2019年02月

断続的に同人誌とか扱ってる印刷会社サンに頼んで刷ってもらい、通販などしてきた私家版「マゴニアへのパスポート」であるが、今度また若干作ってみることにした。

これまではいっちょ前にカバーつけたり帯つけたりしてきたのであるが、そういうのはナシにしてこれまでよりちょっと安くし、一冊1500円+送料ぐらいで頒布したい、的な構えである(それでも400頁近くあるので一冊売れてもたぶん200円ぐらいしか利益は出ない。決してそれほど強欲なわけではないw)

これまでたぶん100冊ちょっと刷って基本的に全部売れてしまったのであるが既に読みたい人にはあらかた行き渡ってしまったのではないか感が強い。

この辺からはやや冒険になっていくのであるが、例の「Spファイル友の会」の編集長さんに頼んで文フリとかに置いてもらうコトもできそうなので、とりあえず50部いってみたい。

3月末ぐらいまでには具体的なことをお知らせしたいと思っております。


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長らく天声人語を批評していなかったが、別に朝日新聞を取るのを止めたワケではなく、なんかこう、加齢ととともにそういうヒト様に説教する気力みたいなものが失せてきたというのが本当のところである。

ではあるんだが、今朝の天声人語はちょっと酷かったので、久々に触れてみたくなった。

今回のは、NHKの朝ドラ「まんぷく」にまつわる話である。

ご承知のようにこれは日清食品の創業者である安藤百福の家族が「モデル」ということになっている。近年の朝ドラでは「実在の人物がモデル」であるという触れ込みで番組を作ることがままあるわけだが、こういう風に宣伝されると視聴者もなんだか興味を引かれてついつい観てしまう。そういう線を狙っているNHKもあざといのだが、まぁ今回はそういう話をしたいワケではない。

問題なのは、「××氏がモデル」と言われたときに「ああ、じゃあこれって実話なのね!」とマジで勘違いしてしまうヒトが出てきてしまうことである。

いくら「事実は小説より奇なり」とかいっても、やっぱり現実はそうそうドラマチックには動いていかないのである。そこは創作というものが入ってこないと、どうしたって売り物にはならない(もちろんノンフィクションというジャンルもあって、それにはまた独特の魅力というものがあるのだが、それはまた別の話である)。

そういう事情もわからずにドラマと現実を取り違える人が出てくる。言ってみればこれは広義のメディアリテラシーの欠如を示すもので、天下の朝日新聞なんかからすれば実に憂うべきことであるに違いない。

ところが、である。今朝の天声人語を読むと、この筆者自身がまさにこの「ドラマと現実を取り違える」愚にズッポリ陥っているのだった。

ちなみに、以前は朝日のサイトで当日の天声人語は全部読めた気がするが、いまはアタマだけしか読めず、あとはカネを払わねばならない。つまりサイトからちゃちゃっとコピペすることはできない(念のためいっておくと批評行為のためそうやって著作物を一部引用すること自体は著作権法でも認められております)。手打ちするのも面倒くさいのでいろいろ引用しないけれども、ともかく天声人語子はこう書いている。

 
NHK連続テレビ小説「まんぷく」で、1950年代に即席ラーメンが発明された実話を扱っている。


そう、何のためらいもなく「実話」としている。で、以下は安藤百福が仕事用に立てた小屋の中で即席ラーメンを実際に「発明」したという前提でいろいろ話を転がしていくのだが、さて、そうそう簡単にこの「発明」というのを事実認定しちゃっていいのか。

ネットとかでも実はあの油揚げ即席メンなるものは前々から安藤百福の故郷の台湾に存在していたもので、チキンラーメンを新たに「発明」されたものというのは如何なものか、といった話をいろいろ見かける(たとえばこの記事→「NHK『まんぷく』チキンラーメンは本当に「発明」なのか」)。

