2019年08月

というわけでここンとこ続けてきたブログ連投もいよいよ力尽きまして、途絶してすまいまスた。

この間それほどカウンターも回らなンだし、これからは再びTwitterを主戦場に虚空に向けての独り言を続けたいと思います、ハイ(笑)
mixiチェック

というわけで、「何がなんでも毎日ブログ記事を書いてみようチャレンジ」は――もうそろそろ力尽きて止めるとは思うがとりあえずは――なお継続中である。

で、本日はAbebooksに注文したUFO本が英国のWeBuyBooksっつー店から2冊届いたので紹介したいと思う。これらはいずれもちょっと前のエントリーで触れた怪しげなフォーティアン、ポール・デヴルー(Devereux, Paul)が書いた本なのだが、先のエントリーを書いた後になってなんだか気になって発作的にポチってしまったのである。ともにハードカバー。


Earth Lights: Towards an Understanding of the Unidentified Flying Objects Enigma(1982)

Earth Lights Revelation: UFOs and Mystery Lightform Phenomena - The Earth's Secret Energy Force(1989)

IMG_5014


例によって本の代金より送料のほうが高くついており、本自体は両方とも4.1ドルという値付けである。とりわけ左の「Earth Lights Revelation」のほうはどっかの図書館の払い下げ品でシミだらけでアルが、まぁ安いからエエやろゆうて注文したので文句はいえない。

むろん「買ったはいいが積ん読放置」状態になるのは目に見えているのだが、この人の「アース・ライト仮説」いうのはET仮説の害毒にすっかり侵されてしまった愚鈍な我が国のユーフォロジストさんたちからはガン無視されてきたフシがある。「アースライト UFO」とかいってググっても、本件に関わるものとしてはオレのブログ以外では桜井慎太郎『図解 UFO』がかろうじてヒットするぐらいである(デヴルーについて直接論及しているわけではない)。なので機会があればちゃんと読んで紹介などしたい・・・という気持ちがナイではないw。

なお、念のためググってみると、この人の本で邦訳されたものはあるにはあるらしい。

大地の記憶―古代遺跡の暗号を読む

ポール デヴェルー
青土社
1998-04



宇宙との交感 (図説 聖なる言葉叢書)

ジェフリー コーネリウス
河出書房新社
1999-03



だが、この辺まで当たってみようという気は流石に皆無(笑)。


mixiチェック

もう何がなんでも毎日一本はブログを書いたるワイということでまだやっているのだが、今日は例の「プロジェクト・ブルーブック」season1の第7話を観たのでちょこっと感想。

WS000348



以下、ネタバレもあるのでイヤな方はここでお引き取りいただくべく以下数十行スペースをあけます・・・































・・・はい、今回の第7話も現実にあった「デスバーガーズ事件」(ちなみにモスマン事件の方に出てくるのはデレンバーガーであるw)を導入に使っているのだが、実際には「ボーイスカウトの隊長をしているオッサンが光体に襲われた」という部分だけホントのことで、あとは例によって全部フィクションである。実際の事件はフロリダ州であったンだが、ハイネックが数時間後に駆けつけるという設定もあってか、ドラマではオハイオだかどっかの話になってるし。あと、のちにミシガン州で起きた沼地ガス事件のエピソードなんかも小ネタとして使っている。

というワケで、ロバート・シェーファーが「話つくりすぎじゃねーかォィ」とかいって怒るのも分からんではないが、オレはそこはちょっと違っていて、こういう虚実皮膜のアワイで遊ぶ、みたいなのは悪くないと思っておる。

つまり、これはいわゆる「二次創作」ってヤツなのではないか。「文芸ストレイドッグス」で太宰治が秘技「人間失格!」を繰り出すようなもので、ハイネックに大活劇させたってイーじゃん、みたいな。

いや、しかしU-nextの無料お試し期間ももうそろそろ終わってしまうので、このままだと最後を見届けられない。どうすべか。










mixiチェック

今年の八月の猛暑は尋常でなかった。当然イロイロな方面でも言われておるように、来年もこんなンであったら東京五輪では競技者が誰か死ぬんではないか。

だがしかし今や世界屈指の利権団体と化したIOCとしては、いまさら「選手の人命が案じられますので中止します」というワケにもいかず、大会は強行されるのであろう。南無三。

まぁよくよく考えると、これなんかも良い例であるのだが、そもそも現代スポーツというのは根っこに様々な矛盾というか不条理を抱え込んでいる。

そこは、たとえばパラリンピックであっても例外ではなく、フツーの人は「あぁパラリンピックもあるんだわネ、障害があるのに頑張ってスポーツやってる人たちエライわね尊敬しちゃうわネ」という風にいちおう口に出して言うのであるが、オレに言わせればそれはポリティカル・コレクトネス的な美辞麗句であって、そもそもパラリンピックには致命的な欠陥がある。

スポーツとしてみるとアレはどうしたって面白くないのである。

その辺のリクツについては以前書いたエントリーの時点からオレの考えは寸分たりとも変わっていないので、仮に興味をおもちの方があったらこの辺をご覧いただきたい。

今回も体制と一体化したメディアはやれ「パラリンピックのチケットがいよいよ発売になった」だの、「こんな素晴らしい選手が腕を撫している」だの騒いで盛り上げを図っている。が、やはり大衆は全く乗ってこない。かくて「パラリンピックを前面に出せば日頃印象のよくないスポーツゴロたちも少しは善人っぽく見えるンではないか」といったあくどい下心だけが浮かび上がってきてしまうのだった。


いや、そもそも論で言うならば「そんな競技者のバックアップばっかりしてないで、国民が気軽にスポーツできるような環境作れよ」というような、いわば「みるスポーツ」ではなくて「やるスポーツ」に政治的リソースを転用したらどうかという議論もあるにはあった。これにはオレも全く賛成なのだが、政治家などはそんなことをしても票にはならンし、スポーツ関連で何かやろうというのであれば今まで通りIOC―電通ラインか何かに連なっておこぼれを頂戴した方がおいしい。なので何も変わらない。

やれやれという次第であるが、まぁ国民としても「人死にさえ出なければ東京五輪・パラリンピックは大成功」といった辺りにラインを設定せざるを得ないのでないか。もちろん、終了後の負の遺産の処理にはオレらの税金がふんだんに投入されるのである。




mixiチェック

さいきん脊髄反射で書き込むツイートばかりが多くなっておるなぁという自覚のもと、フォロワ僅か100有余虚空に吠えるばかりで何の社会的影響力もない弱小ツイッタラーではあるにせよ少しは自戒せねばならんなという意味もこめて「Twitter絶ち」(とかいいつつちょこちょこ「いいね」押したりしとるけど)に挑んでいるのだが、イカンここんとこどうも腹の立つことばかり多くハラフクルルワザ状態。

なので許せ、ブログ上で仮想ツイートしばし。


■タレントがマラソンすることとチャリティーに何の関係あるんや。「走れた距離の1マンバイ寄付します」っつー宣言でもしとるなら分かるけれども

■それに毎回言われておるけれどもジャニタレとかはノーギャラでやっとんのか? カネもらってチャリティーなんてものはナイ

■ハナから「甲子園優勝」→「プロ入り」の下心ミエミエのプロ野球予備校のエリートたちを称えてどうすんねん。誰も期待しとらんかった県立高校の分際でw甲子園にノコノコ出てきて当然一回戦で大敗して帰った飯山高が実は最高の「勝者」やろが!

