2012年05月

今回は天声人語じゃなくて、けさの社説なんだが、あんまり脳天気だったのでコメントしておこう。以下引用。

吉田秀和さん―言葉の力を教えられた


 本紙で40年にわたり「音楽展望」を書き続けた吉田秀和さんが、98歳で亡くなった。

 柔らかい言葉を使いつつ、精密な分析と確固たる自分の見方によって、評論が一つの作品となるような道を開いた。

 それをなしえたのは、古今東西の教養に基づき、自由に、公平に、考えようとしたからだ。「展望」と名乗ったのも、広く見渡そうという意志だった。

 でも、読者はお気づきのように、吉田さんが批評するのは、クラシック音楽にとどまらなかった。美術はもちろん、宝塚やファッション、政治や事件、そして大好きな相撲まで、自由自在だった。

 若いときから中原中也や大岡昇平らと交遊し、一方で、小澤征爾さんや中村紘子さんらを育てた人でもあった。

 1990年度の朝日賞に決まったとき、吉田さんは「芸術が様々に分化していても、根底には感動を呼ぶ共通の源が厳然と存在すると思う」と話した。

 時代を広く見渡し、根源を問い続けていた。

 思えば、3月に亡くなった吉本隆明さんも立場は異なるものの、文学や政治、サブカルチャーまでを幅広く論じた。2008年に亡くなった加藤周一さんも「知の巨人」と呼ぶのにふさわしい存在だった。

 戦後社会で常に「自由」に価値を置き、世評におもねることなく、自分で考え、自分の言葉で語ろうとした人たちだ。

 知の巨人に続く世代は、どうあるべきか。

 芸術も産業も、技術は高度になった。だが、そこを論じるだけでは足りない。考える領域を広げ、知る喜びを伝える案内人の役割が、ますます重い。

 ネット社会が広がるほど、文化も、社会に関わる情報も、様々な境界を越える。現代的なやり方で、分野をこえて根源を問い、自分の言葉で考える努力を先人たちにならいたい。

 言葉にしにくい音楽に向き合ってきた吉田さんは「どんなことでも言葉にできる、という信念が僕にはあります」と語っている。別の機会には「音楽が聴こえてくるような文章を書きたい」とも。

 この、言葉への信頼。

 芸術や社会現象を歴史の中に位置づけ、それを体験した人には説得力のある見方を示し、そうでない人には疑似体験できるようにする。そんな評論を分かりやすい言葉でなしてきた。

 新しい「音楽展望」を読むことはもうできない。しかし吉田さんが残した問いを立て続けることは、私たちにできる。



うーん。吉田秀和はルネサンス的教養人で、何でもかんでも論じることのできる人物だから偉かった、そういや吉本隆明も何でもごされだったよね、そういう人間ってますます大事だよね、ということを言っているらしい。しかし、なんてゆーか、今頃そんな牧歌的なこといってるから、朝日新聞はいまだに古くさい教養主義の権化といわれてしまうのではないかなー。

確かに「幅広い知識」というのは大切であって、たとえばC・P・スノーがかつて「熱力学第二法則を知らないというのは、シェイクスピアをひとつも読んだことがないのと同じようなものだ」と喝破したように、「オレ文系だからエントロピーなんて知らないよ」というのは無責任、という議論はとりあえずは成り立つ。

しかしそういうことを言い出すなら、朝日新聞だって、たとえば統計学のイロハもわからないで統計ネタの記事書いてたりするわけであるから、まずは「隗より始めよ」で記者教育をしっかりやるのが先決ではないか。

いや別にそんな皮肉をいいたいわけではなくて、本当にいいたいのは、こういう時代にむりやりルネサンス的教養人出でよ、というのはかなりムリがあるんではないか、ということなのだ。

吉田秀和さんは相撲が好きだったそうだ。そうですか。でも現代を語るんであれば、相撲とかよりもプロレスを語れたほうがいいんじゃないでしょうか? あ、天声人語子の好きな女子サッカーも語れたほうがいいかもね。もちろん認知心理学とか超ひも理論とか、学問の話も語れないとダメだよね。

