2015年02月

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アマゾンで頼んだクラーク&コールマン『The Unidentified&Creatures of the Outer Edge』の合本が届いたので前文のところ眺めてたら、彼らも若い頃ユングにかぶれてたみたいなことが書いてあって、あぁそういやオレにもそんな時期があったっけかなあと懐かしくなった(尤もオレの場合はもっぱら河合隼雄さん経由の理解ではあったけどネ)。

で、この本もいつになったら読めるかわからんのだが、とりあえず米amazonのレビューをみると『The Unidentified』では「UFOというのはユング流の元型イメージのあらわれではないか」みたいな議論が展開されているらしく、しかしクラークは「いやでもそれじゃ着陸痕とか説明できんよなぁ」ということでやがて自説を引っ込めてしまったらしい。

なるほど、そういう経緯があるんでクラークは、ヴァレに対するインタビューで「着陸痕みたいな物理的な証拠がある以上、UFOには物理的実体があるんじゃネ?」」というツッコミを再三いれているわけだなるほどなるほど、と脳内でひとつミッシングリンクがつながった次第。ちなみにこんなインタビューである(一部抜粋)。

クラーク (UFOの)「物理的な側面」の本質というものについてのあなたの見解をハッキリさせて頂きたいのですよ。さきほど、固体であって3次元の形態をとる「空飛ぶ円盤」のようなものが存在しているのだろうか、とお尋ねした時に、私はこんなことを考えていたのです――誰かが、底の部が円形で平らになっているUFOを見た、と言い出したとします。さらに彼は言います。「その物体は降下してきて、土の上に着陸し、それから飛び去った。その後には平らで 丸い着陸痕が残されていた」。これは明らかに大なり小なり目撃者が見たような構造をした、固体としての物体が存在した――少なくともその目撃が行われた時点においては、ということになりますが――ということを示唆しているのではないですか?

ヴァレ いや、必ずしもそうではないでしょう。その現象は現実感覚の歪曲を生み出したり、現実にとってかわる作りものの感覚を代替物として作り出す力をもっている、そんなことを示す証拠があります。もっと奇怪な遭遇事例をみていけばお分かりかと思うのですが――例えばこれは南アメリカであった事件で、ある男性は「自分はUFOにアブダクションをされた」と信じ込んでいる。ところがそのとき一緒にいた人は、「うしろの方にいきなりバスが現れた。で、彼はそのバスに乗りこんだ。そんな 風に思っていた」などと言うわけです。想像するに、一方には「人の目にみえる現象」があり、他方には「物理的な痕跡を作り出す現象」があるわけです。つまり私が言っているのは、ここには或る種の奇妙な「だまし」があるのかもしれない、ということなのです。

クラーク 言い方を変えるならば、物理的な痕跡というのは、人間の五感がとらえた [本当は存在していない] ものを、「はい、確かにそれは存在するのですよ」といいくるめて人を騙すため、そこに配置されたものである――そういうことなのですか?

ヴァレ  そうです。それはおそらく、第二次大戦中のイギリスがドイツに一杯食わせるため仕組んだ戦略的な謀略作戦になぞらえることができるでしょう。彼らは砂漠の中に張りぼての戦車部隊を配置し、いろいろ手を加えて重装備した巨大な師団が進軍しているようにみせかけた。彼らはその幻像の効果を長引かせるべく砂嵐さえも利用し、それゆえドイツ軍は本当にこの嘘を信じ込まされてしまったわけです。



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春節(旧暦の正月)とやらで休みになった中国人が日本にも大挙やってきていろいろ買い物しまくってる、というニュースをここんとこ続けざまに見せられた。

まぁ日本も消費不足でモノが売れなくて困ってるというので、こういうお客さんが来るのはとても良いことなのだろう。ま、ここんとこやることなすことダメダメの日本からすると、むかしは貧乏してた隣人が突然金回りよくなって贅沢しだしたみたいなもンで、なかなか心中穏やかならぬものがある(笑)。もっとも、外国にいってブランド品とか買いまくるというのは四半世紀前のバブル時代の日本人も盛んにやってたことでもあり、「あぁ、当時の日本人も世界からはこんな風にみえてたんだろうなぁ」と微苦笑してしまうのであった。