■TPP蹴って出てったアメリカにTPP以上の優遇するなんてのは許さんからな。譲った部分たんとあるようやが、自動車関税の撤廃とか何か取ったンか? 取れンかったばあい茂木は腹かっきる覚悟あるんやろうな!

・・・以上。

mixiチェック

えーと、Twitterの代わりに毎日ブログに何かしら書いてみようということで、ココんとこイロイロ無理して書いている。が、ネタもいよいよ尽きてきたので、本日はジャック・ヴァレが2014年に『マゴニアへのパスポート』を再刊した際に付した序文を紹介するという趣向でいきたい。

とはいえ全部訳出したりすると著作権上の問題も出てこようから、今回はところどころ引用しつつ批評を加えていくかたちでいこう。

まず簡単な説明を加えておくと、ヴァレがこの本をはじめて世に送り出したのは1969年のことである。ひと言でいうと、「UFOというのは地球外からやってきた宇宙人の乗り物だ」というET仮説を否定し、この手の「空に出現する光る物体」だとか「あやしい小人」だとかいったものは大昔から妖精譚みたいなかたちで人々の間に語り伝えられてきたものであって、いわば人間がいつの世も目にしてきた超時代的な奇現象みたいなものと考えたほうがよいでしょうネ、と彼は主張したのである。

もともとUFO研究というのはET仮説が王道とされてきたから、彼はその時点で「異端児」になってしまった。ではあるんだが、その後、いくら待ってもUFO=宇宙船説の証拠なんぞ出てきやしない。いやいやいや、ギョーカイ的には彼はアウトサイダーかもしらんが、ヴァレの見方というのは実はけっこう鋭いンじゃネという人々も一部にはいて(たとえばオレw)彼はUFO研究者の中では一目置かれた存在になっているワケなのだった。

というワケで、今回紹介する2014年版というのは初版刊行から45年を経て旧版が絶版状態になっていたところに刊行されたモノであった。なのでこの新版の序文には「そういや、あれからいろいろあったよなぁ」的にヴァレがこの半世紀を回想するような趣がある。

冒頭はこんな風に始まる。


ゼネストや若者の反乱があった1968年5月のパリで執筆され、その翌年シカゴで刊行された『マゴニアへのパスポート』は、空飛ぶ円盤を信じる人たちと、彼らに懐疑的な立場をとって対立していた「合理主義者」たちとを糾合するという意図せざる効果をもたらした。両者はすぐさま一致団結し、即座にこの本を疑わしいシロモノだとして断ずる勢力を形作ったのである。彼らは、そのソースは不確かであるし、著者である私の論証もいいかげんなものだ、と言い募った。そこで紹介した目撃事例自体あまりに突拍子のないものだったせいか、UFO研究者の中には、ここで引用した事例は私が捏造したものではないかといって非難してくる人さえいた。


ここで言っているのはどういうことかというと、彼はこの著書を出したことで「エンバンなんて嘘っぱちなんだよ!」といっている合理主義者ばかりか、多くのUFO研究者をも敵に回してしまった、という話である。

何故かというと、多くのUFO研究者は1947年の有名なケネス・アーノルド事件以降、「いよいよ物理的な宇宙船としてエンバンが地球に出現しはじめた。これをちゃんと研究すりゃあ宇宙人の正体わかるゼ!」という風に考えてワクワクしていたのである。ところがヴァレは、「でもUFOなんてのは妖精譚とおんなじだから。なんかUFOを物理的な機械みたいに考えても違わくネ?」といって彼らに冷水を浴びせたのだった。


科学的研究への指向性をもつUFO研究者(その中には、少数ながら空軍やその他の機関で、名前こそ出せないものの枢要な地位にいた者もいた)にとってみると、空飛ぶ円盤の最初の目撃と原爆の誕生とが同時期にあったことは、UFOが地球外に起源をもっている可能性を補強するものだと思われた。科学はすでに、生命はこの宇宙のどこかに確実に存在していることを知っている。であれば、惑星間の宇宙旅行を成し遂げている或る文明が、地球での核爆発を探知し、その結果として警戒態勢を取り、地球を監視下に置くことを決めたのではないか? 「地球外生命体によるコンタクト」というイデオロギーは、1947年の「目撃ウエーブ」に続いて、1950年と52年にも、詳細な記録の残された一連の目撃事例が多数発生した(しかもその範囲は全世界に拡大していた)ことで、さらに力を増したようであった。

が、そうした現象を歴史的視点から解明しようという緻密な探究が行われるようになってみると、物事はそれほど簡単な話では済まなくなった。確かに現代における「空飛ぶ円盤」という呼称はアメリカの報道機関によって発明されたものなのだろうが、歴史をさかのぼれば、米国でも過去に同様のものは目撃されてきた。他とまじわらず、世の主流とは離れたところで研究に取り組んだニューヨークのチャールズ・フォートが発掘したところによれば、天文学者たちが奇妙なものを目撃して記録した事例は19世紀にまでさかのぼる。さらに、天体が不思議を示した話というのは、中世の記録者、さらにはローマ時代の歴史家の記録の中にも見て取れる。懐疑論者たちの色眼鏡やビリーバーたちの熱狂といったものに毒されず、虚心坦懐に事実をみることに徹する――それこそがなされるべきことだった。


研究者たちは「なるほど人類は原爆も発明してしまったし、宇宙人もコイツは要警戒ダ!とかいって突然来襲するようになったに違いない! これは大変だ!」とかいって盛り上がっていた。「いやー、ずっと前からたいして変化ないっスよ」とか言い出す人間は袋だたきにあって当然だろう。だから、当初この本の評判はあんまり良くなかった。


1969年に最初に刊行された際、本書の評判はよくなかった。そのハードカバー版は5000部も売れなかったのではないか。「地球外からの訪問」という現下流行の仮説(その定式化にあたっては、私自身がそれ以前の2冊の本で手を貸していたのだ)があまりに確固たるものになっていたために、現代の目撃と私が発掘してきた歴史的な素材とを関係づけようという試みは、反逆行為として憤激を買ってしまったのである。「ヴァレは我を失っておかしくなってしまった!」。ある名高いUFO界の人物はこう言った。特に過去一世紀にわたる未解明の着陸事例を900例以上まとめた補遺のパートは、異端扱いされた。

  • ちなみにここでヴァレが「それ以前の2冊の本」云々といってるのは、彼は「マゴニア」以前に出した2冊の本でET仮説寄りの主張をしていたことをさしている。

だが、捨てる神あれば拾う神あり。


『マゴニアへのパスポート』は、米国で無視され排斥された一方、ヨーロッパでは温かく迎えられた――ヨーロッパの読者というのは、或る文化のかたちを定位しようという際には、その歴史であるとか、フォークロアの重要性に大いに敬意を払うの人たちなのである。本書はすぐに英国で注目を集め、フランス語、スペイン語に訳され、ソ連では「地下出版物」に批評が掲載されたりもした。チャールズ・フォートをはじめとする、秘められた歴史の研究に取り組んだパイオニアを信奉する人たちは、私が記した事どもについてチェックをし、自らの発見をも付け加えてさらに議論を進めた。やがてペーパーバック版が刊行されたのだが、その頃までには読者の反応は好意的なものとなり、かつて批判を加えてきた者たちですらその立場を改めるようになったのだ。


歴史家によって記録された古代のストーリーと、UFOレポートという「現代のフォークロア」には関連がある――という本書の考え方に触発された研究者の間からは、目撃体験の本質とそのインパクトに関わる知をさらに深めていこうという、新たなる世代が登場してきた。もし空中に起こる現象は人類史を通じてずっと続いてきたことであって、しかもそこには現代のUFO搭乗員さながらに光る存在、空中に浮かぶ幽体めいたものと人間とのやりとりが伴っていたというなら、そこにはさらに大きな疑問が浮かんでくる。我々の文化・我々の信仰・我々の宗教に対して、こうしたイメージはどんな衝撃を及ぼすのか? それらは、我々がこの宇宙を理解する上で、どんな影響を及ぼし、刺激を与えてきたのか?