というのはもちろんホンネではなく、現代というのはもはや床屋政談みたいなものであらゆるジャンルをなで切りにするというのがムリな時代になっているのだから、そういう「知の巨人」待望論みたいなのは破産してんじゃないの、といいたいのである。

菅直人がフクイチの事故のときに何でも自分で仕切ろうとして批判されたのは記憶に新しいが、やはりそういう時は、スーパーマンではない、ごくふつうの人間の衆知を集めてどうにかこうにかやってく、というのが現代人に求められる流儀ではないのだろうか。

というわけで、いつもいつも思うのだが、朝日新聞には「時代を切り開く先導者というのは必ず必要だ。で、それは朝日新聞ッス」(笑)といいたくて言いたくてたまらない欲望があるらしい。もうそういうのやめようよ。




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例のエイモス・ミラー事件で、magonia00さんが発掘した「Flying Saucers」1968年10月号の記事「MAN KILLED BY DEATH RAY FROM FLYING SAUCER」であるが、またまたお節介といわれそうだが、訳してみた。今ンとこハッキリしないのだが、最初の捏造元とおぼしきタブロイド「Midnight」の記事をそのまま転載した、という前提で訳しております。

なんか変だとかいうご指摘があれば直しますのでよろしく。



「空飛ぶ円盤の殺人光線で男性殺害さる」 トム・リンガム


空飛ぶ円盤により不可解なる殺害を被った犠牲者が、また1人現れた。ニュージーランドのある羊牧場の主が、奇妙な光線で頭を撃ち抜かれたあげく、皮膚も髪の毛も溶け去ってしまうという身の毛もよだつような死を遂げたのである。

それは1968年2月はじめのことであったが、彼、エイモス・ミラー(39)は異常なまでに不可解な状況で殺害された。

彼の息子であるビル(17)はその死を目撃していたのだが、さらにその遺体はニュージーランド・オークランドの第一級の医師たちにより検視を施されてもいる。

が、現時点の状況をいうと、警察当局は沈黙を守ったままこの件では何人も訴追しておらず、かつ公には報道機関にもさらなる情報を一切発表していない。

羊牧場の経営者の死にかんして彼らが知った事実は、捜査当局をして、この事実をうやむやにし、お宮入りのファイルに突っ込んだほうが良いと思わせるほど衝撃的なものだったのだ。

つまり、エイモス・ミラーは明らかに、未知の存在ないしは奇妙な空飛ぶ乗りものに搭乗している存在――換言すれば空飛ぶ円盤に乗っている生物――に殺害されたという確証が得られたのである。

そもそもこの事件は、最初から紛れもない殺人事件とみなす他ないものであり、警察当局が隠蔽を始める以前に、当「ミッドナイト」紙の記者は(次に示すように)この事件の全貌をつかんでいたのである。


2月2日、エイモス・ミラーはニュージーランドの彼の牧場で死んでいるのが見つかったわけであるが、その後、彼の息子のビルは警察に電話で通報をした。

その少年はほとんどヒステリー状態で、お父さんが空飛ぶ円盤に殺された、と言い募ったのだった。

警察が彼の農場に着いて捜査を始めたところ、ミラーは額の皮膚が半分消え失せた状態で、小さな小川のところに倒れ伏しているのがみつかった。彼の息子は尋問のため拘束され、重要参考人として留め置かれた。が、彼はただ、父親の死はUFOのせいだ、と言い募るばかりであった。

「朝方、僕たちは外に出て塀の修理をしていたんです」。彼はそう警察に供述した。

「お父さんと僕は別々に仕事をしてたんだけど、突然、ラジオの短波放送を聞いてる時にきこえるみたいな、甲高い、短波放送の音がしたんです」

「周りを見回したんだけど、最初は何も見つからなかった。でも、僕たちの右手の方に森があって、そっちのほうにそいつが浮かんでいるのが見えたんです」

「僕たちは手にしていた道具を落としてしまって、口もポカンと開けて呆然としていました。それは200ヤードほど先にあって、地面からはだいたい40フィートほど上に浮いていました」