閑話休題。

オレは経済というものがからっきしワカランのだが、このようなトレンド――つまり、ごく一部とはいえこんなに金払いのいい中国人が大発生しているというのをみると、「あんたらそんなに浮かれていて大丈夫なのかい?」みたいなことをついつい考えてしまうのだった。

たとえば羽振りの良かった頃の日本であれば、「国民が勤勉でキチッとした仕事ができる」といったあたりが製造業の強みだと言われていて、実際に手堅い商品が世界にウケていたのである。最近はあまり元気ないようだが、たとえばイタリアあたりだと「腐っても鯛で美的センスは流石だ」とかナントカいって、ファッションとかのジャンルではなお気を吐いているようでアル。つまり、ある国が経済的に伸張するのはそれなりの理由があって、つまりその国民に独特の「才覚」が開花したときに万事うまくまわっていくのではないか、みたいなイメージがある。

さて、そういう目でみると、中国経済の「売り」というのは何なのか。

昔から華僑みたいな存在はいて、中国人は商売人としてはなかなか才覚があるようなことはいわれてんだが、それだけではないだろう。メディアとかでよく見聞きするのは、「安い給料でソコソコの仕事をしてくれる人間がウジャウジャいるんで世界中から資本が入っていって工場をいっぱいたてて、フル操業で世界中に輸出をしてボロもうけ」みたいな仕組みである。で、貧乏だった中国の人たちもがこうやって稼げるようになると、何しろ大市場であるから国内の消費もガンガンあがって景気はドンドンよくなる、という理屈であるらしい。

というワケで、なるほどそりゃうまくいくだろうなあ、とオレなんかも思ってたんだが、しかし、最近は労働者の給料もだいぶアップしてしまったようで、日本企業も「工場たてるならベトナムへ」みたいなトレンドもあるらしい。社会の高齢化も日本以上のスピードで進んでるっつーし、大丈夫なのかと思うぞ。

つまり、「安い労働力がある」というところからすべてが好循環しているンだとしたら、その前提が崩れたときにどうなっちまうのか、中国経済の繁栄っていうのは砂上の楼閣じゃねーのか、という気が素人ながらするのである。

で、話はもとに戻る。何か「中華民族にはこういう得意技がある」みたいなものがあれば、こういう悲観的シナリオとは違うような話にもなってくるんだが、じゃあそういう得意技みたいなのはあるのか。日本人の「勤勉」みたいなもの。

そこがよくわからん。安価な労働力を生かして、パソコンのパーツみたいに特定の規格に沿ったものを機械的に組み立てる、みたいな仕事だったらいくらでもできるだろうが、こういう仕事はもっと安い給料で働いてくれる人たちが出現したらなくなるのである。「先進国が開発した液晶パネルとかの技術をすばやくコピーして安く売る」みたいなイメージもあるが、いったん追いついちゃったらコピー作戦では済まなくなるので、自分で独創的なものを作らなきゃいかん。そこまで行ってるのか中国は。

わからん。中国共産党の偉い人たちはそのへん展望があるんだろうか。政治的には緊張関係にあるとはいえ、中国経済が高転びに転んだら、日本経済も大変なことになるらしい。さて、20年後とかにはどうなってるのか。





















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今朝の「天声人語」を読んで、何かまた奇妙な感覚に襲われた。久々にちょっとツッコミを入れてみたい。

今回の「天声人語」の内容を簡単に紹介すると、昨年発生した「佐世保市の高1女子の同級生殺害事件」「名古屋大1年女子の老女殺し」という二件の殺人事件を俎上にあげている。ともに少女による犯行であり、しかも「人を殺してみたかった」という動機が共通している、であるからして

