさいというしかないけどな。


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というわけでチラ裏。中国版楽天といえばいいのだろうか、AliExpressで注文したDVDドライブSW-9576-Cが全然ディスクのマウントをしてくれない件で、サイト通じて「返金してね」みたいなボタンを押して様子をみてたンだが、本日AliExpressからメールがきて、「なんかほざいとるようやがテメー全然証拠出しとらんやないか、文句あるなら3日以内にビデオでも何でもえーから証拠だせやワレ」(意訳w)といった意味のことが書いてあった。

なるほど、日本の通販だったら「そーですか、じゃとりあえず返送していただいて・・・」みたいなノリであるが、これがグローバルスタンダードというのだろうか、「眠たいことほざいとらんで証拠出せやワレ!」といきなり来ますか(笑)。ま、オレもサイトの注意書きちゃんと読んでなかったけどね。

しょうがないので、子供の運動会用ビデオレコーダーを引っ張り出して、動かぬ証拠(笑)を撮影。

①ドライブがIDE接続なんで、こないだ買ったIDE-USB変換アダプダーみたいなのをドライブにつけてPCに接続→DVD入れてもマウントせず。

②今度は手元にあった古いドライブ、SW-9574っつーのをPCにつなげてディスク挿入→はい、ちゃんと映りますね

というシナリオ通りに撮影。「YOUTUBEにアップすればオレが見て言い分を判定してやる」(意訳w)と書いてあったので、これまで自分で撮ったものなんてアップしたことはなかったが、指示にしたがうことにする。とはいえ、何かアップロードにえらい時間かかってるんで本日中にはムリだな。

でもなぁ、ヤッパ中国人のコンビニのアルバイトとかみててもさー、なんかコッチが汚いみたいにしてお釣り投げてよこすでしょ? 建前にしろ「お客さまは神様です」とかいってるわが国とは違って、向うの商売ってどっか信用ならねー、って感じがするんだよな。

などといってるから日本人は内向きでダメなんだ、それこそこっちから打ってでなきゃ、という声もあるんだが、なんかオジサンもう疲れちゃったから。

ま、それはともかくAliExpressはどう出てくんのか? 「アンタが壊しちまった可能性も排除できないから返金しません」で終わるような気もするぞ。その場合は、今回の出費は「やっぱ中国人は信用できねーよなー、AliExpressなんて一生相手にしネー」ということを学習するためのイタイ授業料、ということになるわけだが。さて。
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新潮文庫版の「1Q84 BOOK1〈4月‐6月〉前編」まで読んだ。ひらたくいうと、文庫バージョンの最初の1冊だな。まぁ今さらネタバレもクソもないので正直にストーリーを追っていくわけだが

「青豆と天吾はどうも小学校ン時の同級生だったらしい」とか

「青豆の親はどうもエホバの証人みたいな宗教団体の信者だったらしく、当人としてはかなり当惑していたらしい」とか

「ふかえりのオヤジは大学の先生だったンだが全共闘の指導者みたいな立ち位置からザセツしてヤマギシ会みたいなの作ってリーダーになって、そこから分派した武装左翼集団は自滅したんだが、本体のほうは何かカルトみたいになっちまったらしく、しかしオヤジはそのご消息不明になっており、一方でふかえりは何故かオヤジの大学時代の友人のところに預けられて今日にいたってる」とか

「青豆は基本的に男漁りが好きなヒトである」とか

「青豆は金的蹴りが得意である」とか(しかし護身術として有効とか春樹センセイは書いてるんだが、ハイヒールとか履いてたら金的狙いの前蹴りは事実上腰が極まらず至難ではないかというのがオレの偽らざる感想である。まぁオレの1Q84=ブリコラージュ仮説にたてば、しょせんネタなんだからそんな精密なことを言い出すのはヤボ、ということになるわけだが)


まぁけっこういろいろと伏線を張りまくっているのである。これをどう回収していくのか。ワクワク。

とりあえず、ひとつ思ったことを書いておくか。

「エホバの証人(的宗教)→周りにバカにされまくり→少女時代の青豆(たぶん)かわいそう」みたいな図式は、いかにも日本人のジョーシキをなぞっているわけなんだが、しかしそもそも外国にでれば無宗教→人非人というのがグローバルスタンダードで、「進化論は間違い」とか言ってるオヤジがアメリカあたりじゃ一目置かれてたりするわけであるから、それを考えりゃあまぁエホバの証人なんて可愛いものなンである。

少なくともここまで読んだ限りでは、エホバの証人(的宗教)=刺身のツマっつーか、「常識外れのイタイ人たち」的なアイコンになっているので、小説家というのはこの世のジョーシキを懐疑せしめてナンボという哲学をもっているオレとしては、春樹センセ、きっとその辺の日本人のヒジョーシキをひっくり返すようなどんでん返しを用意してんだろうなーと期待は膨らむばかり(笑)。→つづく





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「ゆっくり出社」が常態の不良サラリーマンとはいえ、たまには猛ラッシュの通勤電車に乗らざるを得ないこともある。

とりわけオレの場合は全国的にも殺人的乗車率でならす東京メトロ東西線を使っているから、そういう日はけっこう気合いを入れていかんとならんのである。たまさか奇麗なネーちゃんとかが近くにいて、まぁ体の前面を押しつけるとかいうことだと犯罪に問われる恐れナシとしないが、殺人的ラッシュであるからして尻と尻を激しく押しつけあうような状況もないではなく(念のためであるが意図せずして、である。ここんとこ誤解無きようにw)、そういう場合は不可抗力ということもあり拷問にも等しい状況にあって「地獄に仏」というか「干天に慈雨」というか、期せずして一服の清涼剤的ひとときを過ごすこともあるわけだが、今回いいたいのは全然そういうことではない(笑)。

そういう満員電車だと運転士の技量が如実にわかる。満員電車が数珠繋ぎ常態となると、減速・加速に微妙な手加減が必要となる。そういうときにカックンブレーキとかかます運転士がいるわけだが、もうつかまるところもなく立っている俺らとしてはなすすべがない。グラッと揺れて隣りの人に体重預けてゴメンナサイ、オレは別にアンタを押したくないんだがこういう運転されては何ともはや、という状態になってしまうのである。