「そいつはじっと静止していました。ヘリコプターみたいだったけど、形は全然違いました」

「形は円くて、てっぺんに突き出た部分がありました。周りには小さな窓が幾つかがありました。本当にハッキリ見えました」

「それでそいつの周りには輝く光が見えていて、そいつをクッキリと浮かび上がらせていました。そいつはそこにしばらく滞空していたんだけど、底の部分からとがったものが3本下に伸びてきたんです。着陸ギアだったんだと思います。だって、すぐあとにそれが地面に届いて、3本の脚の上に立つようなかたちになったから」

「僕はどうしたらいいのかわかんなかった。でも、お父さんは『行ってみよう、ビル。コイツはよーく見ておかないといけないぞ』と行って、その船の方に走っていってしまいました」

「僕はお父さんに、戻ってきて、って言おうとした。でも、お父さんは全然怖がっている風がなかった。その宇宙船はちょっと木で隠れたようになっていたんだけど、ちょうど距離が半分ぐらいのところに小川があって、お父さんはそこで立ち止まったんです」

「そしたら、明るい光がお父さんのほうを照らし出したのが見えたんです。船を取り巻いていたのと同じ感じの光でした。太陽は出ていたけれど、目に見えた。それぐらい明るい光でした」

「それでお父さんは地面にバッタリ倒れてしまった。怖くなってしまって、僕は一歩も歩けなかった」

「お父さんが倒れるとすぐに、その船はブンブンいう音をたてながら空中に昇っていきました。それから、そのあとを追い切れないほどの速さで、一気に空に飛び上がっていきました。すぐに姿は見えなくなりました」

ビルが警察に語ったところによれば、彼は父親のもとに駆け寄ったが、すでに死んでいた。父親の頭の皮膚は半分がまるごと消失していた。

警察が最初にしたことといえば、この少年のイマジネーションの豊かさを「大したものだ」と褒め称えることであったわけだが、二番目にしたのは、少年を監獄にぶちこむことだった。

遺体の検視が行われる一方で、警察は死亡現場一帯のチェックを型どおりに行った。彼らはそこでちょっと気になる発見をした。ビルが「円盤が着陸した」と言ったあたりで、半径60フィート
ほどの円環状の痕跡が地面に残っていた。

そこには焼け焦げたような痕があったのだが、そのヘリのあたりには地面がへこんだような場所が3箇所みつかった。それはまるで、その場所に何やら非常に重いものが置かれたことを示唆しているようにみえた。

この現場はすぐさま警察により封鎖され、記者たちが近づくのも禁止されてしまった。

そうこうするうち、検視の結果も出た。死因は不明だった。

検視をしたチームのヘッドを務めたジョン・ホイッティ医師はこう語った。

「これは私もいまだかつて見たことのない珍しいケースです。頭蓋骨から皮膚が失われているという点を別にすれば、体には何の痕跡もないのです」

「死者が頭部を殴打されたという証拠は一切ありません。それから、頭部の組織が消失していることの説明がどうしてもできないのです」

「同様に不可解なのが、この男性の骨の状態です。リンの成分がまったくないのです」

「なにが原因でこんな風になってしまったのか、全くわかりません」

この事件と、骨からリンが検出されなかったことには何らかの関係がある。

オーストラリアでは昨年、何十人もの人々により引き続きUFOの目撃がなされており、一帯では家畜の群れがそろって死んでいるのも見つかっている。が、その死体にはとりたてて外傷は見つかっていない。

また、その解剖をしたところ、通常あるべき骨中のリン成分はなぜか消失していた。

ビル・ミラーは拘束されてから5日後、釈放された。この事件について、このほかには何も語っていない。

また、ミラー家の家族たちも、記者たちに対して「警察に言われたから」としてこの事件について語ることを拒否した。



改めて手元の南山宏著「UFO事典」(徳間書店、1975)みたら、ホイッティさんのセリフとか、ほとんどこのマンマでした(訳文はオレ流なので当然違うけど)。南山さんのネタ元は「Flying Saucers」でまず間違いないみたい。で、お持ちでない方のために、当該ページ載せときます

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『1Q84 BOOK2〈7月-9月〉後編』
1Q84 BOOK2〈7月‐9月〉前編 (新潮文庫)

1Q84 BOOK2〈7月‐9月〉前編 (新潮文庫)

  • 作者: 村上 春樹
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2012/04/27
  • メディア: 文庫