こう語るヴァレは、この半世紀で世界のユーフォロジーはようやく自らの思想に追いついてきたのだ、とでも言いたげである。

今日もなお、この問題の研究者で、UFO現象が1947年以前に報告されていたという考えを否定する人はいる。ある著名な作家は、古い事例が約200年前までさかのぼることは認めつつ、「それ以前にはなかった」と言い張った。何故なら「長い期間エイリアンがやってきていた」ということになると、アブダクションされて空を飛ぶ乗り物にのった人たちが語るような、「宇宙からの侵略は差し迫っている」という近年流行りの信仰を台無しにしてしまうから、というのだった。あるアブダクション説の主導者は、「明らかに出所の怪しげな」フォークロアを真面目に取り上げている者(つまり私のような人間ということだ)に悪罵を投げつけさえした。本書にはレファレンスを付している。だから読者諸兄は、我々の示したソースが説得力をもっているかどうか判断を下し、こうした批判に対してはご自分で意見を固めていっていただけば、と思っている。

そして彼は序文の最後を次のように締めくくる。なかなか格好いいシメであると思う。


本書に掲載した諸事件についての補遺は、従って、よくよく再吟味をする必要があろう。この間に現れた新たなる問いというのは実に幅広い領域にわたっており、だから私としては、読者諸兄にはインターネットに当たり、最新の「歴史的発見」を日々フォローされることをお勧めしたい。だがしかし、我々は少なくとも最初にあった問いには答えを出すことができた――実にUFO現象というものは、我々が文書でさかのぼって確認できた限りでは、ずっと我々とともにあったし、その現れは現代におけるそれととてもよく似たものだった。我々と「それ」とのかかわりの中で、UFOが一体何を意味しているか。それが我々にどんな影響を及ぼしているのか。それは、いまなお発見される日を待っている。








mixiチェック

CSのヒストリーチャンネルでいま、「プロジェクト・ブルーブック」(seazon1)という連続ドラマを放送している。

いうまでもなく「ブルーブック」というのはかつて実在した米空軍のUFO調査機関で、今回はその科学コンサルタントとして調査に関与した科学者アレン・ハイネックを実名で登場させるという奇策を用いて「UFOにまつわるミステリー」というテイのドラマにしたものである。

WS0006


アメリカではそこそこ評判になったらしく、UFOファンとしては是非観ておきたい。もっともオレの家ではヒストリーチャンネルは映らないので、U-NEXTのお試し無料視聴期間を利用して第6話まで観たところである。なので、とりあえずここまでの感想を書いてみることにした。

で、このドラマの売りは、実在したブルーブックとかハイネックを登場させるのもそうであるが、本当にあった事件――たとえば「ゴーマン・ドッグファイト事件」だとか「フラッドウッズ・モンスター事件」とかいったものをドラマ中に潜り込ませて、なんとなくノンフィクション感を醸し出しているところでアル。

ただ、ここは注意が必要で、ドラマでは「いつ・どこでどんな出来事が起こったか」という事件のあらましは事実(とされること)に寄せて作ってあるのだが、それ以外はほとんどフィクション盛り放題である。だからUFOファンであれば「この辺から事実離れて暴走し始めてますなー」みたいなコトは分かるンだが、そういうUFOリテラシーのない人はあたかも全部ホントにあったことのように勘違いする恐れがないではない。

ただそういう早合点する人のことを無視すれば、これは基本的にミステリードラマなので話はいくら面白くしたってイイのである。実際、「ハイネックにつきまとうナゾの男」であるとか「奥さんに接近してくるソ連の女スパイ」だとか、およそウソ八百丸出しの伏線がいろいろあって、そういうところがワクワク感につながるのである。1950年代が舞台ということなので登場人物タバコぷかぷか吸ってるし、ストーリーとあいまったダークな映像も実にあじわいがあってよろしい。聞けば製作はロバート・ゼメキスだそうで、なるほどと納得する。

俳優陣もなかなか良い。ハイネック役のエイダン・ギレンゆーのはこれまでワル役を得意としてきた人のようだが、今回は渋いインテリ中年っつー感じでなかなか格好よい。コンビ役の大尉を演じるマイケル・マラーキーも単細胞の軍人を好演。あと、空軍の大将役でニール・マクドノーっつー役者が端役で出てくるのだが(ググって調べたw)このオッサンがいかにも腹黒そうな陰謀野郎風で気に入った。

ただまぁ、ひと言いわせてもらうと、ドラマの世界なりにリアリティは欲しいよネという感じもないではない。

たとえば、主人公のハイネックは空軍のクイン大尉なる人物とコンビを組んであっちこっち行くンだが、しかしこれだと「ブルーブック」いうのはたった二人でやってる超零細プロジェクトみたいな感じにならんか。実際の「ブルーブック」は何人ぐらいで動かしてたのかは知らんが、たとえば出張旅費の精算をする係員だって要るンではないのか。

あと、出てくる事件が相当に換骨奪胎されているという話は上にも書いたが、これが時系列的には全然違う順番で出てきたりするので、そこそこ囓った人間の側からからみるとフィラデルフィア実験的な「時空間のねじれ」が発生しているようで何となく落ち着きが悪いという感じもアル。

だがドラマとしてはこの先どうなっていくのかとゆーアトラクティブな要素満載ということもあるし、UFOファンとしてはよくぞこういうの作ってくれましたなーという思いは強い。

U-NEXTの1ヶ月の無料視聴期間が切れたあとどうするかを考えねばならンのだが、ひとつには継続契約をする手がある。もうひとつは、米国で出ているシーズン1のブルーレイ・ディスクを買う手もある(日本版は売っていないようなので)。

images
Voices Of Wonder
2019-01-14

ご承知のようにアメリカと日本ではブルーレイのリージョンコードが同じであり、国コードの設定さえされてなければアメリカ版でも日本で観られるハズである(よく知らんのだが日本で発売されてないBlu-rayであれば、国コードなんて設定してないのではないか?)。

もっともその場合も問題はある。オレは英語のリスニングはテッテ的にダメなのである。米国のBlu-rayに日本語字幕がついてるワケはない。英語字幕がついてたら、それを読みながら観るという手はあるかもしらんが、これもオレの英語力では厳しい。今後の課題である。


mixiチェック

たまたまNHKダークサイドミステリーのサイトに迷い込んだところ、次のようなアナウンスがあった。  

「ダークサイドミステリー」は、日本のアニメーション文化に多大な影響を受けて制作している番組であり、今回の京都アニメーションで起きた事件は、大変悲しく悔しく無念でなりません。
 