これがうまい運転士になると、微妙に減速したのち、さしたるショックもないままに加速に転じたり、といった具合で、乗客をあんまりグラグラ揺らさない。「あぁ今日の運転士はうまいなー」と心やすらぐのである。

となると、オレ的にはこういう上手い運転士を顕彰したくなる。アンタのおかげで満員電車の苦痛が少し和らぎました有り難うといいたくなる。言いたいんだが、しかし「何時何分発の特急××8号」みたいにその電車を特定することは不可能なのである。数分置きに電車は来るわけだし、しかもそれはダイヤ通りに来るわけではなくてメチャクチャに来るわけだから。

偉い運転士に有り難うを伝えたい。で、あわよくばそういう運転士さんの給料をもっと上げてやってほしかったりする(いや、意外にその辺の技量はちゃんと東京メトロで査定していて、うまい運転士は高給だったりするんだろうか? それならそれでいいんだけど)。オレに何かできることはないんだろうか?





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というわけで、AliExpressで注文したDVDドライブ、SW-9576-Cがこの土曜日に届いた。香港からの航空便である。裸のブツを発泡スチロールで包んでテープでグルグル巻きにしてある。それを再びプチプチで包んでテープでグルグル、という梱包。この時点でかなり怪しげではある。

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開封。ラベルには「MANUFACTERED : JANUARY 2012 」とか書いてあるのがナゾである。パナは生産中止してるという話なんだが、ラベルにはしっかり「パナソニックコミュケーションズ 福岡市博多区美野島4丁目1-62」とか(もちろんローマ字でだが)書いてあるぞ。何なのだこれは?

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何か素性の明らかでないブツなんだが、とりあえず換装してみた。しかし。何か全然DVDがマウントされんぞ。何を入れても「ディスクをチェックして下さい」一本やり。ガチャガチャいうこたぁいうんだが。インチキ商品だったのかヤッパリ?


しょうがないので「返金キボンヌ」とAliサイトから連絡を入れる。どうなるんでしょうか?



まぁ、最初は殻付DVD-RAMを使えるプレーヤーが手元に一台あってもいいかなー、とか思って自己流修理を考えたンだが、なんか萎えてきたなー。殻付RAM、そもそも生みの親のメーカーさんにも見捨てられた悲しい子であって、オレらユーザーが「自己責任」で試行錯誤する、ってのも何かバカバカしい話ではあるんだよね・・・。ま、殻から取り出して使えばいい、といえばいえるわけだしね。でもなあ、くそぉ東芝にわざわざ補修部品まで取り寄せてもらったのになぁ。

けっきょくRD-S601は、バラしてハードディスクだけ取り出して粗大ゴミ送りかな。確か300Gのが2つ入ってるから何かちょっと2次・3次バックアップ要員ぐらいにはまだ使えるやろ。


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ベストセラーは嫌いなので読まない主義なのだが、「1Q84」が文庫本になったのでついフラフラと買ってしまい、3年遅れで読むことにした。さて、カフカでさえ受賞できなかったノーベル文学賞の、その有力候補の実力や如何に(笑)。

なお、あらかじめ言っておくけれども、この作品、断片的なストーリーとかはこれまでにも耳に入ってきてしまっているんで、前もっての予断みたいなものがないとはいわんが、極力無視をしてきたのでそういう前提での読書感想文となっている。



さて。うむ、スラスラ読めるぞ。青豆とかいう若い女が出てくるんだが、なんか自意識過剰な殺し屋という設定らしい。若くてキホン美人で何やら謎めいてるところがあって、みたいな。「え~、いまどき殺し屋? そりゃねーよ、プッ」みたいに一瞬思ったのだが、まぁ通俗小説にはありがちな話だし、まぁいいかと先をいそぐ。ただし、ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」がどーたらこーたらみたいな話もあって、「ヤナーチェク、ときましたか。いや、このあたり深いものがありそうですな」とハイカルチャー志向のインテリ諸兄の自尊心をくすぐる趣向もあり、単なる三文小説ではないことをさりげなくアピールするところは流石である。

で、なんか天吾とかいう小説家のタマゴみたいなのが出てきて、1章ごとに青豆と入れ替わって登場するわけである。この2人が主人公らしい。まぁ多くの読者は作中に小説家がでてくると、どうしたってそこに筆者=村上春樹を投影して読むことになるであろうから、日本のメディアから逃げ回って自らの希少価値を高めることにより商品価値を上げてきた、中田英寿的マーケッティング巧者である春樹のことである。「あ、天吾ってのはハルキの分身じゃネ? ちょっと興味あるカモ」という風に読者を誘い込む手練にはなかなかのものがあるといえよう。

それで、この天吾パートに「ふかえり」と称する女子高生が登場するんだが、驚いた、まんま「涼宮ハルヒ」の長門有希なのだった。謎めいた言葉を断片的にポツポツと語る美少女、ってヤツ。やっぱり「わたし、宇宙人」とか言い出すのか? で、なんか「リトル・ピープルは実在する」とか何とか、やっぱり謎めいたことを語っているぞ? 

ここで若干脱線させてもらうが、「リトル・ピープル」っつーのは西洋文化圏では小さな小人=妖精のことだ。妖精というと、われわれは羽か何か生やして奇麗な格好でヒラヒラ飛んでる涼やかな小動物みたいなものを連想しがちだが、最近オレの読んでいるジャック・ヴァレに言わせれば、連中は基本的には人間を掠っていったり気味の悪いイタズラをしたりするおぞましい邪鬼のようなものであって、つまり今風にいえば人間を誘拐するエイリアンみたいなもンだ。UFOファンとしてはこの伏線、目を離せないぞ!! リトル・ピープルの正体や如何に!