1Q84 BOOK2〈7月‐9月〉後編 (新潮文庫)

1Q84 BOOK2〈7月‐9月〉後編 (新潮文庫)

  • 作者: 村上 春樹
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2012/04/27
  • メディア: 文庫




というわけで、『1Q84 BOOK2〈7月-9月〉』を読み切った。前後編文庫版。例によって今頃になっての読書感想文ということもあり、以下、当然ネタバレはある。



ふーむ、確かにこれで完結、ということだったらお話にならんよね、全然ダメだよね、という読後感。とにかくいろいろあった伏線が全然回収されてない。

あ、「ハルキは純文学作家なんで別にエンターテインメントみたいに伏線回収しなくてもいいから。ゲージュツだから」みたいな反応もアリかとは思うが、ここまで読んできたオレ的感想は「だってこれ、純然たるエンターテインメントっしょ?」というものであるわけで、そういう異議は認めない。


どういうことかというと、この作品でハルキさんは、涼宮ハルヒやら必殺仕事人とか、既存のネタをブリコラージュ的に再構成してゲージュツを生み出そうとしてんではないかと以前書いたんだが、じっさい読み進むにつれてそのような思いはますます強まってきたのだった。

ナゾの教団というのはまぁ明らかにオウムのパロディであるわけだし、その「教祖」さまは何か突如勃起したまま寝込んでしまう奇病(笑)を病んでいるんだが、その間に若い女の子とセクロスしないとまずいことになる、みたいな設定は山田風太郎というか何というかエロ仕立ての猟奇的世界に凭り掛かっているように思えるし、けっきょくのところ大衆の俗情と結託しつつ、しかしそこからどれだけ離陸できるかがカギの実験的小説ではないのか、というのがオレの結論なのだ(暫定的な)。

で、ここまで読んだ限りでは、全部問題先送りである。

例の「リトルピープルとは何か」問題も然り。ここまで読んでもまだ正体がよくわかんないんだが、それにしてもぜんぜんリアリティがない。いや、「妖精めいた存在にリアリティがあるわけない」といってしまえばそれまでだが、リトルピープルというのは、古くから人類の社会に介入してきては人間を操ったりして楽しんでいる邪悪な存在、みたいな定義がとりあえず暫定的に与えられてはいる。

そうすると、コイツらは古くから人間の世界に介入してるというんだから、たとえば日本人であればカッパとか天狗とか、そのあたりの超自然的エンティティとの連続性を示唆しなければ全然説得力がないのである。いや、別にカッパをもちださずとも、「あ、こういうことってある(かもしれない)」と思わせるのが作家の腕である。

それがなんというか、こういう無色透明な小人みたいなものをそれっぽく描いてオワリというのでは、あぁそうか、ハルキさんは全世界で小説を売らないといけないから「邪悪な妖精」みたいな存在を描くにしてもこういう無国籍的な描写をしないといけないのネ、とか邪推されても仕方がないのである。踏み込みが浅いのである。


何を言いたいのか。何でリトルピープル的なものが人間の社会に浸入してくるのか。そりゃあここまでのところであっても牽強付会で何事かを語ることは不可能ではないけれども(たとえば人間にとっての「悪」を寓話的に描いているのだ、みたいな言い方だわナ)、ちょっとムリがありすぎる。


まぁ、何となく謎めいたストーリーテリングで、ともかく読者をアキさせずにここまで引っ張ってきたのは流石であって、でもこの時点で採点したらやっぱり100点満点で30点ぐらいか。では「BOOK 3」ではそのあたりをうまいこと着地させていただけんでしょうか? 大どんでん返しはありや?


