■第十五章 採点票なしにプレイヤーに知らせることはできない
さて、最終章である。
まずはこの章のタイトルであるが、「採点票なしにプレイヤーに知らせることはできない」
というのは何だか意味がよくわからない。そこで原著をみたら原語では
You Can't Tell the Players Without a Scorecard.
とある。コレでもまだわからんので、とりあえずググって調べてみた。
すると、ここでいう「スコアカード」というのは、どうやらプロ野球の選手名や背番号が書かれた、いわば簡単な選手名鑑のようなものだとわかった。そして、アメリカでは昔、試合をやっている球場の前に行くと売り子がいて、この「You Can 't ・・・」という言葉を叫びながらスコアカードを売っていたらしい(スマホ全盛の今では流石にないだろうが)。
つまりこのセリフは慣用句で、「選手名鑑がないと、誰が誰だか区別がつかないよ。さぁ買った買った」という意味の売り口上なのだった。もちろん熱心なファンならばそんなものはなくても困らないので、野球をよく知らん観客向けに売っていたということなのだろう(ちなみに tell という動詞には「話す」だけじゃなくて「見分ける」という意味もあることを今回知った)。
そうすると、この章のタイトルというのは「UFOの問題はちゃんと事前に準備してかからないとワケわかんなくなっちゃうよ」ぐらいの意味で、さらに深読みすれば「だからオレの本読んでね」と言いたいのであろう。スッキリした。
さてと、ずいぶん前置きが長くなってしまったが、以下、本章の概要を追っていこう。ここで一つの論点となるのは、「米政府の立ち位置」といったものである。
冒頭で出てくるのは、1953年のロバートソンパネルの話である。UFOファンならご承知のように、これはCIAがUFOへの対処法を考えるため科学者等を招集して開催した委員会であったわけだが、乱暴にいってしまえば「UFOの目撃なんてものは無視していいから」というのがその結論であった。要するに、目撃報告なんてものはほとんどクズ。安全保障上の問題にもなってないし科学的知見が得られるわけでもない、そんなもので騒いでいると人心が乱れるからUFO話なんてものは火消しするに限りますナ――というのだった。
で、以下はちょっと寄り道になってしまうが、キールはこれに対する民間の研究団体の反応を記している。つまり、連中は「なんだよ、政府は何でもかんでも隠蔽する気なのか!」といって怒ったのである。まぁそういうリアクションもアリだとは思うのだが、キールは「そうはいっても研究団体のほうもアホだよなぁ」という話をここで始める(ここでとりわけ念頭に置かれているのは全米空中現象調査委員会 NICAPのようである)。
錯誤の第一は、「MIB メン・イン・ブラック」の問題である。東洋人風の目。高い頬骨。オリーブ色の肌。そんな特徴をもった男たちが目撃者や研究者のもとに現れ、沈黙をまもるよう脅迫していく――これがMIB事例の典型的なパターンであるわけだが、研究団体の連中は、いよいよ政府不信が募っていたこともあるのだろう、こうした怪しい人物を米政府の回し者とみなした。むろん、キールに言わせれば米政府がそんなことをするワケはない。彼らは「超地球人」の息がかかった者たちである。つまり、研究者団体のお歴々は分かっていない。
さらにキールはNICAPに対して、「アンタら、政府は何でも隠すって言うけど、有名なヒル夫妻事件のとき、最初に受けた報告を握りつぶして隠匿したのオタクらでしょ?」といって非難している。要するに、こういう奇っ怪な事件こそUFOの本質に迫る重要なカギであるのに、「いかにもあやしい」とかいって放置してしまった罪は重いというのがキールの主張である。彼はここで「UFO組織は自ら、空軍以上にUFO事件を抑圧してきた」とまで言っている。やっぱり分かってないのである。
要するに、当時のNICAPは「UFOというのは地球の外から宇宙人が乗ってきた宇宙船である」というドグマに反する証拠だとか、あるいは不気味な事例、心霊現象めいた事例、おどろおどろしい事例は拒絶していたので、キールとしてはよっぽど腹が立っていたのだろう。
キールはこの辺にまつわる、もう一つのエピソードも書いている。もともと彼は「地球外起源仮説」もアリだと考えていたようなのだが、それを批判し始めるようになってから業界のリアクションは一変したのだという。
わたしがCIAエージェントだといううわざが国中に広まった。ことに、接触者たちは、地方のUFO研究者たちに、ほんとうのジョン・キールは空飛ぶ円盤に誘拐されてしまっており、わたしとそっくりの狡猾な男がわたしにとって代わっているのだと耳打ちするようになった。(290頁)
ちなみに、高名なUFO研究者のジャック・ヴァレもまた(ほぼ同時期だと思うが)「地球外起源仮説」を否定しはじめた途端、白い目で見られるようになり、「パーティーに紛れ込んだスカンク」扱いをされたと述懐している。当時のアメリカの雰囲気がしのばれる。
閑話休題。こんな具合でひとしきりアメリカのUFO研究を批判した後で、キールは再び「米政府とUFOのかかわり」について論を戻す。で、こんなことを言いだす。
わが国の情報機関の技能を過小評価しないようにしよう。彼らには、この本で扱っているのと同じようなデータを収集し、消化吸収するだけの能力があると考えよう。彼らは何年も前にこういうことすべてを解決し、それを彼らなりの方法で、できるだけこっそりと処理しているのだと考えてさしつかえないものとわたしは思う。(290頁)
責任ある政府なら、この奇怪な事態を一般大衆に説明しようなどと本気で考えてはいないだろう。わが国の軍当局は、そのために、それを説明しようとせずに、その現象の実在性を否定するという、より単純な政策をとらざるをえなかった。(292頁)
なんとまぁ米政府も、UFOというのはどっかから来た宇宙船なんかでなく、ある種の超常現象だと知っている。いるけれども、なんとも説明のしようがないから「そんなものはナイ」と言っている。先のロバートソンパネルなんかもそうなんだが、米政府がほぼ一貫して「不思議なものなんて、あ・り・ま・せ・ん!」といい続けてきた背景には、そういう事情がある、というのである。何ともブッとんだ解釈! この辺はさすがキールだ。
さらにキールは、ではこの「超地球人」というのは放っといて良いものなのか、みたいな話をする。本書の原題通り「トロイの木馬」として人間社会を何らかのかたちでむしばみ、「征服」するつもりなのか。あるいは単なるイタズラをするぐらいで、そんな気に病むような存在ではないのか。
この辺の記述はなんだかとても分かりにくかったが、最終的には「連中もべつに<征服>とかは考えてないンじゃね? 米政府もそんなシビアな事態は想定してないみたいだし」というようなことを言っている(気がする)。
で、最後には、これからもUFO研究は進めていかにゃならん、過去の悪魔学やら心霊研究とかの知見も生かしていけば面白いと思うよ、みたいなことをひとしきり言ってから、ニール・アームストロングの「ミステリーは、われわれの人生において不可欠の要素であります」という言葉を引いて全巻終了である。
とまれ、ところどころよく分かんないところもあったが、要するに「超地球人」というのは、姿かたちはその都度変えてくるけれども、太古の昔から前から人類の前に現れてはイタズラめいたことをしてきた不可解な存在である――という彼の主張はよく分かった。「なぜ」という部分は最後まで読んでも結局わからんかった。が、まぁ面白かったから許す。UFOファンの方は、機会があれば、ぜひ一読されるがよかろう(ただし、古本屋でもなかなか売ってないし、売ってても馬鹿高いという問題は最後まで残るw)。 (おわり)