お亡くなりになられた方々とご家族に心から哀悼の意を表すとともに、
負傷なされた方々の一日も早いご回復をお祈り申し上げます。

    2019年7月19日
    「ダークサイドミステリー」制作スタッフ一同


京アニへの連帯を表明するのはたいへん結構なことだとは思うが、この理屈はいまひとつよくわからンかった。「バビル2世」みたいなことであろうか?

mixiチェック

ひきつづき今回『プロフェシー』を再読して疑問に思ったこと。

たいした話ではないけれどもTwitter自粛中(笑)なのでココに書くワケだが、彼のポイントプレザント「冥界めぐり」にほぼ同伴したといってもよい地元の記者にメアリー・ハイアーという人物がいる。

キールの記述を信じるのであれば、という話になるが、彼女はこの間、相当にクリティカルな体験をキールとともにしている。たとえばシルバーブリッジの崩落を暗示するような夢をみたのはまさに彼女だったのだし、奇っ怪な飛行物体をキールとともに目撃したこともある。

ただここでチト気になるのだが、彼女が死んだのは1970年であり、一方キールがこの本を刊行したのは確か1975年であった。つまり彼女はこの『The Mothman Prophecies』を読むことは「できなかった」。そこに書かれたことについては「死人に口なし」で、仮に文句があっても抗弁できなかったことになる。

もちろんキールが彼女が生きていた時点でモスマン事件についていろいろと発言していたこともあったであろうから、彼女が完全なツンボ桟敷におかれていたと断定することはできないのではあるが、さて、この5年のズレをどう考えるか。

なんとなく胡散臭い感じもする。が、その辺も含めてキールの「味」といえないこともない。それが厄介でもあり、面白いところでもある。




mixiチェック

最近、伝説的ユーフォロジストであるジョン・キールの『プロフェシー』を読み返しているのだが、だいぶ内容を忘れていた――というかほとんど忘れていた――こともあって(笑)いろいろと「発見」があった。

そもそもキールの文章というのはウソかマコトかハッキリしないような話をさらりと書くあたりに妙味があるワケだが、とりわけそんな観点から見るとなかなかに興味深いくだりがいろいろとあった。以下二点。

プロフェシー (ヴィレッジブックス)

ジョン・A. キール
ソニーマガジンズ
2002-09



1、ウェストバージニア州という土地

まずは、この本の舞台となっている「ウェストバージニア州」という土地に関して、である。

UFOファンには広く知られているように、この土地ではこれまでいろいろ奇妙な事件が起きてきた。本書がメインテーマとして取りあげている1966ー67年の「モスマン」騒動というのも当然その一つであるが、たとえば「3メートルの宇宙人」が出現したとされる1952年のフラットウッズ・モンスター事件なんていうのもまた名高い事件である。

*余談ながらこれは英語では10-foot-tall monsterみたいな表現が一般的であるようで、ちょうど10フィートというゴロの良さが知名度アップという面ではかなり有効だったのではないかと思う。と同時に、これはメートル表記でいっても「3メートル」となるので大変区切りがよろしい。これが仮に「身長3.5メートル」だったら我が国でもずいぶんと訴求力が削がれたのではないか*

まぁそんなことはどうでも良いので話を元に戻すと、こういう歴史があるが故に、我々UFOファンは「ウェストバージニア州というのは何だかそういう因縁のある土地柄なのではないか」というイメージを抱きがちである。で、この点に関してキールは追い打ちをかけるように、すかさず次のようなことを言うのである。



ウェストヴァージニアについて、インディアンたちは何か知っていたにちがいない。なにしろ彼らはこの土地を避けていたのだから。ヨーロッパ人がガラス玉や火酒や火薬を持ってやってくる以前、インディアン諸部族は北米大陸中に広がって、分割支配していた。(中略)それなのに地図上でただ一か所だけ、"無人地帯"と記された場所があるのだ。それがウェストヴァージニアなのである。(83p)


つまり、この辺りは昔から何だか薄気味悪い場所だったのでネイティブインディアンたちも敬遠していた土地なんだよ、ということを彼は言っている。何だかマユツバのような気もするのだが、ともかくそうやって読者をさりげなく誘導していくのがキール一流のストーリーテリングである。

ついでに、「そもそもウェストバージニア州というのはどういう土地としてイメージされているのか」というのはオレも全然知らんかったので今回改めてググってみたら、こんなことを書いているサイトがあった。



ウェストバージニア州はアメリカ国内では悪名が高いことで知られており、なかでも貧困ランキングでは毎年ワースト5に入るほどの常連です。また、世帯平均年収においてもアーカンソー州やミシシッピ州など南部の州と同様に全米で最低ランクと言われています。

ウェストバージニア州では州民の4人にひとりは肥満体質とされており、全米で最も喫煙者が多い州としても知られています。さらに、他州では通じない独特な英語や単語が日常的に使われており、ウェストバージニア州の人たちはアメリカ国内で無教養な白人に対する侮辱的な言葉である「Hillbilly」と言われることもあります。

ウェストバージニア州はバージニア州から独立した背景があり、アメリカでは東部のカントリーサイドと揶揄されることがあります。貧困で不健康な白人が多いイメージから侮辱的な見方をされてしまいがちですが、自然に溢れ人々の優しさが残る古き良きアメリカの姿が残っていることが特徴です。(サイト「公務員総研」より)


うむ、最後にちょっぴりフォローしているとはいえ、ずいぶん盛大にディスっておるなァというのが正直な感想である。アメリカの東部のほうだというので何となくハイソな感じの土地なのかと考えていたら全然違ってて、お上品な方々はあんまり住んでいないようだ。東京でいうなら足立区や葛飾区、江戸川区みたいなイメージか。

だがしかし、オレなんかは「いーじゃん、気取ってなくて」と敢えて擁護したいところもあり、なおかつそういう怪異の地ということであるならば尚更に魅力があるンではないかとも言いたい。

560px-West_Virginia_in_United_States.svg



2、怪異の場としての「学校」

この本ではモスマンにまつわるストーリーに限らず、1966-67年頃に一帯で起きた奇妙な出来事も広く紹介されている。とりわけウッドロウ・デレンバーガーという人物がいつもニヤニヤ笑いをしている「インドリッド・コールド」という「宇宙人」とコンタクトした話は有名で、この件についてはかなり詳しく書いてある。が、そういう耳目を引くストーリー以外にも「おや?」と思う記述はあるワケで、それはたとえば以下に引用するような事例だ。


一九六六年三月、ある美人の主婦(本人の匿名希望により、ここではケリー夫人としておく)がポイントプレザントの学校付近に車を停めて子供たちを待っていると、信じられないような代物が低空に浮かんでいるのが目に入った。きらきら輝く金属的な円盤形物体で、校庭の真上に停まっている。縁の部分にドアみたいな割れ目が開いていて、その外に人が立っていた。戸口に立っているのではなく、その物体の外の空中に立っているのだ! 体に密着して銀色のコスチュームをまとい、これまた銀色の非常に長い髪を垂らしている。(66p)


これはモスマンとは違う、ごくフツーの人間とみまがうような宇宙人(?)の出現譚であるが、おそらくはこの事例なども踏まえて、彼は別のところでこんなことも書いている。



学校の周辺には異常なほど多くの目撃例やいわゆるフォーティアン現象(論理的・科学的説明のつかぬ全事象をさす。超常現象研究の草分け、チャールズ・フォートの名にちなむ)が集中しているように見え、また目撃者中で最大の割合を占めるのは、七歳から一八歳までの学童や学生だからである。(220p)