しかしハルキさんでも何でもない、フツーの作家が続編の予定とかも何もアナウンスせずにとりあえずこういう尻切れトンボ的な本出したとしたら、「なめとんのかワレ!」と怒鳴られるのが必定と思うのだが、出版当時は、みなさんこれを有り難がって読んでたんですよね。ハーロー効果といいますか何といいますか。「一流作家」ともなりますと、けっこう世の中舐めて渡っていけるのかもしれませんな。と、ひとしきり毒づいたところで次回につづく(たぶん)。



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金環日蝕観測、無事終了。

東京あたりでは300年後まで見られないというので、いちおう見ておいた。
雲ばっかりで、あんまりよくわかんなかったけど。

で、なんか外にでてみると、その辺の道端で、老いも若きも上をポカンと見ているわけである。みんなおんなじ方向をむいて。

よく考えると、この国から「一家に一台のテレビを家族全員で囲む」というような光景は絶えて久しく、もちろん力道山のプロレスを街頭テレビで何百人もの人々が一喜一憂しながら観戦する、などというのは今は昔の夢物語。しかし見よ、なんとこの2012年の日本に、かつてのあの情景が甦った!

すっかりスレッカラシになっちまって、何があっても「ああ、そう」で済ませがちな俺たちではあるんだけれど、どっこい、こういうプリミティブなスペクタクルには、まだまだ心が動いちまうんだよな。

考えようによっては、これは「まだまだ俺たち終わってナイヨネ、朽ちてないよネ」というお話として受け止めることもできるんではないか。日頃はネガティブ思考をモットーとする俺ではあるんだが、今日ばかりは大甘の感想。

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オカルト  現れるモノ、隠れるモノ、見たいモノ

オカルト 現れるモノ、隠れるモノ、見たいモノ

  • 作者: 森 達也
  • 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
  • 発売日: 2012/04/10
  • メディア: 単行本



森達也はむかしから結構好きである。もちろんオウム取材でもいい仕事をしたと思っているし、というか本当は「放送禁止歌」が彼のベストではないかと思ったりもしているのだが、一方でオカルト系のルポルタージュもやっていて、そのあたりも何となく親近感を感じる一因となっているのだろう。

で、今回の新刊は「オカルト」。ついつい買ってしまう。ササーッと読めたんだが、しかし、うーん、今作にかんしてはあんまり感心しなかったなぁ。

基本はオカルト界隈のいろんな人に会いに行く、みたいなコンセプト。例によって清田君とか出てくるんだが、あんまり聞いたことの無い人もでてきて、あぁこういう人がいるんだー、的な読み方がひとまずはできる。

で、通奏低音的には「おっかけると逃げる、ほっとくと近づいてくる」的なオカルトのとらえどころのなさを描いているということもできる。観察者としてはそこに何やら何者かの「意思」みたいなものを感じてしまうよね、みたいな物言いもあってキホン是認したいとは思うんだが、しかし、「で? それからどうなんの?」というと、そっから先は何も言ってない。

何かカタルシスなんにもナシで終わっちゃいましたネ、みたいな感じ。当人もちょっと苦しいナと思ったのだろう、担当編集者をサンチョパンサ風に作中に登場させていじったりしてんだが、天下の森達也がこういうことで逃げを打つのはちょっと見苦しくないか。

たしかに森達也は「キャラ」が立っているので、本作みたいなユルイお話でもどうにかこうにか読ませることはできるんだが、そういうところに安住していただきたくはありませんナ、というのがとりあえずの感想。
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例の「エイモス・ミラー事件」であるが、研究家のmagonia氏、本城達也氏らの活躍により発掘された「New Zealand scrapbook」(April 1968-September 1968, p165)というテキスト(本だかパンフレットだか何だかわからんのだが)があって、本城氏のASIOSサイトに該当部分を起こしたのが掲載されているんだが、これをザックリ訳してみた(ちなみにASIOSサイトには興味深い続報も随時掲載されているようで要注目である)。

よくわからんところは適当に流してるので誤訳している可能性は高いが、概略こんな感じということで。


宇宙船の光線がニュージーランド人を殺害



奇怪な殺人光線を発する空飛ぶ円盤が、ニュージーランドのある牧羊農場主を殺害したが、秘密主義をとる政府はすべての情報を封じ込めてしまった。



39歳のエイモス・ミラーは、一分前にはそこに立っていたのだ。ところが次の瞬間、彼は地面に倒れており、頭部は空中に浮かぶ宇宙船が放った光線により焼け焦げていた。これはSFなのか? 



