2021年12月

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 第4章 フォーティアン

 本書では、遅かれ早かれチャールズ・フォートを取り上げねばなるまい。私はそう考えてきた。フォートは天文学者に対して重砲の照準を向けるようなことをしてきたのだし、その想像力を自由にはばたかせ、「空」というものについて全く正統的ではない見方を提示してきた。それ故、この辺りで彼のことを紹介するのは丁度良い頃合いであろう。

 チャールズ・ホイ・フォートは1874年、ニューヨーク州オールバニに生まれた。少年時代、科学に興味を抱いた彼は、鉱物や昆虫の採集、そして時には鳥を剥製にするようなこともした。彼は大学には行かなかった。記者としてしばらく働き、さらに小説の執筆にも取り組んで短編を幾つか仕上げた後、フォートは相当な額の遺産を相続することになった。彼は自らの研究にちょっと信じられないほどの時間を費やすことになったのだが、それを可能にしたのはこの [資産が生み出す] 収入であった。それから没するまでの26年間、彼は古い雑誌や新聞を熱心に調べ、既存の科学の概念とは合致することのない、ありとあらゆる奇妙な出来事について記録を残した。その仕事のほとんどは大英博物館においてなされたものだったが、のちにニューヨークに戻った彼はブロンクスで妻のアンナと暮らしつつ、ニューヨーク公立図書館で引き続きその研究を続けた。

 彼は大柄だがシャイな熊のような人物で、茶色いセイウチひげを生やし、分厚い眼鏡をかけていた。彼の居室はノートや記事の切り抜きが詰め込まれた靴箱で一杯だった。その壁には蜘蛛と蝶々の標本が額に入れて架けられ、ガラス[ケース?]には空から落ちてきた汚らしい石綿状の塊を保管していた。彼の気晴らしといえば、自ら考案した一人遊びで、「スーパー・チェッカーズ」というゲームに興じることだった。それは数千にも及ぶ四角が排された巨大な盤面に、1千ものコマが登場するものだった。作家のティファニー・セイヤーによれば、彼の妻は夫の胸のうちで何が起きているかが全く理解できず、「彼のものを含めて全く本というものを読むことがなかった」。

 フォートには二人しか友人がいなかった。[セオドア・]ドライザーとセイヤーである。「フォートは天才である」と確信していたドライザーは、自らの出版社にかけあって、フォートの4冊の著作のうち最初の本となる『呪われしものの書』を出版させた。フォートがこの「呪われたもの」という言葉で示したのは、「教条的な科学によって排斥されたありとあらゆるモノの見方」――それはつまり彼の資料のうちにある、今は「失われてしまった精神」ということになるわけだが――であった。彼が自らに課した使命というのは、こうした資料をその呪いから「解放する」ことだった。その本は一風変わった息をつかせぬような文体で書かれているが、そこには時折、深淵なる叡智、高尚なユーモア、華麗な章句といったものが姿をのぞかせている。

 フォートの2冊目の著作『新たなる地』は、ブース・ターキントンの序文を付して1923年に刊行された。この頃までに多くのアメリカの作家たちは、フォートの言葉でいうところの科学者たちの「聖職者めいた技術」に対し、彼が面白おかしく加える攻撃に魅了されるようになっていた。1931年、セイヤーはサヴォイ・プラザで開いた歴史的な祝宴にそんな作家たちを召集し、そこでフォーティアン協会が生まれるところとなった。創設メンバーにはドライザーとセイヤーに加えて、アレクサンダー・ウールコット、ターキントン、ベン・ヘクト、バートン・ラスコー、ジョン・クーパー・ポウィスといった文学界の名士たちが顔を揃えていた。

 三番目の著作は『見よ!』(Lo!)というタイトルだった。『見よ!』という書名はセイヤーが提案したのだが、なぜそんな名前を考えたのかについて、セイヤーは以下のように記している。「そのテキストの中では、天文学者が倦むことなく計算を続けた上で、ここに新星が現れるであろう、そこに何かが見えるだろう、だから<見よ!>といって空を指さす姿が描かれているからだ――もっとも彼らが指さすその場所には何も見ることはできないのだが。この『見よ!』というタイトルに、フォートはすぐに同意した」。フォートの最後の著作『野生の英知』(Wild Talents)は、彼が1932年に亡くなって数週間後に刊行された。

