春のセンバツ高校野球の出場校選出をめぐって、問題が起きているのだという。
一般的に、春のセンバツというのは前年秋の地方大会の結果を踏まえて出場校を決めるシステムになっている。今回問題となったのは東海地区の選考であったのだが、この東海地区には出場枠が2つある。となると、昨年秋の東海大会の優勝・準優勝校が選ばれるのが当然ということになるわけだが、先の選考委員会では準優勝の聖隷クリストファー(静岡)が落ちて、4強止まりの大垣日大(岐阜)が選ばれてしまった。「いったいどういうことなんじゃ?」と一部関係者が怒っている。そういう話である。
さて、そういうバックグラウンドを踏まえての本日の朝日新聞スポーツ欄の記事である。

一読オレは「奇妙な記事だ」と思った。とりわけ「いまだ釈然としない」という冒頭の一語である。
というのも、オレの目からみると、今回の騒動はそれほど意外ではなかった。「こういうこともあるだろうな」と思った。そして、それは高校野球を担当している記者でも同じで、こういう事態が起きることは十分に予期していたハズなのである。なのにカマトトぶっている。「釈然としない」とか今更言っている。それがウソくさい。こういう偽善が朝日新聞なのだよなあと改めてオレは思うのだった。
「いや、これって十分意外でしょ? こんなおかしな話があっていいわけないでしょ」という声が聞こえてきそうだが、じゃあなんでオレは「こういうこともありうべし」と言っているのか。よろしい、以下に説明しよう。
「特に投手力で差があった。春の選抜大会では失点の多いチームは厳しい」。選考にあたった関係者はこういう発言をしているらしい。つまり大垣日大には全国で通用するマトモな投手がいるんだが秋大会ではたまたま実力が発揮できず、その間隙をついて投手力の貧弱な聖隷クリストファーが準優勝をかっさらっていきやがった、コリャ大垣日大出したほうが勝てるやろ、という理屈なのである。
まぁこういう風にあからさまに言われてしまうとちょっと鼻白んでしまうワケだが、実はこういうロジックは既に高校野球界に蔓延しているのである。
ようするに、大会関係者は春のセンバツを盛り上げたいのである。スゲー才能のある野球小僧たちが160キロの剛速球投げるとか超ハイレベルなプレイを見せて、「おぉ!」とかいって国民に驚いてほしいのである。であれば、超一流の素材をもつ選手に登場してもらうにしくはない。「才能のある選手なんか皆無のどっかの公立高校の弱小チームが力を合わせ、あれよあれよという間に強豪を連破して甲子園出場」みたいなことになると、むしろ困るのである(聖隷クリストファーはそういうチームではないだろうが、相対的にはそういう「実力もないのに勝ち上がってきやがったヤツ」扱いをされている)。
そしてこういう状況は野球名門校の側にとっても願ったりかなったりである。各地の有望な野球少年をかきあつめて甲子園にでも出りゃPR効果はバツグンである。開催者側も超一流選手に出てほしいし、高校側も「ウチにはこんなのいまっせ!」といって超一流選手を送りだしたい。実は高校野球界にはこういう共犯関係があって、その結果どういうことが起きたかというと、春夏の甲子園大会は「プロ野球予備軍のセレクション大会」になってしまったのである。
今回の一件に即していうと、そうはいっても夏の甲子園に出るには勝って勝って勝ちまくるしかないのだが、春のセンバツは都合が良いことに(笑)秋大会の結果が絶対ではなくてモロモロの事情を勘案して出場校を決めるシステムになっている。「じゃあ大垣日大のほうがええやろ」。そういう判断を下したのであろう。
さて、ここまで説明すれば、先の朝日新聞の「いまだ釈然としない」という一句が如何にわざとらしいかが分かるだろう。この記者だって、最先端の高校野球が「プロ野球予備校」に化しつつあることぐらい知っているだろう、高校野球の担当してるなら。
今回の大垣日大騒動は、たまたまあまりにもあからさまな事をしてしまったものだから、問題の本質が露呈してしまっただけの話である。
しかし、オレが長年指摘しているように朝日新聞は「夏の甲子園」の勧進元ということもあり、そういう病理の根っこになかなか迫れず、いつまでも「教育の一環としての高校野球」みたいなお題目を唱えている。まぁそういう事情もあるので「いまだ釈然としない」とかいって、いったん怒ったようなフリをしてごまかしているのだが、それでいいのか。今回の記事を読んだオレは改めてそう思った。(おわり)