いや、それ以上のものである、とはいえる。それはカナダの、いささか胡散臭いかもしれないが、とりあえずはジャーナリズムが報じた話なのだから。



この空飛ぶ円盤による殺人に関するセンセーショナルな話を報じたのは、雑誌「ミッドナイト」。この「ミッドナイト」誌のトップ記事によれば、この事件は今年2月の早い時期にニュージーランドで起こった。しかし、「ミッドナイト」誌はその場所がどこだったかは書いていない。



記事はこう記している。解剖後、「エイモス・ミラーが不思議な空飛ぶ乗り物に搭乗していた未知の生物により殺害されたことが明らかになった。そこにはもはや疑問の余地はない」。



大衆の身の安全という問題にかこつけて「ミッドナイト」誌はこう言っている。「大衆が知りたがっている事項であると確信しているが故に本誌はUFOによる殺人事件について報じてきたわけであるが、これはその2件目となる」。



グラフィックや死んだエイモス・ミラーを写したゾッとするような写真を掲載しつつ、「ミッドナイト」誌は、死亡者の出たUFO事件についての事実を敢えて隠蔽しようという当局の姿勢を暴き出そうとしている。



しかし、「ミッドナイト」誌は決して「事実に徹しよう」とか「事実を注意深く扱おう」としているワケではない。「解剖を担当したオークランドの優秀なる医師チーム」のヘッドとして登場してくる医師の名前は、ニュージーランドの医師登録者のリストには載っていない。「ミッドナイト」誌によれば、その人物はジョン・ホイッティ博士だというのだが、記事には彼の言葉が引用されている。「私もこれまで見たことがないおそろしく不思議な事例だ。頭蓋部の皮膚が失われているほかは、体に何の痕跡もない」



「サンデーニュース」紙は、「2月初めにエイモス・ミラーが死亡した」「そのような人物の死体解剖が行われた」といった事実が本当にあったのか確認しようと試みたが、それは失敗に終わった。



ニュージーランドのUFO研究団体の会長であるヘンク・ヒンフェラー氏によれば、「ミッドナイト」誌は最近になって、また同様な記事を載せたのだという。この二つの記事には明らかに共通点がある――事実関係、場所、名前、証拠といったものがハッキリ示されていない、という点である。



「この雑誌はこうしたセンセーショナルな出来事が起きた場所として、単にあまりなじみのない地名を適当にくっつけたんだと思います。ほとんどのカナダ人はニュージーランドのことなんて聞いたことがないから、この手の話には好都合だったわけです」



「ミッドナイト」誌のシカゴのオフィス、モントリオールのオフィスに電話をしてみても、反応はなかった。



「サンデーニュース」が電話をかけたのは北アメリカ時間で午後5時30分のころだった。たぶん彼らは、新聞社にしてはあまりに早い時間に会社を閉めてしまうのだろう――名前こそ「ミッドナイト」とついてはいるけれど。




というわけで、その新聞はまたぞろ、何かしら本当にあったという触れ込みの話に乗っかってトンチンカンなことを書いてしまったのではないか。




が、結局のところ、ニュージーランドじゅうに「エイモスさん」は何人いると思っているのだろう? ともあれ、面白い話をでっち上げてくれたものではある。




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いまだにジャック・ヴァレの「Confrontations」を読んでいるんだが、ヴァレ自身がフランス人ということもあってか、ときおりフランスのUFO研究にかんする話がでてくる(10章、11章のあたり)。

たとえばいずれも社会学者なんだが、ピエール・ラグランジュ、 ベルトラン・メウーといった人たちの名前が出てくる。ラグランジュには『ロズウェルの噂』といった本があるらしい。

メウーのほうは、Confrontationsの記述に拠るとアブダクションと通過儀礼の類似性を論じたり、第二次大戦以前のSFに出てきたアブダクション類似のストーリーを蒐集するような仕事もしてるようだ。たとえば、エゲ・ティルム『ロドムール 無限の男』といった作品名が出てきたりするんだが、ヨーロッパのSFに詳しい人なら知ってるような作品なんだろうか?

