2022年04月

今朝の天声人語がまた酷い出来だったので、やんわりと指摘をしておこう。

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今回のテーマは「外交官の追放」という話である。このたびのロシアのウクライナ侵攻に伴って、日本からもロシアの外交官ら8人が追い出されたというニュースがあったので、それに引っかけたコラムになっている。

まぁそれはそれでいいのだが、今回のにはコラムとして読むに堪えない部分がある。冒頭部である。

どういうことかというと、ここではまず「命のビザで有名な杉浦千畝は戦前、当時のソ連当局に睨まれて外交官として着任するのを阻まれたことがあった」という話がでてくる。確かにそういう事実はあったのだが、その文章がスコブル複雑な構造になっている。

コラムはまず、「唐沢寿明さん演じる若き外交官がソ連着任を拒まれる」という映画があった、という文章から始まる。次いで「その映画は杉原千畝を描いた作品であった」という。実際の史実はどうだったかというと、映画に描かれたように杉原千畝は本当にソ連着任を拒まれた。こういう経緯があったために杉原は別の任地であるリトアニアに着任することになったのだ、という風に話は転がっていく。

が、しかし。

ここまで読んでオレは思った。冒頭の「唐沢寿明」という名前を出すことに何の意味があったのだろう? 別に唐沢が杉原を演じてようが演じてまいが、杉原が「ペルソナ・ノン・グラータ」で拒否されたことは事実なのである。唐沢云々の情報は全く余計なものである。もっといえば読者は「何か伏線あるんかいな?」と思って先を読まされることになり、そこにひっかかりというか、心的な負担が生じる。そして当然それは何の伏線でもなかった。

最近話題の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に引きつけていえば、「大泉洋さん演じる武家の棟梁が、盟友だった上総の豪族を謀殺する。鎌倉幕府を立てた源頼朝を描いた大河ドラマの一場面である。これを機に鎌倉の武士集団の統制を強化した頼朝は平家打破に奔走する」みたいなハナシであるワケだが、そうやって置き換えてみると、ここで別に大泉洋が登場する必然性はゼロであることがわかるだろう。

なんでこんな意味不明なことをやったのか。

以下はオレの推理だが、このコラムの書き手は自らの筆に自信がない。なんとかして読者に読んでもらうには冒頭の一行目にキャッチーなコトバを配すればよかろう――そう考えた彼は有名な役者である「唐沢寿明」の名前を冒頭にぶち込むことにした。コラムの展開上何の必然性もないが、一般読者は「唐沢寿明」とあるのを見ると反射的に「ん?」と反応してしまう。筆者はそのような姑息なテクニックを使ったのである。


だがしかし、最後まで読んでみれば何のことはない、読者は「なんだアレは撒き餌だったのか」と気づいてしまうことになる。結句、オレのような人間にこうやって突っ込まれることになる。策略は失敗におわったのである。(おわり)

PS ついで言っておくと、せっかくそうやって撒き餌に使わせてもらったのだから唐沢の出た映画の名前ぐらい書いてやれよ。しょうがないのでオレが書いておくが、それは『杉原千畝 スギハラチウネ』(2015)である



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千葉ロッテマリーンズの佐々木朗希が10日の対オリックス戦で完全試合を達成した。奪三振19(日本記録タイ)という快投ぶりで脱帽するしかない。今シーズン連戦連敗の阪神に彼が来てたらなぁと思うが、いまさら詮方ナシ。

それはともかく、相当にインパクトのあった出来事ということなのだろう。今朝の天声人語はさっそくこの話をネタに取り上げていた。が、しかし、今回もちょっとおかしいのではないかと思う部分が幾つかあった。


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まず「160キロ台の速球に、猛者たちのバットが空を切る」とあるけれども、これは野球をよく知らない人間の表現である。

この日の試合についていうと決め球として機能したのはむしろフォークボールだった。奪った19三振も、うち15三振まではフォークで取った。確かに直球が早いからフォークが打てないワケだが、なんだか直球一本やりで打者をきりきり舞いさせたみたいな書きぶりである。実に素人くさい。いくら160キロの速球でも変化球全然投げられなかったらプロの打者はちゃんと攻略する。プロを舐めてはいけない。


それから佐々木朗希というと、高校時代、「連投させて故障させてはイカン」というので夏の甲子園岩手県大会決勝で投げさせてもらえなかったエピソードで有名である(それでチームは負けた)。今回の天声人語でもこの話が取り上げられていて「こんな大記録も達成できたし、あのとき無理に投げさせなくて良かったネ」という意味のことを書いている。

まぁフツーは「そうだよなー」と思って読み過ごしてしまう部分であるが、よくよく考えると、コレは「超一流選手にとっては高校野球などしょせん通過点。もっともっと成長するためには高校野球で勝つより大事なことがあるだろう」ということを言っているに等しい。

要するに「高校野球<プロ野球」「高校野球はプロ野球の踏み台」という話である(もちろんこれは超高校級選手に限った話であるが)。

オレもそういう価値観はあっていいと思う。現に春夏の甲子園はプロを目指す選手の公開セレクション大会になっている。しかし、よくよく考えると、夏の甲子園を主催している朝日新聞は「高校野球は教育の一環」とか言ってなかったか?

