2014年08月

川越達也のナポリタンバーガー、ロッテリアが9月下旬までの期間限定で。」というNEWSを見かけた。

なるほどなるほど、やっぱそう来たかと思ったわけであるが、そのあたりのことは以前書いたこのエントリー「川越シェフ騒動に思ふ」というのを参照願いたい。こっそり大衆の反応を確かめて、うまくいくようならあとは一瀉千里ってことかね
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夏の甲子園で一回戦を突破した東海大四・西嶋投手の「超スローボール」が話題になっている。プロ候補をズラリと並べた九州国際大付をこの「魔球」で翻弄したという、ま、プロ志向のセミプロ球児が大嫌いなオレにとっちゃ痛快な話である。

ところが、どっかの元アナウンサーが「ダメとは言わないが、少なくとも投球術とは呼びたくない。意地でも。こういうことやっていると、世の中をなめた少年になって行きそうな気がする」などとツイートしたらしく、「そりゃないだろうゼ」という批判の集中砲火を浴びておるらしい。

ま、批判されるのが当然である。超スローボールはイカンと思うのは勝手だが、曲がりなりにもスポーツ報道などやってきたという人物なので、そんな人間がこの程度のことしかいえないのかと思うとガックリくるぞ。

これまでもう何十回と書いてきたことだが、高校野球について「これは教育の一環なので、みんなで清く正しく美しくプレイしましょうネ」みたいな幻想をいまだに抱いている人がいて、しかし実情はといえば甲子園大会なんかは基本的にプロ入り志望の欲望をギラギラさせたセミプロ球児のセレクション大会となっている。「清く正しく美しく」なんてものは全くのフィクションである。

まぁこの元アナウンサーがそういう幻想を夢見ている人物かどうかは知らんが、少なくとも超スローボールで打ち気をそらすようなことをしていると「世の中をなめる」人間になってしまうと言っているから、つまりここでは「君はフツーの速さの球を投げたほうが良くないかネ」と説教しているのである。つまり何だかしらんが「オレのイメージした正しい高校野球に反しているので嘆かわしい」と言っているワケで、勝手な思い入れで高校野球をみていることには変わりない。

ネットでもさんざん書かれておるが、じゃあ「変化球でかわす」のも嘆かわしいのか。「隠し球」はしちゃいかんのか。「盗塁」なんて搦め手で攻めるのは卑怯ではないのか。じゃあ150キロを超すような剛球を投げる投手は「高校生らしくない」ので批判すべきなのか(この最後のはネットで読んだコメントであるが、呵々大笑したゼ)。

いや、もともと野球というのは、策略に満ちたスポーツなのだ。アメフなんかもそうだろうが、アメリカ発祥のスポーツというのは、基本的に知恵をしぼって作戦たてて攻略を図るという性格をもっているのである。その点に限っていえば、野球というのは単純に「強いヤツが勝つ」可能性の高いレスリングとかと違って、「弱者にやさしい」スポーツなのである。

であるからこそ、「セミプロ軍団を地方の公立高校が撃破する」などという椿事も、まぁ今となってはあんまりなくなってしまったけれど、可能性としては常に起こる可能性をひめている。弱者が、ルールの範囲内で無い知恵しぼって強者に一泡吹かせる。たいへん結構なことではないか。

今回の東海大四・西嶋投手が、ここでいう「弱者」であったことに間違いはない。彼は身長170センチもないちびっ子投手。相手はプロの注目も集めている連中で、185センチとかいう大男がズラリとそろっておる。しかも敵の監督はダルビッシュを育てた名伯楽ときておるぞ。勝った東海大四だって、ま、北海道じゃ名が知れた野球名門校かもしらんが、その格においては横綱と幕下ぐらいの差があろう。

元アナウンサーの言うとおり、西嶋投手がフツーの球をフツーに投げておったら、敵にとっては打ちごろの半速球になることは目に見えておる。そこで創意工夫をこらし、敵を焦らして五分の勝負にもちこむ。何が悪いのか?

というわけで、奇策けっこう、「卑怯」も大いにけっこう。外野が偉そうに「高校野球の理想」を語るなど笑止千万。ここはレリビー。








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自慢じゃないが、オレはずっと自分のことをサヨクだと思ってきた。

だからして、もちろん天皇制は打倒すべきものである。

皇族がナンボのもんじゃ。白虹日を貫けり、あぁそうイイネ、ってなもんだ。

ではあるんだが、何かジジイになるにつれてその辺が怪しくなってきた。


たとえば今日の朝日新聞夕刊に載っている池澤夏樹のコラム「終わりと始まり」を読んでみる。

こんなことを書いている。


 

 八十歳の今上と七十九歳の皇后が頻繁に、熱心に、日本国中を走り回っておられる。訪れる先の選択にはいかなる原理があるか?


 みな弱者なのだ。


 責任なきままに不幸な人生を強いられた者たち。何もわからないうちに船に乗せられて見知らぬ内地に運ばれる途中の海で溺れて死んだ八百名近い子供たち、日々の糧として魚を食べていて辛い病気になった漁民、津波に襲われて家族と住居を失ったまま支援も薄い被災者。


 今の日本では強者の声ばかりが耳に響く。それにすり寄って利を得ようという連中のふるまいも見苦しい。経済原理だけの視野狭窄に陥った人たちがどんどんことを決めているから、強者はいよいよ強くなり弱者はひたすら惨めになる。


 強者は必ず弱者を生む。いや、ことは相対的であって、弱者がいなければ強者は存在し得ない。水俣ではチッソと国家が強すぎた分だけ漁民は弱すぎた。ぼくも含めて国民はたぶん無自覚なままにチッソの側にいたのだろう。