 以上、脱線終了。

で、話はもとに戻るンだが、ひょっとしたらハルキさんは「涼宮ハルヒ」を読んでて、確信犯的に長門有希的キャラを出してきてるんじゃねーかと思った。そーいや殺し屋の青豆は、なんか人間の首のうしろに針みたいなのを突き刺して瞬時に死にいたらしめるワザをもってるらしいんだが、これは「必殺仕事人」キャラではないのか。サブカルやお茶の間のテレビのキャラを「引用」しながら、なんつーかブリコラージュ、っつーんですか、そういう文化的素子を組み合わせて物語を紡ぎ出すという実験をしているのではないか、なんちて。

さて、もうちょっと先に行きますと、殺しのお仕事を済ませた青豆が、その興奮を鎮めるべくバーのホテルで中年男を物色してセクロスにさそう、という展開になっておりまして、男のナニは大きいほうがイイとか、青豆がバストの小ささを意外に気にしている、とか、まぁどーでもいい夕刊紙みたいな話がしばし展開される。これはなんなんだろう、やっぱお色気も必要? 「水戸黄門」における入浴シーン的読者サービスってヤツ? なんかこれも伏線になってるのか?

このあたりまで読んできての感想としては、なんつーか、それこそブリコラージュではないんだが、何かその辺に転がってるパーツを無造作につなぎ合わせた「安っぽさ」みたいなものが見え隠れするンだが、ひょっとしてこれは春樹の作戦なんだろーか? こういうキッチュなパーツを組み合わせていったら、意外や意外、絢爛たる大構造物が出現してしまいました、みたいなマジックが見られるのか? 気が向いたらまた感想を書かせていただこうと思うが、さて。(続く。たぶん)


1Q84 BOOK1〈4月‐6月〉前編 (新潮文庫)

1Q84 BOOK1〈4月‐6月〉前編 (新潮文庫)

  • 作者: 村上 春樹
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2012/03/28
  • メディア: 文庫



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いぜんER7061問題が発生した件で当ブログにも登場した東芝のHDD/DVDレコーダーRD-S601は、じつはいまも家にある。

地デジチューナーこそついてるが、TS画質でHDに録画しても、画質を落としてDVDに焼く以外に「外」へは持ち出せない。たしか「i.Link」を使って他のレコーダーに無劣化でデータを持ち出す方法もないではないらしいんだが、それも相手の機種を選ぶ話。イチイチそんなことはやってられん。とゆーか、そこまでして残したいデータがあるか、という話かもしれない。

ということで、しぜん放置状態となり、電源コードも外してラックにつっこんでおいたのだが、このたび新しくSONYの学習リモコンを買ったので、ふと「久々にちょっと動かしてみっか」と通電してみた。

HD上のデータは残っている。しかし、試しにDVDを入れてフタをしめると、なんかガーガーいって自動的にまたオープンになってしまうぞ。壊れたのかと思ってネットを調べると、DVDの可動部にグリス塗ればいいようなことが書いてあったので、衝動的に筐体を開けていじりまくる。

が、ちと酒に酔ってたこともある。ドライブにつながってるIDE式のフレキシブルケーブルを間違って引っこ抜いちまった。さらに、慌ててケーブルとドライブの端子をつなぐアダプダまで壊してしまった。万事休す。DVD外した状態で電源入れてみたが、ER7071(DVDナシだそうだ)とかエラー吐いて動かなくなる。そりゃそうだわな。

粗大ゴミとして捨てちまうか、と一瞬思う。まぁさっきも書いたように、せっかく取り込んだ映像を劣化版のSD画質にコンバートしないと外に出せない、というのは今となっては致命的な欠点だ。まるで老いぼれた退役軍人・・・でもさー、そーすっとコイツちょっと俺みたいだよな、な~んて思ったからもういけない(笑)。

あぁもう全然将来性ないヤツだけど、もちょっと延命させてやっかと、ホトケ心が兆す。それにこのS601、いまや滅亡寸前の殻付きDVD-RAMも再生できるんだよね。むかし録画した殻付きDVD-RAM、今も家のどっかで眠っているわけだし、最後の御奉公もアリか、と。ホント惜しいのはDVD-Rに移しといたほうがいいのかもしらんし。

というわけで、部品を集めて復活をはかることにした。まず、ちぎってしまったフレキシブルケーブルである。いろいろ調べると、東芝テクノネットワークというトコでパーツを売ってくれるらしいことがわかった。上野のSSでゲット。フレキシブルケーブルは200円(税抜き)。破壊したフレキシブルケーブルアダプタ500円(税抜き)。

とりあえず取付けておいた。フレキケーブル自体は断線とかしてないのかもしれないが、けっこう引っ張り回したりしたので、こちらも新しい方のに替えておく。

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アダプダには可動式の黒いパーツがあるんだが、この左右の端っこを持ち上げるとロックが外れるので、その状態でフレキケーブルを抜き・差しする。逆に端っこ部分を下に押し下げると改めてロックされる。そういう仕組みである。この黒いパーツをあんまり力任せに動かすと、なにせこの部分はプラなのですぐ壊れてしまう。要注意である。

それから肝心のDVDドライブ。こういうドライブは消耗品だというし、この際、自分で換装することを考えた。型番はパナのSW-9576E。流石に今じゃヤフオクで中古が出回ってるぐらいで、そういうの買うしかないかなーと思っていたンだが、いぜんPCにつけていたSW-9574というのが手元にあり、スペック的には9576と同等という話もあるので、ダメモトでとりつけてみた。・・・なぜか肝心のDVD-RAMを認識しない。何枚か試してみたけどダメ。DVD-Rはいけるんだが。なんだよー、DVD-Rより信頼性高いとか宣伝してたからDVD-RAMにいろいろ録りためたのによー、これってハードがすぐへたるってこと? 全然ダメじゃん。騙すなよ(怒)。

しょうがないので、SW-9576を探す。ヤフオクだと中古5000円ちょっと、新品1万円ちょっとぐらいのはあるんだが、そんなカネ出す話かよという気もする。で、中国系のネット・ショップ、AliExpressで、SW-9576C(末尾のCはあまり意味がないらしいぞ)の「新品」を82ドルで売ってるのを見つけた。