偶然ではあるけれども、「UFOはしばしば学校周辺で目撃される」というテーゼは、オレがこの前たまたま買った「Schoolyard UFO Encounters」という本の主題にもなっている。

「学校の怪談」ではないけれども、子供たちが集団で行動している場には何故か「怪異」が引き寄せられてしまうのではないか。そんな連想が働く。むろんUFOの集団目撃といった事例であれば集団ヒステリー的な心的メカニズムで説明がつくケースも多いのかもしれないが、こういうキールの指摘には何となくザワザワっとした感情が掻きたてられるのも確かだ。

ちなみにキールが記しているこのケリー夫人(仮)の体験談は上記の「Schoolyard UFO Encounters」でも取りあげられている。逆にいうと、この本の著者のプレストン・デネットさんも、キールを読んでてその辺りに気づかされたのではないか、と想像したりする。何げない片言隻句からさまざまなイメージが膨らんでいく。こういうところがキールの真骨頂である。

というわけでキールの文章には、噛みしめれば噛みしめるほど味が出てくるスルメのようなところがある。もう死んじゃったけれども、UFOファンとしてはちゃんと読んでいきたい作家の一人であることには間違いない。




mixiチェック

なぜか皇室関係に圧倒的な強みをみせているNHKがまたまたスクープ、なのだそうだ。戦後の初代宮内庁長官・田島道治が昭和天皇といろいろやりとりした記録を遺していた――という特ダネである。

その一部には「拝謁記」などと称したタイトルがついていたそうで、ポイントはいろいろあるようだが、一つには、昭和天皇は敗戦後に「反省」の意を表したいなどと言っていたらしい。それは吉田茂に阻止されたようであるが、今日もなお「エライ人たち」の責任がうやむやにされてナアナアで済まされてしまうこの国の文化風土を顧みるに、昭和天皇は仮に退位に追い込まれてもよいから「反省」の言葉を語るべきであったような気がする。

もっとも、のちに天皇は記者会見で戦争責任についてどう思うか問われて、「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないのでよく分かりません」などと、そらっとぼけていた。「反省」とはいっても、たぶんそれは「国民に塗炭の苦しみを与えたから」ではなくて「いくさに負けて皇祖皇宗に申し訳が立たぬから」だったのだろう。ここで「昭和天皇みなおしたわ」などと考えたらちょっとオメデタイような気がする。

あと、ちょっとあきれたのは天皇が「再軍備必要だよねー」的なことを語っていたという話である。NHKによればこんなやりとりがあったらしい(ソース)。

天皇「侵略者のない世の中ニなれば武備ハ入らぬが侵略者が人間社会ニある以上軍隊ハ不得已必要だといふ事ハ残念ながら道理がある」

田島宮内庁長官「その通りでありまするが憲法の手前そんな事ハいへませぬし最近の戦争で日本が侵略者といはれた計りの事ではあり、それは禁句であります」


これはまさに田島長官の言う通りである。田島さんも流石に「あんたが言うか!」と思ったのではないか。

言うまでも無い。「日本は侵略戦争を仕掛けて世界平和をムチャクチャにしよってからに」ゆうて世界からフルボッコされとった時代に「世界にはどうしたって侵略者がおるから軍隊必要だよねー」とかノンキなことを言っておるのだ(しかもこれは1952年3月の問答であるというから、サンフランシスコ講和条約が発効する一月前、つまりなお占領下の日本での話なのである)。

もちろんソ連が火事場泥棒的に北方領土をかすめ取ったりした記憶も新しいから、そういいたくなる気持ちは分からんではないが、そもそも日本が戦争をおっぱじめたからそういう火事場泥棒に遭うようなハメになったのではあるまいか。

だいたい昭和天皇というのは、先の戦争責任の話もそうであるけれども、「原爆被害者には申し訳ないが戦争というのはそういうものなので我慢してくれ」「沖縄に米軍基地を置くのは仕方ないので地元の人たちも我慢してくれ」(いすれも意訳)みたいなことを常々語っていた。そういう意味では今回の新資料、あぁなるほどそういう人だったよねーという感想を改めて抱かせる。アレッ?と思うようなところはあまりない。「そういう人」だったのだ。


mixiチェック

全然読めないのにも関わらず時々英語のUFO関連本を衝動的に買ってしまう。今日届いたのはこの本。

IMG_4998




題して「Unexplained Mysteries of the 20th Century」。



何だかよくわからんが、著者は英国のフォーティアンとおぼしきボード夫妻(全然知らんけど)であるらしい。こないだジェローム・クラークの「Unexplained!」について検索かけてたら、たまたまAmazonでこの本をレコメンドされてしまい、確かに1990年刊行の本でかなり古いけれどもレビューでイッパイ★がついていたし、かつ今も新刊で出ているということはそんなヘンな本でもなかろう(いや十分変だとは思うが)ということでミズテンで頼んでしまった。

パラパラッとめくっただけだが、UFOとか人体発火とかビッグフットとかそのあたりを幅広く紹介しているようであり、たぶん黒沼健的な本であろうと推察ス。

後ろのほうに各国の事例紹介ページみたいなのがあって、日本の項目をみたらよくわからん事例にまじって北海道・萬念寺の「毛が伸びるお菊人形」が「Okiku-chan doll」として紹介されており、和んだ(笑)。


IMG_4999



*ちなみにこの写真でいうと萬念寺ケースの3ツ上には毎日新聞が何故か紙面に載せてしまったため「信憑性アリ!」という誤解を与えてしまった「藤代バイパス車両失踪事件」の話も出ており、なかなかに興味深い。秋田の落涙するマリア像なんてのも見えますナ
mixiチェック

IMG_4991
 (太麺Ver.)

IMG_4997
 オマケ
mixiチェック

ずっと前に「ジャック・ヴァレの本に出てくる怪しい研究者たち」(笑)を紹介するエントリーをこのブログでも何本か書いたのであったが、久々にそちら関係の話を。

ヴァレの本の中にチラチラ出てくる人物として、脳科学者のマイケル・パーシンガーと作家のポール・デヴルーという人たちがいる。この二人はだいたいセットで論じられているのだが、どうしてそういうことになるかというと、このお二人、そもそもUFO体験というのは地球の地殻関係から生じる電磁気が原因であって、それが発光現象を生じさせれば「UFO出現」ということになるし、それが脳に幻覚をもたらせば「アブダクションだ」ということになるわけヨ――みたいな議論を展開していた。お互い特段の関係はなかったようだが、この二人、期せずして似たような主張をしていたということであるらしい。

うーん、じゃあウチにある強力ネオジウム磁石をこめかみ辺りに押しつけると何か見えてくるんかい、などとついついツッコミを入れたくなるのであったが、そもそも「UFOは宇宙から来ているわけではない」説のジャック・ヴァレとしては、こういう議論も有力なオルタナティブとせざるを得ない。その意味では避けて通ることのできない人物ということになる。

だがしかし、「UFOイコール宇宙船」という思慮を欠く主張ばかりが大手を振ってまかり通ってきた日本であるからして、こういうマイナー系の人(?)はわが国のUFOシーンではほとんどガン無視状態だったようで、著作なんかも訳されていない――いや、もすこし正確に言うと、パーシンガーについていえば超心理学系ではそこそこ知られた論客だったハズなので本ぐらい出てて然るべき人ではあるのだが。

