薄幸の歌人というイメージのある石川啄木だが、一方で彼は、借金魔にして、性格のねじくれた青年であったことも広く知られているところである。いや、むしろそういう欠点のあった人間だからこそ啄木は身近に感じられるところがある。たとえば、こんな歌。

一度でも我に頭を下げさせし 人みな死ねと いのりてしこと(『一握の砂』)

まぁ長年宮仕えというヤツをしていると、「なんでオレが頭を下げなきゃならんのだ、悪いのはオレじゃないだろうよ」と思いつつ、しかし屈辱にまみれながら頭を下げなければならない局面というのはしばしばでてくるものだ。

聖人君子のような人間であれば、これも人生でアルとかいって達観して不満を呑み込むのであろう。が、なかなかフツーの人間にはできない。そこで「くそっ、死ねッ」と心のなかで毒づいた経験はないか。

オレにはある。

そういう意味で、やっぱり「死ねッ」とか内心で毒づいたのであろう啄木は、わがこころの友である。