ホントに新品なのか? と思いつつも、ついついポチる。ホントに新品ならそこそこ納得。ただ、SW-9576C+AliEXPRESSとかグーグルで検索するとヒットするのに、ポータルサイトから検索かけてもヒットしないというのは、実は現品ナシというオチなのかな。大丈夫か。

まあいいや、ドライブがホントに来たら再生工場始動である。刮目して待て(って誰がw)。

 ※なお「お約束」であるが、ひと言。当ブログの記述に従って修理を試みて失敗されても当方は一切責任をとれませんので、そこは自己責任というヤツでお願いします。

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この辺境ブログ唯一の「キラー・コンテンツ」(笑)は小林朝夫氏の「予知」を検証するというエントリーである。

昨年の東日本大震災をズバリ当てたとか何とか言い募り、その後も有料ブログを設けてはさかんに「大地震近し」と騒ぎ立てて「有料会員の皆様」に有益な情報を伝えている(笑)小林朝夫さんという方がいるんだが、本当にこの人の予知は当たってるのか、過去のブログを検証したもので、けっこうたくさんの方々に見て頂けた。結論は「残念でした、何にも当たってませんでした」というもので、いわば既に死んだ古いネタなんだが、それがまたきょう一日で急にページビューが伸びた。一日で200ナンボ。当ブログでは画期的(笑)。

あれ~と思って調べてみると、この小林さん、きょうになって「猛烈な大地震発生前兆が出ています」「大地震発生の前兆である電磁波ノイズがバーストを繰り返しています」「今回の地震は311を遥かに上回る規模となります」などと、またぞろ煽りを開始したようなのだった。あぁそうか、それで不安になった人が検索かけて、ここにたどりついたんだなーと疑問氷解。

だ・か・ら~、皆さんな~ンにも心配することはありませんって。たとえばこの人、いろいろ煽るワリにこの「電磁波ノイズ」って、どういう場所で、何を使って測定しているのか、その単位は何か、とか一切教えてくれない。一事が万事。本当に世の中に警鐘をならしたいというんなら、自分のデータとやらを公開して学者サンにでも見てもらえばいい。そんなこともしない。「危ない危ない」といって危機を煽っているだけ。

もちろんこれから大地震が来る可能性はけっこう高いとは思ってますが、ソイツはこの人の「観測」でどんな結果が出たかとは全く無関係に来ますから(笑)。そういう意味ではケ・セラ・セラ。インチキくさい予知を気にするというのは文字通りの杞憂。




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とりあえず次の2ツの文章をみていただきたい(各段落冒頭の数字は便宜上小生が振ったものである。また原文のルビは省略した)

【その1】
①春らんまんの京都、祇園と桜の組み合わせで浮かぶのは、与謝野晶子の「みだれ髪」の名高い一首だ。〈清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき〉。花篝に照らされる夜は華やぎ、幸福感に包まれた乙女は匂いたつばかり


②この季節、古都は宿の予約も難しいほど観光客でにぎわう。そんな昼下がり、満開の桜の下の、凍りつくような暗転である。祇園の繁華街で人の列に車が突っ込み、次々にはねた。7人が亡くなるという、痛ましい事故になった


③運転していた男性も死亡した。原因や事情はまだ明確ではないが、ときどき意識を失う持病があったらしい。軽乗用車ながらのこの惨状に、「走る凶器」ぶりを改めて思う。交通戦争と言われた1970年ごろは、年に1万5千人以上が落命していた


④去年は3分の1を下回ったが、それでも4612人もの命が失われた。家族やまわりの悲嘆ははかり知れない。年に約5万人の重傷者にも深刻な障害が残る人は多い。交通戦争は終わってはいない


⑤車そのものの安全性は高まったが、運転するのは人である。「敵を知り己を知らば百戦危うからず」と孫子の言葉にある。原因が何にせよ、車の怖さを知って安全を保つことができなかったものかどうか、悔やまれる


⑥〈四条橋おしろい厚き舞姫の額ささやかに打つあられかな〉。晶子の詠んだ橋のすぐ東が悲劇の現場になった。華やぎを吹き飛ばしてカメラや靴が路上に散乱した。突然絶たれた命の無念を、痛切に思う


【その2】
①今ごろの季節だろう。与謝野晶子に一首がある。〈清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき〉。京都の繁華街・祇園から清水寺に向かうところか。朧月(おぼろづき)に照らされた、夢幻のような夜桜が目に浮かぶ


②見頃を迎えた桜をもとめて、きのうも祇園はかなりの人出であったと聞く。惨劇が待ち受けていることを誰が予想したろう


③祇園の一角、京都・四条通の交差点で軽ワゴン車が信号を無視して歩行者の列に突っ込み、7人が死亡した。運転していた会社員の男(30)も電柱に衝突して死亡している。意識を失う病気があったとも報じられているが、事故との因果関係はまだ分からない


④誰もが日に何度か、どこかの交差点を渡る。人命を奪う事故に恐怖感の序列があるはずもないが、日常生活のすぐそばに潜む惨事に身の震える思いでテレビ画面に見入った人も多かろう


⑤〈あなたの車を凶器に変えないでください〉。30年ほど前、ある自動車メーカーが安全運転キャンペーンに用いた広告コピーである。事故原因の究明を待つまでもなく、ハンドルを握る人はこの言葉をもう一度、胸に刻み直していい。


いずれも京都・祇園でおきた交通事故について触れた文章であるが、お気づきの方もあろう、【その1】は朝日新聞の「天声人語」、【その2】は読売新聞の「編集手帳」。ともに4月13日の朝刊に載ったものである。

