今朝の天声人語がまた酷い出来だったので、やんわりと指摘をしておこう。

今回のテーマは「外交官の追放」という話である。このたびのロシアのウクライナ侵攻に伴って、日本からもロシアの外交官ら8人が追い出されたというニュースがあったので、それに引っかけたコラムになっている。
まぁそれはそれでいいのだが、今回のにはコラムとして読むに堪えない部分がある。冒頭部である。
どういうことかというと、ここではまず「命のビザで有名な杉浦千畝は戦前、当時のソ連当局に睨まれて外交官として着任するのを阻まれたことがあった」という話がでてくる。確かにそういう事実はあったのだが、その文章がスコブル複雑な構造になっている。
コラムはまず、「唐沢寿明さん演じる若き外交官がソ連着任を拒まれる」という映画があった、という文章から始まる。次いで「その映画は杉原千畝を描いた作品であった」という。実際の史実はどうだったかというと、映画に描かれたように杉原千畝は本当にソ連着任を拒まれた。こういう経緯があったために杉原は別の任地であるリトアニアに着任することになったのだ、という風に話は転がっていく。
が、しかし。
ここまで読んでオレは思った。冒頭の「唐沢寿明」という名前を出すことに何の意味があったのだろう? 別に唐沢が杉原を演じてようが演じてまいが、杉原が「ペルソナ・ノン・グラータ」で拒否されたことは事実なのである。唐沢云々の情報は全く余計なものである。もっといえば読者は「何か伏線あるんかいな?」と思って先を読まされることになり、そこにひっかかりというか、心的な負担が生じる。そして当然それは何の伏線でもなかった。
最近話題の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に引きつけていえば、「大泉洋さん演じる武家の棟梁が、盟友だった上総の豪族を謀殺する。鎌倉幕府を立てた源頼朝を描いた大河ドラマの一場面である。これを機に鎌倉の武士集団の統制を強化した頼朝は平家打破に奔走する」みたいなハナシであるワケだが、そうやって置き換えてみると、ここで別に大泉洋が登場する必然性はゼロであることがわかるだろう。
なんでこんな意味不明なことをやったのか。
以下はオレの推理だが、このコラムの書き手は自らの筆に自信がない。なんとかして読者に読んでもらうには冒頭の一行目にキャッチーなコトバを配すればよかろう――そう考えた彼は有名な役者である「唐沢寿明」の名前を冒頭にぶち込むことにした。コラムの展開上何の必然性もないが、一般読者は「唐沢寿明」とあるのを見ると反射的に「ん?」と反応してしまう。筆者はそのような姑息なテクニックを使ったのである。
だがしかし、最後まで読んでみれば何のことはない、読者は「なんだアレは撒き餌だったのか」と気づいてしまうことになる。結句、オレのような人間にこうやって突っ込まれることになる。策略は失敗におわったのである。(おわり)
PS ついで言っておくと、せっかくそうやって撒き餌に使わせてもらったのだから唐沢の出た映画の名前ぐらい書いてやれよ。しょうがないのでオレが書いておくが、それは『杉原千畝 スギハラチウネ』(2015)である

今回のテーマは「外交官の追放」という話である。このたびのロシアのウクライナ侵攻に伴って、日本からもロシアの外交官ら8人が追い出されたというニュースがあったので、それに引っかけたコラムになっている。
まぁそれはそれでいいのだが、今回のにはコラムとして読むに堪えない部分がある。冒頭部である。
どういうことかというと、ここではまず「命のビザで有名な杉浦千畝は戦前、当時のソ連当局に睨まれて外交官として着任するのを阻まれたことがあった」という話がでてくる。確かにそういう事実はあったのだが、その文章がスコブル複雑な構造になっている。
コラムはまず、「唐沢寿明さん演じる若き外交官がソ連着任を拒まれる」という映画があった、という文章から始まる。次いで「その映画は杉原千畝を描いた作品であった」という。実際の史実はどうだったかというと、映画に描かれたように杉原千畝は本当にソ連着任を拒まれた。こういう経緯があったために杉原は別の任地であるリトアニアに着任することになったのだ、という風に話は転がっていく。
が、しかし。
ここまで読んでオレは思った。冒頭の「唐沢寿明」という名前を出すことに何の意味があったのだろう? 別に唐沢が杉原を演じてようが演じてまいが、杉原が「ペルソナ・ノン・グラータ」で拒否されたことは事実なのである。唐沢云々の情報は全く余計なものである。もっといえば読者は「何か伏線あるんかいな?」と思って先を読まされることになり、そこにひっかかりというか、心的な負担が生じる。そして当然それは何の伏線でもなかった。
最近話題の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に引きつけていえば、「大泉洋さん演じる武家の棟梁が、盟友だった上総の豪族を謀殺する。鎌倉幕府を立てた源頼朝を描いた大河ドラマの一場面である。これを機に鎌倉の武士集団の統制を強化した頼朝は平家打破に奔走する」みたいなハナシであるワケだが、そうやって置き換えてみると、ここで別に大泉洋が登場する必然性はゼロであることがわかるだろう。
なんでこんな意味不明なことをやったのか。
以下はオレの推理だが、このコラムの書き手は自らの筆に自信がない。なんとかして読者に読んでもらうには冒頭の一行目にキャッチーなコトバを配すればよかろう――そう考えた彼は有名な役者である「唐沢寿明」の名前を冒頭にぶち込むことにした。コラムの展開上何の必然性もないが、一般読者は「唐沢寿明」とあるのを見ると反射的に「ん?」と反応してしまう。筆者はそのような姑息なテクニックを使ったのである。
だがしかし、最後まで読んでみれば何のことはない、読者は「なんだアレは撒き餌だったのか」と気づいてしまうことになる。結句、オレのような人間にこうやって突っ込まれることになる。策略は失敗におわったのである。(おわり)
PS ついで言っておくと、せっかくそうやって撒き餌に使わせてもらったのだから唐沢の出た映画の名前ぐらい書いてやれよ。しょうがないのでオレが書いておくが、それは『杉原千畝 スギハラチウネ』(2015)である