というわけでオレもお二人の言説は全く精査できていないのであるが、たまたま最近本棚の奥から引っ張り出したジェローム・クラークの『Unexplained!』(1999年の版であった)にこの二人をまとめて紹介している頁があった。2頁にも満たない記述ではあったが、ま、少しは勉強になった。このへんにかんして興味のあるかたも国内には5、6人はいるだろうから、以下、その骨子を訳出してみることにした。

いつも冷静なクラークだけに、相当にテキビシイことを書いております。特にデヴルー。「ちょっと何いってるかわかんない」状態でクラクラするが、それだけについつい彼の本をAmazonとかAbebooksで探したくなるオレがいる。

 
index a_NY_BIO
Michael Persinger(1945-2018)=左=とPaul Devereux(1945-)


 アースライト仮説とテクトニクス・ストレス仮説

マイケル・パーシンガーとポール・デヴルーという二人の理論家は、地球物理学に基づいてアノマリー現象を説明しようという仮説をそれぞれ別個に編み出した。テクトニクス・ストレス仮説(略称TST)と呼ばれるパーシンガーの理論は、地殻内の歪み場が電磁電荷を生み出し、それがさらに光体を発生させたり幻覚を見せたりするというもので、その幻覚というのはエイリアンやその宇宙船、あるいは何らかの生物などといったポップカルチャーのイメージに源泉があるのだとする。この仮説の変種ともいうべきものが、デヴルーの「アースライト」概念である。

デブルーのアプローチがパーシンガーのそれと違っているのは、UFOの出現をもたらすモノとして、「圧電効果」ではなく「トリボルミネセンス」(注:鉱物の結晶などが摩擦することで光を生じる現象)をより有力な候補として挙げているところである。パーシンガーが、UFOのように見える光というのは地殻の運動があった場所から何百マイルも離れたところで観察されることがありうるとしているのに対し、デヴルーは一般論としてそのような効果が生じるのは断層線のすぐ近くに限られるとしている。

だが、総じてデヴルーの説というのは(パーシンガーに比較して)より過激な仮説となっている。彼の考えでは、アースライトというのは知性を有しており、目撃者の思考を「読み取る」ことができる可能性すらある。彼はこの仮想上のエネルギーについて「電磁気がよく知られていない形態で現れたもの・・・完全に未知の秩序に依ってたつもの・・・秘匿された力」などと語っており、そのエネルギーを社会に変革をもたらす「ニュー・エイジ」的なビジョンと関連づけている。デヴルーによれば、アースライトの研究には「人類社会の新たな時代をまるごと作り出すようなポテンシャルがある」「それは人類進化の上で重大な意義をもつもの、数多くの問題を前にした我々現代人を悩ませている(社会の)断片化を癒やす助けになってくれるかもしれないもの」だという。

パーシンガーの仮説は科学論文として刊行されたが、批判を浴びた。実証性という面ではその論拠は脆弱だったし、批判者たちは、パーシンガーは或る未解明のもの――すなわちUFOを別の未知のもので説明しようとしている、と言い立てた。彼らは、UFOや「モンスター」の目撃は地層の活動が活発でない場所で起きているとも主張した。クリス・ルトコフスキやグレッグ・ロングといった(パーシンガー説に)懐疑的な論者たちにしてみれば、TST効果やアースライトなどというものは、パーシンガーとデヴルーが示唆している途方もないモノを持ち出さずとも、球電、地震光、ウィルオウィスプ(注:鬼火の意)といった既知の自然現象として考えれば十分ということになる。

デヴルーのUFOを説明しようとする試みについて、ロングはこう記している。「<アースライト>についての様々な報告を注意深く研究してみれば、その光体のかたちは様々なものとして記録されている。そのことをデヴルーは理解していないのではないか。それだけではない。目撃報告によれば、そうした物体の形状は明らかに人工物だし、その動きは知性によってコントロールされたものであり、何らかの目的をもっているのは明らかだ。であれば、こうした物体をテクノロジーの産物である機械以外のものと考えることはできない。こうした事例で、エネルギーの塊だとかボールだとかの出現を示唆するものは全くない」。ルトコフスキはこう言っている。「光が一種の電磁気現象だという仮説を支持する状況証拠や観察結果もあることはあるが、そのようなエネルギーが本当に存在するのかどうかを実証的に判断するためには、さらなる研究が必要である」

パーシンガーは近年、UFOアブダクションの体験を「大脳側頭葉に電磁場が与えた影響が引き金となって生まれた幻覚」として説明しようと試みている。そこでパーシンガーが編み出した実験方法というのは、かぶった人間の大脳側頭葉に電磁波を浴びせることのできる「神のヘルメット」を用いたものである。たしかに多種多様な幻覚が生じた。しかしそれはパーシンガーの主張とは相反するもので、アブダクティーたちが報告したイメージと似たものはほとんど無かった。批判者たちはこう指摘している――被験者たちはアイソレーション・チェンバー(注:外部から隔絶された空間)に入れられたのだが、彼らの体験した幻覚というのは、これまで長いこと行われてきた感覚遮断実験で記録されてきた幻覚と良く似たものであった、と。言い換えれば、その幻覚というのはパーシンガーが考えた「ビジョンを生成する電磁気場」とは全く関係がなかった可能性がある。

mixiチェック

まれにみるトンデモ映画「ノストラダムスの大予言」(1974)を観ての感想は先にこのブログでも記したところであるが、この珍作の最後に山村聡演ずる首相が国会で演説――というか正確には「答弁」なんだろうが――するシーンがある。

未曾有の危機に陥った日本を立て直すため文明論的な再出発を遂げねばならンという大仰な演説で、映画を終わらせるために強引にまとめに入った感は否めず、「抽象的な美辞麗句を並べ立てただけじゃねーか」とかいって観る人から嘲笑されてきた過去もあったやに聞く。

だがしかし、改めてこのシークエンスを観てみると、確かに映画上で日本が抱えている「公害」みたいな問題と今の我々が抱えた問題はかなりベクトルが異なっているのではあるが、首相が「日本をこんなにしちまったのはオレらの責任ですスイマセン、これからは皆さんのお力も借りて何とか立て直したいと思いますスイマセン」みたいなことを言ってるのをみると、「いやでもこんな政治家ホントにいたら素晴らしいンじゃネ?」としみじみ思ったりする。

いうまでもない。現実の首相をみていると何だか自画自賛ばっかりしてて、かなりマズいところに来ているこの国の行く末をマジメに考えているようには全く思えないからなのだった。

政府統計をいじくりまわして「景気はいまとても良いです」とムリヤリ言い張ったり、某案件にかんして「私と妻がこの件に関与していたら議員やめます」とか言った挙げ句、ホントに奥さんが関わってたらしい資料が出てきたらそれも改竄してしまう(むろん当人は「オレが命令したワケではない」とでも言うのだろうが)――そんな姿を我々はここ数年、散々見せつけられてきた。

そんなことやっとる間にこの国はボロボロに腐り果てて、それこそ滅亡前夜の様相を呈しておるンではないか? まずはアンタが反省して国民に頭下げないとどうもならんのではないか?