確かに安藤百福は自伝とかで自分の発明物語を再々語っておる。けれども、一流メディアの朝日新聞であるからには、そういう主張に対して「異論」があることは十分知っていなければおかしい。加えていえば、先に書いたように今回の「まんぷく」はしょせんドラマである。そもそも安藤百福は台湾出身のかなりのやり手の人物だったようだが、テレビに出てくる人物はそういう設定にはなっていない。これは「このドラマは基本フィクションですから」というあからさまなメッセージでもあるのだが、にもかかわらず虚構と現実を取り違えてしまうというのは、この天声人語子、ひょっとして「主人公が死んでもリセットして何度でも生き返ることのできるゲーム」のやり過ぎなのではなかろうか。

結論。記事を書く時にはもうちょっと慎重に事実関係を調べること。「ドラマと現実は違う」とわきまえること。
















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枯れ木も山の賑わいという言葉もあるので、やはりむかしmixiレビューに書いた短い感想文をもう一本載せておこう。著者の芹沢一也氏はのちに「SYNODOS」を立ち上げた方。まだ編集長とかやってんのかな?




なかなか興味深い本でした。最近よく聞く「凶悪犯罪は激増している」言説は実は本当ではない、というところから説き起こし、じゃあなんでそんんな話になっているかというと、かつては犯罪の動機が「貧しさゆえ」とか非常にベタで了解しやすいものだったのに、最近はその手の了解が困難になってしまったから、「え~ぃ、もう動機云々なんて考えンのはやめた、とにかく訳のワカランモンスターどもを何とかしろ~」という気分が盛り上がっとる、と。

で、精神障害者やいわゆる荒れる若者を怪物視して、「どっかに囲い込んでしまえ」という風潮が広がってるのは憂慮すべきことである、とまぁ、非常に荒っぽく要約するとそういう本です。

まぁおおむね同意できる議論なンですが、一つだけ疑問を呈しておくと、この著者は精神医学に全く信を置いていないようで、それってどうよ、と思うところはある。

私の読み取る限り、彼はこんな事をいっている。――いわゆる人格障害なんていうのは「病気」ではなくて人格的な偏りであるわけだから、そこに法的な措置の網をかぶせる時にはどうしても恣意性が入ってくる。それでいいのか…。

しかし思うに、精神医学の概念といったものは厳密な自然科学的な根拠がなけりゃ恣意的だ、とまで言い切れるのかな、って個人的には思う。

いわゆる分裂病だって、代謝物質の異常といったレベルでメカニズムが明らかになってくる以前には、例えば精神科医が「これはどうしたって分裂病だ」みたいな、ある種の現象学的直観でそこそこ妥当な診断ができていたわけでしょ。なんか、かつて流行ったような反精神医学的なロジックがちょっと鼻についた。でマイナス1。(2006年06月08日)

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定期的になんか書こうと思うのだが、どうも気合いが乗らない。なので、今回はむかしmixiレビューに書いた短い感想文を転載しておこう。ちょっと触れているように、確かヒトの本から無断剽窃かなんかして話題になった曰く付きの本。絶版になったのか、あるいはただ品切れ扱いになってるだけなのかはよくわからない。基本的な方向性はけっこうイイ線行っていたと思う。




「と」学会の有力メンバーにして、「トリビアの泉」のネタ元としても名高い雑学王、唐沢俊一氏によるUFO本だというので期待して購入。

UFOをボルト&ナットの宇宙船と思ったら間違うよ、あれは人の「なんかUFOでもあったらいいな」的な願望が脳内に(w)飛ばしているものなんだよ、といった趣旨で、ほぼ全面的に同意。『何かが空を飛んでいる』の流れを汲む好著といえよう。もっとも「脳内現象」といいきるのが憚られるような不思議な現象がUFOにはつきものであり、そのあたりのダークサイドについてはイマイチ突っ込みが甘い感は否めない。もっとも新書だし、そこまで求めるのはないものねだりだろう。

ひとつ、この本の一部にブログからの剽窃疑惑がもちあがっているのは残念。万一回収にでもなったらあれだから、早めに入手されるがよかろう。(2007年06月08日)

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