2020年03月

オンライン翻訳サービスの「DeepL翻訳」というのが最近注目を集めているようだ。ドイツに拠点を置く企業が開発しているものらしく、Google翻訳などと比べてもかなりイケルという評判だ。

で、とりあえず無料試用もできる。果たしてどれぐらいの実力なのか。

ここではUFO本の古典とされるドナルド・キーホー(Donald Edward Keyhoe)の『空飛ぶ円盤は実在する The Flying Saucers are Real』(1950)冒頭部を「英語→日本語」で訳してみることにした。

*ちなみにこのドナルド・キーホーという人は、1940年代末からUFO問題に取り組んだアメリカの古株ユーフォロジストであるが、なぜか邦訳がほとんど出ていない。この『The Flying Saucers are Real』ゆーのは主著なのだがこれも未訳である(たぶん)

では、以下に翻訳文をペースト。


第一章

それは奇妙な任務だった。

私は机の上の電報を手に取り、3回目に読んだ。


ニューヨーク、1949年5月9日

"空飛ぶ円盤の謎を調査しています。最初の情報は、公式の秘密を隠すための 巨大なデマをほのめかしていました。本当の答えを隠すために 仕組まれたものかもしれないと信じています 凄い話のようですね。ワシントン・エンドを 乗っ取れるか?

ケン・W・パーディ  「トゥルー」誌編集者


私はポトマックをちらりと見て、最初の円盤の話を思い出しました。パイロットだった私は、円盤が空を飛ぶことに懐疑的でした。その後、空軍や航空会社のパイロットからの報告が入ってきた。どうやら空軍は警戒し、戦闘機に高速で空を飛ぶ円盤を追いかけるように命令した。謎の追跡では、パイロットが死亡し、その死因は不明であった。それが17ヶ月前のことだった。それ以来、空飛ぶ円盤の謎は空軍の秘密のカーテンの後ろに隠されていた。

そして今、「トゥルー」誌から空飛ぶ円盤の任務を受けた

24時間後、私はケン・パーディのオフィスにいた

「2ヶ月間、この仕事をさせていた 」と彼は言った。「警告しておくが、この話を解くのは難しい」

「ロシアのミサイルだと思うか?」 私は彼に尋ねた。「それとも空軍の秘密か?」

「いくつかの答えがありましたが、どれも一致しませんでした 。だが、一つは我々が調べているのがバレた時にわざと仕掛けられたものだと確信している」

彼は「トゥルー」のスタッフが行った仕事と有能な作家が送ってきた報告書の全容を話してくれました。 彼が謎を深く掘り下げれば掘り下げるほど、任務は厳しくなっていった。空飛ぶ円盤について知れば知るほど、知らないことが多くなっていった。

「再確認したいことがあります」とパーディは言った。

「マンテル事件のことは 聞いたことがあるか? 」

私はうなずいた。

「OK。 マンテルがゴッドマン・タワーに行った無線報告の詳細を調べてみてくれ。彼が殺される前に、彼は自分が追っていたものについて説明していた--それだけは知っている。プロジェクト「ソーサー」がヒントを与えたが、彼らはその記録を公表していない。ここに別の手がかりがある。 ニューファンドランドのハーモン・フィールドで撮られた秘密の写真について何か見つけられないか調べてくれ。1947年7月頃のものだ。他にも何かわかったら君に送るよ」

私が帰る前にパーディは私にヒックになることを願い、私と一番仲良く仕事をすると言ってくれた。

「でも、偽のチップには気をつけてね」と彼は言った。「たぶん国防総省では オフレコで話をする人に出くわすだろう。それが作家の手錠だ。彼らがあなたを盲目の路地に連れて行かないように気をつけてください。"空軍の声明と"ソーサー"計画の報告書でさえ互いに矛盾している」




なお、同じ文章を何故か二回重ねて訳していたり、あるいはカギカッコの扱いとか句読点とかで若干ヘンな部分があったのでそこは修正したが、文章自体はこんな感じである。「です・ます」調と「である」調が混在するなど、一読、日本語としておかしいところは結構あるが、総じて何となく言わんとしているはわかるような気がする。

というわけで、AI翻訳は日進月歩。この調子でドンドン進化していってくれたら、もう英語のUFO本をアタマひねりながら読む必要もなくなるだろう。とりあえず、本日2020年3月28日現在の「実力」をここに記録しておく次第。