両紙見比べて驚いた。別に相談したわけでもなかろうに、文章が実によく似ている。時間差があったら、どっちかがパクったといわれても仕方がないほどに。


パーツ① 与謝野晶子のおんなじ歌を引用している。「祇園+桜の時期」という連想で「何か有名な歌でも引用すっぺか」と考えたら、まぁ事実上この一作しかないわけだが。

パーツ② ここで痛ましい事故が起きました、という今回のコラムの主題を提示する。

パーツ③ 事故を起こした人間には「意識を失う持病」「意識を失う病気」があったけれど、それが事故と直接関係があったかどうかはどうかはわからない、という流れはクリソツ。

パーツ④ ここもほとんど同じことを言っている。「ほんっと交通事故って怖いよね」といってる。

パーツ⑤ ともに「車って怖いから、アナタも気をつけてね」という読者への呼びかけである。実質的にこれでコラムは終了する。「天声人語」のほうは、つけたしでもうちょっと書いてるけども。


なんでこういうことになってしまうのか。ヤッパリここには商業新聞の限界というものがあって、その立ち位置から「言えること・言うべきこと」というのは自ずからひとつのワクの中に収まってしまうのである。新聞的な「ポリティカル・コレクトネス」っつーか。

「桜の時期の祇園」っつーと与謝野晶子だよネ、「てんかん」持ちの人が事故起こしたら、まぁそこに因果関係があったかどうかはわからんけど「意識を失う持病があった」ぐらいの穏当な表現でその点は指摘しておきたいよネ、みたいな。

まぁ新聞っつーのはそういうものなのかもしれなくて、こういうコラムとかに独創性とかクリエイティビティー求めるのが間違ってるかもしれないんだが、こうやって同じ日の新聞で金太郎飴みたいに似た記事見せられるとサ、なんかね。で、「世の中の常識とは反してるかもしれないけどオレはこう考える」みたいな骨のあるコラムも書いてほしいよなと思ったり。



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三菱のPCディスプレイ、RDT231WM-Xが故障したので、サービスセンターに自分で持ち込んだら「直ったらまた取りに来て」といわれ、「そんな説明は聞いてない」と電話でアフターサービスの部署に抗議したもののけんもほろろの対応で激怒、という話をこのまえ書いた

そうしたら先日三菱から「宅配便で送りますから」と電話がかかってきたとのことで(家人が受けたので詳細は不明)、きのう4月11日に修理品が戻ってきた。

「そういうことはできない」と言っていたのにどういう風の吹き回しか。やはり反省したのだろうか。まぁとにかくこちらとしては文句はない。最初からこういう風にしてくれれば良かったのである。

が、三菱は少なくともウェブ上とかで紛らわしい説明をしておいて、クレームをつけたら「じゃいちおう聞き置いとくわ(意訳)」という対応をした事実に変わりはない。ま、オレみたいなケースでも「無料センドバックします」という対応をすることに決したのかどうかはワカランが、ともかく今後はちゃんとしていただきたい。特にウェブ上ではその辺はハッキリ書かないとダメである。




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さて、わが人生もいよいよ午後3時状態となってきたのでそろそろ「死」について考えないといけない。「死後の生存はあるか」という永遠の謎はやはり謎のままであるわけだが、例のNDE=臨死体験というのはその辺で何かヒントにならんのだろうか。

「あれはいよいよ死ぬときに安らかに最期を迎えられるよう脳内に麻薬物質が放出されてこの世ならぬ喜びに満たされたりするのだよ」という説もあるわけだが、ふと考える。生物としての人間というものを考えると、およそだいたいの生理的現象というのは「それが(自己の、あるいは子孫の)生存に有利だから」という理屈で説明可能である。ま、こういうのは後づけの理屈なので検証不能といわれるかもしらんが、経験則的にはなんとなく納得させられてしまうロジックである。

もちろん人間というのは文明という名の「人工的環境」を作る生物であるから、たとえば大昔の人間なら「余った栄養を脂肪にたくわえて有事に備える」という生存に有利な体質がいまだとかえって不利になってしまう、みたいな逆説もあるわけだが。

あるいは「社会」の存在を前提にすると、個々の人間のレベルではトクにはならなくても「社会全体」でみるとトクになる場合があって、そういう行動が人間には備わっていく、という事態も想定される。進化心理学みたいな考え方ですな。

で、臨死体験が仮に脳内麻薬の産物なのだとすると、さて、これは何かの「役に立つ」んだろうか? 仮に臨死体験というのがしょっちゅう起こるもので、生還した人が「いやー、死ぬってそんな怖いものじゃないよ、素晴らしかったよー」とか触れ回ってるんであれば、「あ、そうなんだ。じゃ、この社会を守るためにオレが犠牲になるのも悪くはないよねー」みたいな命知らずの連中が次々と現れて社会を防衛してくれるかもしれない。社会全体の存続を考えれば悪くない話だ。

でも、臨死体験ってそんなに頻繁に起きてるものかしら? ほとんどの人はそんな話は知らんまま一生過ごすのではないか(まぁ三途の川を渡って、ぐらいのイメージは漠然とあるかもしれないが)。するってーと、わざわざ脳内に麻薬物質が放出される理由がワカラン。そんなことしてもほとんどの人間はそれを伝えることなく死んでいくんだから。無駄なような気がする。

それとも「自己が消滅する」という絶体絶命の危機になると、もうここまでくると別に個体や子孫の生存なんか全然関係ないんだけど、もう自らへの最後のごほうびだ、脳内麻薬を出血大サービスだぁーという仕組みで脳が頑張っちゃうのであろうか。麻薬物質を蓄えておいてもどうせ使えないし大盤振る舞いだ、みたいな。

うーん、まぁ「死後の生存」なんてなくても死ぬときにはけっこう安楽に逝けるというのであれば、ま、以て瞑すべしだよネと思えなくもないが、実際はどうなのか。

とまぁ唐突にこんなことを書いたのも、アブダクションと臨死体験の類似性を指摘したと聞いてついつい買ったものの、何の因果か積ん読状態のまま本棚の片隅にずっと眠っていたケネス・リング『オメガ・プロジェクト』の背表紙をチラリと見かけたせいかもしれない。今度ちゃんと読んでみるか。