というわけで、その山村聡の首相演説のくだりを以下に引いておく。


いま私は日本の皆さん、日本を見守っている世界の人々に向かって冷厳な事実を告げなければなりません。日本はいま、まっしぐらに破局への道をたどっております。それは同時に全人類の終末にもつながるものでありましょう。

この、燃えさかる文明の業火の中で、日本は、そして世界は本当に滅び去っていかなければならないのか。かつて地球上に覇を唱えながら滅亡していった動物たちと同じ運命をたどらなければならないのか。断じてそうあってはなりません。この、人間自らの手によって作り上げたもののために人間自らの命を絶つなどという愚かなことは、あってはならないのです。

我々政治家は長い間、皆さんにこう言い続けてきました。「我々を信頼し支持してくれ。必ずより良い、より豊かな生活をお約束します」と。そして、1億以上の人間がひしめくこの狭隘な日本列島に、驚くべき高度成長社会を築き上げて参りましたが、その上で得たものはいったい何であったか。恐るべき社会生活の破綻と、救いようのない精神の荒廃であります。しかも、我々は今日の欲望のために膨大な地球資源を乱費し、自然を破壊し続けて参りました。

しかし、自然を破壊する前に、まず人間が破壊されるという、このあまりにも明白な事実を今日ようやくにして我々は学び取ることができました。その畏れを忘れていた我々政治家の傲慢さと愚かさを、ここに深くお詫びいたします。

しかし、今からでも決して遅くはないと思います。私は、たとい世界の終末が明日訪れようとも、なおかつ一本の苗木をこの大地に植え付けたい。我々に必要なのは勇気であります。今こそ全人類は物質文明の欲望に終止符を打たなければならない。さもなければ欲望が人間生存に終止符を打つであろう。この事実を正しく認識し、全世界の人々と一緒になって同じ窮乏生活に耐えてみせる。その勇気であります。

見通しはあまりにも暗く、ほとんど絶望的ですらあります。しかし、この現実の中でこそ、本当に人間を愛し、人間を信じ、本当の意味の人間賛歌の歌声をあげることができるのではないでしょうか。のちの世代の人々をして「彼らは真に勇気ある人間であった」と語り継がれるため、我々は真の勇気をもって、今までの価値観を根底から覆し、人間生存の新しき戦いに出発しようではありませんか。政治だけではない、一人一人の人間の心の問題として、この最も苦難な戦いを全世界の人々とひとつになって戦い抜こうではありませんか。

mixiチェック

何となくUFOファンめいたフリをしているオレであるが、実際には面白いUFOネタが次々と出現した時代を振り返って懐かしがっているだけでリアルタイムの世界のUFOシーンがどうなっているのかはよく知らん。ま、世界的にコレが衰退しつつあるジャンルであるということぐらいは知っているけれども(笑)。

もっとも、世界にはそれでもまだまだ頑張っている方がいらっしゃるようだ。

例の「トカナ」の記事で知ったのであるが、この9月にバルセロナで「The Ufology World Congress」とゆー催しが行われるらしい。なるほどそんなイベントあるンかーと思って公式サイトにいってみると、どうやら今年で3回目。けっこう国際的な催しのようで、ニック・ポープとかハイメ・マウサンとかよく耳にする研究者に加えて、今回は物理学者にして未来科学評論家とでもいうべき活動でも知られるカク・ミチオも来るとのこと。ワークショップなんかも諸々あるようだ。参加者ほとんど知らんけども orz

まぁこのあたりに日本人研究者が乱入してくれると面白いンだけれども、「イーグルリバー事件のオキュパントのズボンの横のラインは赤じゃねえよ白色なんだよ!」とかいって威張っている人がUFO研究家を名乗ってるこの国なので、そんなのはムリな注文か。

「ムー」あたりが取材してくれれば御の字という感じだが、よく考えるとオレは「ムー」が嫌いでずっと読まないことにしているので、載っても仕方ないのだった(笑)。




mixiチェック

異界のものたちと出遭って

エディ レニハン
アイルランドフューシャ奈良書店
2015-06-12




これが原著のようである↓)

皆さんよくご承知のように、アイルランドには妖精がつきものである。オレなどはそのあたりハッキリいって無知なのだが、たまさかオレの好きなUFO研究家、ジャック・ヴァレが『マゴニアへのパスポート』で「UFO現象と妖精譚はどこか似ているよネ」というテーゼを打ち出し、その本でアイルランドの妖精にかかわるストーリーを論じていたりする。これはまぁそちら方面も最小限のお勉強をせねばならンなあと思っていて、そんなところで出会ったのがこの本である。

発行所が「アイルランドフューシャ奈良書店」となっていて、その実体がよくわからんのだが、一見したところ奈良辺りのアイルランド文化愛好家のみなさんが見よう見まねで作ってみた、みたいな佇まいの本である。翻訳も「あえて語り口を残した」的なことが書いてあったが、何を言ってるかよくわからん箇所が再々あった(失礼いってゴメンナサイ)。

いや、だがしかし、ひとたび読んでみるとなかなか勉強になるのだった。

書き手はアイルランドのエディ・レニハンという人(1950年生まれ)で、これまで地域に残る妖精伝説を丹念に収集してきた人らしい。そうしたお話というのは別にそれほど大昔のものではなくて、いま生きているレニハンさんが現実に聞き取ってきた「生きているはなし」なんだよ――というのが本書の売りであろう。

*ちなみに「編集」としてキャロリン・イヴ・カンジュウロウという人の名前が出ていてこの人の関わりが今ひとつよくわからんが、たぶん構成だとか表現だとかに口を出した人ということなのだろう(ちなみにこの人は弓師の第二十代柴田勘十郎という人の奥さんで、それでダンナの屋号?みたいなのを名乗っているらしい。もっとも原著のほうには Carolyn Eve Green とのみある)。

というわけで、本書には「聞き書き」のスタイルでいろんな話が載っている。前にも書いたようにオレはこのジャンルに暗くて、たとえば妖精学で名高い井村君江さんの本だって1冊だったか買った記憶こそあるものの積ん読でどっかにいっちまったほどである。なので、本書のおはなしには「なるほどー」「そうなんかー」と感心すること実に多かった。以下メモ的に記してみると――

■アイルランドの妖精はどっかキリスト教における「堕天使」と相互互換的な存在として観念されているらしい

■彼の地の妖精は異常なまでに「ハーリング」好きで、「人数が足りないので入れ」とかいって人間を誘ったりする(棒をもってやるホッケーみたいなスポーツ)

■妖精の「砦」と称されるものが野外にはあって、そこに足を踏み入れたり荒らしたりすると日本でいうタタリ的なものを喰って酷い目にあう。ちなみに「その砦というのはなんか石垣ででも囲ってあるのだろうか?」「なんで妖精の砦だとわかるんだろう?」などと考えてずっと読んでいたが、そのあたりは最後までよくわからんかった

■妖精の弱点。その一、鉄が苦手である。その二、流れる水が苦手なので川を渡ることができない

■妖精の親戚的存在にバーンシーというのがいて(女性であるようだ)夜中にその泣き声がきこえると誰か死ぬらしい

■妖精封じの術をもつ人物というのは実在した。で、本書に「ビディー・アーリー」という女性にまつわる伝説がたんと出てきたので、ついついググってしまった。
その Biddy Early(1798-1874)は、ハーブを用いる、いわば民間の「薬草師」として地域の人々に半ば頼られつつ恐れられた人物だったようだ。が、カトリック勢力からは煙たがられたようで、1865年には魔女狩りの法律で告発されたという。面白い!
biddy-early-2aceaec6-d0e0-4ad9-9bcd-a8c23f708cf-resize-750
これがビディ・アーリーさんらしい