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このブログは遠い昔にSo-netで始めたのを途中から移植して続けてきたものであるが、たぶんそのSo-net時代から数字を引き継いできた(ような記憶がある)アクセスカウンタがこのたび4マンを突破した。


いわゆる「アルファブロガー」であれば二、三日で軽々と超えてしまう数字なのだろうが、ここが人跡未踏の過疎ブログであることに鑑みれば如何ほどかの感慨も無いではない。

ここも、いつのまにか「ジャック・ヴァレ好きのUFOファンブログ」といった感じになってしまったが、まぁボソボソと声低く何事かが語られているうら淋しきブログというのも、まぁオレらしくていいだろう。このカウンターが8マンとかに達する日は、さて、あるのかどうか。

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表向きは政府批判の反体制を気取っていながら朝日新聞、その実、裏では体制とズブズブ――というのはモノの分かった人間には既に常識である。なにかというとネトウヨは「朝日は反日新聞だ国賊だ」などと騒ぎ立てるけれども、社の幹部などは安倍あたりとツーカーでそのあたりは阿吽の呼吸で馴れ合っているのである。

早い話が、こないだの新型コロナ問題に関する首相会見で注目されたように、こういう記者会見では首相サイドと記者クラブが事前に談合をして「台本」を作り、その台本通りにやりとりする。その場で「そりゃおかしい!」といって疑問を突きつける、みたいなことはしない。というか、できないお約束になっている。そして、反体制を気取る朝日も「こんな仕組みはおかしいので変えよう」などとは絶対言わないのだった


いや前フリが長くなってしまったが、以下本題に入る。

朝日で原発問題を執拗に取材してきた青木美希という記者が、こんど現場を外されて閑職の「記事審査室」に回されるというので話題になっているらしい。つまり反原発で頑張ってきた記者が社の上層部から「ちょっとやりすぎや。もうええやろ」ゆうて足を引っ張られたという図式である。そう、朝日の「原発ハンタイ」というのは、あくまで大衆ウケがいいからやってるだけのポーズに過ぎない。今回の一件でそういう「知る人ぞ知る真実」ってヤツが満天下に明らかになってしまった。

ちなみにこの記者のツイッターを読むと、彼女はなかなかの苦労人である。家は貧乏だったが苦学して大学までいき、地元の「北海タイムス」という新聞社に入ったはいいが、しかしこの新聞社は経営難でまもなく潰れてしまう(余談ながらこの会社を舞台にした小説が増田俊也の傑作『北海タイムス物語』である。傑作なので読むように)。
しかしこんな災難にもめげず、彼女は同じく地元の北海道新聞に入って腕を磨き、最後は天下の朝日新聞に引っ張られたということのようだ。そして、こういう経歴からもわかるように、この人は記者としてはすこぶる優秀で、新聞協会賞をなんと過去三度も受賞しているという。たぶんそんな記者は他にいない(と思うたぶん)。

そして、そういう記者はフツーは定年までずっと取材現場に置いておくというのが業界の定石である。つまり「記事審査室」への異動については、上層部の相当に意図的な判断があったものと思われる。

もちろん、オレが何度も言っているように朝日新聞では伝統的に誤ったエリート主義が横行しているので、地方新聞から途中入社してきた叩き上げの記者があまりにも優秀なのをみて「外様のクセにでしゃばるんじゃねえ!」という低次元の判断が働いた可能性もある。

ただそればかりではなく、彼女が一生懸命やっている原発問題についても「まぁ本音をいえばどうなろうが構やしねえ」という暗黙の了解があるからこそ、こういう人事が実現してしまうというのも確かなことだ。

いや、実のところ、オレは朝日の反原発スタンスの報道には危ういところがあると前々から思っていて、たとえば東日本大震災後に始めた連載記事「プロメテウスの罠」でかつて「福島第一の事故のあと、首都圏で鼻血を出す人が増えている」とゆーデマまがいの記述をみつけた時には憤慨したことがある。

実はこの青木記者の「新聞協会賞3つ」のうちの一つは、この「プロメテウスの罠」取材班として受けたもののようで、そういう意味ではなんだか鼻白んでしまうところもないではないのだが、それはともかく「商売としての反体制」の裏側をこうも赤裸々にさらけ出してしまうとなると、もうこれは組織として末期症状ではないのだろうかと部外者ながら余計な心配までしてしまうぞ。

そういえば、前々から業界では朝日新聞の記者を形容して言う「ニセ紳士」なる言葉があった。なかなか変われるものではないのだ。人間も、組織も。








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たまには何か書かないとそのまま消え失せてしまいそうなブログなので、今回はジャック・ヴァレにかんしてのお話を一つ。