オメガ・プロジェクト―UFO遭遇と臨死体験の心理学

オメガ・プロジェクト―UFO遭遇と臨死体験の心理学

  • 作者: ケネス リング
  • 出版社/メーカー: 春秋社
  • 発売日: 1997/09
  • メディア: 単行本



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「当事者」の時代 (光文社新書)

「当事者」の時代 (光文社新書)

  • 作者: 佐々木 俊尚
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2012/03/16
  • メディア: 新書



佐々木俊尚氏はいまとても信用にたるジャーナリスト/評論家だと思っているが、今回の新作は面白かった。

オレ的な理解でいうと、基本的にこの人は世の「常識」というか「通念」のウソにツッコミを入れていくタイプの人で、そういう意味では「共同幻想」とかいって世界のアタリマエを懐疑することを教えてくれた吉本隆明とか岸田秀とかの系譜に連なっているのだと思う。ヘソマガリのオレとしてはそういうところが好きなのだ。

で、本作の面白いところは、そういうツッコミの人であるにもかかわらず、「こういうツッコミはダメだよね」という議論をしているところなのである。どういうことか。以下はオレ的理解。

たとえば「裸の王様」という寓話がある。ご存じのように、世間をよく知ってるオトナは、それがウソだとわかっていても「王様は裸だ」などと言えないことがある。いろいろと差し障りがあるから。ところが、そういう世の中にまだ十分に組み込まれてない子供=いわばアウトサイダーは「あれ、王様裸じゃん!」とツッコミを入れてしまう。そういう立場だからこそ既存の体制を震撼させることができる。体制に組み込まれてない「周辺」や「外部」に軸足を置いた体制批判というのはけっこう効くのである。

ところが、佐々木氏は「なんかホントはアウトサイダーでもないクセに、アウトサイダーの味方みたいなツラで体制批判するようなヤカラがここんとこ多くネ? そういうのやめようネ」という議論をしているのである。

彼は「マイノリティー憑依」という言葉を使っているが、たとえば「近代日本に蹂躙されたアイヌ」の立場に自分をアイデンティファイして体制批判をする人がいる。そうすっと倫理的に優位にたてるから無敵である(本書でもそういう文脈で太田竜が紹介されてますな)。しかし、なんかそういうのは勝たんがための戦術みたいなもので、本当は自分の立ち位置から世の中変えていく試みをすべきなのに、そういう行為をスポイルしちまうんじゃないか、というのである。

よくわかる。よくテレビとかで「われわれはこの問題を十分に考えていくべきではないでしょうか」とか言って最後を締めくくる。で、視聴者は「そのとおりだ。十分に考えていくべき問題だ」とか思うんだが、その問題はどっかで誰かさんが「考えてくれるのだろう」と無意識的に考えている。だから自分ではナニもしない。その割に「こういう問題に関心を抱いているオレって進歩的だよなー」とかいって、自尊心だけはみたされてたりする。こういうのダメじゃん、何か神様みたいな視点から文句たれて悦に入ってるだけじゃ何もかわらんでしょ、という議論なのであろう。

なんかこんな辺境ブログで偉そうなことばっかり言ってるオレにとっては、かなり耳が痛かったりもするな(笑)。「アウトサイダーとして体制を批判する」というのは、著者も言ってるように、かつては資本主義国における社会主義みたいなかたちで存在していたんだが、まぁ当時は社会主義=科学みたいな思いこみもあったから「憑依じゃない、普遍的真理だ」という強弁もできたのだろう。でも今じゃムリだよね。

辛くても格好悪くても、ヨロシクナイことがあって何とかしないといけないと思ったら、自分の手で動かせるところから動かしてく。つらいけどそれしかない、というのはたぶん本当なのだ、と溜息つきつつ考えさせてくれる良書であった。


ただひとつ、著者に聞いてみたかったのはこの人の宗教観だよなぁ。

「ある種のアウトサイダーに憑依して自らの正しさを言い募る」ってのは、基本的に宗教によくみられる構造だと思う。特にキリスト教。もちろん歴史的にみれば、現実に成立した教団としては体制補完の役割とかも果たしてきたんで、別にアウトサイダーでも何でもないと言えるかもしれないが、少なくともイエスが語っていた教えというのは「狭き門から入れ」じゃないけれども、「自分たちは少数派である」というのが前提でしょ。

で、「人間は原罪を背負って生まれてくるんでどうしようもないんだけども、神の遣わしたイエス・キリストが、人間の身代わりになって十字架にかけられて死んでいかれましたので人間は救われました。アーメン」というのがキリスト教の根底にあるので、つまりこれは、信者はつまりイエスに憑依してこの世の中を見ているということになるンではないか。

大きくいって、世俗の世界を超え出た宗教的世界から世界を批判する、という機能が宗教にはあって、そのような営みを正当化できる根拠というのは当然自分の「ウチ」にではなくて「ソト」にある。こんなものは幻想なんだから、もうこれからの時代そんなものに期待できないのサ、と佐々木氏はお考えなのだろうか? うーん、個人的には何かちょっとそこは留保つけておきたいな、と思うのだが。うまくいえないけど。古いのか。

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PC用ディスプレイが故障したので、修理してもらおうとサービスセンターに持ち込んだら「あ、ちなみに返送はできませんから。修理完了したら取りにきてくださいネ」とか言われ、すなわち、さも充実したサポートといいたげにネット上で宣伝している「無料センドバック」とかいう惹句が実はインチキで、しかも三菱電機システムサービスに「これはおかしいのではないか!」と聞いたら、阿部一彦とかいう男に「上に話しておきます」(オレ的に意訳すると「勝手にほざいててネ(笑)」)という木っ端役人もかくやというデタラメな対応をされて怒髪天、というところまでは昨日書いた


しかし、何というか、いまだに怒りが納まらないので、今回は「三菱への惜別の辞」ということで、系列を含めてミツビシという会社にたいする悪態を散々吐き出してウップンを晴らそうと思う。ホント非生産的な話であるんだが、これもオレの精神の安定を保つためなので、たまさかこのページに迷い込んだ良識ある方がいたとしたら、これもチラシの裏と思って看過して頂きたい。