一般的に、春のセンバツというのは前年秋の地方大会の結果を踏まえて出場校を決めるシステムになっている。今回問題となったのは東海地区の選考であったのだが、この東海地区には出場枠が2つある。となると、昨年秋の東海大会の優勝・準優勝校が選ばれるのが当然ということになるわけだが、先の選考委員会では準優勝の聖隷クリストファー(静岡)が落ちて、4強止まりの大垣日大(岐阜)が選ばれてしまった。「いったいどういうことなんじゃ?」と一部関係者が怒っている。そういう話である。
さて、そういうバックグラウンドを踏まえての本日の朝日新聞スポーツ欄の記事である。

一読オレは「奇妙な記事だ」と思った。とりわけ「いまだ釈然としない」という冒頭の一語である。
というのも、オレの目からみると、今回の騒動はそれほど意外ではなかった。「こういうこともあるだろうな」と思った。そして、それは高校野球を担当している記者でも同じで、こういう事態が起きることは十分に予期していたハズなのである。なのにカマトトぶっている。「釈然としない」とか今更言っている。それがウソくさい。こういう偽善が朝日新聞なのだよなあと改めてオレは思うのだった。
「いや、これって十分意外でしょ? こんなおかしな話があっていいわけないでしょ」という声が聞こえてきそうだが、じゃあなんでオレは「こういうこともありうべし」と言っているのか。よろしい、以下に説明しよう。
「特に投手力で差があった。春の選抜大会では失点の多いチームは厳しい」。選考にあたった関係者はこういう発言をしているらしい。つまり大垣日大には全国で通用するマトモな投手がいるんだが秋大会ではたまたま実力が発揮できず、その間隙をついて投手力の貧弱な聖隷クリストファーが準優勝をかっさらっていきやがった、コリャ大垣日大出したほうが勝てるやろ、という理屈なのである。
まぁこういう風にあからさまに言われてしまうとちょっと鼻白んでしまうワケだが、実はこういうロジックは既に高校野球界に蔓延しているのである。
ようするに、大会関係者は春のセンバツを盛り上げたいのである。スゲー才能のある野球小僧たちが160キロの剛速球投げるとか超ハイレベルなプレイを見せて、「おぉ!」とかいって国民に驚いてほしいのである。であれば、超一流の素材をもつ選手に登場してもらうにしくはない。「才能のある選手なんか皆無のどっかの公立高校の弱小チームが力を合わせ、あれよあれよという間に強豪を連破して甲子園出場」みたいなことになると、むしろ困るのである(聖隷クリストファーはそういうチームではないだろうが、相対的にはそういう「実力もないのに勝ち上がってきやがったヤツ」扱いをされている)。
そしてこういう状況は野球名門校の側にとっても願ったりかなったりである。各地の有望な野球少年をかきあつめて甲子園にでも出りゃPR効果はバツグンである。開催者側も超一流選手に出てほしいし、高校側も「ウチにはこんなのいまっせ!」といって超一流選手を送りだしたい。実は高校野球界にはこういう共犯関係があって、その結果どういうことが起きたかというと、春夏の甲子園大会は「プロ野球予備軍のセレクション大会」になってしまったのである。
今回の一件に即していうと、そうはいっても夏の甲子園に出るには勝って勝って勝ちまくるしかないのだが、春のセンバツは都合が良いことに(笑)秋大会の結果が絶対ではなくてモロモロの事情を勘案して出場校を決めるシステムになっている。「じゃあ大垣日大のほうがええやろ」。そういう判断を下したのであろう。
さて、ここまで説明すれば、先の朝日新聞の「いまだ釈然としない」という一句が如何にわざとらしいかが分かるだろう。この記者だって、最先端の高校野球が「プロ野球予備校」に化しつつあることぐらい知っているだろう、高校野球の担当してるなら。
今回の大垣日大騒動は、たまたまあまりにもあからさまな事をしてしまったものだから、問題の本質が露呈してしまっただけの話である。
しかし、オレが長年指摘しているように朝日新聞は「夏の甲子園」の勧進元ということもあり、そういう病理の根っこになかなか迫れず、いつまでも「教育の一環としての高校野球」みたいなお題目を唱えている。まぁそういう事情もあるので「いまだ釈然としない」とかいって、いったん怒ったようなフリをしてごまかしているのだが、それでいいのか。今回の記事を読んだオレは改めてそう思った。(おわり)