 1937年、ティファニー・セイヤーは自費を投じて「フォーティアン協会マガジン」の刊行を開始した。今日「ダウト」と呼ばれている雑誌である。フォートは、未刊行のノート32箱分をセイヤーに遺贈した(この措置にドライザーは激怒した)。その雑誌を刊行した目的の一つはこうしたノートを活字化することにあって、実際にそうしたノートは雑誌に毎号掲載されるようになる。だが、その雑誌の最大の目的は、科学者たちが説明不能な事例だとか、科学者たちにケンカを売るようなストーリーを掲載することで彼らをとことん困らせてやることにあった。かくて、ある英国の天文学者があるとき自らの望遠鏡をfall offした時、「ダウト」はその出来事におおはしゃぎする記事を掲載した。こうしたニュースは、シカゴのジョージ・クリスチャン・バンプのようなフォーティアンの「通信員」、さらには読者によってセイヤーのもとに送られるのだった。

 協会が印刷したパンフレットは、その設立の目的を以下のように記した。


 フォーティアン協会は物事を深く考える者たち――つまり、仮に法というものが存在しなくてもその生き方を全く変えない男女たち、条件づけによって引き起こされる反射に従うのではなく、脳の働きに従うか、さもなくば自らのうちにある一種の神秘的な閃きに従って行為する男女の作る国際的な集まりである。(中略)メンバーには高名な科学者、物理学者、医師たちに加え、カイロプラクター、スピリチュアリスト、キリスト教徒といった者たちがおり、中にはカトリックの神父も一人いる。

 この協会には、今や人に省みられることがなく、我々が共感を寄せることがなければそのほとんどが絶びさってしまったかもしれない様々な理念に退避する場所を提供する。(中略)であるから、ここには「地球は平らである」と信じる人々も数多くいれば、動物の生体解剖に反対する者、予防接種に反対する者、ワッセルマンテストに反対する者、さらには諸国家の軍縮が良きものだと今日もなお信じている者たちもいる。

       (略)

 この協会のメンバーは、フォート主義が有する唯一のドクトリン――つまり軽々に判断を下すことなく、さしあたってはそれを受け止め、そして永遠に問い続けるという方法論をその胸に抱いている。


 いろいろな意味で、フォーティアン協会は、シャーロック・ホームズを崇敬する「ベイカー街遊撃隊」[訳注:ホームズを助けるストリートチルドレンたちの組織]の連中に似ている。 遊撃隊がホームズは実在の人物であったかのようなポーズを取っているのと同様に、フォーティアンたちは、フォートの展開した荒っぽい議論というものは、皆が受け入れている科学――すなわち「確立された非常識」(これはフォートの言葉である)と同等程度には真実なのかもしれない、というポーズを取っている。

 根本的なことを言えば、その協会というのは大いなるジョークであるわけだが、セイヤーやほとんどのメンバーはそれを極めて真面目なものだと見ているようで、誰かが「そんなものはジョークだろう」と仄めかしたときに怒ってみせる、ということもそのジョークの一部分をなしている。ついでにいえば、フォーティアンたちが連絡を取り合う際には1年を13か月とするカレンダーに基づく日付が用いられており、それは設立記念のディナーが行われた1931年を元年としている。そして、当然ながらその13番目の月は「フォート」と名づけられているのである。

 フォートの科学に対する態度を精査し、それについての結論を下す前に、我々としては彼の特異なコスモロジーを一瞥しておいたほうがよいかもしれない。

 フォートは天文学者たちに強い不信の念を抱いていた。『新たなる地』の前半部はそのほとんどすべてが、天文学者たちはクズで、物事を予見することにおいては占星術師よりも劣っており、その大きな発見は偶然に生まれたものであること、そして彼らはずるがしこくも自らの「中世の科学」が基本的に信頼に値しないことを大衆から隠している――といったことを論証するのに費やされている。

 「彼らは天王星の軌道を計算してみた」。フォートはこう記している。「が、それはどこか別の方角に行ってしまった。彼らは釈明をし、さらに計算をしてみた。彼らは何年も何年も釈明を重ね、計算をし続けたけれども、天王星はさらに別の方へ、別の方へと繰り返し逸れていってしまった」。最終的に彼らは自らのメンツを守るため、他の惑星が天王星を「摂動」させていることにした。それから50年を経て偶然海王星を見つけるまで、彼らは空の違う場所に望遠鏡を向け続けてきた。だがその海王星もまた予測不能な動きをみせた。フォートはこう言い立てた。もし天文学者たちが自分たちが考えているほど偉いのなら、海王星の向うにある別の惑星を発見してもらおうではないか、と。この文章は1930年に冥王星が発見される前に書かれたものであったが、しかしフォートは最後に勝利した。冥王星は天文学者たちが予測したよりも、はるかに小さいことが明らかになったからだ。

 フォートが自らのコスモロジーを緻密に組み立てることはなかった。だが、彼はそれについて一連の示唆的な言辞を残しており、彼自身の考えによれば、それは決して天文学者たちの唱える太陽系という概念に比べてみれば馬鹿げた代物だ、ということにはならなかった。

(たぶんつづかない)

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