まずオレ的にいうと、三菱といってナニを連想するかといえば「ケチビシ」という蔑称である。昔むかし、北海道で三菱系の会社が経営していた炭鉱会社があってちょっとした縁があったのだけれども、関係者が口を揃えて言っていたのは「三菱はケチ」という話であった。良くいえば「堅実」とかいうことになるんだろうが、自分のトコが不利になるようなことは決してしない。「損して得とれ」みたいな考え方は絶対しないし、チャレンジはしない。まぁふつうの言葉でいえば「ケチ」である。あるいは「セコイ」ともいう。だから「ケチビシ」なのだそうだ。

どれだけ一般化していえるのかはよくわからんが、やはりこういうのは三菱系の企業に通底する「社風」というものなのではないか。ま、そういう創造性を否定してケチに徹する貧乏くさい社風というのは、たとえば戦車とか原発とか、政府丸抱えでそれほどケチに徹する必要がないときには手堅さが表に出てイイのかもしらんが、やっぱり家電では裏目に出てしまうのであって、だからいつまでたって三菱は家電では三流である。オレの義父は三菱キャタピラに勤めていたのだが、その娘=ウチの嫁は、にもかかわらず「三菱の家電はすぐ壊れるしダメだわ」というのが持論である。全然客観性のない話だが、まぁケチゆえに目に見えないところは徹底的に手を抜く三菱の流儀というものがあると想定すれば、あながち根拠がないともいえないだろう。

あるいは10年ほど前にあった、三菱ふそうトラックのタイヤ脱落事故なんてのも、安全性よりは金もうけ=ケチの性分が裏目に出た事例であったのかもしれぬ。

というわけで、一見表面を取り繕ってはいるけれども、一皮向けば「コストカット命! 顧客の信用なんて二の次サ」とでもいいたげなホンネがあるために、今回の阿部一彦のように全く誠意を感じさせない三流の対応をして顧客を不快にさせてしまうのである。まあそういう社風みたいな部分は、ある意味骨がらみであろうから、いろいろ言っても多分無駄なんだろうね。

もっといえば、もともと三菱なんてのは岩崎弥太郎が明治時代にそれこそ政府と癒着して作り上げた財閥なんだから、昨今の弱肉強食の市場原理主義のセカイじゃ、この手のセコイ戦術がどこまで通用するのかネ。ま、あんまり将来があるとは思えねーがせいぜい頑張ってくれよ、というのがオレの惜別の言葉である。


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三菱電機というところは顧客対応がなっていない、という話を書く。なかば私憤だが、なんとも釈然としないので腹立ち紛れに。

三菱のPC用ディスプレイRDT231WM-Xというのを使っていたのだが、購入2年とちょっとで壊れた。で、3年間の保証期間中なので三菱電機システムサービスに電話して聞いたら、受付の女性は「故障品は持ち込みでも受けつける」といった。

ちょうど夜勤の日の昼間で家にいたので、車につんで荒川区の指定場所までもちこんだ。で、事前に調べた三菱電機のサイトでは、保証期間2~3年目は、送りつけるところまではコチラの負担になるけれども「無料センドバック」の対象になる、つまり修理品はタダで返送してくれるというようなことが書いてあった。なので念のため「無料で送ってくれますよね?」と聞いたら、「え? 持ち込みの場合はダメです。自分で取りに来てください」と言われた。ということはナニか、また往復2時間弱かけて取りに来い、と?

なんか納得できないので、帰ってから改めてウェブで「無料センドバック」についての記述を見た。「3年保証サービス」の項にはこう書いてある。

■2年目、3年目は「無料センドバック修理サービス」

3年間の無料保証対象機種については1年間の無料出張サービスが終わった後も「無料センドバック修理サービス」を受け付けております。


2年目以降はセンドバック方式(お客様による宅配便等での発送の場合、発送費用はお客様ご負担でお願いします。)、もしくは有料での出張サービス対応となります。

ついで詳細説明のページにはこうある。

修理相談窓口にて、ディスプレイに起因する障害で修理が必要と判断した場合に、お客様に修理拠点まで発送頂きます(発送費用お客様負担)。その際は、製品に同梱されている保証書(もしくはそのコピー)の同梱をお願いいたします。

全国92のサービスステーションでは修理品持込の受付をしております。


うーむ、どうだろう、この文章は「宅配便で送ってきたら無料センドバックの対象なので、無料で返送します。ちなみに持ち込みもできますが、この場合は無料センドバックの対象にはなりませんので、自分でまた取りに来てください」ということを言っているのだそうだ、三菱電機サンによれば。ふーん。全然そんな風に読めないなあ。これはオレの頭が悪いせいなのかな? あるいは「行間を読め」とか言いたいのかな? 小説でもないのにネ。


そもそも受付嬢は、「故障したディスプレイは送ってもらってもいいですが、持ち込みもできます」と言っていたのであって、「かくかくしかじかのデメリットがある」なんてことはひと言も言ってなかったのである。

「無料センドバック」などといって顧客を釣っておきながら、こういう杜撰な宣伝をしていていいのか。何か騙されたみたいで気分が悪いので説明を求めて電話したら、翌日(4月3日午前である)、「担当です 」とかいって、三菱電機システムサービス東京支社ビジュアル・セキュリティシステム部の阿部 一彦(あべ・かずひこ)という男から釈明の電話がかかってきた。

阿部は、ネットの記述をちゃんと読まないから誤解しちゃったんですネ、みたいなことをイケシャーシャーと言うので腹が立った。「いったい、どこに、持ち込みの場合は、修理後も自分で取りにこなければならない、なんて書いてあるのか!」と言ったら、阿部は「確かにそんなことは書いてない」と認めた。

じゃあ、ウェブ上に持ち込みにはこういうデメリットがあることを書き込め、今のウエブの表現は正確さを欠くので他にも困る人が出てくるぞ、と親切に教えてやったのだが、この阿部、「では三菱電機に、お客さまからこういう声があったことを上げておきます」とオウムのように繰り返すばかり。なんだこの顧客対応は!