■妖精たちに掠われていったところで食事をしてしまうと、もう人間界には戻れない。これは古事記の黄泉戸喫(よもつへぐい)をはじめとして、各地の神話・伝説によく出てくるモチーフでありますナ


・・・といった感じで、なかなか興味深い話が満載である。そして、とりわけ印象に残ったのは「アイルランドの妖精というのは一般にイメージされるような愛らしい存在などではなく、人間にとって非情に危険な存在である」という著者のメッセージである。それは上記の『マゴニアへのパスポート』でオレが学んだことでもあったわけだが、本書の最後に紹介されたストーリー――それは妖精の砦に畑を作ってしまった男が恐ろしい報復に遭う話なのだが――へのコメントとして、レニハンが明確に述べているところでもある。以下、引用したい。


アイルランドの妖精たちは、透き通った羽根ときらめく魔法の杖を持ち、抜け落ちた歯を枕の下に取っておく子どもたちに優しくお金を置いてくれる可愛い小さな生き物だとまだ思いたがっている人がいたら、この最後の話はそんな感情を払拭してくれるだろう。

この話が伝えるメッセージは、直截的で、明確で、詳細には身の毛がよだつ。知ったかぶりをして妖精の持ち物にちょっかいを出す人は、どういう結果になるかを覚悟しなくてはならない。









mixiチェック

死の海

後藤 宏行
洋泉社
2019-08-07


「オカルトめいた話も語り伝えられている不可解な事件・事故」というのはなかなか興味深いジャンルであって、最近でいえばさまざまな不思議現象・事件を扱って話題になった松閣オルタ著『オカルト・クロニクル』なんかでもこういうジャンルは一つの柱になっていた。

そのような事故の一つとして名高いのが1955年に三重県・津市で起きた

「中河原海岸水難事故」

である。

そもそもこれはどういう話かといえば、津市の中学校が夏のある日、海岸で水泳の授業をやっていた。ところがそのとき、女子生徒ばかり100人ほどが突然溺れ、36人が亡くなった。異常な潮流が原因とか何とか言われているようなのだが、最終的にはそのあたりはハッキリしていない。ただ、その時溺れかけた或る女生徒が「海中に突如出現した防空頭巾・モンペ姿の女性たちに脚を引っ張られた」という証言をした(というか、そう報じられた)。――ちょうど終戦から10年後のことである。戦時下に非業の死を遂げた人々の怨霊がこの大惨事と関係あるんではないか。以来、この事故はそんな言説とともに語られてきた。そういう話である。

いや、先に「名高い」と書いたけれどもオレなどは何となく薄ボンヤリと聞いた記憶があるような・ないような――といった程度の認識しかなかったワケだが、一昨年9月に放送されたNHKの「幻解!超常ファイル22 戦慄の心霊現象 追究スペシャル」でこの事故が取り上げられた。これを観ていたオレは「なかなか興味深いじゃねーか」と思い、だからこそこの件を調べた新刊刊行との報に「あぁアレか、じゃあ買わんといかんなー」といってさっそく注文をしたという次第なのだった。

で、ここであらかじめ結論だけ言ってしまうと、これはとても良い本であった。

先にNHKの「幻解!超常ファイル」について触れたけれども、実はその際、番組に現地で調査をしているルポライターとして登場していたのが著者の後藤宏行氏である(実際に録画を見直してみたら確かに出演していた。恰幅の良いおじさんである)。

処女作ということで、本書にはこの後藤氏の来歴などもチラチラ書かれているンだが、それによると著者はこの事故の舞台である津市に住んでいるようで、一方、怪奇現象みたいなものにはもともと興味があってライターとして活動していた時期があった。そんな因縁コレアリで、地元のこの事故については昔からチラチラ取材をして記事を書いていたというような経緯があるらしい。

そんな過去の記事をみたNHKの番組スタッフがいて「幻解!超常ファイル」の放送へと至り、さらには今回の出版へという流れがあったみたいなのだが、そういう意味では著者は本件については最適のリサーチャーということになるのであろう。

内容的にも説得力がある。ネタバレになるのでハッキリは書かないが、いわゆるオカルト的な解釈を本書は「粉砕」している。加えて、事故が地域社会に及ぼしたインパクトを深掘りしており、そのオカルト的解釈の出現を社会・歴史的文脈から読み解く試みをしている。

たまさかUFOファンであるオレは「UFO研究には証言や物理的データを押さえるだけじゃダメで、事件の解明にはその文化・社会的背景も必要だ」という考えを持っているのだが(→このあたりを参照されたい)、著者が取っているアプローチはまさにそういうものである。

ちなみに著者はかつて国会議員の秘書をやっていた経歴があるらしい(余談ながら新進党→自由党→民主党というキャリアで三重県の政治家というと、たぶんこれは故・中井洽だろう)。これはオレの偏見かもしらんが、政治家秘書というのはロマンとか夢みたいなものは一切お呼びでないクソリアリズムの世界に生きている。つまりこの著者は、オカルト的なモノに興味・関心を抱きながらも、しかし一方では夢も希望もないハードボイルドなクソリアリズムの世界をも熟知している稀有な人物なのではないか。そんなキャリアが本作にとっては実に良い方向に出たのだと思う。

途中で哲学者とかの言葉をエピグラム風に挿入したりするのはあんまり効果的でないので止めたほうがイイ、とか若干思うところはある。けれども本筋はたいへん結構かと思う。

この手の怪奇系寄りの話題となると「売らんかな」でいろいろ「盛ってしまう」のが従来のメディアの大いなる欠点である(著者自身もさりげなくその辺りを批判している)。地方在住ともなるとなかなか難しいのかもしれないが、こういうトーンで「次作」を読んでみたい気がする。

mixiチェック

よくわからない英語のUFO本を買ってしまう悪癖はなかなか収まらず、またこんなのをAmazonに注文してしまったのだった。

IMG_4982

「Schoolyard UFO Encounters」。

要するに、エイリアンは意図的に子供たちのいっぱいいる「学校」という場所に好き好んで姿をみせているのではないか――という何だかよくわからないテーゼに基づいて記された本であるらしく、パラ見してみると古今の「校庭目撃事例」が「1頁に1件」みたいなかんじで紹介されている。

もともとオレのスキなエイリアン事例のひとつに学校の近くに妖精めいた変な人物が出没して多くの子供たちに目撃された「スタダム・コモン事件」(1966年)というのがあり、「学校とUFO」という取り合わせには何となく惹かれるものがあった。そんなこともあったんで何となく買ったのであるが、ただこれはアメリカで出版されたこの本ということもあってか、目次を見る限りではイギリスの事例であるスタダム・コモン事件には触れていないようなのだった。残念。

いや、実は今回はそんなことを言いたいのではないのだった。パラパラめくって最後のページにまでいったところ、こんなことが印刷されていたので、ちと驚いてしまったのである。↓

IMG_4984


「Printed in Japan」!?

「オンデマンドで日本でプリントした本」っていうことなのか? いや確かにこの本、洋書には珍しく、注文したらすぐ届いた。知らんところでデジタル・パブリッシングは着々と進歩しているってことなのか?

ナゾの一冊。







mixiチェック

↑このページのトップヘ