たびたび書いているけれどもオレは世界的ユーフォロジストであるジャック・ヴァレの勝手連的エヴァンジェリスト(「宣教師」といったイメージである)を気取っており、彼が本に書いてきた議論を世に広めたいと考えているのであるが、しかしその著書を訳したものを勝手にネットにアップしたりすると著作権法違反になってしまうのだった。

ただし、いわゆる「批評」という営みの中で「批評が主:引用が従」という構成を守れば批評に必要な部分の引用は正当なものとして認められる(と言われている)。その厳密な要件というのは今ひとつよくわからないのであるが、今回のエントリーはかくの如き批評文であるという前提のもと、以下、彼の文章を引く。




聖母マリアの第9回目の出現にあたって、ベルナデッテは「泉のところまで行って体を洗い、その水を飲みなさい」という指示を与えられた――しかし、実際にはそんな泉はなかった! ベルナデッテは泉を探したけれど全くみつからず、絶望した彼女は砂地を掘り返しはじめるという有り様だった。

そこににじんできた水はやがて穴を満たし、土とまざってドロドロになった。ベルナデッテは顔を洗おうとしたが、かろうじてできたのは、その泥を自分の顔に塗りたくることだけだった。彼女はその水を飲もうとし、さらには草を食べようとしたのだが、そんな時、集まった群衆の笑い声はひときわ高くなった。

ベルナデッテはその穴を「ほとんど意識が朦朧とした状態で」掘ったのだけれど、しかし、なんと彼女は「泉」を掘り当てるためにはまさにドンピシャの時、ドンピシャの場所で穴を掘っていたのだった。

じっさい翌日になるとその場所には、か細いけれど奇麗な流れが姿を現し、その流れは野を下ってガブ川に流れ込むようになった。ルイ・ブリエッテという盲人がその泉の水を目にひたしたところ、彼は視力を取り戻した。死に瀕していた赤ん坊が完全に健康を取り戻した。かくて、群衆の態度は一変した。 

(ジャック・ヴァレ『見えない大学』第7章より)


言うまでも無いが、これはフランスの「ルルドの泉」についての話である。1958年2月11日、薪拾いをしていた14歳の少女ベルナデッタ・スビルーは突如顕現した聖母マリアと出会い、やがてそこからは病人を癒やす力があるとされる「泉」が湧き出し、最終的には「聖地ルルド」が誕生することになる。引用した部分は、そのありがたい「泉」が出現した時のストーリーである。

いや、もちろんジャック・ヴァレはこれを「ありがたいお話」として語っているわけではない。

UFOの搭乗員は目撃者に向けてしばしばナンセンスとしか思えない言葉を発するという。そして、年来の持病やケガに悩んでいた人間がUFOと出会ったのちに快癒してしまったという逸話も多くある。よくよく考えれば、「ルルド」のような奇跡もまたUFO現象に類似したストーリーとして理解できるのではないか。それがここでのヴァレの含意である。

誤解されるとイカンので念のため言っておくが、これは別に「ルルドに出現したマリアは宇宙人だった!」というような、いかにも雑誌「ムー」が好きそうな浅薄なことを主張しているわけではない。UFO現象というのは、ある種の宗教現象にも似て、人間存在の根源に関わるような何かとてつもない重要な意味をもっているのではないか。彼はここでそういう問題を提起している。

これは大事なことであるからこそ敢えて耳目を引くような挑発的な議論をする――ヴァレの狙いはおそらくはそのようなものであり、だからこそ彼はカトリックの聖地ルルドを引き合いに、カトリックの信者にとっては瀆神的ともいえるような挑発的な主張を敢えて展開しているのである。

同様にして、彼はメキシコの「グアダルペの聖母マリア」なんかも同書で取り上げている。ここで彼が射程に入れているのは、いわば現代における「生きた神話」としてのUFOだ。

なかなか痛快ではないか。面白いではないか。

UFOの目撃も最近ではめっきり減ってしまって、じゃあなんでそんなに重要なUFOがいなくなってしまったのよ――などといったツッコミも想定される。が、少なくとも20世紀の半ばから終わりにかけて、UFOは確かに「神無き時代」の最先端を走っていた。それにしてもアレは何だったのかというのは、なお考えるに足る問いである。だからいまいちどヴァレに光を。オレはそんなことを思っている。


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Higo_Amabie



 しかしこの造形はなかなかモダンな感じがしてよろしいな。
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