同じ悲劇を繰り返さないためには、彼女らを特異な事件を起こした存在として遠ざけてしまってはなるまい

とゆーわけで、ここから何か教訓を得なければいけないのではないか、といった感じで偉そうに説教を垂れている。

ただ、何か、ところどころ奥歯にモノのはさまったような書きぶりなのである。どういうことかというと、この天声人語、「いや、でもしかし、別にこれは最近になってこういう犯罪が増えてきた、みたいなトレンドがあるわけじゃないからね」みたいなエクスキューズをところどころに差し挟んでいるのである。たとえば、こういう感じだな↓

一つの特異な事例が、全体の傾向を代表しているわけではない

むろん、これをもって直ちに現代の少女がおかしくなっていると嘆くのは短絡だ。統計によれば少年犯罪は減り続けている。個別の事件と全体の傾向は 分ける必要がある

うむ、これは確かにその通りで、人口当たりの少年犯罪の件数などは、年寄りが「イイ時代だったよなあ」などと懐古しがちな昭和30年代などよりずいぶん減っているというし、少年犯罪の残虐さ・非道さというのはむしろ戦前のほうが凄かったんじゃねーかと思わせる『戦前の少年犯罪』(管賀江留郎著)みたいな本もある。マスコミもひところは「現代の治安はますます悪化している」みたいな、データに基づかない印象操作大作戦を展開していたんだが、さすがにソレは違うだろうということで、このように「別に少年犯罪はワルくなってるわけじゃない」と明言していること自体はたいへんヨロシイ。

ヨロシイんだが、しかし、とここで首をひねってしまうのである。

最近たまたま相次いだ少女による殺人事件が「全体の傾向を代表しているわけではない」し、「直ちに現代の少女がおかしくなっていると嘆くのは短絡だ」。そこまでわかってんなら、何でこんなコラムを書くのか。

オレに言わせれば、今回の事例はどうだったかしらんが、たとえば情性を欠如させたサイコパスみたいな存在は、どうしたって一定数この社会に出てきてしまうものである。今回はたまたま「少女」という括りで時間的に近接して二つの事件があったもんだから注目されているわけだが、天声人語子が自ら認めているように、こういう事例を「一般化」して何か言うというのは、そもそもオカシイことなのだ。

であれば、こんなコラムを書く意味はないのである。あえて「教訓」というのなら、「人間の生きている社会には、どうしたってこういう了解不能のことをしでかす人間が出てきてしまう、人間っていうのはかなしいよなー」というような諦念を引き出すのがスジというものではないか(あるいは、そういう人間をスクリーニングして片っ端から捕まえてどっかに収容セヨ、みたいな論理の転がし方もありうるが、産経新聞ならぬ「良識派」の朝日ではムリであろう)。

結局、ここから伝わってくるメッセージは、メタレベルでいうと「何か問題が起きたら何かリアクションをとるべきである、そういう風にオレたちは考えている、さぁどうだ社会派だろう偉いだろう」というものである。よほどネタに困ったのかもしれないが、というわけで今朝のようなコラムは流石にムリなので、天下の公器に載せてはいけない。

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ONKYOの「ネットワークCDレシーバー」CR-N755をこのあいだ(型落ちになって安くなったタイミングで)買ったが、改めて調べてみるとコレ、(安い割に)ハイレゾ音源のファイルも再生可能なスグレモノである。USBメモリの差し込み口があって、ここにデータを放り込んでおけば再生が可能なのである。

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ハイレゾ音源はどうするかというと、たとえば e-onkyo music といったサイトで買える。便利なものである。

で、視聴用データがもらえるというので落とす。「チャイコフスキー: SOUVENIR de Florence op. 70: I. Allegro con spirito(弦楽六重奏曲「フィレンツェの思い出」第1楽章)/トロンハイムソロイスツ」。「flac 192khz/24bit」というファイル形式で、要するに録音されている周波数が可聴域以上にまで広がっておって音の解像度(というのか?)自体も精細である、ということらしい。

