易占は或る出来事をまえもって知る技法ではなく、ある種のボンヤリとした常識を基礎において事物の展開を受け止めていくための技法ではないかという話をこないだ書いた。
その補足ということで書いておくが、よくプロ野球で「流れが変わる」ということを言う。例えば無死満塁の好機で一点も取れなかったり、あるいは無死ランナーなしからエラーでランナーを出したりすると「流れは相手に行ってしまう」という、例のアレだ。
これなんかもそういう場合に相手が勝つ確率がホントに上がるのかどうか考えると、統計学的には必ずしもそうではないのかもしれない。ただ、心理的にはこの「流れが変わる」というのは絶対的な真理と目されている(おそらくプロ野球ファンが十人いたら九人ぐらいまでは同意するだろう)。
統計的には必ずしも真理ではないが、心理的には絶対間違いないと誰もが考えている命題がある。おそらく易占というのはそういう論理世界をバックグラウンドに据えた言説の体系なのではないか。
その補足ということで書いておくが、よくプロ野球で「流れが変わる」ということを言う。例えば無死満塁の好機で一点も取れなかったり、あるいは無死ランナーなしからエラーでランナーを出したりすると「流れは相手に行ってしまう」という、例のアレだ。
これなんかもそういう場合に相手が勝つ確率がホントに上がるのかどうか考えると、統計学的には必ずしもそうではないのかもしれない。ただ、心理的にはこの「流れが変わる」というのは絶対的な真理と目されている(おそらくプロ野球ファンが十人いたら九人ぐらいまでは同意するだろう)。
統計的には必ずしも真理ではないが、心理的には絶対間違いないと誰もが考えている命題がある。おそらく易占というのはそういう論理世界をバックグラウンドに据えた言説の体系なのではないか。