阿部一彦よ、オマエは単に三菱の電気製品の修理業務を担当しているだけで、三菱電機本社にいろいろもの申せるような立場ではない、いわば末端の一社員であることなど、電話で話をしていればいやでも分る。

だがな、であればこそ、正直に「三菱という巨大組織の中で、末端の私のような者が上に意見しても通らないのは必至ですが、でもお客さまの言うのはもっともなので、通るか通らないかは別としてもちゃんとそのご指摘受け止めさせて真摯に検討させていただきます。貴重な提言ありがとうございました」とでも(口先だけでもいいから)言えばな、こちとらだって会社員の端くれだ、オマエの立場を酌んで「許してやるか」ってな気持ちにもなるもんだ。たとえオマエ阿部一彦がホンネでは「なんだ、たかだか3~4万のディスプレイのことで文句つけやがって! かったるい野郎だ」とか考えていたとしても、だ。

しかしだな、実際に阿部が吐いている言葉は何なのだ! なんだその官僚的な言葉遣いは!

だいたい持ち込みだったらダメで、宅配便を使えばOKとか、そういうわけわからん自分だけの都合を優先し、顧客不在の論理を唱えてる時点で、もう官僚根性まるだしなのだ。

まぁオレが推察するに、顧客から宅配便で荷物を受け取る場合は確実に宅配業者が儲かるわけで、それを前提に修理品を送り返すときは業者からいくらかキックバックしてもらう仕組みにでもなってるのだろう。それ以外に「持ち込みは無料返送不可」などと言い張る理由は思いつかんからな。「持ち込み修理でも無料で返送」という前例ができれば、アリの一穴、宅配業者サマに顔向けできませんのでそれだけは勘弁、といったところだろ。くだらん!!


いずれにしろその辺は顧客不在の論理であってだな、大げさなことをいえば、まぁそんなセコイことばっかり考えてるからオマエさんたちはアップルとかに全然かなわないわけであって、いや、もとより日本の電機産業の将来は暗く、だからこそ本当に何とかしたいならアップルみたいに生きた人間のパワーってものが必要だっていうのに、官僚以上に官僚的な原稿棒読み人間でどうするんだ阿部一彦よ!

というわけで、腹立ち紛れで言ってしまうが、オレ的にはもう今後、三菱の製品はキホン買わないことにしたい(まぁ具体的に国内のPCディスプレイでいえばナナオがまだ健在だ。調べてみたら、あっちは故障したら自宅までピックアップに来てくれるらしい。しかも5年間。どっかの「持ち込み修理はできるけど、自分で取りにきてね」とかいってるセコイメーカーとは対応が明らかに違うようだな)。

今回電話をしてきた三菱電機システムサービス東京支社ビジュアル・セキュリティシステム部の阿部一彦の対応には、マニュアルを棒読みすることしかできない木っ端役人を彷彿とさせるものがあった。そして、いかなる場合であれ、その会社にかかわる人間の品性とか人間性とかは自ずからその商品のクオリティに反映されてくるものであるとオレは思うから。


P.S. 本当ならこの手の話は2ちゃんのスレあたりに書くのが良いのだが、あいにくとアクセス規制中だった。こんな辺境ブログに書いてウサをはらしても何の効果もないのだが、とにかく腹が立ったので書かせて頂いた。

P.S. ちなみに電話で話している最中、全然ちゃんとした答えが返ってこないので「もうこの顛末はブログとかで満天下に公開してよいのだな」とオレはいちおう仁義を切ったのであった。阿部一彦も「いいですよ~」とか言っていたのだが、その割に「じゃフルネームを教えてくれ。下の名前は?」と聞くと、「ちょっとまってくれ」とかいって数秒間の空白。おそらく上司のところにでも行って「名前教えてもいいっスよね?」とでも相談してたのであろう。何てケツの穴の小さい男だ。突っぱねるなら突っぱねるでいいから堂々としなさい。情けない男だ。

P.S. それから、ここでは阿部一彦の実名を出しているわけだが、その背景には、オレが「このウェブの記述について責任ある立場の人と話をしたい」と申し入れたところ、この人物が電話をかけてきた、という経緯がある。つまりオレの立場からいうと、この阿部なる人物の発言はすなわち三菱電機システムサービス東京支社という法人組織の公式見解とイコールであり、この時点で阿部某は「公人」なのである。よってここで阿部某の実名を出すことには相応の必然性がある。

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打撃の神髄-榎本喜八伝

打撃の神髄-榎本喜八伝

  • 作者: 松井 浩
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2005/04/27
  • メディア: 単行本



敗れざる者たち (文春文庫)

敗れざる者たち (文春文庫)

  • 作者: 沢木 耕太郎
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 1979/09
  • メディア: 文庫



往年の名打者、榎本喜八が死んだ。リアルタイムで彼の活躍をみた記憶はないんだが、荒川博といっしょに合気道やって、それを独自の打撃理論に結実させたという、まぁ伝説の打撃職人である。

もちろん、野球でも何でも「道」にしてしまうというのは大袈裟でいかん、という向きもあるとは思うけれども、なんか大リーガーとかいってカミ煙草クチャクチャペッ、みたいな野球みせられてると、あー、でもこういう「野球道」路線ってのもアリだったのかもな、と思ったり。大山倍達が眉毛剃って山ごもりして修業した、みたいな、もう何かすべてを賭けて道を究める、みたいな話はどうも流行らなくなってしまったけれども、それだけに何か懐かしいような気がしたり(もっとも漫画で流布した大山のエピソードはほとんど創作らしいけどね)。

で、こういう人間はどうしても「神懸かりだ」とか「変人だ」とかいわれて世の人々から忘れ去られてしまうのだな。その実績からすればもう日本プロ野球史上5本の指に入る名打者だと思うんだけど。悲しい話ではあるなあ。合掌。





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