 今上と皇后は、自分たちは日本国憲法が決める範囲内で、徹底して弱者の傍らに身を置く、と行動を通じて表明しておられる。お二人に実権はない。いかなる行政的な指示も出されない。もちろん病気が治るわけでもない。


 しかしこれほど自覚的で明快な思想の表現者である天皇をこの国の民が戴いたことはなかった。



これは天皇夫妻がここんとこ東奔西走、戦時中に米潜水艦に撃沈された疎開船「対馬丸」の記念館だとか水俣病の患者だとか東日本大震災の被災者だとかを一生懸命訪ねてまわっていることを言っているわけだが、なんかこのくだりを読んでて泣きそうになってしまったぞ。


天皇が何かしたからって、何が変わるわけじゃない。でも彼らは悲しみにうちひしがれてる人たちのところに行く。バカじゃなかろかと言われても行って、悲しみのそばに寄り添う。いわば「祈っている」。なんかもう、正義とか道理とかが信じられないこの世の中にあって、でも愚直に(というとまるで不敬罪だがw)「祈っている」。


そういう生き方はワレワレにはできない。そういうことをできる人がいるとすれば、それは天皇ぐらいしかいねーんじゃねーかと思ったりする。で、そういう人が奇跡のようにして存在しているということが、どこかで慰めになったりする。


というわけで、別に今回は朝日新聞批判ではなく、褒めているのである。ま、オレも焼きが回ったのかナと思わんでもない。が、老いるというのは結局そういうことなのかもしれぬ。ちょっと哀しいけどな。



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ご承知のように、ジャック・ヴァレという人はもともと天文学者だったわけだが、のちコンピュータ・サイエンス、さらにはベンチャービジネスへと手を広げ、もちろんそのかたわらユーフォロジーも研究してきたという実に多才な人物である。まさに波乱万丈の人生なんだが、とりわけ若い頃の経歴をたどってみると、ホントすげェなあと思わざるを得ない。

というのも、その著作『コンフロンテーションズ』第4部の最初のほうに、例のヒル夫妻とか、ベンジャミン・サイモン、ジョン・フラーなんかと一緒に、彼がニューハンプシャー州で2日間にわたるUFO探索合宿(笑)をしたエピソードが出てくるんだが、それが今からちょうど50年前の1964年夏である。

そんな大昔からUFOやってンのか、しかしヴァレってそんなに年寄りだったっけ、と思って改めて調べると、彼は1939年9月24日生まれ。年寄りっていやぁ年寄りなんだが、いやいや、むしろそんなことよりUFO探索合宿(笑)は弱冠25歳の頃の話であったのだということに気づいてしまい、何とマァこの人は若い頃からいろいろディープな体験をしてきたんだなぁというところに感心してしまうのだった。

ちょっと年表風に書きだしてみると、こんな感じである(年齢はだいたい)。

1955年(16歳) ポントワーズの自宅でUFO目撃
1961年(22歳) パリ天文台勤務。SF小説『Le Sub-Espace』でジュール・ヴェルヌ賞ゲット(執筆したのは19歳のときらしいが)
1962年(23歳) 渡米。テキサス大で天文学研究
1963年(24歳) SF小説『Le Satellite Sombre』
1964年(25歳) 上記のUFO探索合宿(笑)
1965年(26歳) UFO本『Anatomy of a phenomenon』
1966年(27歳) UFO本『Challenge to Science』
1967年(28歳) コンピュータ科学でPhDとる@ノーザンウエスタン大
1969年(30歳) UFO本『Passport to Magonia』

う~ん、名著『Passport to Magonia』を書いたのが30歳頃か。いたずらに馬齢を重ねてきたオレとしては感嘆せざるを得ないぞ。まぁなんだかよくわからないけどエライ人だという感を改めて抱いたのだが、そういえばヴァレについて論じているという Jeffrey Kripal『Author of the Impossible』という本があって、ヴァレを知るためには読まずばならないということで、以前Kindleで買ったのだが、ずっと放置したままで読んでいないのだった。そのうち何とかしたいのだが、といいつつ幾星霜。ダメだなオレ。

【おまけ】

ヴァレが取ったという「ジュール・ヴェルヌ賞」というのは如何なるものか。長年気になっていたので、この機会にググってみた。すると、フランスのウィキペディアに「Prix Jules-Verne」という項目を発見した。

例によってフランス語は手も足も出ないので、グーグル翻訳に頼ってみた。その結果、これはファンタジーやSFを対象にした賞で、1927~33年、それから中断期をはさんで1958~63年に行われていたものだが、その後、途絶してしまったということがわかる。

で、このページには1961年受賞作として Jérome Sériel「 Le sub-espace」というのが記載されているわけだが、この Jérome Sérielというのがヴァレの筆名である。なお、他の受賞者の名前を見てもオレなんかには全くピンとこなかった。SFマニアなら知ってるのかフランスSF。世界は広いぞ。

*注その1  ちなみに「The Encyclodedia of Science Fiction」という英語のサイトをみると、各国のSF賞を紹介するページがあって、フランスの項に「ジュール・ヴェルヌ賞 the Prix Jules Verne= ジュール・ヴェルヌの精神を踏まえた小説に与えられる賞。1980年に廃止」と書いてある。終了時期が上記のサイトとは違うのだが、同じもののことを言っているのかどうかはよくわからない。

*注その2 ついでに言っとくと、これも訳せばおんなじ「ジュール・ヴェルヌ賞」になっちまうけれども、「Jules Verne Award」というのが別にあるそうだ。パリで行われているジュール・ヴェルヌ映画祭で1992年から贈呈されているもので、SFとか冒険活劇とかで功績のあった映画人や優れた作品、冒険家なんかに贈られているものらしい(以上、Wikipedea「Jules Verne Award」の項より)

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