聴いてみると確かに何かイイような気がするのだが、冷静になって考えてみると、「耳年齢チェック!iPhone版」みたいなアプリを試してみると、もうジジイであるオレは1万5000ヘルツぐらいから上の音は聴けないのである。

何か数値化不能な微妙な音圧とゆーか雰囲気的なものが変わってくるのかこないのか、あるいはこんな素人の耳にもそのような変化はわかるものなのか。何か「高級イメージを消費する」という以上の意味があるのかないのか。ひきつづき探究を進めたい(笑)。


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タイムマシンで未来からやってきたという触れ込みの例のジョン・タイター以来、「未来人が語る近未来の歴史」というジャンルがオカルト業界で確立しつつあるようだ。そういう人間がネットにいろいろ近未来のことを書き記していくというのが典型的パターンで、で、「当たった」だの「外れた」とかいって騒ぐのは、こういうのを全然信じていないオレからしてもなかなか楽しいことである。

とりわけこの手の話でよくできていると思うのは、「エヴェレットの多世界解釈」とか何とかいうよくわからん話を援用して、「多元宇宙は無数にあるので、未来人が行ったり来たりするうちに宇宙は分岐してしまい、結果的に未来人の語った通りの未来が来ないこともある」みたいな言い訳がちゃんとできる仕組みになっているところである。だから、全部当たらなくて当然よ、と開き直れるのである。賢いのである。

閑話休題。これは2011年の段階ですでに日本にも出回ってたらしく「4年遅れかよ!」とツッコミを入れられる方もいるだろうが、最近オレがようやく知ったこの手のストーリーに、2060年から来た軍人だとかと称する人間が、2010年11月から翌年2月にかけて韓国のネットに書き込みを残していった、という話がある。

オリジナルのサイトがどこにあるかも知らんし、仮に分かっても韓国語などわからんから、あくまで日本語のサイト(このNAVERまとめとか)を見るしかなく、もちろんタイムスタンプの捏造などの可能性があったとしてもその辺にツッコミをいれる術もないので、あくまで「お話」として消費する立場から言わせてもらうのだが、これ、けっこう面白かった。


「2013年の時点で北朝鮮の金正日は死亡している」というのはアタリだが、ま、健康悪そうだったのは確かであるし、「2013年に李会昌が韓国の大統領になる」とか「2012年に大恐慌が来る」とかいうのはいきなり外れ。2015年に第3次世界大戦だかが起きて中国でバタバタ人が死んで(しかし中国とどこが戦うのだ?)、そのあおりで北朝鮮が崩壊して2017年に統一韓国ができて朴槿恵が大統領になる、というのは、うーむ、今年はあと10か月しかないので、これはどう考えてもキビシイのではないか。

ところが日本に関しては「2011年頃に大地震で津波が起きて、それに伴って放射能漏れの被害が出る」と書いているらしい。ここで「なるほど、2011年3月以降に捏造されたネタだったのね」と言ってしまうのは冷血極まりない態度なので、しばし信じたフリをしておつきあいすると、一方では「2013年が終わる前、日本の政治体制は既存のシステムから完全に変更」とか言っているらしい。自民党が総選挙で大勝して第2次安倍政権が成立したのが2012年末であるから、その後の安倍の「暴走」ぶりをみれば強引に「当たった」と言い張ることもできないではない。「やるじゃん!」みたいな事を考えてしまったりして、この辺は何か妙なリアリズム(笑)。

何かこういうチグハグな未来予想みたいなものをどういう人間がどういう判断のもとに書いたのか、というのは想像してみると何だか面白い。今回のも、「ニコラ・テスラは実は未来人だった」みたいな小ネタを差し挟んでいていて工夫がしのばれた。というわけで虚構と現実のはざまに遊ぶ未来人文芸というのは、これからもイチオシの注目ジャンルである。

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