そもそもConfrontationsじたいがもう20年ぐらい前の本だと思うんだが、にしても、このあたりのフランス社会学系のアプローチというのはいまだにほとんど日本では知られていないのではないか。考えてみると、フランスのGEPANとか、もっとわれわれが知るべきものはたくさんあると思うのだが、そのあたりがずっと放置されてきたというのは今さらながら残念である。やはりボルト・アンド・ナッツのアメリカ保守本流以外の議論は商業ベースには乗りにくかったのであろう。

せめて大学の第二外国語でフランス語でもとっておれば、もすこし突っ込んで調べることもできたであろうが、と一瞬思うが、実際に取ったドイツ語がモノになっていない現実をみれば無意味なイフであったか(笑)

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DVDドライブ、SW-9576-CをAliExpressの店で買ったら不良品が来たので「返金してくれ」とAliExpressに苦情を申し入れた件であるが、連絡が来た。

いちおう当方がアップしたYouTubeのビデオを見たということらしいのだが、2つ選択肢がある、とか何とかメールでいってきた(以下。意訳アリ)。


1,いちおう調停案なんだが「80%返金」で手をうたんかね?

2,あくまでも100%返金を求めるんなら、アンタの支払いで買った品を返送してね。ただ老婆心ながら言っとくけど、前もって返送にどれぐらいカネかかるか調べたほうがいいよ。結構高いから(笑)


というわけで、AliExpress本部というのは、100%不良品を送りつけてきたお店の側に立って商売をしているのがよ~くわかった。何で「80%返金」なのだ? 全然公平な立場じゃないだろうが。で、被害をうけた消費者側としては「イヤ100%返金を求める!」と言いたいところなんだが、「提案2」のほうで、「いやー、それやると結構アシでちゃうんじゃね? 80%バックで手を打っといたほうが賢いよ」と店側にたって説得を試みているのである。

しかも「提案2」に従って返送したところで、ちゃんと返金してくれるかどうか、全く保証はないのである。「え、こっちで動作検証したら動いたよ? アンタんとこの環境に問題あるんじゃネ?」とか言ってまたまた欠陥品送りつけてきてオワリ、という結末も十分考えられる。

なんかもう溜息。すっかりイヤになった。弱気になって「じゃ80%バックでいいから」って連絡しちまったぞ、オレ。つまり約1600円のお布施を強要されたわけだな。というか授業料。泣き寝入りorz

まぁ、モノによっちゃAliExpressでイイ買い物した、っていう人もいるかもしれないが、ヘンテコな品が来てもジョークで済ませられる人以外にはお薦めできないな。電子機器なんてのはもってのほかだ。カネをドブに捨てるに等しい。俺の経験からすると今回の教訓は以下のとおり。


その1・AliExpressに出店している店は安易に信用してはならない。なかんずくオレが取引した「Eeshops Technology (H.K.) Ltd.」というところは問題外(だいたい「発送の目安教えてくれ」とかメール出しても、この店からは一切リアクションがなかった)

その2・AliExpressの本部は完全に中華店舗の味方なので、万一のときは審判全員を味方につけた巨人軍と戦うぐらいの覚悟が必要である




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ジャック・ヴァレー『人はなぜエイリアン神話を求めるのか』(1996・徳間書店)を改めて読んでみたんだが、ちょっと訳が雑すぎるなあ。武士の情けで、ここには訳者の名前書かないけど。

まぁオレもさいきん趣味的に翻訳のまねごとをしていて実際難しい仕事だろうなぁとは思うのだが、「オレは素人だかんネ」と予防線を張った上で言わせてもらえば、やはり日本語として意味がよくわからない、とか、あまりにギクシャクした文章になってたりというのはプロとして如何なものかと思う。

オレのささやかな経験からいえば、日本語がわかりにくい場合は、まず訳者自身が何をいってるか理解できていないと理解していいと思う。あるいは欧文特有のロジックをストレートに訳しているために日本語としては珍妙なものになってしまっていて、原文にあたったら「あ、そういうことなのね」と納得できるケースも時にあるかもしれんが。

この本についていえば「結論」部を勝手にはしょって出版した罪もある。ヴァレの本で邦訳が出てるのは対談本とSF(笑)を除けば、唯一の単著がコレなんだから、ほんと日本とはつくづく縁のないお方である。まぁUFOファンといっても、いささかひねくれたというか裏街道を行くのが好きな人にしか受けないだろうから出版社も二の足を踏んだ、ということだったんだろうけどね。
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