「 ここで無理して故障したらプロに行けなくなるかもしらんので連投は止めさせよう」という考え方が「教育的」かというと、なんか違うような気がする。そもそも教育の手段であったハズの野球が、そこでは「目的」になってしまっているのではないか。

・・・ということで、天声人語はここで「高校野球はプロへの踏み台」説をうっかり肯定してしまったのである。まぁ朝日新聞が「高校野球は教育の一環説」はウソくさいので止めたということならばそれでスジが通るが、果たしてそうなのか。

というわけで、今回もいろいろとおかしな表現が目立つ天声人語。原稿は書き上げてから20回ぐらい読み返し、過去の言動とのムジュン点とかぬるい表現がないかとか確認した上で出稿するがよかろう。(おわり)












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オレはプロ野球の阪神ファンなのだが、ご承知のように本年――すなわち2022年の開幕早々、わが阪神はなんとしょっぱなから9連敗という最低最悪のスタートを切った。ようやく昨4月5日、わが阪神は令和の新怪物・佐藤輝明の初ホームランなどもあり、最終的には4-0で快勝した。西勇輝あっぱれの完封劇である。


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さて、それはそれで大変結構な話なのだが、たまたま一夜明けての「天声人語」がその辺りに絡んだ話を書いていて、しかもその出来が豈図らんや、最悪なのだった。

どういうことか。以下に説明したい。

このコラムで冒頭紹介されるのは、1955年のシーズンで当時存在した「トンボユニオンズ」という球団が開幕12連敗を喫したというエピソードである。筆者はこのユニオンズが如何に弱小球団だったのかという話を繰り広げたあと、阪神もこの連敗記録に迫るかと思ったけれども甲子園を包むファンの歓喜のうねりの中で阪神は何とか勝ちきったとか何とかいって、最後を「負けが込んでも熱いファンはトンボと決定的に違った」と締めくくっている。

ちょっと何を言いたいのかわかんなくてしばし困惑したのだが、30秒ほど黙考した結果、これは最終的には「阪神ファンは負けが込んでもちゃんと応援をして勝利を後押しした。阪神ファンは素晴らしい」という事を言いたいのだろうと思った。うむ、まぁそれはそれでイイのであるが、気になるのは一番最後の「(阪神の)熱いファンはトンボと決定的に違った」というくだりである。

要するに「トンボユニオンズというのはあまりにも弱小でロクなファンもついていなかった、だからオマエら弱くてすぐ消滅しちまったんだよ」という事を言っているに等しく、その情けないファンを「素晴らしい阪神ファン」の引き立て役に仕立てているのである。

いや、ちょっと待ってくれ。

阪神ファンを讃えるのは良いのだが、しかしよそのチームにだって一生懸命なファンはついている。仮に弱小だって「オレがついてるぞ」といってずっとついてくるファンは絶対いる。戦後カネがなくて存続が危ぶまれた弱小・広島カープが市民からの「樽募金」とかで何とか生きながらえた――なんて話は阪神ファンのオレですらグッとくる(そうした意味で金満野球の巨人には全く共感できないのだが)。

ということでいえば、いくら戦後の泡沫球団の一つだったトンボユニオンズとて、そこには必死に応援したファンはいたハズなのである。いまだって「弱かったけどオレ好きだったんだよなー」とか心中に良き思い出を抱えて生きているジジイは絶対いるハズなのである。

オレが推測するに、この筆者は――あるいは阪神ファンなのかもしれないが――全国にファンの多い阪神ファンにゴマをすることで好感度を上げようと考えたのではないか。そこで「オマエら知らんだろうけど、戦後、スゲー弱いチームがあったんだぜ」という文脈で、つまり道化役としてトンボユニオンズを持ち出したのだった。

先に述べたように、オレは阪神ファンだが、ヨソのチームだとかファンをことさらにバカにしようとは思わない(巨人ならびに巨人ファンに対してのみそういう気分がないことはないけれども)。なぜなら彼らもまた野球ファンであり、そこにはどこかで連帯があるのだと思っているから。

そういう意味では、この天声人語には全然野球愛が感じられない。あまりに浅い。阪神ファンだからといって、そんな底の浅い「おべっか」を頂戴しても全然嬉しくはない。(おわり)


追記
なお、この翌日の4月6日の試合は、阪神が9回二死までリードしてたのにそこから追いつかれ、結局1-6でボコボコに負かされた。そのあと、スタンドでは激高した阪神ファン同士がスタンドでケンカを始めて救急車が出動するなどスゲエことになったらしい。「・・・阪神ファンを褒めたのは間違いだった。ちょっと舐めてたわ」と筆者も今頃反省しているのではないか(笑









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日経文化面に沢木耕太郎がエッセイを書いていた。 

沢木耕太郎というと、オレのような還暦前後の世代からすると昔はノンフィクション界のエースとして仰ぎ見るような存在で、確か大学時代に渋谷だか原宿だかどっかで講演会があるというンで出かけて行って話を聞いた記憶がある。カッコよかった。

そのご、彼も小説とかに手をだしてあんまりノンフィクション書かなくなったし、なんとなくオレも彼の作品とは縁遠くなってしまったのだが、それだけに久々に紙面で彼をみてちょっと懐かしかった。


内容はというと、最近は外でメシ食うときなんかでも「食べログ」とかで周到にリサーチして間違いのない店を目指していくのが一般的になってるようだが、なんとなく偶然でフラッと入ったり、あるいは直感的に「ココだ」と思って店を選ぶほうが面白いし楽しいジャン、仮にそれで失敗したとしてもサ――みたいな意味のことを書いていた(正確な要約ではない)。

要するに「孤独のグルメ」のススメみたいな話なのだが、コレもっと敷衍させていえば、人生というのはあんまりガッツリ計画たててアレコレするより、なんだか行き当たりバッタリのでたトコ任せでやったことのほうが後々振り返って楽しかったりするよネ、仮に酷い目にあってもサということなのかもしんない。

ウムそれはそうだよなあさすが「深夜特急」の著者だよなあ深いよなあ。それでこそ沢木耕太郎だ、と思った。

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